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世紀末の帝國  作者: 独楽犬
第7部 最後通牒
46/110

その8 海軍裏事情

3月中頃

東京霞ヶ関 海軍庁舎 通称“赤レンガ”

 事態を打開する切り札として期待された宮川首相の戦争準備宣言であったが、期待されたような効果はもたらさなかった。中国代表は相変わらず日本案について原則賛成としつつも理由をつけては拒否を続けていた。さらには“爆発事件について日本の謀略ではないのか”と今川特使を問いただし始めたことも会議が停滞する原因となった。なるほど、なにも知らぬ者が見れば中国軍施設が何者かによる攻撃を受け、しかもその直後に日本が戦争の準備をし始めたという状況を見れば中国の言い分にも正当性があるように見える。しかし、実のところはどっちも日本の仕業でないことを分かっていながらやっているのであるから正に茶番である。


 そんなこんなで会議は停滞したまま、戦争の準備だけは順調に進んでいた。そのせいか3月10日の陸軍記念日の式典は縮小され、あじけないものになっていた。

 作戦計画もだいぶ定まっていて、海軍も重要な任務を与えられることになった。それは大連上陸作戦である。3年前まで日本の租借地であった遼東(リャオトン)半島の都市、大連市であるが、そこに海軍陸戦隊が上陸して北上する。そして国境線付近に展開している中国軍、特に丹東(タントン)周辺の機甲部隊の退路を断つとともに瀋陽を側面から攻撃する。それが海軍に与えられた役割である。



 海軍少佐である綾野士子(あやの ことこ)は海軍大臣執務室に案内された。“赤レンガ”の中で海軍省の施設と言えば事実上はこの海軍大臣執務室しか無い。

 陸海空軍の各省は、組織そのものは残っているが実質的な機能は兵部省に統合されていて日本軍事史の史料くらいの存在価値しかない。その長である海軍大臣だって実権が伴なっていない名誉職であり、すでに内閣の閣僚にも含まれていないが議会に出席して意見を述べる権利は与えられている。特に陸海空各軍の個別の問題、専門的な分野に関しては兵部大臣よりも陸海空軍の各大臣に尋ねられる場合が多い。

「15000トン級戦略原潜の2番艦の予算、だいぶ苦悩なさっていたみたいですね」

 綾野は入室するなり目の前に座る海軍大臣に向かって言った。神楽道久(かぐら みちひさ)海軍大臣は戦費調達のために戦略原潜建造予算を犠牲にすることに最も反対した海軍高官であったが、議会では戦略原潜予算削減に反対する野党議員を説得する役割を与えられてしまった。綾野士子もテレビの議会中継でその様子を見ていた。

 ともかく帝國の核抑止力の根幹たる新型戦略原潜の予算は丸ごと削減されてしまった。その代わりに平凡な駆逐艦である五月雨型の最終艦の予算が承認されたが。

「まったく嫌な仕事だ。海軍の水上艦至上主義は本当に困る」

 神楽道久は1958年に世界初の原子力潜水艦USS<ノーチラス>による北極点到達のニュースに触れて衝撃を受けて以来の根っからの潜水艦屋であった。それに対して海軍という組織は水上艦中心に動いている。原子力艦が配備されている現在でさえ潜水艦を補助戦力としか見ていない。彼が潜水艦出身として始めて軍令部長になってから少し改善されたが、いまだに水上艦至上主義は変わらない。

 そんな愚痴を聞きながら綾野は悩んだ。自分がなぜ大臣室に招かれたのか、皆目検討がつかなかった。すると大臣が切り出した。

「海兵119期を首席で卒業。上位3人が女性という前代未聞の事態だったからよく覚えているよ。大層なもんだ。しかし、その癖に去年に海軍大学校を卒業した時にはギリギリだったそうだね」

 それを聞いた綾野が眉を顰めるのを道久は見逃さなかった。

「それが自分の実力であると厳粛に受け止めております」

「謙遜を美徳とは思わないのだよ。私は。ところで卒業生による討論会ではかなり揉めたようだね。感想を聞きたい」

 綾野は道久の真意が分からず、正直に答えることにした。毎年恒例になった海軍大学校の卒業生による討論大会だが今年は荒れたと道久は聞いていた。

「今回のテーマは海上交通線の防衛でしたが、正直言いますと絶望しました」

 明らかに表情が変わった綾野を見て、彼女が本気で喋っていることを道久は感じた。

「どうも海軍には海上交通線の防衛とは“海の上に軍艦を浮かべる事”と勘違いしている輩が多いように思えます」

「説明してみたまえ」

 海軍大臣の言葉に綾野は驚いた。

「えっ?」

「君が私の想像通りであったか知りたいんだ。詳しく説明したまえ」

「分かりました。海上交通線というものは海洋にのみおいて成り立つわけではありません。その海域に隣接する沿海地域、陸上地域の安定が洋上の安定に直結します」

 海軍大臣は無言で頷きながら綾野の説明を聞いている。

「日本の場合は中東から始まり南アジア、東南アジア、東アジアと連なるわけですが、その国々が政治的経済的に混乱状態に陥れば治安が悪化して近海を航行することへのリスクが上がります。つまり海上交通線を確保するには周辺国を政治的経済的に支援する必要となります」

「なるほど」

「ですから、海軍艦隊の展開以上に政府による援助活動、それに必要に応じて陸上兵力を展開することが重要になり、海軍もそうした活動を支援する能力を確保する必要があります。しかしながら海軍主流派には東南アジア一帯が真っ赤っかになるより駆逐艦が1隻減るほうが一大事であると考えているようです」

 “赤くなる”とは共産化を示す隠語である。綾野は一旦そこで区切って一度溜息をついた。それから説明を続けた。

「結局のところ、戦前の艦隊決戦主義と何ら変わりありません。ただ対象がアメリカの戦艦からソ連の潜水艦になっただけで、根本的な問題はなにも変化していない。どのような戦争をどのような戦略で戦うのか、そういう視点が欠けているように思います」

 綾野が意見を述べ終えると、海軍大臣は拍手をした。

「君は私が思っていた通りの人物であったようだ」

 海軍大臣はそう言うと、自分の机から冊子を取り出した。表紙には“海軍戦略論”と題名が書かれている。

「君の卒業論文を読ませてもらったよ。素晴らしい内容だ。コーベットから始まり、アメリカ海軍の大戦後の戦略転換を論じ、そして変化する世界情勢に対応できない我が海軍の現状を批判する。コーベットの海軍思想をここまで纏めた論文は日本語では初めて見た。資料を揃えるのが大変だっただろう。だいたいコーベットの本で日本語訳されているのは『海洋戦略の諸原則』だけで、しかも訳が酷い」

 ジュリアン・スタフォード・コーベットは19世紀のイギリスの戦略思想家で、アルフレッド・T・マハンとともに海軍戦略の父として知られている。しかし日本においてマハンが海軍に大きな影響を及ぼしたのに対してコーベットの方の知名度はそれほど高くない。マハンが制海権を得るための艦隊決戦に重点を置いた海軍重視論者であったのに対し、コーベットは最終的には陸軍力の行使なしに勝利はありえないとして陸海空軍の統合作戦の重要性を説いたためかもしれない。

「おまけに連合艦隊不用論は拙い。今の海軍を仕切る連中には刺激的すぎた」

「しかし、現状では連合艦隊という組織は害悪になりかねないように思います。何十隻から成る艦隊がいっしょに行動する時代ではありませんし。連合艦隊は解体してアメリカのように艦隊を各海域に割り振って、実働部隊は任務部隊ごとに当該海域の艦隊の指揮を受けるとしたほうが効率的かと」

「君の意見はわかるよ。だがね。連合艦隊ってのは、海軍将兵にとっては特別な思いがあるものさ。それを廃止するとか言えば、反発があるさ」

「それで貴方は水上艦隊主義者に屈したわけですか?」

 神楽道久の批判する海軍の水上艦至上主義。しかし軍令部長の地位に就くまではそれを口にする事は無かったし、今も水上艦至上主義に対して十分な抵抗をしているようには思えない。

「その通りだ。だから軍令部長に、そして海軍大臣まで昇ることができた。これでやりたいようにできると思ったが、できたのは戦略原潜の命名基準を変えることぐらいだった。だが見込みのある奴を釣り上げることはできる」

 そう言うと、机の引出しから書類を取り出した。

「君への命令書だ。私直属の連絡官として艦隊に赴いて欲しい。数日中に両用戦部隊が編制されて機動部隊と合流する筈だ」

「私に貴方の手足となれと?」

 海軍大臣は笑顔で首を縦に振った。

「言っておくが、これは命令だ。出世をするには避けられんことだしな。期待しているぞ」

 綾野は外見無表情を装ったが、心の中では困り果てていた。彼女は特に出世に興味があるわけでもなく、むしろ学問的興味を追いかけることに心を傾けていたのだ。今も今年中に書き上げることを目指して論文を製作中である。

「なぜ私なのですか?」

「君が“海軍戦略論”の中で予言したそのままの戦争だからさ。陸海統合作戦。沿海作戦。水陸両用戦。限定戦争。君が論文の中で帝國が最も遭遇する可能性が高いと主張してそのままの戦争形態だ。君以外の誰が居る?」

 反論のしようが無かった。

「それともう1つ、君の論文を呼んで思ったことがあるんだ。君は、無意識のうちにかもしれんが、冷戦後を見据えているような気がするんだ」

 綾野はなにか心の中が見透かされているような気がした。今、書いている論文というのが、まさに冷戦後を想定した内容のものであった。

「ところで君の履歴書を拝見したが独身らしいね」

 綾野は露骨に顔を顰めた。今年で三十路。親からも結婚を催促されている身の上、上司にまで文句を言われたくはない。

「いやなぁ。うちの長男も28になるのに身を固めようとしないんだ。それでな君の…」

「結構です」

 綾野は最後まで言わせなかった。

「なんだ?思い人でも居るのかな?」

「いえ。特に居ません。一方的に思いを寄せてくれる方なら居ますが…」




北太平洋 アメリカ海軍原子力潜水艦<イール>

「ヘックシュ」

 潜水艦の発令所で1人の男がくしゃみをしていた。

「誰か噂でもしているのかな?」

 この男は名をレオ・B・リコヴァーといい、海軍中佐でシーウルフ級潜水艦第4番艦<イール>の艦長である。中性的で端正な顔立ちをしており、軍の仮装パーティーで時折見せる女装姿は恐ろしいほどの色気を発する。女性からの人気も高いが、アメリカ海軍の現役潜水艦艦長としては最も若いとはいえど、かなり前に三十路に達しているにも拘わらず今まで何故か浮いた話はなかった。

 <イール>は北太平洋の冷たい海を進む。




山口県 光海軍工廠

 光S廠として知られる潜水艦用ドッグで1隻の潜水艦が整備されていた。

 伊号第四八潜水艦は比較的旧式の潜水艦である。同名の艦としては2代目で、就役は18年前だ。就役当時は最先端の涙滴型通常動力―つまり原子力機関を搭載していないという意味―潜水艦であったが、新型の就役により実戦任務から外れて練習潜水艦となり、今はサブマリナーを目指す新兵の教育の場と新装備の動く試験場の任務を果たしている。それは旧式の潜水艦ながら最新の装備が搭載されていることを意味していて、それが今回の任務に必要だと海軍上層部の目にとまった。

 今、伊48の背中にあたる後部甲板―普通の船乗りにはとても甲板には見えないが一応は甲板である―の上には丸い(こぶ)のようなものが載っていて、技術者からはドライデッキ・シェルターと呼ばれている。それはアメリカ海軍が特殊部隊の潜入に必要な各種器材を運搬するために開発したもので、水中に潜水艦が留まり特殊部隊はドライデッキ・シェルターから発進するのである。伊48に載せられたのはアメリカ海軍のものに比べて小型のものであったが、機能は変わらない。それは伊48が何らかの特殊作戦に投入されることを意味していた。なるほど、伊48には試験的に浅瀬用で機雷探知機能を持つ高周波ソナーを装備している。特殊作戦には適した艦である。

「魚雷室は戻さなくていいんですか?」

 技術員の1人が伊48潜水艦の先任将校に尋ねた。練習潜水艦は魚雷室を練習生のための講堂に改造している。

「いや、いい。待機スペースにするそうだ」

 先任将校が答えた。となると魚雷は魚雷管に予め装填される本数だけ、つまり6本しか搭載できない。

「大丈夫なんですか?」

「別に敵艦を積極的に攻撃するような任務じゃない」




大韓帝國 平安南道(ピョンアンナムド) 順川(スンチョン)郊外

 大同(テドン)川は朝鮮半島に流れる大河の1つで、順川は南へ流れて韓国第二の都市である平壌を通り、南浦(ナンポ)から黄海に注ぐ。



 空き地に挟まれた大同川に橋が架けられている。しかし、その橋はどうも架設のような風である。また川原には多くの兵士たちの姿が見える。最後にはM48A5K戦車が姿を現し、架設橋を渡った。

 戦車小隊が渡り終えると、散らばっていた兵士たちが次々と集まってきた。オ・チャンソクもその中に居た。分隊長である彼の下に兵士たちが集まる。

「しかし曹長。政府は本気みたいですね。最近、渡河訓練ばっかですよ」

 部下の1人が呟いた。

「言うな。我々はただ命令に従うだけ」

 チャンソクはそうは言いつつ、不安を隠せなかった。

 大規模加筆修正計画をスタートしました。手始めに【第一部その1】を更新しました。


(改訂 2012/3/21)

 登場人物の名前を変更

(改訂 2016/8/05)

 不適切な点がある内容を修正しました。

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