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世紀末の帝國  作者: 独楽犬
第7部 最後通牒
43/110

その6 困惑と決断

東京 首相官邸

 官邸に中国での異常が伝えられたのは午前6時を過ぎた頃であった。


「それで何があったんだね?事故?」

「現地から詳しい情報が入ってきたので、今は何とも言えません。ただ中国軍の軍及び治安機関の動きを総合しますと、中国の方は事故とは見ていないでしょう」


 杉田情報総裁が報告できるのはそれだけであった。なにぶん情報が無い。


「事故じゃない?」


 宮川はその点が気になった。


「君達の仕業じゃないだろうな?」

「まさか。我々には中国にそれだけの活動を行なえるコネクションはありませんよ」


 日本の情報機関の仕業ではないのは本当であったが、能力が無いというのは嘘であった。


「それではまさか韓国やアメリカの可能性は?」

「韓国は分かりませんが、アメリカはやらないでしょう。益が無い。ともかく現地の情報が無いとなにも言えません」

「とにかく時間が必要ということかね」

「はい」


 杉田はそれを言うと立ち去った。宮川は外務大臣と内閣書記官長を呼ぶように秘書官に命じた。




北京 中南海

 中国は爆発についてより多くの情報を得ていた。それに若干の分析も付け加えられた瀋陽軍区司令官の報告書が中央軍事委員会の副首席である夏永貴に手渡された。そして夏はそれを国家主席ら人民共和国首脳陣に読んでいる。


「以上のように発見された弾丸は西側で使われる5.56ミリ小銃弾であり、西側機関による破壊工作であると推定するのが妥当である」


 夏は書類を折りたたんだ。


「以上が瀋陽軍区司令官の報告です」


 張徳平は夏の報告を黙って聞いていた。そして終わるとともに尋ねた。


「君はその報告が妥当だと思うのかな?」


 夏はなにも答えなかった。


「同志国家主席は君の率直な意見を尋ねているのだ」


 張の隣に座る温近平が言った。


「事件が起きたのは今朝であろう?迅速な原因究明、工作員の正体確認を求めたのは事実だが、些か早すぎるではないか」


 それを聞くと夏もようやく口を開いた。


「私も同感です。同志」

「では、これは妥当ではないと?」


 張の問いに夏は首を縦に振った。


「その通りです。同志瀋陽軍区司令官は敵が5.56ミリ弾を使用していることを根拠に西側の仕業であると決め付けていますが不自然です。カラシニコフ銃も、それに使う弾薬も、どこからでも手に入れることができるのですから、わざわざ自分達の正体を示すような銃を使うとは思えません。もし、わざわざ西側の銃と弾薬を使うとしたら、それは西側勢力の仕業に見せつけたい…つまり」

「東側勢力の仕業か」


 張は溜息をついた。


「瀋陽軍区司令官の自作自演か?それともソ連の仕業か」


 国家主席の問いに、まず公安部長が答えた。


「現地公安部の捜査では司令官は事件に最初はひどく動揺し、その後に激怒していたそうです。もし彼の自作自演なら大層な役者ですよ」


 次に外務部長が答えた。


「ソ連の可能性ですが、ソ連がこれ以上、事態が拗れることを望むとは思えませんね」

「つまり、たぶん東側の人間の仕業と思われるが、それは誰かが分からないというわけだな。まったくやり難い状況だ」


 張は唸った。


「詳細は判明するまで事件を隠蔽することはできるかね?」

「無理でしょう」


 夏は首を横に振った。


「地元の軍部が熱心に宣伝していますからね。直に政府の公式見解が求められるでしょう。問題はこの報告書は現地の人間が現地で調査をしたうえで書いた公式な報告書であるという点です。つまり報告を覆す何かが見つからないかぎり無視することはできません」


 それを聞くと張は拳を振り上げて、目の前の机に叩きつけた。


「畜生、どうして邪魔ばっかりしやがるんだ。あいつらは!本気で日本と戦争をするつもりなのか!」

「どうも湾岸戦争の教訓を正しく認識できない人々がいるのですよ」


 夏は丁寧に説明した。湾岸戦争に衝撃を受けた中国やソ連は軍の近代化を推し進めたのであるが、それを推進したのは主に中堅の佐官層であった。古参の将官、特に中国の場合は1960年代に米軍の支援を受けて近代化されていた日本軍と国府軍を打ち破った時を過ごした者たちは近代化の意義は認めつつも、日米との間に決定的な差があるとは考えていなかったのだ。

 また中ソ対立の時代にソ連を最大の仮想敵国として軍備を整えた時代に若い時を過ごした人々でもある。彼らは張徳平の対日米対決路線を支持しつつ、ソ連との連帯を喜ばないし、必要とも思わなかった。


「だからそれを示すために戦争をするというのか?ガキの喧嘩じゃあるまいし」

「軍という閉鎖された組織で過ごすと、どうも世間に疎くなるものです。私も人のことを言えませんがね」


 夏は自らの組織の過ちを素直に認めた。


「では君はどう考えるんだ。我が解放軍は日本や韓国、アメリカに勝てるのかね」

「はい、と湾岸戦争の時に駐イラク武官を勤めていなければ言ったかもしれません。だけど実際に彼らの戦い方を私は見ました。絶対に勝てません。今のままでは」

「だから君を選んだのだよ」


 そう言って張はまた溜息をついた。


「覚悟を決めなくてはならないな」




内閣情報調査局

 地下に設けられた特別対策室情報班のオフィスには満州での爆発に関する情報が次々と集まっていた。


「全員注目!」


 三輪が叫んだ。部屋の中にはいくつものテレビが置かれているが、どこも中国政府広報官の記者会見を報じていた。美香や小野寺を含めた情報班のスタッフはそれぞれ手近なテレビに注目している。


<それで爆発の原因は?事故ですか?>


 新華社通信の人間が女性の報道官に向かって質問をした。


<現地からの報告もありますが、特定には様々な方面から検討を加えた上で慎重に判断しなくてはなりません>


 報道官は一度、そこで言葉を切った。


「なんだ。我が国を名指しで非難すると思ったのに」


 1人のスタッフが言った。


「張徳平は私たちと戦う事を望んでいない。それにまだ油断できないわよ?」


 そう説明したのは内調国際部中国課長の戸町木の実であった。


<しかし、現場から5.56ミリ小銃弾が発見されたとの報告が来ています>

「はい。出た。共産圏の必殺技!“暗にほのめかす”」


 美香が小野寺に向かって得意げに言った。中国は口では“結論は出せない”と言いつつ、“西側の謀略だ!”という事を世界に向けて発信しているのだ。しかも、後でそれが真実ではないと分かっても彼らはこう言う事ができる。“そんな事、一言も言っていない!”


「まぁこれくらい言わないと、一部の将軍達を納得させられないだろうね」


 小野寺は美香の妙に高いテンションを無視して言った。その言葉に反応したのは戸町だった。


「しかし、なんで一部の将軍達は張の邪魔をするのかしら?戦争を恐れていないの?」


 それには先ほどとは打って変わって真剣な様子の美香が答えた。


「まぁ軍の中枢に居るのは“あの30年”を経験した世代ですから。いくら世の中の変化に関する情報に耳を傾けていたとしても、実際に体験した経験の方が優先されてしまうものです。彼らにとっては“栄光の30年”です」

「40年前に日本を打ち負かしたから、次も打ち負かせられるってわけね」

「“賢者は歴史に学ぶ、愚者は経験に学ぶ”誰の言葉でしたっけ?」


 そこへ三輪が混ざった。


「で、結局のところ何があったんだろうな。爆発が起きたのは確実なんだろう」

「えぇ。軍の早期警戒衛星が捉えていますから。問題は原因です」


 美香が答えた。


「もし犯人がいるとすれば、一部の将軍が大義名分のために独断でやった自作自演ってのが一番濃い線かしらね」


 戸町が推論を述べた。しかし美香は納得していない表情で、小野寺がそれに気づいた。


「なにを考えているんだ」

「いやね。確かにそれが一番納得できる説明だけど、なんか出来過ぎている気がするのよね」




首相官邸

 昼過ぎに三輪と戸町は杉田とともに首相官邸を訪れていた。緊急で開かれた国家安全保障会議に出席するためである。閣議室に案内された3人はU字型テーブルに並んで座っている閣僚たちの前で状況説明を開始した。


「で、爆発は何が原因なのかな?」


 宮川が尋ねた。


「中国の自作自演に決まっている!」


 大河内が啖呵を切った。


「それについてはまだ詳細な情報が得られておりません」


 杉田はあくまでも断言を避けた。


「問題は中国がどう出るかということだ。爆発は西側の謀略だと、あのような形で世界に宣言したのだからね」


 園部内閣書記官長が杉田に尋ねた。


「こちらも詳しい事はわかりませんが」


 杉田の言葉に大河内が反応した。


「君達は情報機関なのに何も分からないのかね」


 嘲笑を含んだ声に杉田はまったく動じる様子もなく対応した。


「なにぶんどのようなスパイシステムも相手の頭の中までは覗けませんからね。ただ、未確認の情報ですが、中国上層部では意見が対立しているようです。今回の爆発もその結果かもしれません」

「それはどういう意味だね」


 宮川の問いに杉田が答えようとしたが、戸町が先に答えてしまった。


「どうやら張徳平と軍部が対立をしているようなのです」


 その一言を聞いた杉田と三輪は目を丸くしたが、もはや止めることができる状況ではなかった。閣僚達は彼女の言葉に聞き入っている。


「つまりですね。張徳平というのは反日的で強硬派に分類される人間ではありますけど、しかし現実主義者(リアリスト)の側面があります。彼は今の状況で日本と戦争になることは望まないでしょう」

「それは確実な情報なのかな?」


 宮川が尋ねた。尋ねられた戸町は三輪の方を見た。すると三輪は首を横に振った。だが戸町はそれを無視した。


「はい。長年の彼の行動を分析した確実なものです」

「ありがとう」



 会議が終わり、杉田、三輪、戸町の3人は内調への帰路を歩いていた。杉田と三輪は明らかに不機嫌そうな顔をしていて、後ろを歩く戸町はその様子に困惑していた。


「すみません。出すぎたマネをして。でも、まるで張徳平が狂人であるかのように捉えている人が多くて。そのような誤った観念を前提にしてですね…」


 さらに弁解を続けようとする戸町を三輪が手で制した。


「君の言いたいことは分かるよ。君の言った情報も私は支持する。だがね、これは一国の政策を決める人々への報告だ。もっと慎重にならなくてはならない」

「つまりどういうことですか?」


 それには杉田が答えた。


「君の報告が別の間違った印象を与えたかもしれないということさ。つまり“張徳平は日本との戦争は避けたいのだから最終的には必ず日本に屈服することになる”といった風にね」


 それを聞いて戸町の顔が蒼くなった。




韓国慈江道 中韓国境線

 また雪が降り始めていた。チャンソクの分隊は川に沿った土手に設けられた特設監視所の1つに入って、対岸の中国軍と睨みあっていた。


「寒くなりましたね」


 兵卒の1人がぼやいた。


「これからどんどん寒くなるぞ」


 チャンソクが空の様子を見ながら言った。天幕を張っただけの監視所は寒い風を防いではくれない。


「まったく。こんな糞寒いってのに戦争やるのかね」


 チャンソクはぼやきながら対岸の陣地を双眼鏡で覗いた。中国軍の兵士たちが焚き火を焚いている。


「向こうもやっぱり寒いらしいな」


 前線で戦う兵士の間では、敵味方を超えて奇妙な連帯感が生れつつあった。

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