その3 一歩後退
2月20日 午前11時
国会議事堂 貴族院
この日は午前中に貴族院で予算案の採決が行なわれ、午後に衆議院が開かれることになっている。そして昨日に貴族院では大河内議員を中心とする10名、衆議院では篠山卓郎議員を中心とする12名が“中国軍の虐殺を非難する決議”案を提案し、本日の日程に捻じ込んだ。
一昨日に外交官同士の裏での交渉が終わり、中国とソ連が正式に5ヶ国会議の開催を了承して23日から香港の高級ホテルで実施することを発表されたばかりで、中ソの面に泥を塗る結果となった。
一般会計予算の採決は大きな混乱もなく賛成多数で可決した。そして問題の時間が訪れた。議長席の前の閣僚席に座る宮川首相は緊張した面持ちだ。対して議長席の式部卿は何時もどおり表情である。
「日程第二、中国軍による韓国臣民に対する虐殺行為を非難する決議案を議題とします」
式部卿が宣言をした。それから形式的に何人かの議員が意見を述べて採決が行なわれた。やがて集計が終わった。その結果はすぐに議長に報告された。議長はそれを見ても表情を変えなかった。
「ただいまの投票の結果を報告します。賛成179、反対175。よって貴族院は議決案を採択します」
宮川は頭を手で押さえて、その場にへたりこんだ。
ワシントンDC ホワイトハウス
ワシントンは前日19日の午後9時で、ライアン大統領は執務を終えて家族との時間をレジデンスで過ごしていた。
レジデンスは横長のホワイトハウスの中でちょうど中間にある建物で、一般的な人物がホワイトハウスと聞いて真っ先に思い浮かべる建物である。そこは重要な式典が行なわれる会場であるとともに、大統領のプライベートスペースでもある。大統領にプライベートなど無いが。
柔らかなソファに座り家族とテレビを鑑賞していたライアンだが、シークレットサービスの警護官が近寄ってきた異常事態の発生を知らせた。
「何事だ?」
「国務長官とCIA長官がお呼びです」
レジデンス地下の戦況報告室に下りたライアン大統領をジェームス・ウィルソン国務長官とサイモン・トールマンCIA長官が待ち構えていた。
「一体、何事だね?」
「中国絡みです」
大統領の問いに国務長官が答えた。
「中国?5ヶ国協議を承知して順調に解決に向かっているんじゃなかったかな?」
大統領は昼間にウィルソンから聞いた報告を繰り返した。それに答えたのはトールマンCIA長官であった。
「問題は日本です」
CIA長官は事の詳細を説明した。
「何てこった。一体どうなっちまうんだ?」
「中国は態度を硬化させるでしょうね」
国会議事堂 衆議院
宮川首相は議事堂の食堂で簡単に食事を済ませると、衆議院に移った。
彼は衆議院での採決に全てを賭けていた。貴族院での採択を許してしまったが、衆議院で阻止すれば何とか言い繕える。デモクラシーという言葉が重視される現在の世界では公選議員から構成される衆議院の決定の方が重く受け止められるものである。その為に佐渡大蔵大臣と郡山民政党総裁が全力で工作をした筈だ。宮川は今となってはその成功を祈る他にない。
貴族院と同じように形式的に何人かの議員が意見を述べて採決が行なわれてから、投票が行なわれる。今回は衆議院議員全員の472人全員が出席しているから、237の反対票を得られれば良いのである。そして集計が行なわれて結果が議長に報告される。
「ただいまの投票の結果を報告します。賛成233、反対239。よって衆議院は決議案を否決します」
宮川は安堵の溜息をついた。一方、内務大臣として出席した大河内は苦い表情をしている。
首相官邸 総理執務室
その日の日程を終えて宮川内閣総理大臣は首相官邸に戻っていた。時刻は午後の4時であった。
宮川はこれからの外交について悩んでいた。衆議院でこそ決議採択を阻止したが、貴族院では採択されてしまった。法案や予算案と違い、議決はそれぞれの議院で独立して行なわれるものであるから、採択されてしまった以上は撤回させる手段は無い。おまけに“中国軍の虐殺を非難する”決議を採択してしまったということは、その虐殺自体が存在しなかったとしても―今現在の状況ではその可能性が大きい―それを認められなくなったも同然なのである。外交上の選択肢がだいぶ狭められてしまった。
すると電話が鳴った。出ると蛭田外相の声が聞こえてきた。
<総理。アメリカ大統領から緊急の電話会談の要請が>
「何時だね?」
<今からだそうです>
宮川は舌打ちした。
「よし。出してくれ」
盗聴防止装置の作動を告げる電子音が聞こえてから、ライアン大統領が出た。
<総理。どういうつもりですか?>
何が?と宮川は聞き返さなかった。分かりきったことであるから。
「私も全力を尽くして阻止しようとしたんです。ですが政府内にも野党にも今の状況に不満を持つ者が多い。国民にもです」
<それを何とかするのが、貴方の仕事でしょう?>
少しの沈黙を挟んで大統領は宣告した。
<何か勘違いをされておられるかもしれないので予め断っておきますが、我がアメリカ合衆国は中国軍ないしソ連軍が韓国に対して武力侵攻を行なった場合は全力で貴国と韓国を支援しましょう。しかし、そちら側から中国に攻撃を仕掛けるというのであれば、我々は軍事支援を行なわないので、そのつもりで>
それだけ言うと電話は一方的に切れた。
東京都立川市 陸軍防衛総司令部
アメリカ大統領の宣告の報はここ陸軍防衛総司令部にも届いた。
各国政府は外交交渉を進めているが軍部の方は戦争に備えて動き出していて、韓国軍や在韓米軍との緊密なる協力の下で研究を進めていた。そんな中でアメリカの援護が得られないと言う事実はいくらかの衝撃を司令部の面々に与えていた。無論、あらゆる可能性を考えて複数の作戦計画を練っていた彼らであるが、やはり強力なアメリカ軍の援護を期待していたことは事実であった。
「まぁ焦ることは無い。日韓軍だけでも十分に作戦の遂行は可能だ。むしろ後ろでアメリカがドーンを構えていてくれた方がソ連の参戦を牽制してくれて良いというものだ」
それでも総司令官である工藤成章陸軍大将はいたって楽観的であった。
「問題は延吉方面の作戦です」
1月9日のその日に北海道から東京に戻り、ずっと総司令部で作戦計画を練っていた佐々勝太郎が指摘した。
延吉は日本海側において韓国と国境を接している地方で、朝鮮人が多く住む自治州である。アメリカ軍の参戦を前提として第8軍司令部も交えて作成された作戦計画甲案では、その一帯の制圧をアメリカ陸軍が行なう手筈であった。対して日韓のみでの戦争を想定した作戦計画乙案では韓国陸軍が担う事になっている。
「これは拙い。彼らはここらへんの領有権を主張しているんです。韓国軍に任せたら、事態解決後も居座って領有化を既成事実にしかねない」
そもそも問題の発端は韓国首相が朝鮮人自治区の領有権を主張し始めた事なのだ。
「じゃあ我が帝國陸軍が当るしかないな。江界の第5師団を転用しよう」
そんなこんなで新たな局面に対して高級将校たちは次々と意見を述べた。そんな様子を見て工藤大将は呟く。
「まぁ無駄になってくれれば嬉しいのだがね」
それが工藤の本心であった。しかし一部の人間が言うように“勝利によって親ソ派の張徳平を政権の座から引き摺り下ろせる”という主張には魅力を感じているのも事実である。陸軍が最も恐れているのは強力な陸軍国家である両国が連帯をすることなのだ。“あの30年”を経て満州利権の全てを失ってからは陸軍の戦略方針は中ソを反目させて、双方の強大な陸軍力を互いに向けさせる事で、それを常に政府に主張してきた。それ故に天安門以降の中ソ協調路線に対する陸軍の恐怖感はかなりのものだ。だからこの機会に中国を打ち負かして張徳平の支持基盤を打ち砕く必要があると考えて中国との戦争を積極的に望む者は陸軍内に多い。だが、それでも工藤は中国との戦争を避けたいという気持ちが強い。泥沼の戦闘をひたすら続けた挙句に日本が中国に持つ全てを失い内地に逃げ帰った暗黒時代である“あの30年”。それは陸軍を今でも縛りつづけるトラウマである。工藤はその時代を知っていた。
2月23日
韓国 江界市
オ・チャンソクは久々の休暇を得た。1月9日以来、長く臨戦体制が続いていたが、香港での5ヶ国会議開催にあわせて小隊単位で順番に休暇を与える事になったのである。5ヶ国会議開催までの外交での遅れを取り戻すべく戦争回避への意欲をアピールするための休暇だとか、来るべき戦争の前に兵士達に家族ともに過ごす最後の機会を与えるための休暇だとか様々な噂が流れたが、ともかく家族と会えることをみんなが喜んだ。
昨日遅くにチャンソクは長津湖でのレンジャー集合訓練で親しくなった日本陸軍第5師団の少尉とともに家に戻った。そこでは妻と子供達が待っていた。チャンソクはせがむ子供達に明日遊ぶ約束をするとすぐに眠りについてしまった。
そして朝、いつもどおりの時間に起きた。客間で寝ていた日本軍の少尉も同時刻に起きたらしく、一緒に居間に入り椅子に座った。テレビを点けると5ヶ国会議のニュースばかりを報じていた。
「あなた、やっぱり戦争になるのかしら」
妻が朝食を並べながら呟いた。
「さぁなぁ」
チャンソクは朝食を食べながら、今日は子供達といっぱい遊んでやろうと決心した。市内観光の案内でもしてやろうと家に誘った客人には悪いと思ったが、父親として譲れなかった。