表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世紀末の帝國  作者: 独楽犬
第7部 最後通牒
45/110

その7の2 陸軍記念日

 戦前の休日をコンプするために新作を割り込み投稿です。

3月10日 千代田区北の丸 近衛師団司令部

 宮城(きゅうじょう)のお堀に囲まれた北の丸、その中に建つ明治末に建造された赤レンガの庁舎に居を構えているのが陛下の尖兵たる近衛師団であった。

 近衛師団は明治維新直後に新政府が天皇陛下の身辺警護のために組織された御親兵に遡ることができる。それは軍事力を維新の立役者である薩摩、長州、土佐の各藩に依存していた明治政府が始めて保有した独自の軍隊であった。

 その後、中央集権的な統治組織が完備され、フランス、次いでドイツを手本にした新政府の陸軍が本格的に整備されるようになると、近衛師団は陸軍の精鋭部隊と見なされるようになった。郷土主義を採る一般師団に対して近衛師団は全国から精強な青年が集められ、日清、日露、そして第二次世界大戦において激戦地に投入された。特に第二次大戦においては欧州戦線派遣部隊第一陣としてアフリカで、イタリアで、そして南仏からドイツ南部へと進撃してドイツ軍と激闘を繰り広げたのである。

 そして大戦後には戦車部隊が増強され、歩兵も完全に機械化―つまり装甲車に乗る歩兵―されて、戦車師団に準ずる機械化歩兵師団に改編された。湾岸戦争にも派遣されてクウェートへと侵攻したイラク軍殲滅に従事し、帝國陸軍随一の精鋭部隊であることを内外に示した。

「しかし、こんな慌しい陸軍記念日は初めてだな」

 師団長である中将、如月一二三(きさらぎ ひふみ)は自身の執務室から外を眺めて言った。執務室からは広場を見下ろすことができて、今は近衛師団の機甲部隊がパレードの準備をしていた。

 日露戦争における最大の陸戦、奉天会戦の勝利を記念した休日である陸軍記念日において陸軍は各地で式典や催しを行なうが、その最大のものは帝都における近衛師団のパレードである。機甲部隊の華々しい姿を臣民に示す毎年恒例の行事なのだが、今回は朝鮮半島の事変への対処と被ってしまったのだ。近衛師団は陸軍記念日の行事と戦争の準備を並行して行なわなくてはならなかった。

 結局、例年は師団が全力で行なうパレードは参加部隊が1個旅団のみになり、パレードを行なうルートも縮小された。他の旅団は朝鮮半島へ向かい、パレードに参加する部隊も明日には船に乗り込む予定だ。



 広場には戦車や装甲車両、その他各種兵器が並べられ、パレードが始まる瞬間を待っている。その先頭を行くのは日本陸軍広しと言えども近衛師団にしか存在しない部隊である禁衛大隊と騎兵連隊騎馬中隊である。宮城を守る衛兵任務と儀仗任務を引き受ける専門部隊で、実戦で使う迷彩柄の野戦装ではなく煌びやかな礼装を着用している。

 禁衛大隊は旧式だが見栄えの良い四式小銃を担ぎ、騎馬隊は本物の馬に跨り、パレードの先頭を行くのである。戦時に際しては保管されている実戦用装備で身を包んで戦場に向かうこともありえるが、基本的にはこのような式典のための部隊であり、今次の危機にも朝鮮半島への出陣予定はない。

 そのような煌びやかな部隊を後に続く戦闘部隊の将兵達は複雑な心境で見ていた。彼らはこれが終われば戦場へと向かうことになるのだ。そこは死地であり、パレードに参加した将兵の中にも生きて祖国の土を踏めなくなる者も出てくる筈である。しかし、このパレードで一番、注目を集めるのは死地に向かう彼らではなく煌びやかな禁衛大隊や騎馬中隊なのである。それがやはり不満であった。

 そこへ正装の軍服を着た如月師団長が庁舎から姿を現した。

「師団長に傾注!」

 集まっていた将兵達が一斉に師団長の方を向き、敬礼をする。如月は演説台の上に立ち、答礼をした。

「諸君。まずは緊張状態が続く中、準備を進めてくれたことに感謝をしたい。朝鮮事変と陸軍記念日の二正面作戦は困難を極めたが、諸君らの奮闘努力に見事に成し遂げた。今日はその成果を臣民に見せ付ける時だ。準備と鍛錬の成果を是非とも発揮して欲しい。これより出撃する!」

 如月はそう言ってから演説台を降りると、並んでいる近衛師団の車輌群の一番先頭に停まっている十一式小型自動貨車に乗り込んだ。帝國陸軍におけるジープに相当する十一式自動貨車であるが、その車体にはポールが装着されていて、その先端に軍旗が掲げられている。それが師団長車の証である。

 パレードは師団長車を先頭に出発する。如月が十一式に乗り込むと同時に、将兵達が一斉にそれぞれ割り当てられた位置に駆けて行った。徒歩の歩兵達が整列し、戦車や装甲車の乗員はそれぞれの車輌に乗り込んでいく。全員が準備を完了したことを確認すると、如月は右手を挙げて出陣の合図をした。それから彼の乗る十一式を先頭に、近衛師団の戦車や装甲車と言った各種車輌が次々と発進し、歩兵隊が整列したまま前進していった。



 北の丸を出発した近衛師団部隊は一般道路に出た。パレードのルートとなる道路は憲兵隊が中心になって―警察も参加しているが、中心はあくまでも憲兵―封鎖されており近衛部隊が自由に進めるようになっている。竹橋を渡り、お堀沿いに南へと進んだ。パレード参加部隊は1個旅団に近衛騎兵連隊や近衛砲兵連隊、工兵連隊などから派遣された部隊を組み込んだ戦闘団編成で、パレードを観にやってきた市民達はさまざまな兵器を見ることができた。本来なら師団総出で、複数のルートを使い帝都中を廻るのであるが、今年は事変の影響があり最小限の規模となっている。

 やがてパレード部隊は気象庁及び東京消防庁の前に達した。その一帯にはかつて近衛騎兵連隊の兵営があり、騎兵連隊の将兵達は敬礼を行うことで古巣への敬意を示した。

 大手門前を過ぎ、左手に帝都の玄関口である東京駅が見えるといよいよ宮城前広場である。そこにも多くの人々が近衛師団のパレードを観ようと集まっていた。その中に神楽美香中尉の姿があった。

「三一式自走砲来たぞ!」

 そんな言葉を口ずさみながら美香は手にしたカメラのシャッターを切っていた。

「あっ、フィルム切れた!」

 そう言って止まることなく進み続ける行進を前にして慌ててフィルムを交換する美香の姿を背後に立つ小野寺雄之助は冷ややかに見ていた。ここ最近、ずっと詰めっぱなしの内閣情報調査局の仮眠室で早朝に叩き起こされて連れてこられたのがここだった。



 一方、パレードの先頭は祝田橋を渡ってから右へ曲がり、お堀に沿って西へ進んだ。司法省や警視庁の横を通り、桜田門の前を過ぎていよいよ帝國議会前へと到達した。

 左手には内務省が、右手には参謀本部が、正面左手には霞ヶ関離宮が見える。そして道をまっすぐと進めば帝國議会議事堂の前に出る。だが近衛部隊はお堀に沿って道を右に曲がった。

 参謀本部の前を通った後、三宅山の交差点を左へ曲がり青山通りへ入って、議事堂の北側にある議会図書館と隼町の空軍作戦本部の間を抜けた。そのまま青山通りを西へ西へと近衛師団部隊は進んでいく。目的地は代々木練兵場である。そこで待つ陛下の前で観兵式が行われる予定になっている。




代々木練兵場

 現在、都内唯一の練兵場となっている代々木練兵場であるが、周辺の開発と兵器の射程伸長により21世紀を目前にした現在では明らかに手狭になっていた。機械化部隊となった近衛師団がその主力を千葉の一帯に移し、麻布の歩兵第1連隊も郊外の練兵場を利用するようになっており、代々木は練兵場というよりも陸軍の式典会場というような扱いを受けていた。

 この日も陸軍記念日の式典の会場となっており、第1師団の各部隊が既に派遣されていて準備を進めていた。工兵隊が観客席や演説台などを設営し、将兵が訪れた一般市民や来賓たちを案内していた。さらに兵士達が運営する模擬店も次々と準備されていた。



 賓客が席に着き、最後に陛下が会場に姿を現した。すると、いよいよ近衛部隊が姿を現した。観兵式の始まりである。

 陸軍戸山学校と近衛師団の合同軍楽隊が勇ましい軍歌を演奏する中、近衛部隊が次々と来賓の前を行進していく。陛下の前を通過するときには近衛の将兵達は頭右をして敬礼するのを忘れない。

 正装をした、もしくは野戦装をした将兵達のキビキビとした行進に来賓たちは目を惹かれた。それから近衛の重装備部隊が続く。戦車や自走砲、装甲車達だ。来賓たち、特に他国から派遣されてきた駐在武官はその性能を見極めるべく、車輌の挙動を注視した。しかし結局は隊列を乱すことなく見事に整列していく近衛部隊の操縦手の腕前に気をとられることになった。

 観兵式に参加したのは近衛師団だけではない。式典会場の準備をしていた第1師団から選抜された兵士達、それに相模原の士官学校の幹部候補生達、さらに千葉県に点在する歩兵学校、砲兵学校、戦車学校からも教官や学生が送り込まれていた。

 そして行進は地上だけでは終わらない。練兵場の空に次々と陸軍航空隊の装備機が姿を現したのだ。

 中心になるのは立川に本拠地を置く東部軍飛行旅団である。UH-1イロコイを国内でライセンス生産した二二式多用途連絡機の編隊を先頭にして、次々とヘリコプターが上空を通過していく。

 その中には皇紀2660年3月現在、前線部隊にはまだ配備されていない機種もあった。すなわち五八式襲撃機である。アメリカ陸軍の戦闘ヘリコプターAH-64Dロングボウアパッチの日本陸軍仕様であり、昨年にライセンス生産が始まったばかりだ。まだ配備数は10機にも達せず、明野の陸軍飛行学校で乗員の養成と部隊運用の研究をしている真っ最中だ。練兵場の上空を飛んでいる機体もおそらく三重県の明野から飛んできたのであろう。

 ヘリコプターも一糸乱れぬ見事なV字編隊を保ったまま次々と上空を通過していき、来賓たちの拍手喝采を浴びることになった。

 航空部隊がすべて通過し、地上部隊がすべて陛下の前を通ってから整列し終えた。軍楽隊の演奏も終わり、行進が終わった。来賓たちは再び参加部隊に惜しみない拍手を送った。



 その後、陛下や宮川総理が訓示を行い、パレードの参加部隊が来賓の前で展示訓練を行った。まったく実戦的ではない“見せる”ための訓練であったが、そこからでも将兵達の高い錬度を窺うことができた。

 かくして陸軍記念日の式典は成功裏に終わった。だが近衛師団の将兵には本物の戦争が待っていた。

 というわけで帝國世界においては武道館も、国会前庭も、国立代々木競技場もありません。最高裁判所のあたりに空軍の司令部があります。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ