その9 艦隊出撃
3月14日 黄海
空母<翔雀>機動部隊は佐世保での休暇を終えると黄海に入り、紹介活動を実施するとともに戦争のための訓練を続けていた。
哨戒活動の中核となるのは搭載されている2機のE-2Cホークアイ、日本海軍独自の形式番号ではV1Gである。
「電探に感。大型機1。民間航路から外れ、洋上の機動部隊を目指している模様。発進基地から中国海軍のY-8哨戒機と思われる」
モニターに航空機の姿を捉えたオペレーターはただちに空母の司令部に報告した。
空母<翔雀>の甲板では2機の<旋風>戦闘機が待機していた。そのうち1機のコクピットに収まっているのは天城由梨絵である。管制塔から迎撃の指示を受けると、忙しなく動いている甲板の作業員たちが由梨絵と僚機の機体の周りに集まった。機体のチェックをするとともに<旋風>を牽引車に繋ぎ、前甲板とアングルドデッキ上に設置されている蒸気式射出機まで連れてゆこうとする。誘導員が手振り身振りで<旋風>を発進位置まで連れてゆこうとするが、傍から見るとその動きはオーバーリアクション気味に見える。なにぶんジェットの轟音が絶えない甲板上ではそれくらいしなくては意思が伝わらないのである。
発進位置につくと前輪がカタパルトと固縛され、ジェット排気の被害を防ぐジェット・ブラスト・デフレクターが<旋風>の後ろに立ち上がった。発進準備完了である。
<撃ち方用意!>
無線機越しにカタパルト士官の声が由梨絵の耳に響いた。
<てぇっー>
その掛け声とともに由梨絵は見えない力に身体が座席に押し付けられるのが感じられた。カタパルトが解放され、<旋風>戦闘機が瞬く間に離陸速度に達したのである。空中に投げ出されると由梨絵はエンジン出力を一気に上げて操縦桿を引き急上昇した。
<中国空軍基地より新たな航空機が発進。発進基地からスホイ27と推定される>
発進して空母から離れた艦載機は艦橋の管制塔から空母艦内に設置された戦闘指揮所CDCの官制下に入る。CDCではホークアイ機の捉えた目標をデータリンクで受信し、それに基いて艦載機に必要な指示を与えているのだ。
「了解。目標へ向かう」
由梨絵はすぐにY-8MPA哨戒機を発見した。ソ連のアントノフAn-12輸送機をライセンス生産した4発ターボプロップ輸送機で、その能力は西側のC-130に近い。中華人民解放海軍ではその飛行性能から洋上哨戒機として利用される。哨戒機と言っても日本海軍が持つオライオン機のような対潜戦闘能力を持つわけでもなく、主に水上艦捜索に利用されている。
由梨絵と僚機は早速、旋回してY-8MPAの後方にまわった。多くのロシア由来航空機と同様にY-8MPAの尾部にも機銃が設置されていて、それが由梨絵の機体に向けられた。由梨絵はそれに注意をしながら国際緊急周波数を使ってY-8MPAに警告を与えるとともに、カメラで写真を撮った。
<後方からフランカーが接近!>
僚機から警告を受けた由梨絵は愛機をバンクさせ急旋回した。その間に後ろに一瞬だけ視線を向けると、2機のスホイ27<フランカー>戦闘機の姿を捉えることができた。
スホイ27は旧来のソ連戦闘機の代名詞であった各種のミグ戦闘機に代わって主力戦闘機になりつつある大型戦闘機である。NATOはこの機体に<フランカー>というコードネームを与えた。強力なジェットエンジンを2基搭載し、機動性能に優れる戦闘機として知られる。また強力なレーダーを搭載し、空対空ミサイルを最大12発搭載可能という高いミサイル戦能力も同時に併せ持つ。そして帝國軍が最も恐れるのはその航続距離である。巨大な機体に大量の燃料を搭載し、増槽の装備なしでソ連のハバロフスクから発進するとした場合でも北海道と本州のほぼ全域を行動圏内に収めることができるのだ。それまで航続距離の短かったソ連戦闘機を目標に構築された防空システムは無意味になってしまうのである。
そのスホイ27は中ソ関係改善の象徴として中国にも輸出され殲撃11型の名前で人民解放空軍に配備されている。ちなみにソ連は同時に潜水艦や駆逐艦なども輸出されているが、戦車だけは決して輸出しなかった。これは中ソ関係が必ずしも十分な信頼によって結ばれたものではないという証拠と見られている。さて輸出されたスホイ27であるが、中国はこの新しい器材にまだ慣れきっていないようであった。そのために2機のスホイ27は由梨絵と相棒の<旋風>相手に、その機動力を生かせず逆に翻弄されている有様であった。
当然の帰結として2機の<旋風>はスホイ27の後ろをとったのである。
中国軍を追い返して母艦へと帰ってきた2機を待っていたのは空中待機命令であった。なんでも他の機体が着艦態勢になっているという。
<今、誰か飛んでいましたっけ?>
僚機の不満げな声が聞こえてきた。
「私は知らないな。あっ見えた」
上空を旋回しながら由梨絵は着艦しようとする機体を発見した。<翔雀>から離れたところを飛んでいるので、その機体は豆粒のように小さく見えたが機種は特定できた。
「ゴスホークだ」
ジェット練習機の傑作として知られるイギリス製のBAeホークであるが、アメリカ海軍はそれを空母への離着艦ができるように改良してT-45ゴスホークとして採用した。日本海軍も艦載機パイロットのための練習機として採用し導入を進めている。
しかし練習機である筈のゴスホークであるが、コクピットで操縦桿を握るのは練習生ではなくベテランのパイロットで、本来なら教官が座る後部座席に座っているのは綾野士子であった。
ゴスホーク機はいよいよ空母に足をつけた。だが減速はしない。それは着艦に失敗した場合にはまた飛び立たなくてはならないからだ。減速したら失敗した場合に飛び立てず海に落ちて貴重な機体とパイロットが失われてしまう。ではゴスホークはどうやって止まるのか。それは甲板に張られたワイヤーを使うのだ。
アングルドデッキ上にはアレスティングワイヤーが着艦する機体から見て直角に張られている。艦載機は尾部に取り付けられたアレスティングフックをこのワイヤーに引っ掛けて制動をかけるのだ。ワイヤーにフックが引っかかり機体が止まれば着艦成功、引っかからなければ失敗であるから再び艦を離れて再アプローチしなくてはならない。
むろん何の減速もせずに突っ込んでくる機体をワイヤーで無理やり止めるのであるから機体とパイロットにかかる衝撃は相当のものである。だから艦載機は陸上機よりも足回りが頑丈に造られているし、どんなにベテランのパイロットも着艦に慣れはしないのである。それ故に着艦は“制御された墜落”と形容されるのだ。
綾野を<翔雀>まで連れてきたのは空母と地上の連絡を任務とするベテランパイロットで、彼の何時もの楽しみは着艦に成れない客の肝を潰した姿を見ることであった。偉そうな提督や政治家が座席に縮こまっている姿を見るのは実に愉快である。そして今回は若い―40代後半のベテランパイロットから見れば十分若い―女性である。どんな姿を見せるのか楽しみでしょうがなかった。
「空の旅はいかがでした?」
後ろを振り向いて客の情況を確認したパイロットは大いに落胆した。綾野士子は相変わらずの無表情で、着艦の衝撃にもまったく動じていないようであった。
やがてゴスホーク機は駐機スペースに運ばれ、キャノピーが開けられ、梯子が取り付けられた。
「大尉。ありがとう」
綾野は形式的な礼を言うと、ゴスホークのコクピットから這い出て、甲板に降り立った。
「こちらこそ。少佐」
一応、そう返したパイロットは綾野が離れるのを確認すると、小さく「つまらねぇの」と呟いた。
甲板では綾野を待つ者が居た。第一種軍装姿の2人の女性海軍士官だ。
「士子!」
片方は精一杯手を振る。
「お久しぶりね」
もう一方は対照的にクールに振舞う。その2人を見てさすがの綾野も目を丸くした。
「那美、タチアナ!」
セミショートの女性、美砂那美、眼鏡の笹島タチアナはともに海軍大尉で、士子の海軍兵学校の同期生である。この3人でその年の兵学校成績上位者を独占し話題となった。
那美は現在、巡洋艦<青葉>に乗艦し、対潜作戦士官として艦長を直接支援する立場にある。また共産主義政権から逃れた白系ロシア人の母と日本人の父の間に生まれた子である笹島タチアナはイージス駆逐艦<涼月>の戦術行動士官で対空戦闘を官制する任務を与えられている。<青葉>と<涼月>はそれぞれ艦隊の対潜作戦と対空作戦の中核に位置付けられている。つまり事実上この2人が艦隊の対潜対空戦闘を仕切るのである。
「貴女が来ると聞いて驚いていたのよ?海大で海軍主流派を敵にまわして閑職に追いやられたと聞きいんだたけど」
タチアナが尋ねた。
「海軍大臣にお使いを頼まれましてね」
そう答えた綾野に那美が目を輝かせた。
「すごいじゃない!これで出世コースに戻れるわけね!」
タチアナがそれに続いた。えらくクールに、笑顔で、至極当然のことのように言った。
「行き遅れ同士、負けてられませんね」
3人とも三十路前後。帝國日本の平均的価値観ではそろそろ婚約相手を見つけないといけないとされる年代である。
那美はうな垂れながら言った。
「そんなに普通に言わないでよ。結構、グサリとくるんだから。グサリと…」
3人は艦内に入り世間話を続けた。そんなこんな続いた3人はやがて戦争についての真剣な話題になった。
「わざわざお目付け役を派遣してくるとなると、海軍はだいぶ本気になっているようね。私たちが空母にわざわざ呼ばれたのも戦争に備えてのミーティングに出席する為なのよ」
タチアナが言った。
「なんでも中国は新南群島問題まで持ち出したそうですからね」
綾野が答えた。新南群島とはフィリピン、ボルネオ、ベトナムに囲まれた南シナ海に浮かぶ100以上の島々からなる諸島で、中国では南沙群島、英語圏ではスプラトリー諸島と呼ばれている。第二次世界大戦中に日本が占領して以来、日本が実効支配をしているが、中国、ベトナム、フィリピン、マレーシア、ブルネイが領有権を主張している係争地となっている。
「そんな話まで出てくる情況だと、交渉はだいぶ拗れているでしょうね。いや、CICに篭もっていると外界の情報がほとんど入ってこないものだから」
タチアナが言った。那美がそれに続く。
「そうなると相当、世論も沸騰しているでしょうね」
「宮川政権もだいぶ追い詰められているようですよ。それとアメリカも韓国の戒厳令を解除することに同意しました」
綾野の説明はあまり有り難いことではなかった。戒厳令が解除されるのであるから、平和に近づいている証拠と思われるかもしれないし、日本国内のメディアではそのように報道されて“宮川政権の弱腰”を批判する材料にもなっているが、実はまったく正反対なのである。
現在、韓国内にある日米韓の軍部隊は全て連合軍司令部の指揮下にあり、それを構成する3ヶ国が協同で統帥を行なっている。そしてアメリカは軍事介入をしないと明言している。これはなにを意味するのか?つまり朝鮮半島に配備されている日韓の戦力は中国に対していかなる武力行使もできないのだ。協同統帥下にある限り例え日韓軍だけで攻撃に出たとしても、アメリカ軍が参戦したも同じことになるのだから。そして協同統帥は戒厳令発令中に実施されることになっている。
つまり戒厳令の解除とは朝鮮半島内の日韓軍にフリーハンドを与えるための行為であり、アメリカが日韓軍の攻勢に黙認を与えた証拠なのである。
一方、飛行甲板では由梨絵の<旋風>が着艦を試みていた。着艦は艦載機パイロットにとって最も緊張する瞬間である。なにしろアメリカ海軍のスーパーキャリアといえども広さは地上の飛行場には遠く及ばない。規模が半分程度の日本の空母ならなおさらである。それに加えて前述の“制御された墜落”状態。かなり危険な仕事であるのは間違いない。そのため、海軍パイロットは離着艦の訓練に力を注ぎ、戦闘・攻撃の訓練より多くの時間を割いているほどなのだ。
その着艦を助けるために空母にも艦載機にも様々な仕掛けが用意されている。1つは空母に備え付けられた光学着艦誘導装置である。これは日本生まれの偉大な発明品の1つで、それによって空母と自機の相対的な位置関係を把握できる。それに加えて空母から航空機に向けて誘導電波が発せられて、コクピットのヘッドアップディスプレイに方向の指示として表示される。
由梨絵は相互に見比べながら機体を巧みに操った。空母の甲板にどんどん迫っていく。いよいよ着陸という段になって由梨絵は身体に異常を感じた。<旋風>は一瞬、姿勢が乱れた。すぐに態勢を整えたが、調子が乱れたのかフックをワイヤーに引っ掛けそこねて、また飛び立った。
「失敗した。再アプローチする」
二回目のアプローチで着艦に成功した由梨絵は、カメラを現像係りに預けるとパイロットたちの待機スペースへ向かった。
「天城。着艦の時に何かあったのか?」
待っていたのは第603航空隊指揮官の笠岡信太郎中佐であった。第603飛行隊は<翔雀>に搭載する<旋風>戦闘機18機の全てが所属する航空隊である。
「今月もアレが始まったみたいです」
由梨絵は腹を擦りながら言った。
「シフトの変更をしておくよ」
「ありがとうございます」
由梨絵は笠岡に礼を言うとトイレに消えていった。それを待っていたかのように誰かが笠岡に向かって言った。
「だから女は嫌なんだ」
笠岡が振り向くと副隊長の岡野茂義少佐が居た。
「どんなに腕が良くたってな。いざって時に“生理で出撃できません”じゃ困るんだよ」
「そう言うな岡野。あいつは優秀なパイロットだ。それはお前の認めるところだろ?だが完璧な人間なんて居やしないさ。それは俺もお前も同じだ」
そう言って岡野を宥めようとした笠岡であるが、岡野はどうも納得できないようだ。
「赤飯でも用意しておきますか」
岡野は笠岡に背を向けて、部屋を出た。それを見届けると笠岡は腕にはめた時計を見た。時間であった。
笠岡が甲板に上がると<旋風>が次々と着艦してくる。彼らは第603飛行隊の<旋風>では無い。翼の下には誘導爆弾用のレーザー照準装置を積んでいるのが特徴の機体を保有する航空隊は帝國海軍で2つしかない。今、着艦を行なっているのは第271航空隊の16機の<旋風>である。彼らの任務は揚陸部隊と連携し海軍陸戦隊を空中から支援することで、海軍では数少ない対地攻撃専門の部隊なのだ。
甲板上の駐機スペースに停めて愛機を降りる271空のパイロットたち。しかし彼らは彼らを出迎えた笠岡の存在に気づきつつ無視した。それは笠岡にも分かった。
「やっぱりこんな有様か」
なにより対艦攻撃を重視する日本海軍において対地攻撃専門の航空隊は異端とみなされる。つまるところ帝國海軍航空隊では彼らは格下に扱われ、機動部隊や陸攻部隊に行けなかった者がまわされる部隊とされていたのだ。そしてそれ故にそこに配属された者の機動部隊や陸攻部隊に対する僻みは凄まじい。
部隊間の連携がこのような状態で戦争に臨めるのか、笠岡には不安で仕方がなかった。
あと4話程度で開戦できそうです。長かった…
大規模加筆修正計画は第一部その2を修正しました。
(改訂 2012/3/21)
内容を一部変更