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世紀末の帝國  作者: 独楽犬
第7部 最後通牒
44/110

その7 不確かな決意

首相官邸 閣議室

「総理。今こそ戦争の準備を開始する時です」

 内調の3人が出て行ってからすぐに大河内内務大臣が言った。

「中国の上層部に開戦の意思が無い、というのであれば事態を打開する方法はただ1つ、我々が決意したことを彼らに見せつけるのです。それで期限を切れば、向こうも妥協せざるをえません」

 大河内に関しては杉田と三輪の懸念は見事に的中していた。

「ちょっと待ってください、内相。戦争準備をして事態を打開できるという根拠はあるのですか?逆に向こう側に戦争を決意させるかもしれません」

 何時ものように蛭田が反論した。

「向こうがやる気というのなら受けてたてばいいのです」

 八雲が叫んだ。

「我が帝國軍であれば、中国軍を打ち負かす事ができます。首相。現在、朝鮮の帝國軍は防御態勢を維持しつつ攻勢プランを研究しております。彼らに正式に攻勢作戦への移行を命じるのです」

 それに大河内もさらに続ける。

「それにだ。あれだけ大それた茶番を目の前でやられておいて、黙っている方が将来に禍根を残す事になります。我々はそこらの弱小国ではないのだよ!」

 閣議室の中の空気は徐々に戦争準備に傾きはじめていた。

「少し考えさせてくれ」




宮川首相 私邸

 総理大臣には専用の住居として首相公邸が用意されているが、歴代の多くの首相たちと同じように宮川も私邸を総理任期中も住居として使っている。なにぶん首相公邸は老朽化が進んでいて、ただの官僚に過ぎない内閣法制局長邸よりも酷い有様なのである。しかし、そのような状態では緊急時の連絡・対応に支障が出るというので、新官邸竣工の暁にはそれまでの首相官邸を公邸に改築することになっている。



 まもなく日付が変わろうとしている頃であったが、宮川は公邸のリビングでテレビを眺めていた。流れているのはその日の最後のニュース報道である。内容はあいかわらず中国問題のことばかりである。

<中国の謀略ではないかという疑惑が強まる中で、宮川首相は相変わらず沈黙を続けています。中国に対する政府のはっきりしない態度をうけて政権支持率は再び下がりました。宮川政権に対する支持率は23%と、前回の調査に比べて3%下がり、また不支持率は…>

 それを聞くと宮川は溜息をついて、テーブルの上のコップを手にとった。そして中に注がれているビールを口に含んだ。

 テレビでは続いて街頭でのインタビュー映像が流されていた。

<やっぱり、こんな有様じゃ良くないよね。ここはガツンと!やらなきゃ>

<戦争も覚悟すべきだよ。このままじゃやられ放題じゃないか>

 それからまたスタジオに戻った。

<このように世論は開戦を支持する動きも増えています。今回の世論調査では“開戦すべきである”であるという意見こそ全体の2%に過ぎませんでしたが、“必要なら開戦もやむをえない”という意見も合わせれば全体の40%に達します。これは前回の調査から10%上昇しており、今回の中国における騒動の影響と見られます>

「父さん」

 新しい声が聞こえた。部屋の扉の方を向くと、そこには大学生になる息子が立っていた。

「大丈夫かい?」

「今のところは…そっちはどうだ?大学は楽しいか?」

「それなりにね」

 息子はドアをくぐり父のもとへと近づいていった。

「なぁ。昔、学校ではデモクラシーをどんな風に習った?どんな利点があるって!」

「そうだね・・・臣民の意見を政治に反映させることができるとかそんな感じだったかな」

 それを聞くと宮川は再びビールを口に入れた。

「今、臣民は俺にあることを求めている。だけど、それはたぶん間違っている。どうすればいいんだろうな」

 その時、突然、外のほうが騒がしくなった。

「何事だ」

 宮川の問いに対する答えはすぐに駆けつけた警護官によって知らされた。

「デモ隊です。大丈夫です。我々が守っているので、中には通しません」

 すると外から罵声が窓越しに聞こえてきた。

<売国奴、宮川内閣は即刻退陣せよ!>

<中国の狗は日本を去れ!>

<日本と同盟国を安全を守れ!>




2月25日 正午

首相官邸

 翌日の昼も閣僚達は閣議室に集まっていた。首相の最初の言葉は外務大臣に対する質問であった。

「それで香港の今川君はなんと言っているんだ?」

「今のところ何も言ってこないそうです。こちらから接触しようとしても逃げられ口を閉ざしています。相当、困惑しているようですね」

 蛭田外相は今朝届いたばかりの報告の内容を説明した。

「総理。やはり軍に正式に攻勢準備を命じるべきです。中国上層部は非常に混乱した状況にあるようだ。私は日本が圧力をかけることで中国を導くことができると考える」

 続いて相変わらずの大河内が持論を述べた。

「多くの臣民も私と同じ意見でありましょう。世論調査を見れば明らかだ。総理。貴方は選挙で選ばれた代議士であるなら、臣民の意見は尊重しなくてはならないでしょうに!」

「しかし、圧力をかけすぎると中国に開戦を決意させる結果になるかもしれない。向こうがやる気ならこっちも受けて立つというが、そうなれば終わりは見えるのですか?この前は答えられなかったじゃないですか!“あの30年”のような消耗戦が今さら可能だとお思いですかな?最終的には世界から顰蹙を買って、不名誉な撤退を再現するだけです」

 蛭田は毅然とした口調で大河内に反論した。八雲兵部大臣は彼の言葉に強く反応した。

「今の皇軍は40年前とは違う!中国軍とはまさに隔絶しているんだ」

「軍の能力の問題じゃない。戦略の問題です!確かに帝國軍の強さは認めますよ。しかし明確な戦略がなければ、なんの意味もない!」

「なんだと!」

 八雲は立ちあがり今にも蛭田に掴みかかろうとしたので、周りの閣僚たちが立ち塞がってそれを押さえた。それが一段落して八雲が席に戻ると、大河内が再び持論を述べた。

「ともかくだ。軍に正式な命令を発するべきだ。期限を設けて、それを過ぎれば攻勢に出る。そう言えばいいのですよ。昨日、内調が言っていたように張徳平が開戦を避けるというのなら、必ず屈する筈です」

 大河内が言い終えると閣議室は静まり返った。閣僚達の視線は宮川首相に集中し、その決断を待っている。

「よろしい。軍に正式な命令を発するように上奏する。朝鮮半島方面の全軍に対して攻勢準備を命じる。命令次第に発動できるように戦備を整えて欲しい。内地においても大本営設置の準備を」

 宮川首相は遂に決断を下したのだ。確かに開戦を命じたわけではないが、戦争の可能性がぐんと高まったのである。ましてや戦時最高司令部である大本営の設置準備は、その決断の重さを物語るものである。

 するとそれまで意見を言わなかった内閣書記官長園部が口を開いた。

「ただ明確な期限を設けることは避けるべきでしょう。抽象的であるべきです。その方が中国側も受け入れやすい」

「そうだな。そうしよう」

 宮川首相は園部の提案を受け入れた。




ベルリン ソ連大使館

 ベルリンも朝になった。

 調査を一通り終えたKGBの3人は大使館に戻り電話でその結果を上司に伝えていた。結局、有力な証拠と言えそうなのはあの足跡の写真くらいだったが、ミハイルはそこから多くの情報を得ていた。

「ミハイル少尉の分析によれば、足跡の間隔から犯人は小柄で、女性の可能性もあります。その上、どの足跡も歩幅がほぼ同じで、おそらく犯人グループは、単独犯でないのは確からしいですが、ほぼ同じ体格の人間だと」

<ほぼ同じ体格の人間?どういうことだ?>

 ウラジミールの声は疲れを感じさせた。イヴァンはさらに説明を続けた。

「つまり身長、体重が似通った人間であるということです。双子とか」

<双子だと?>

 イヴァンはウラジミールの口調が変わったのに気づいた。

「ところでお疲れのようですが、なにかあったのですか?」

<日本軍が攻勢の準備を開始した。こっちはてんてこ舞いだよ>




首相官邸 記者会見室

 夕方になった。官邸の記者会見室には首相が記者会見をするというのでマスコミが集まっていた。定例ではない特別の会見から記者たちは中国問題関連であると考えていた。

 彼らが待ち構えていると宮川首相が現われ、演説台の前に立った。

「ただいまより特別記者会見を開きたいと思います」

 カメラのフラッシュが一斉に焚かれ、宮川は一瞬目が眩んだ。

「今回、皆様に集まっていただいたのは他でもありません。中国における爆発事件に関連するものです。いまだに原因は不明でありますが、我々が関与していないことを明言しておきたいと思います」

 宮川は帝國政府が今のところ把握している爆発に関連する情報を報告した。その中には中国軍が爆発を口実に中韓国境線付近の軍備を増強していることも含まれていた。

「問題は中国が依然として国境線付近に大きな戦力を集中しているという点です。強力な装甲部隊も含まれていることから、同盟国である韓国の安全保障上の重大な脅威となっております。我々は国連と五ヶ国会議の場で戦闘を避ける為の提言を続けておりますが、中国政府は理由をつけては拒否をしております。もはや日本政府としては最悪の事態を想定せざるをえません」

 それまで記者の軽口なども聞こえてきた記者会見室が静まり返った。

「無論、これからも中国政府の真摯な対応を期待して外交による解決を図る次第でありますが、今後も長期に渡って我々の提案を拒否し、軍備増強を進めるのであれば、韓国に対する攻撃の予兆と捉えざるをえません。その場合には内地からの指示によってただちに攻勢に転じ、敵装甲部隊を叩き、中国軍の侵攻能力を粉砕するように現地部隊に命令を発しました」

 再びフラッシュが一斉に焚かれた。この会見には2つの重大な宣言が含まれている。つまり、明確な日時を設定したわけではないものの中国に対して期限が存在することを明かしたこと。そしてその期限内に事態が解決しない場合には開戦することである。




中国 北京 中南海

 宮川首相の記者会見を映すテレビ報道は北京でも放映されていた。

「日本は覚悟を決めたか」

 温近平がテレビに映る宮川の顔を見て言った。

「さぁ分からんぞ。これで我々が屈服すると思っているのかもしれない。日本人は昔からそうだ。我々は少し脅せば簡単に屈すると思い込んでいる」

 張徳平は嘲笑しながら言った。温にはそれが誰に向けた嘲りかは分からなかった。普通に考えれば、無駄な行いをしている日本政府ということになるだろうが、もしかしたら自国を巧くコントロールできない自分自身に対するものかもしれない。それとも日本と同じように見えない力で戦争に導かれている中国に対してか。

「まぁいい。こちらにも向こうにも“戦争をしたい”という連中が居るなら、やらせてみようではないか。都合がいいことに日本は自分から攻めてゆくと宣言している。第一撃は向こうに撃たせることが望ましい。実に好都合だ」

 日本が中国の屈服に期待をしている頃、中国はとっくの昔に覚悟を決めていた。




2月26日 早朝

韓国 江界市

 郊外の軍の駐屯地に多数の装甲車が並んでいた。フランスのVAB装甲車をライセンス生産したその装甲車は、日本帝國陸軍の主力装輪装甲車として使われていた。

「短い間ですがお世話になりました」

 日本陸軍の少尉がオ・チャンソクに握手を求めた。彼の所属する日本陸軍第5師団は延吉方面攻略作戦の主力となるために朝鮮半島東部の街、清津(チョンジン)に移動するのである。国境線の監視を別の部隊と交代して駐屯地に戻ってきたチャンソクは彼らの見送りに早朝ながら出てきていた。

「こちらこそ。貴方から多くのことを学ぶできました」

 チャンソクは日本の少尉の手を握り締めた。

「やはり戦争になるのでしょうか?」

「分かりません。それを避ける理性があると信じたいのですが」

 それだけ言うと日本の少尉は手を離し、自分の装甲車に向かった。観音開き方式の後部ハッチから装甲車に乗り込み、一番後ろの席に腰を下ろすと少尉はチャンソクの方を見た。チャンソクは無意識のうちに敬礼をしていて、少尉も返礼をした。ハッチが閉じられた。



 装甲車が次々と出発していった。駐屯地を出て、まだ雪が残る道を南へ進んでいった。清津までは何時間もかけて幾つもの山を越える必要がある。大変な道程であるが、その先で彼らを待っているのがさらなる地獄だと考えるとチャンソクは胸が痛くなった。

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