その7 総会の奇襲と理事会の反逆
ニューヨーク 国連
<九頭竜>が<マールス>を感知した頃。ニューヨークの国連事務局に中国大使の李紫陽とソ連大使のカリャキナが多くの国々の大使とともに訪れた。彼らは緊急特別総会の開催を要請した。
緊急特別総会は1950年11月に中国内戦への介入を強めた日米が拒否権を行使して国連の仲介を悉く妨害したことに対して採択された“平和のための結集決議”により始まったもので、安全保障理事会の理事国のうち9ヶ国、または加盟国過半数の要請により24時間以内に開かれる。そして加盟国の3分の2以上の賛成により平和と安全の為の勧告をだすことができるのである。
そして東部標準時15日午前8時。全加盟国大使が参加する緊急特別総会が始まった。
カムチャッカ半島 アバチャ湾
ユーラシア大陸東端から南に伸びた、総面積が日本に匹敵する巨大なカムチャッカ半島。その先端に近い部分の太平洋岸に1つの湾があった。それがアバチャ湾である。
世界遺産にも認定されているカムチャッカ火山群を形成する2000メートル級のアバチャ山や3000メートル級のコリャーク山に見下ろされ、カムチャッカ州の州都であるペトロパブロフスク・カムチャツキーに面するアバチャ湾は古来より軍港として栄えていた。千島列島や宗谷・津軽・対馬の三海峡のような日本の勢力圏を通らずに直接太平洋に出られるため、冷戦以後は特に重視されるようになった。
それであるから、日本やアメリカがこの湾に注目するのは当然であるし、艦艇の動きをキャッチするために常に見張りを置いていた。今の見張りは日本の原子力潜水艦<蛟龍>であった。
<蛟龍>は原子力潜水艦の命名規則が河川名に確立する前の初期に建造されたもので、静粛性向上のための実験的要素が強い艦である。最大の特徴はターボ・エレクトリック方式を採用していることにある。
原子力潜水艦の騒音の発生源は様々であるが、最大のものは減速ギアである。原子炉で水を加熱し高圧高温の蒸気でタービンを回すのが原子力機関の基本構造であるが、タービンの回転をそのままスクリューに伝えるわけにはいかない。あまりにも回転速度が速いからだ。そこでギアを介することで回転数を落としてスクリューを回しているのだが、このギアが騒がしい雑音を発生させるのである。そうした原潜の欠点を補うのに考案されたのがターボ・エレクトリック方式だ。
タービンの回転でスクリューを回すのではなく発電機を回して、その電力でスクリューを動かすというのがターボ・エレクトリック方式の概要である。ギアを使わないことで騒音を抑えることができたが、システムが複雑化したことで効率は悪化し、高い出力を得られないという欠点があった。
実際、<蛟龍>は長く帝國で最も静かな潜水艦の地位を占めたが、最高速力は24ノットに留まり運動性能も良いとは言えなかった。ターボ・エレクトリック方式はフランスと中国を除く原潜運用国と同じように日本帝國海軍においても戦闘艦としては不適格と評価され、帝國海軍は静粛性の問題に目をつぶって能力向上に力を注ぐ事になった。
しかし、造ってしまった<蛟龍>はどうすることもできず、今でも現役の軍艦―それも帝國海軍用語における厳密な意味での軍艦―である。貧乏性な帝國軍が早期退役など許すわけがないのだ。結局、潜入や情報収集任務に利用されることになった。ソ連の攻撃型原潜と追いかけっこをするのは無理でも、静かに聞き耳をたてることくらいはできるのだから。
この日、<蛟龍>はアバチャ湾口近くの海底に潜み、湾に出入する船の音紋を収集していたのである。
「ソナー感。方位0-8―5。一軸推進の潜水艦です」
ソナールームでは副長である梨本義樹中佐―大佐への昇進が決まっていて、春から艦長として指揮する艦が与えられる事になっている―がソナーマンとともに詰めていた。
「個艦識別、できるか?」
潜水艦のキャビテーションは人間の声紋のように艦それぞれで、十分なデータさえあれば捉えた目標の艦名まで絞り込めさえする。だがソナーマンの報告は芳しくなかった。
「いいえ。我が海軍に該当する潜水艦のデータが存在しません」
「新型艦か?」
梨本が尋ねた。ソナーマンが言葉を返す前にソナールームと外を仕切る垂れ幕が持ち上げられ、その向こうから眼鏡の男が姿を現した。
「艦長!」
梨本とソナーマンは反射的に敬礼をした。艦長の田村雄介大佐は答礼すると、ソナールームに入ってきた。
「正体は判明しましたか?」
「いいえ。我が海軍に該当する潜水艦のデータは存在しません。新型艦の可能性が高いと思われます」
ソナーマンの回答に田村はふむふむと頷いた。
「となるとシエラか、グラニーですかな?」
田村はまだ太平洋艦隊に配備されていない新型攻撃型原潜の名を挙げた。
「おそらく」
「これは報告の必要ありですね」
神奈川県相模原市 相武台 陸軍士官学校講堂
相模原市は様々な軍事施設が並ぶ軍都として知られている。その中心的な存在は相武台の通称で知られる陸軍士官学校である。もともとは市ヶ谷にあった士官学校は予科士官学校と分離するとともに軍都計画が進められた相模原に移転し、昭和天皇から相武台の名が与えられたのである。
そして、その士官学校の中で通常は各種の式典などに使われる講堂はこの時、白黒の幕が張られ、講演などが行なわれる舞台上には花々に囲まれて12枚の写真が飾られている。それは一週間前に中韓国境での戦闘で戦死した将兵の遺影であった。
この日は1月9日の戦いでの戦死者の合同葬儀が行なわれていたのである。宮川首相も八雲兵相を引き連れて会場となる講堂を訪れていた。
会場には様々な人々が訪れている。その中心となっているのは陸軍の高級将校たちである。陸軍大臣の海原茂夫陸軍大将、参謀総長の元宮修一郎陸軍大将、防衛総軍司令官の工藤成章陸軍大将。それに朝鮮軍の参謀長、第20師団師団長である姶良中将、捜索第20連隊連隊長の日向大佐である。また韓国の駐日大使が駐在武官を伴って訪れている。
だが宮川が最も注目したのは、やはり遺族たちであった。悲しみを堪えている者もいれば、目に涙を浮かべる者もいる。幼い少年少女などは周りを気にせず号泣している。戦死者たちには全員に武功徽章(注1)が与えられ、カールグスタフ無反動を用いて敵戦車を単独で撃破した1人の軍曹には功六級金鵄勲章(注2)が授与された。さらに韓国軍から感状が、韓国政府からは太極章(注3)が送られることになった。しかしそれが遺族の悲しみを慰めることができるのだろうか?
舞台上で追悼の言葉を述べた後、八雲に後を引き継いで自分の席に戻った。すると後ろから肩を叩かれた。振り返ると最大野党である立憲民政党の総裁である郡山幸三の姿があった。彼は宮川に紙切れを渡すと、何事も無かったように姿勢を直して八雲の演説を眺めた。宮川が紙切れを見ると“後で会いたい”と書かれていた。
式典が終わると宮川は郡山の秘書官の案内で、1人である教室を訪ねていた。少人数で討論などを行なう場所として設けられていたのか、長机が上から見て口の形になるように並べられていて、その周りにパイプ椅子が置かれている。郡山はその1つに座っている。今年で70歳になろうという老体ながらまだまだ元気な様子で宮川が総裁として率いている与党、立憲政友会を相手に渡り合っている。
「なぁヒサ公や。どんな気分だい?臣民を死地に送った気分は?」
郡山は宮川を私的な場ではヒサ公と呼んでいる。
「私を責めに来たのですか?」
宮川の問いに郡山は首を横に振った。
「いや。確認したかっただけさ。次の衆院選で勝った時のためにね」
「後悔はしていません。国家のために必要なことだった。しかし遺族の姿を見ると、やはり心が痛む」
「それでいいんだよ。それを当然だとは思ってはならん。だが常に覚悟をしておかなくてはならない。それが国家の指導者ってもんだ。ところでヒサ公、彼らへの補償はどうなっているんだい?」
「八雲君が十分な援助をしてやるでしょう。“国家のために命を落とした勇士に国家は十分な対価を支払わなくてはならない”ってね。指揮官としてはどうかと思うが、そういうところにはちゃんと心を配ってるんですよ。彼はね」
すると教室のドアを誰かが叩いた。ドアが開くと宮川の秘書官が入ってくる。ハァハァと息を荒くしている様子からここまで慌ててやって来たらしい。
「どうしたんだ?」
「大変ですよ、総理。これをご覧ください」
秘書官は震える手で宮川にメモ用紙を渡した。“国連総会、中韓国境事変問題の総会への付託を勧告。国連事務総長が総会支持と理事会への避難の声明を発表”
「こりゃ、またややこしくなるな」
郡山も横から覗いて状況を把握した。
「軟着陸がまた遠のいたな」
国連総会には安全保障理事会のような加盟国への強制力は存在しない。その権限はあくまでも勧告に留まっている。しかし、ここまで騒ぎが大きくなり賛同する国が多いとなれば無視するわけにもいかない。国連の現体制に不満を持つ国は多いがソ連と中国はそれをうまいこと纏め上げたようだ。
「こうなれば国内の武力解決派がますます勢いづく。ただでさえ右翼連中がうるさいのに」
虐殺報道以来、右翼団体が“中国に迎合する現政権”を非難するデモを国会や首相官邸の前ではじめている。マスコミも過激な開戦論を唱える論調が増えつつある。
「郡山さん、もし私が武力解決を決断したらどうします?」
「うちも例の虐殺騒ぎから右派連中が騒ぎ出してね。結局、虐殺は本当にあったのかい?」
「公式発表と同じですよ。確認できません」
「またどうとでもとれるような事を言う。うちの若手の右派連中は信じんぞ?まぁそんな有様だ。党としては武力解決方針を容認せざるをえないだろう。社大党もそうなるんじゃないか?」
社大党、つまり社会大衆党は政友会、民政党とともに日本の三大政党として日本の議会政治を支えている。保守層を主な支持層とする立憲政友会、リベラル派政党の立憲民政党、そして労働者など無産階級を主な支持層に社会民主主義を掲げるのが社会大衆党である。政友会と民政党が政権交代を繰り返し、その間に社会大衆党が立って第3勢力として政界の動きを監視する。それが今の政治の実態である。
「今の様で堂々と反戦論を主張できるのは共産党くらいじゃないかな。いやぁ、我を通すことにかけちゃ連中が一番だ。羨ましい話だよ」
「それ故に政権を獲れないんですけどね」
共産党は結党以来ずっと非合法政党であるが、ある者を無所属候補として、またある者は社大党に潜り込ませて何人かの党員を議会に送り込んでいる。官憲からの様々な弾圧に耐えつつ組織を維持しているのだから、その団結と情熱は本物なのである。
「それでだ。ヒサ公。民政党の右派連中が政友会の反主流派と組んで政界再編を狙っている。それを伝えに来た」
「なんでまた?あなた方が政権を獲得するチャンスなのに」
「若い連中の情熱は買うがね。深慮遠謀に欠ける連中に国を動かさせたくないのさ。それにあいつらは俺を追い落とすつもりだしな。じゃあ、これでさらばするぜ」
郡山は立ち上がるとドアのところまで言ってから、宮川の方に振り向いた。
「ヒサ公。これだけは言っておく。ケネディとカーターの違いはな…」
しかし最後まで言い切る前に宮川が遮った。
「知っていますよ。もう何十回も聞いていますから」
「そうだったかな?あともう1つ。いくら君が首相だからって蛭田や八雲を君付けするのはやめておけよ。年上なんだから」
それだけ言うと郡山は出て行った。
ニューヨーク 国連事務局
国連事務総長はいわゆる大国以外から選ばれるのが慣例で、第七代事務総長もガーナ出身であった。そんな彼にアメリカ大使クックが訪ねていた。
「いったいどういうつもりなんですか?」
事務総長の執務室に案内されたクック大使は事務総長の姿を見つけると同時に切り出した。
「別にどうということもありませんよ、大使。私は正論を述べたにすぎません。いつまでも常任理事国による専横が続くと思ったら大間違いですよ?」
「あんたの理屈はわかるよ。全ての国には平等に権利があるって?だがね、それは理想論に過ぎないんだ。今や国連の加盟国は150を越えている。その全ての意見を纏めろっていうのかい?それじゃあ解決する問題だって解決しなくなるさ。だいたい自分のところの面倒さえ見られない連中が他人に意見したって物事は良くなりはしないさ」
クックの言葉に対して事務総長は怯むことなく堂々と立ち向かった。
「それは大国の理屈ですよ。なんにしろ世界は動き出した。止めさせはしませんよ。それとも国連を脱退するのですかな?」
「そうかい。好きにすればいいさ。だが世界が良くなるとはとうてい思えないね」
クック大使はそれだけ言うと去った。
注釈
注1―武功徽章―
第二次世界大戦中の1944年に制定された徽章。軍人および軍属に与えられる勲章の一種である。
抜群の戦果を残した軍人には金鵄勲章が授与されるのが通例であったが、激戦続く第二次世界大戦により金鵄勲章の授与が急増したことから授与対象が戦死者に限定されてしまい、それに代るものとして生れたのが武功徽章である。武功徽章はあくまでも“徽章”なので授与に天皇による裁定を必要とする“勲章”に比べると現地司令官の裁量で与えることが可能であり、授与までの過程を簡略化できるという利点もあった。
武功徽章には個人に対して贈られる甲章と部隊に対して与えられる乙章の二種がある。
注2―金鵄勲章―
1980年に制定された軍人・軍属を対象とする勲章。神武天皇の弓に金色の鳶がとまり、その輝きに敵の軍勢が目が眩ませて降伏したという故事に因む。
抜群の戦果を残した軍人・軍属に授与されるものであるが、第二次大戦の激戦により対象者が急増したために戦死・戦病死者にのみ授与されることになった。ただし湾岸戦争以降、再び生存している人物への授与が再開されている。
注3―太極章
大韓帝國の勲章。国旗の太極章に由来する。