その7の4 第221回帝國議会施政方針演説
永田町 内閣情報調査局
日本標準時で翌日21日の午前9時。この日、内調から呼び出しを受けて第1種軍装姿で永田町を訪れた神楽美香は苛立っていた。なにしろ誕生日プレゼントが“重要な仕事”らしいのだ。人によっては出世の重要なチャンスだと考える者もいるだろうが、美香は“労働は尊し”という価値観を持ってはいやしない。優秀だのなんだの言われて仕事を押し付けられるのは真っ平であった。彼女は典型的な“有能な怠け者”なのだ。
美香は三輪明博のオフィスに通されて来客用のソファーに案内された。美香の反対側のソファーに座る三輪は美香の履歴書を眺めていた。
「統合常設参謀部第二部分析官、海軍中尉、神楽美香。1975年1月21日生れ…今日か。誕生日おめでとう」
明らかに感情のこもっていない祝いの言葉に対して美香は一応、「ありがとうございます」と返した。
「海兵122期で、卒業時の成績は上から18番目。第二外国語は中国語。少尉任官後、海軍通信学校に入学して首席卒業。そして卒業後に統常二部付になり中尉に昇進。間違いないかな?」
「はい、間違いありません」
「なんで情報畑に?」
「海兵卒業後の遠洋航海で、船の上での生活は無理かなと思いましてね」
三輪はその言葉にいかにも納得したという表情で応えた。
「確かにねぇ。一匹狼タイプで集団行動は苦手そうだから。だが情報将校には相応しいかもね。和を気にしてる奴よりズバズバと意見を言える奴の方がうちには必要だ」
「結局、ご用件は?」
「国連安保理で日本の調停案が否決されたのは知っているな?」
美香は無言で頷いて肯定した。
「どうも解決の糸口が見えなくてね。事態の長期化が決定的になりつつある。そこで官邸の特別対策室が強化されることになった。目玉は特別情報班の設置だ」
「そこに来いと?」
「そういうことだ。杉田情報総裁の推薦でね。引き受けてくれるかな?」
美香は少し無言で考えてから答えた。
「命令であるなら」
「じゃあ、命令ということにしよう。後日、正式に辞令が下るだろう」
美香は顔を歪めた。結局、強制ですかい。だが三輪はかまわず話を続けた。
「ところでこの情勢をどうおもう?」
「中国はともかく時間を稼いで、国内情勢の沈静化を待つつもりかもしれません。裏でなにかこちらとの接触を試みるかも」
「おそらくね。で、情報班で働くうえで何か必要なものは?用意できる範囲で準備するが」
それを聞いた美香は小野寺の顔を心の中で思い浮かべた。こうなったらあいつも巻き込んでやる!
「私直属の伝令を。自分で用意しますから許可だけください」
衆議院本会議場
1月21日、午前11時。昨日、開院式を終えた帝國議会では最初の本会議が開かれていた。最初の本会議では一番最初に首相の施政方針演説が行なわれるのが通例である。
宮川尚内閣総理大臣は演壇に立つと、集まった議員達に向けて演説を始めた。
「今年、平成12年は西暦においては2000年、つまり20世紀最後の年という1つの区切りの年であり、21世紀への橋渡しとなる年であります。私、宮川尚は、この西暦2000年という年が日本という国家がさらなる飛躍を遂げるべく改革を万進するに相応しい、そういう時節であると確信しております。そのような重要な年に内閣総理大臣として陛下に仕える重責、その重みを心に刻みつつ、相応の覚悟を持って国政に臨む次第であります
西暦というのは西洋キリスト教史観に拠る暦でありまして、この場において持ち出すことにご批判があろうとは思いますが、我が帝國の歴史を振り返るに、西暦における20世紀という期間は極めて重要な意味を持つとともに、今後の帝國の行く末を探る上で避けて通れぬ時代である為、あえて使わせていただきたい。その意味について後において詳しく述べさせていただきます」
ここまでは1年の始まりを告げる決意に相応しい覇気のある言葉であったが、ここから口調がトーンダウンした。
「しかしながら、この重要な1年は悲劇的な始まり方をすることとなりました。今月、9日に大韓帝国と中華人民共和国との間で武力衝突が起きてしまったのです。両国は依然として緊張状態になり、事態の一刻も早い解決が望まれます。両国間の緊張は、東亜全体、さらには世界全体の安念秩序を揺るがす問題に発展しかねないからです。当然ながら我が帝國は韓国の同盟国であり、その安全保障上の責任を背負っているわけですから、この問題に対しては重大な関心を寄せざるをえない。中国には真摯な態度で解決に尽力するように求めるとともに、我が国も韓国の安全保障に対して共同で責任を負うアメリカや国際社会とともに事態解決のために努力を惜しみません」
するとまた口調が強くなった。
「とにかく第一に成すべきは緊張状態を緩和し、平和的に事態を解決することであります。私、宮川尚は国連大使を通じて和平交渉案を関係国に提案しました。全面的な同意は得られなかったものの、和平成立に向けた足掛かりができたことは確かです。平和の維持は関係国全てにとって共通の利益です。私の和平交渉案にはそれを達成する力があります。粘り強い協議を続け、必ずや平和を勝ち取る所存であります。
しかしながら韓国と中国の国境付近では依然として両国の軍部隊が集結し、一触即発の事態が継続しております。事態の拡大を防ぎ、軍事的衝突を抑止するため、そして万が一の場合を考慮し、帝國陸海空軍を朝鮮に増強することを決めました。この軍備増強は危機を拡大する為のものでなく、防衛的な性格のものであることをこの場において明確にしておきたい。
勿論、軍の活動には多大な諸経費が必要とします。私、宮川尚は内閣の権限において緊急の予算措置を講じ、5億円の経費を調達しました。さらに来年度予算案にも修正を加え、200億円の予算を確保する目処が立ちました。議員諸氏の方々にも、この両予算案についてご賛同を頂けることを期待いたします」
もっともデリケートな問題に関する部分を終えて宮川の表情に安堵が表れた。
「さて、今現在の危機的状況に対応するのが最重要な課題でありますが、同時に未来に向けて構想を示すのも重要な政府の責務であります。先ほども申し上げたように、今年は20世紀最後の年であり、今世紀を総括し、21世紀に向けて新たな一歩を踏み出す年です。
ここ百年を振り返りますと、20世紀の前半と後半でそれぞれ帝國は大きな飛躍を遂げていることに気がつきます。20世紀の前半では、欧米列強から見れば開国したばかりの極東の小国に過ぎなかった帝國が大国との戦争に勝利し、国際連盟の常任理事国となり、2度の世界大戦において勝利に貢献し、非白人国家で唯一の列強国家として国際社会において名誉ある地位を占めるにいたりました。
一方、後半の半世紀は経済において帝國が比類ない進歩を遂げた期間でありました。列強の中でも工業力、経済力について他国に一歩劣っていた帝國は、臣民1人1人の献身的な努力と過去の政府の賢明な政策により高度経済成長と技術革新を成し遂げたのです。今や世界各国に日本製の自動車や電化製品が溢れ、先端技術を駆使した我が国の精密部品なしには他国の工業は成り立ちません。その国民総生産は世界第二位となり、国際機関や発展途上国への金銭的な支援についても多大な貢献を果たしております。
このように、この1世紀で政治的にも経済的にも躍進を遂げ、強く豊かな国となったことは代議士の皆様方もご同意していただけることと思います。それではこれからの50年、帝國はいかなる方向へと進むべきか?」
宮川首相は一呼吸、間を置いた。
「私が考える21世紀の日本のあり方とは“富国有徳”国家、つまり臣民1人1人の豊かさを追求し、幸福な人生を送ることはできる国造りであると考えます。大日本帝國は臣民各々の不断の努力によって躍進を遂げることが叶ったのですから、今こそ臣民にそれを還元すべきなのです。私はそれを実現するために次の4つの方針を政策の背骨とします」
それから宮川は具体的な方針について述べ始めた。
「第一に臣民本位の経済を実現します。1億5000万臣民の中に眠る内需を掘り起こし、1人当たりの年間所得を10年間で1万円向上させます。
我が国はこれまで貿易の拡大こそが経済繁栄の最良の手段と考え、外需成長を最優先として、国際競争力の為に臣民に犠牲を強いた面がありました。しかし、それでもなお輸出依存度の対GDP比は25%に過ぎません。我が国の経済は7割以上が内需によってもたらされているのです!眠っている需要を掘り起こせば、我が国の経済は更に著しく成長することが可能なのです。
また外需への依存は諸外国の経済動向の如何により激しく揺れ動いてしまう脆弱性の問題もあります。アジア通貨危機が我が国に与えた多大な影響を考えれば、過度の外需依存は我が国の経済そのものを脆弱なものにしてしまうことは自明の理であります。頑強な経済体制構築のためにも内需の拡大が必要なのです」
昨年の大日本帝國における臣民の年間所得、つまり1人あたりの国民総生産は約3万円である。つまり宮川首相の公約は10年で30%の所得増加を目指すということであり、10年間で毎年平均3%の経済成長を達成するということだ。
「第二に安全で安心して暮らしていける国家を実現します。思えばこの10年、日本は相次いで危機的な事変に襲われました。湾岸危機、平成不況、阪神淡路大震災、未曾有の化学兵器テロ、アジア通貨危機、そしてこの度の中韓国境事変であります。その度に私達の享受している平穏と繁栄が、砂上の楼閣であることをまざまざと見せつけられました。日本国家と臣民の生命財産は常に危険に瀕している。その事実を正面から受け止め、将来の事変に向けて政府組織を根本的に強化し、危機に対して強靭な国家へと改善を進めていくのが我々に与えられた使命なのであります。
我が内閣はこれまでの危機で見られた各種の問題点を是正すべく準備を進めています」
危機管理の充実は宮川が昨年の政友会総裁選に出馬した際に最も協調した点であり、経済政策と並んで重要なテーマであった。
「第三に新時代を迎える為に必要な福祉政策を実現します。我が国は少子高齢化の道を進んでいます。近年、平均寿命が80歳を超える一方で、女性が生涯に産む子の数の平均を示す合計特殊出生率が昨年、遂に1.8を割りました。我が国は少子高齢化の道を着実に進んでおり、既存の社会体制のままではいずれ行き詰ってしまうことは確実であり、我々は新しい社会を築かなくてはならないのです。
そこで私は福祉政策の全面的な改善を目指します。年金制度を改め、教育を充実させ、誰もが幸せになれる国造りを目指します。
第四に国際交流を活発化させ、世界の平和と安定に貢献します。残念ながら国際関係は依然として危機的な状況が続いています。主要国は強大な軍事力を対峙させ、また世界各地で地域紛争が続いています。次の世代に平和な世界を残すためにも、我々には緊張緩和の為の努力を続ける義務があります。
そこで私は各国にとっての共通の利益を確保し、対立ではなく共存を促す世界秩序の構築に向けて施策を実行します。また万が一の事態に備え、帝國を守る為に必要な国防力を整備します」
社会福祉政策と外交安全保障政策の方針は当たり障りの無い内容で、あまり熱心さを感じられないものであった。勿論、宮川首相はどちらの政策についても具体案を持ち、実現していくつもりであったが、それに必要な財源は経済成長によって得られるものであり経済政策こそが第一であると考えていた。そして5番目の基本方針は彼にとって蛇足でしかなかった。
「第五に財政を再建し、将来の世代が安心して施策に取り組めるよう健全な国家財政を目指します。我が国の政府負債残高は拡大の一途であり、国内外からその動向が注視され、対策が求められています。
その為に私は財政再建に向けた基本方針を定めた財政健全化法案を議会に提出します。そして長期的な国民総生産に対する赤字残高の比率の削減を目標に、具体策を講じます」
5つの基本方針を説明して宮川尚首相は一息ついた。次は具体策だ。
「これらの方針を基に、私は“有徳国家”という目標を実現する為に政策を実行します。
第一に新時代に相応しい国家機能を達成する為に、政府組織を改善します。
私は現在、今議会において危機管理基本法案の提出を行なう準備をしております。この法案はこれまでの危機で見られた関係省庁間の齟齬、連携不足といった問題を解決することを目的としており、事変の際における各関係機関の役割分担、指揮系統を明確にし、非常時における迅速な対応を可能にするものであります。
さらに政策の司令塔となるべき内閣の機能を強化します。危機管理法の成立にあわせて内閣に新たに専任の危機管理監を置き、関係各機関の調整を担わせます…」
それから宮川首相は政府機構の改善策について述べた後、次の政策に移った。
「第二に国内の様々なネットワーク網を改善・整備し、人々の交流を活発化させ、莫大な需要を生み出します。
様々なネットワークと言いましたが、1つは近年目覚しい発展を遂げているコンピューターネットワークであります。今後、5年以内に日本全国に高速ネット回線を張り巡らし、インターネットを電気や水道と同様に人々の生活に必要不可欠なインフラに発展させます。
インターネット網の発展は人々の生活をより豊かなものにし、多くのビジネスチャンスが生まれます。また遠隔地とも迅速な情報交換が可能になることで、地方においても都市部と同様の経済活動が可能になります。その基盤である回線網を今こそ国家の主導で全国に敷設すべきなのです」
宮川はそれから具体的な予算規模について述べた後、次の話題に移った。
「我々が改善・整備すべきもう1つのネットワークは、既存の物流インフラストラクチャー、つまり全国各地の道路網、鉄道網であります。確かに近年のコンピューターネットワーク網の発展には目を見張るものがありますが、しかし人々の生活には物流が必要です。インターネット網の整備と併行して更なる物流インフラの整備と既存インフラの改善が必要です。
我が国にこれ以上の道路は必要ない。そういう意見も聞かれます。確かに我が国はこの半世紀、全土に渡って交通網の整備に万進してまいりました。しかし依然としてそれは必要最低限の粋を超えるものではありません。高速道路網はあちこちで分断されており、高速鉄道網も未完成です。物流インフラを充実させることで、人や物の移動がより活発にできるようになり、更なる経済発展に繋がるのです。
またインフラの充実は災害対策の点からも重要です。未曾有の大震災からも明らかなように我が国は災害大国であります。もし、ある地点とある地点を結ぶルートが1つしかなければ、そのただ1つのルートが災害によって断絶されてしまったら、その2つの地点はそれだけで完全に繋がりを断たれてしまうのです。
災害大国である我が国は交通網を多重化する必要があります。例え1つのルートが遮断されても代替可能な迂回路が存在し、救助チームや救援物資を送り込める。そのような冗長性の確保が必要なのです」
ここで一呼吸を入れる。
「また新たなインフラ整備と併行して既存のインフラの改修を進めていく必要があります。なぜならば国内の橋梁やトンネルなどの多くが寿命を迎えるからであります。
コンクリートの寿命はおよそ50年と言われております。つまり第二次世界大戦後の高度成長期に建造されたインフラ設備がこれより次々と寿命を迎えてしまうのです。もし今、手をつけなければ、全国各地に通行不能になるトンネルや橋が生じて国土が寸断され、さらに崩落事故などで多くの犠牲者が出る可能性があります。寿命に達し耐久力を失ったこれらのインフラは大規模災害時に大きな被害を受けるのも確実です。
手を打つならば今しかありません。臣民の命を守る為にも、老朽化した橋梁やトンネルを補強し、必要に応じて建て替えを進めて国土を強靭化していかなくてはならないのです」
そこから宮川は具体的な政策に移った。今後10年間で1兆円の予算措置を講じる旨を宣言した。
それから次々と宮川内閣が試みる予定の様々な政策について語られる。新エネルギー開発、福祉や医療の新政策。それに教育の新方針。次々と語られる政策に与党席からは賞賛の拍手が送られる。それから宮川首相は外交、安全保障関係の政策について語り始めた。
「沖縄での先進国首脳会議が控え、今年は否応無く我が国が国際社会を牽引していくことを求められる年となります。私はその求めに応じるべく価値観外交を我が国の外交政策の柱とし、積極的な外交を実行します。
ここで言う価値観とは我が国をはじめとする締盟諸国が持つ自由を尊重する精神であり、ここでいう価値観外交とは同じ価値観を持つ国々との連帯の高め、協力し合い、繁栄を享受させることであります。その成功を見せれば自由主義社会、自由主義経済の優位を世界に明らかに出来るでしょう。私はそれを実現する為に全方位に対して働きかけを行います」
宮川は主に経済成長を果たそうとする発展途上諸国への支援を中心に政策を説明した。特に日本列島から東南アジア、インドを経て、中東へと繋がる弧状の地域に対して重点的にODAを増額することを強調した。だが、その地域は主に日本のシーレーンが通っている海域の沿岸であることには触れなかった。
「しかし、いくら平和を志向しても、それが破られてしまうことは十分にありえます。それをこの度の韓国での事件が明らかにしています。我々は万が一に備え国防力を整備し、祖国を守り同盟国を援助する能力を維持していく必要があるのです。その為に次の施策を実行します。
我が内閣において今後5年間の軍備計画の指針となる国防力整備計画を今年度内に策定します。その内容は益々充実した国防力を実現すると共に、社会経済の繁栄との両立を図るもとなります」
国防力整備計画は1965年に第一次が策定されて以来、5年ごとに更新が行われる日本政府の軍備計画である。陸海空の三軍に対する統一した計画であり、また内閣が策定するのが通例となっていて、日本において文民統制を確立する上で大きな役割を果たした。
宮川政権は順当に進めば2001年から2005年までの5年間における軍備の方針となる第八次国防力整備計画を策定することになる。
「それと併行して前回の第七次国防力整備計画の総仕上げを行います。
第一に戦略核兵力の近代化を実行し、抑止力を維持します。空軍の大陸間弾道弾の更新を継続すると共に、海軍の新型戦略潜水艦を建造します。
この新型潜水艦は現在建造中の戦略潜水艦と同型のもので、最新鋭のトライデントD5弾道ミサイルを装備しています。この潜水艦の就役によって帝國の核抑止力がますます確固たるものになるのは確実です。
この計画の実現の為に、今年度予算に約10億円の予算を計上しました」
それから宮川は政府が構想する国防政策を次々と説明していった。
主要な政策の説明を終えると、宮川首相は結びの言葉に入った。
「最初に申し上げたように、今年は悲劇的な危機から始まる1年となってしまいました。しかし日本はこの危機を必ず乗り越えられるものと信じております。
我々はこの10年で様々な危機を乗り越えてきました。いえ、大日本帝國は建国以来、様々な危機に直面し、その度に陛下の下で臣民が団結し、不断の努力と英知を集結して乗り越えていったのです。
今こそ我々は団結し、危機を乗り越え、次の世紀を生きる我らの子孫の為に国造りを続けなくてはなりません。これは我々が祖国から受け継いできた、終わり無き義務なのです。明日を今日より、より良き国にする為には国造りを止めるわけにはいかないのです。
野党諸氏にも協力を求めます。共に意見を述べて議論を交わせば、政策はより確かなものになり、帝國は大きな飛躍が可能になるのです。
臣民の皆様にも協力を求めます。皆さんにはこの国を飛躍させる力を持っています。この資源少ない小国が繁栄を享受できたのも、臣民の皆さん1人1人が持つ優れた技術、不断の努力、英知があればこそなのです。それは未来に対しても同様です。皆さんの力を、皆さんのお子さんの為に、お孫さんの為に、使わせていただきたい。
私、宮川尚は皆さんの声を真摯に受け止め、お貸しいただいた力を明日の為に役立て、“有徳国家”の実現の為に全力を尽くす決意であります」
演説を終えて宮川は一礼をした。与党議員を中心として議院内が拍手で沸いた。かくして政治の1年が始まった。