表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世紀末の帝國  作者: 独楽犬
第7部 最後通牒
39/110

その2 駒の配置

首相官邸 総理執務室

 その報せは官邸特別対策室の情報班からもたらされたものであった。

「本当にか?」

 その報せが書かれたメモを持ってきた杉田情報総裁に対して宮川が言った。机の上に置かれたメモには次のように記されている。

<ソ連と中国は5ヶ国会議を了承する方向で調整しつつあるもよう>

「どういう風の吹き回しだ?」

「中国大衆の冷却期間が終わった、ということでしょうかね。彼らだってこの問題を永遠に長引かせたいわけではないのですよ」

 杉田は説明をした。

「それに日米と韓国の間に楔を打ち込めましたからね。ソ連としてはそれで十分かもしれません」

「なるほど。これは韓国が怒るだろうな」

 韓国は常に独自解決を主張して、アメリカを参加させるべきと主張を続けていた日本と対立が続いていた。これで中ソが日本に歩みよりアメリカも参加して大国が頭越しで解決したとなれば韓国現政権の面目は丸つぶれだ。中ソが日本に歩み寄ったこと事態が日本抜きでは解決できないと中ソが認めたも同然なのである。

「まぁ、これを機に韓国には頭を冷やしてもらうとしよう」

 その時、執務室のドアが叩かれた。大蔵大臣である佐渡勝太郎であった。宮川は室内に彼を入れた。

「どうしたんだね?」

「それが党の方で動きがあって、大変なことになりそうなんだ」

 立憲政友会内の実力者である佐渡であったが、いかにも困り果てた様子であった。




国会議事堂 衆議院本会議場

 2月も半分過ぎようとしている頃、帝國議会では来年度、つまり平成12年度一般会計予算の審議が行なわれていた。本予算案そのものは1月初めに提出されていたが、朝鮮半島での事変からいくつか修正が行なわれていた。軍事費の他、各省庁が非常事態へ備える為の予算も増やされ、代わって公共事業や福祉予算が削られていた。特に増やされていたのは軍事費で、増加分の多くは国債によって充てられた。それは主に弾薬・燃料や医療品など物資の増強など戦争の勃発を強く意識したもので、代わりに新兵器の導入数が減らされていた。

 そして数週間に渡る討論の末に立憲政友会、立憲民政党、社会大衆党の間で妥協がなされて、採決が行なわれていた。そして投票を終え、計算を終えた旨を衆議院議長である立憲政友会の長老議員が伝えた。

「ただいまの投票の結果を報告します。賛成466、反対4。よって本一般会計予算案を可決とします」

 議長が宣言すると予算案を積極的に支持していた議員たちが拍手を始めた。




首相官邸 総理執務室

 テレビではレポーターが一般会計予算可決のニュースを報じていた。

「平成12年度一般会計予算が可決しました。一般会計予算総額は5820億2000万円です。前年に比べ200億円増となります。うち1600億円を赤字国債の発行で充当します」

 議会での日程を終えた宮川はすぐに官邸に戻り、革張りの椅子に座ってテレビの電源をつけたのである。

「注目の的となっていた軍事予算ですが、前年に比べ100億円増となる1892億8000万円です。対GDP比は4.2%で、こちらも前年に比べると0.2%増となっています。一般会計に対する軍事費の割合は全体の32.5%に達しました。宮川内閣の中韓国境問題に対する強い姿勢が窺えます」

 先日、佐渡がもたらしたのは大河内を中心とする急進右派グループが超党派で団結しているという情報であった。彼らは“中国軍の虐殺行為を非難する決議”を衆貴両院に提起するという。そのような採決がなされれば5ヶ国会議の計画に致命的な打撃を与えかねない。

「衆議院で可決しましたので、この予算案が貴族院で可決されましたら成立ということになります」

 佐渡の情報によれば提起は貴族院での予算案可決後だという。宮川はそれまでの間に両院への工作を行なわなくてはならない。




モスクワ 国防省

 コロリョフ国防第一次官は彼の執務室にGRU局長を招いていた。それは表向きには定期的な情報報告であるとされていた。実は実際のところも定期的な情報報告であったが、それは同僚に聞かれてはいけない内容であった。

「とにかく時間が必要だ。ドイツ側の準備はまだ終わっていない」

 コロリョフが指摘した。

「朝鮮半島については一度、戦争に突入してしまえば長引かせることが可能です」

 カマロフ局長が説明をした。

「だが5ヶ国会議はどうする?順調に進めば。(チャン)がこうも早く妥協するとは思わなかったよ」

「あれは我々が思っていた以上に現実主義者(リアリスト)であったようです。やはり政治分析は苦手ですね」

 本来はKGBが担当するの領域であるが、彼らに分析を依頼するわけにはいかない。

「それに準備期間が無さすぎまして、どうしても場当たり的になりがちなんです」

 彼らの計画は十年以上の歳月をかけて達成すべきものであるが、朝鮮半島での事変が起きたため、目の前のチャンスを生かさない手は無いということで急速に進められている。それ故に十分な用意ができない。

「確かに先走りし過ぎたかもしれないな。だが大丈夫だ。計画はまだ中断できる段階だ。で5ヶ国会議を潰せるか?」

 コロリョフが尋ねた。

「でも潰せます。その準備はすでに進められています」

「誰を派遣する?」

「“双頭の魔女”です。ヨーロッパに置いておくとKGBの追及を受ける恐れもありますし」

「良いだろう。優れた判断だ」

 それを聞いてカマロフが微笑んだ。

「ありがとうございます。それともう1つ」

 カマロフは懐から日本語の新聞を取り出した。紙面は“中国軍の虐殺”に関する記事で埋められていた。

「日本側からも我々への援護があります」

「なるほどな。日本の同志に万歳だ」

 2人は外に聞こえない程度の声で笑った。




モンゴル ウランバートル駅

 世界で二番目の社会主義国であるモンゴル人民共和国はソ連にとって数少ない“忠実な”同盟国であった。彼らにソ連が求めたのは中国に対する防壁としての役割で、それは親ソ反中というモンゴルの国民感情とも一致していた。

 問題は天安門事件以降、中ソが急接近していることである。これはモンゴルにも軌道修正が迫られることになるが、どのような道を進むべきかモンゴルの指導者たちは慎重に検討をしていた。

 そんな殺伐としたモンゴルの首都ウランバートルの中央駅であるウランバートル駅はソビエト連邦ブリヤード共和国の首都ウランウデの地においてシベリア鉄道から分岐してモンゴルを経由し中国の内モンゴル自治区へと通じているモンゴルの大動脈であるソ蒙中鉄道の主要駅の1つである。

 そんなウランバートルの地にモスクワ発の特急列車が停まった。この駅から交代で乗り込んだモンゴル人の車掌は客車の見回りをして不可思議な客を見つけた。それは若い女性の2人組で、ソ連からの旅行者のようであった。

 なんだ、そんなことかと思われるかもしれないが、ソ連においては国内旅行はともかくとして国外旅行のハードルは恐ろしく高い。同じ共産圏の国であれば多少マシであるが、行先がかつて敵対していた中国となると、西側への旅行並みに厳しく、一般のソ連国民が旅券を発行される可能性はかなり低い。高級党員層の子女なら比較的簡単に許可が出るかもしれないが、2人の衣服を見る限り、そのような上等な身分には見えない。

 その怪しすぎる2人に対して車掌が最初に思い浮かべたのは“スパイ”の一言であった。だが彼はすぐにその考えを振り払った。スパイがそんなあからさまに怪しい様子をしているわけがない。車掌は西側かぶれのモスクワの令嬢が観光に来たのだろうと考えて納得することにした。




東京都 式部侯爵邸

 囮のハイヤーで官邸周りに張り込むマスコミの取材陣を振り切った宮川首相は秘書官の自家用車に乗ってとある豪邸を訪れていた。長い塀で囲まれたその邸宅は20万石の大名家に由来する名門貴族、式部家の住居である。

 応接間に案内された家主と2人きりになり、事情を説明した。

「事情はだいたい分かったよ。火曜会と研究会はこっちでなんとか取り込めるだろう」

 式部家現当主の兼助(かねすけ)がブランデーの注がれたグラスを片手に言った。火曜会、研究会は彼が議長を務める貴族院の会派で、前者は公爵や侯爵の終身議員から成る会派で少数派であるが強い影響力を持つ。後者は貴族の中堅層である子爵、伯爵から成り貴族院における最大の会派である。

「政党よりの会派は私と郡山さんで何とかしますが、交友倶楽部は大河内が押さえているだろうから望み薄ですね」

 貴族院は政党制から距離をとっている、というのが建前であるが、実際には衆議院の別働隊として行動する派閥が存在する。政友会の別働隊であり大河内が代表を務める交友倶楽部もその1つである。

「あとは官僚系の勅撰議員をどれだけ取り込めるかですが」

 貴族院と言うから貴族からのみ成る議会だと思われがちであるが、その功績などから勅任された議員が半数近くを占めている。帝國学士院から選出された者、各都道府県の議会から任命された者、台湾や南洋の自治政府議会から任命された者、多額納税者など出自は様々であるが特に大きな勢力を誇るのは次官等を歴任して勅撰された官僚たちである。

「まぁ、なんとかするしかない。こんな有様じゃ、“あの30年”の再現になりかねない」

 そう言って式部卿は何気なくテレビの電源をつけた。ワイドショーが放映されていた。話題はやはり中韓国境情勢についてであった。中国軍の虐殺に関する報道が熱心になされていて、政府の弱腰を批判していた。街頭インタビューの様子も流され、市民が口々に政府を非難している。

「たぶん私を応援してくれた人も居たのでしょうけど、カットされてるんでしょうね」

「だろうね。“政府は正しい”ではつまらないからな。まったくマスコミというのは日比谷焼き打ちの頃からなにも変わっていないものだ」

 式部はグラスの中のブランデーを口に含んだ。

「しかし、毎日こんな風に報道をしていたら、臣民は強硬論に傾くのではないかね?」

「内調の世論調査でもそういう傾向があります」

 宮川は素直に認めた。

「なるほど。民意は戦争を望むわけか。私は渡米した時、向こうの識者に“日本はデモクラシーが遅れた国だ。デモクラシーが進めばもっと素晴らしい国になる”と言われたもんだがね。なるほど。確かにデモクラシーは素晴らしいね」

「だからこそ、貴方がたの貴族院があるのですよ」

 宮川の指摘に式部は溜息をついた。

「本当はその筈なのだがな」

 本来ならば世論に迎合することなく客観的な立場から衆議院の議決をチェックするというのが憲法改正以来、貴族院に与えられた役割なのだが、その機能は失われつつあった。前述の政党の別働隊の問題もあるが、なにより世論の反発を買って貴族院廃止論が盛り上がることを恐れた議員達が衆院の決定に追随するようになってしまったのが問題だ。そして、“決議”問題についても同様の動きが発生するかもしれないのだ。

「ともかく明後日の貴族院の採決。それ以降が問題なのです」




大韓帝国 蓋馬(ケマ)高原 長津(チャンジン)

 北朝鮮北部に標高1000メートルから2000メートルほどの広大な高原が広がっている。そこには豊かな自然と豊富な水源に恵まれていて、大韓帝国が日本の保護国であった時代に韓国統監府に目をつけられ、中韓の国境線と成っている大河、鴨緑江(アムノッカン)から分かれた長津江をせき止めて巨大な水力発電所を建造した。そして生まれたダム湖が長津湖である。北部朝鮮の電気エネルギーを支える重要な施設として知られるか、軍人や戦史家には別の事で知られていた。第二次世界大戦における激戦地の1つとして。

 1944年、インチョン上陸作戦を成功させて以来、快進撃を続ける連合国軍を食い止めるべくソ連軍と中国共産党軍の精鋭山岳部隊が派遣され、その年の12月に進撃してきたアメリカ海兵隊と壮絶な戦いを繰り広げた。厳しい冬季の戦闘であったこともあり戦況は悲惨を極めたが、2ヶ月に渡る戦闘の末に日韓軍の援護を受けたアメリカ海兵隊は枢軸軍を何とか撃破して長津湖を確保した。しかし、あまりの損害が大きく海兵隊部隊は撤退する枢軸軍を追撃できなかったのだ。この戦いは“極東版バルジの戦い”と称され歴史に残り、タイコンデロガ級イージス巡洋艦第19番艦<チョーシン>はこの戦いに由来して名づけられた。

 その長津湖を2隻のゴムボートが進んでいた。それぞれのボートに10名ずつ、完全武装の兵士が乗っている。その中にオ・チャンソク曹長が混じっていた。

 彼の隣には日本軍の士官が座っている。彼は日本内地から増援第1段として派遣された第5師団に属する兵士である。彼らは慈江道の中心地である江界(カンゲ)市に展開してチャンソクの所属する韓国軍師団とともに中国軍の攻撃に備えていた。この地には日韓両軍からレンジャーの資格を持つ者が集められ集中訓練が行なわれていたのだ。

 全員が必死に漕いでいた。遅くなれば教官に怒られて、追加の訓練が行なわれる。しかし慌ててはいけない。今はまだまだ寒い二月の中頃である。緯度の高い北部朝鮮では昼間でも気温が氷点下になる。そんな天候の中でボートが転覆して水の中に落ちたら碌なことにならない。だから彼らは必死であった。

 今の彼らにとって日韓の政治的状況などどうでもいいことであった。

 劇中に名前だけ登場したイージス艦<チョーシン>についてですが、実際に存在する艦艇で長津湖に由来するのも事実です。ただし由来となった戦いは朝鮮戦争時にあった戦いで、劇中の戦いとは逆にアメリカ海兵隊が追撃する中国義勇軍に包囲され、激戦の末に脱出したというものでした。この時、海兵隊は決して戦死者といえども見捨てるようなことなく、遺体も全て回収したそうです。

 このように“世紀末の帝國”で頭痛の種になっているのが、劇中の歴史上で存在しない筈のものを由来とする艦名です。太平洋戦争などで活躍した人名由来の艦は、由来となった人がなんやかんやして活躍したことにして済ますとして、戦地名由来の艦はどうしようも御座いませんからね。タイコンデロガ級イージス艦の方は辻褄あわせをしましたが、厄介なのは強襲揚陸艦。タラワとか、サイパンとか、イオージマとか…


(改訂 2012/3/21)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ