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世紀末の帝國  作者: 独楽犬
第5部 国連の虚構
25/110

その3 情勢動く

 1月13日、安全保障会議の開催から5日目。外交世界では裏では妥協を探りつつ表向きには膠着状態が続いていた。そして東京が5日目の昼を過ぎた頃で、ニューヨークではちょうど日付が変わり4日目の会合を終えた各国の代表がそれぞれの部屋に戻り明日の理事会でどう行動すべきか練っていた。そしてモスクワは午前8時、人々が動き出す時間であった。




モスクワ郊外 ヤセネヴォ KGB第1総局庁舎

 モスクワの南の森にY字型の建物がある。それがKGBの対外諜報部門である第1総局の中枢であり部内からは“森”と呼ばれる庁舎なのである。その機密保全措置は凄まじく局内に入るには3重の検問を通る必要があり、職員が殺到する通勤時間には近くの高速道路が封鎖され通勤用の専用バスが運行されるほどである。ただ局長であるアレクセイエフは自家用車で通うという特権が与えられていた。この日もアレクセイエフは愛用の国産車<ジグリ>に乗って出勤した。


 彼が専用の執務室に入るとほぼ同時に東ドイツ課長がやってきた。

「同志将軍。ベルリンの不穏な動きについての最新の報告です」

 アレクセイエフは東独課長を執務室に招きいれた。

「でGRUの連中が工作している相手というのはどういった連中なんだ?」

「それが実はどうも不明確で」

 そう言うと東独課長は数枚の報告書を渡した。

「グツァコフ支局長とチャパエフ第3局長の情報を総合しますと、件のグループ、友愛会と呼ばれています、はヘルベルト・フォン・ヤンケ中将が率いるものです。ヤンケ将軍の現在の地位は北方軍(注1)参謀長で、思想はどちらかと言えば左寄り(注2)、ナチズム思想に近いです」

「つまりナチズム集団ということだな?」

「いいえ」

 東独課長の言葉にアレクセイエフは怪訝な顔をした。

「ヤンケは確かに左寄りですが、過激派というわけではないのです。東独国防軍の国粋主義者のグループにも参加していますが深く傾倒しているわけではありません。あくまでも任務に忠実な軍人です。

 また問題のグループですが、政治思想を同じにする者が集まっているわけでもなく、表向きには将校の親睦会のようなもので共産主義者とされる者も混じっているのです。そのため、我々は十分な監視を行なっていませんでした」

「となると、なんで今さら第3局に注目されることになったんだ。なんでGRUが入り込んでいるんだ?」

「不審な動きが見られたようです。会合が最近になって急速に回数を増やし、しかも秘密裏に行なわれているのです。さらに構成員と政治家、活動家との度重なる接触も報告されています。グループの活動との繋がりは不明ですが」

「RSHAは把握しているのか?」

 RSHAは東独国家保安本部のことで、ソ連のKGBに相当する巨大な警察機関である。

「探りを入れていますが、まだ何とも」

「GRUとの関係についてはどう思う?」

「それは分かりません。しかし国防軍に対する一種の工作ではないでしょうか?」

 2人とも険しい表情になった。

「反ソ派の結集・発起を阻止するための不安定化工作ということか?」

「そんなところですかね」

「なんにしろGRUが我々になんの説明も行なわず独断でそのような行動を行なうのは許しがたいなぁ」

「大変不愉快です」

 KGBにとってはGRUに縄張りを荒らされたようなものであり、容認しがたいのも当然である。それにKGBの最大の任務は軍の叛乱を防ぐことにある。軍の機関の独断を彼らが許容できるわけがない。

「ありがとう。興味深い報告であった。我々はこの友愛会に注目し続けねばならない」

「では同志局長。私はこれで」

 東ドイツ課長が部屋を出ようとドアの取っ手に手をかけようとしたら、ドアが勝手に開いた。扉の向こうにはアレクセイエフの秘書官が立っていて、東ドイツ課長を押しのけて入ってきた。

「同志局長。中国で一大事です」




日本 内閣情報調査局 情報総裁執務室

 杉田もアレクセイエフと同じ報告を受けて、さらにテレビ中継を通じてその様子を直接確認していた。彼の執務室のテレビには、赤い服を着た中国の若者たちが手にプラカードを持ったりシュプレヒコールをあげたりしながら北京の街を行進している姿を映されている。

<外国の介入を許すな!>

<中国の主権を守れ!>

<侵略者の韓国を撃滅せよ!>

 そんな叫び声が聞こえてくる。

<えぇ。北京中心部では何百人という人々が集まり、愛国心を訴えるデモを行なっています。デモの参加者は時間を経るごとに増えていっているようです。このデモは国連安全保障理事会にどのような影響を及ぼすのでしょうか?>

 デモ隊を後ろにして報告しているアナウンサーの声は震えていて、そこからすぐにでも逃げ出したいという風に感じ取れた。

 すると杉田の机の上に置かれている電話が鳴った。

「はい。情報総裁です」

<官邸です。総理が至急会いたい、と>

 相手は宮川の秘書官であった。

「テレビでやってることについてかい?」

<はい>

「こりゃ、来年度の予算成立が遅れそうだね」

 非常事態に備えた予算額を上方修正することになるだろう。

<おそらく>

「30分後にそちらに」

<わかりました。そうお伝えします>

 電話が切れた。杉田は受話器を置くと、一回深呼吸をした。

 さて、あと30分。なにができるだろうか?




首相官邸

 30分後、杉田は首相執務室を訪れていた。応接用のソファーに座り総理と相対した杉田は出されたお茶を口に含むと、早速口を切った。

「予想外の出来事です」

「だろうね。これは張徳平ちょう とくへいのメッセージなのかな?」

 杉田は首を横に振った。

「いいえ。おそらく張も知らないうちに進められていたことでしょう。まだ情報が少ないので推測の部分がかなり多くなりますが、構いませんか?」

「説明したまえ」

 杉田は一呼吸してから説明を始めた。

「まずデモは自然発生したものではないでしょう。デモが自然発生するには何らかのきっかけが必要です。今回のデモはあまりにも唐突すぎるのです」

「なるほど。しかし張徳平が行なったものではないのか?」

「はい。張徳平にはその必要性がありません。交渉は決して順調に進んでいたわけではありませんが、かと言って停滞していたわけではありません。時間をかければ十分に満足できる成果を得られるのです。このデモはむしろ張から選択肢を奪いました」

「というと?」

「首相。中国は決して民主主義国家ではありません。しかし民意を無視できるのではないのです。民意を味方につけた者が有利なのです」

「では、今回のことは誰を有利にさせるのだね?」

「主に強硬派。過激派の将軍とか国粋主義運動化とか。張は確かに右翼的で親ソ強硬派のドンです。その一方で彼は現実主義者でもあります。彼は表向きには決して西側の要求に応じない頑固な指導者を演じる一方で、裏では過激派に折り合いをつけられる妥協点を探っていました。しかし過激派たちはデモで張の妥協案を拒否する根拠を得たのです。

 つまり張がなんらかの譲歩をしようとすれば、彼らはこう言うんですよ。“人民は我々の味方ですよ”ってね。中国は外交姿勢を大きく転換することが迫られるでしょう。表向きには変わらないんですが」

「大変だな。こちら側もやり方を変えないと」

「しかし総理。これはあくまでも限られた情報に基く推測に過ぎません。政策に反映するには、より精度の高い情報が必要です。そしてそれには時間が要ります」

 杉田は念押しした。情報員は常に予防線を張る癖が身につくものである。

「分かったよ。決定はもう少し待つ必要があるが、マスコミは待ってくれないだろうな。なんと言えばいいだろうか?」

「とりあえず当り障りのないことを言って誤魔化すしかありませんね。今は情報を収集している。それで貫きましょう」

「だな。で誰がこのデモを起こしたんだ?やはり過激派の軍部か?」

「それは分かりません」




市ヶ谷 統常参謀部

「でも軍部じゃないよ」

 自販機を前に美香はコーヒーを啜りながら言った。

「どこがやったかは分からないけど、軍部じゃない。北京は夏永貴か えいきのお膝元だよ。彼がそんなことを許すはずがないよ」

「だとすれば、どこだろうな。初動の規模から考えて、政府関係者が絡んでいるのは間違いないんだけど」

 相対する小野寺も同じように缶の飲み物を持っている。しかし彼は美香と違い紅茶党であった。

徐雲山じょ うんざんだったりして。どうだろう。ありえるかな。ありえるね」

 最初、冗談のつもり言ったようだが、美香の顔は次第に真剣な表情になっていった。

「確かに。今の状態で張が西側に譲歩したら軍部の支持を失うことになる。そして次に主席の地位に就くのは徐雲山だ」




首相官邸

 宮川首相は杉田が去った後、電話が鳴った。彼は受話器をとった。

<首相、大統領との電話会談の準備が整いました。通訳も待機しております>

 世界には大統領と呼ばれる人間はたくさん居るが、日本で単に大統領と呼ぶ場合は専らアメリカ大統領を示す。

「よろしい。繋いでくれ」

 暫く待つと、盗聴防止装置特有の電子音を経てアメリカ大統領トーマス・ライアンと繋がった。

「大統領、こんにちは。そちらは深夜でしたね。ご苦労さまです」

<寝る直前に知らされたんです。今は寝巻きなんですよ?今夜は徹夜になりそうだ>

「大変ですね。私も時々、一般市民に戻りたいと思うときがありますよ」

<まったくだ。だけど自分で選んだ道ですから

 さっそくですが、アメリカ合衆国はこの事態の変化が中国と韓国の緊張状態に重大な影響を与えることを危惧しています。韓国の連合国軍司令部に厳戒態勢を採らせようと思うのですが?>

「それでは中国との約束を破ることになりますな」

<それはあくまでも非公式の約束でしょう?あちらさんもそれを守れる状況じゃないですし。今は状況を我々の統制下におくことが重要なのです>

「ですね。あとは韓国をどう説得するか。厳しいな」

<ですが、やらなければなりません>

「分かりました。なんとかしましょう」

<それでは一旦、これで>

「また後で」

 電話は切れた。




注釈

注1―北方軍―

 東ドイツ軍の野戦軍の1つ。エルベ川の戦線に配置されている。4個軍団12個師団から成る。


注2―左寄り―

 ソ連など東側諸国では、熱狂的な共産主義者が右翼、民族主義・国粋主義者が左翼となる。

・第2部その三を改訂

 神楽三門を海軍予備学生出身に変更、これで確定。


(改訂 2012/3/21)

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