その2 国連の開幕
アメリカ合衆国 ニューヨーク
アメリカ東部標準時、1月9日午前9時―日本時間午後23時。日本の甘木国連大使の提議により安全保障理事会が開かれる。参加国は常任理事国である日本、アメリカ、イギリス、フランスに非常任理事国のソ連、イタリア、アルバニア、ベトナム、オーストラリア、エジプト、リビア、セイシェル、メキシコ、アルゼンチン、そして当事国である中国と韓国。ただし中国と韓国には投票権が無い。
ニューヨークの国連本部ビル、その安全保障理事会会議室には今、世界が注目していた。当事者の一方である中国は核保有国であり、対する韓国は核保有国である日本やアメリカの同盟国である。核兵器保有国同士が直接衝突する危険がある。メディアはキューバ危機以来の核戦争の危機だと騒ぎ立てた。しかし、その一方で楽観論もあった。国境での戦闘はすでに終息しており、日米韓連合軍司令部が非常事態宣言を出さなかったためである。しかし、実態として独自解決を目指すイ・ホニョン内閣が拒絶したためで、国境では相変わらず睨み合いの状態が続いていた。
ともかく議長であるイギリス国連大使サー・ウィリアム・ショーが開会を宣言した。それに続いて提訴者である日本大使の甘木が立ち上がり状況説明を始める。中国軍と韓国軍の間に小さな戦闘が発生し、それが師団規模の大規模な戦闘に発展したこと。中国軍がこれに乗じて韓国を侵略しようとした疑いがあること。しかし戦闘の原因については言葉を濁した。それはとっておきの時に使うべき切り札なのである。あらかた説明を終えると、最後に解決のための日本案の説明を始めた。
「私は中国軍と韓国軍の更なる衝突を避けるのが最善であると考えます。そのため、中国と韓国の国境線から20km以内を非武装地帯として両軍はそこから撤退し、代わりに第三国軍によって編成される平和維持軍を派遣します。そしてその監視の下、やはり第三国から派遣される調査団により戦闘発生の原因を探るのです。私は調査団に中立国が参加することが望ましいと考えます」
それに対して中国大使、李紫陽が早速、反対意見が述べた。
「日本大使の主張には我が中華人民共和国にとって容認できないものが含まれております。
第一に日本大使は戦闘発生の原因を不明瞭としていますが、我々は原因を韓国側の攻撃であると確信しています。
第二に中華人民共和国が韓国を侵攻しようとしたという事実は存在しません。我が国の軍隊の行動は全て自衛のための行為です。むしろ戦闘は韓国側の攻撃で始まった以上、韓国軍の中国侵略という野望の存在を疑うべきです。
第三に非武装地帯の設定は不要ですし、我が国に対する主権の侵害であります。原因は韓国の軍事的冒険である以上、それを取り除けばよいのです。我が国は韓国に軍の厳戒態勢の解除、責任者の追及、そして今回のような冒険が二度と行なわれないという確約を求めます。そうすれば我が国の防衛体制も自然に緩和されるでしょう」
その反論にショー大使が苦言を述べた。
「紫陽大使。ここは国連です。万国に等しい権利が与えられています。貴国の一方的な要求は認められません。そして我々には客観的立場で公正な判断を行なう必要があるのです。そのためには調査団の派遣が是非とも必要です」
厳しい口調でそれだけ言うと、ショー大使は若干表情を緩めて続けた。
「イギリスは貴国が勇気ある譲歩を行なうことを要望します。もし貴国に確信があると言うなら調査団の調査がそれを補強することになるでしょうし、貴国の誠実な対応は世界が必ずや評価するでしょう」
しかしソ連大使が横槍を入れた。ソ連大使のユリア・カリャキナは国連大使就任以前から外交界では女傑として知られていた。
「ショー大使。実に白々しいお言葉ですね。万国に等しい権利?では常任理事国に与えられた特権は一体なんなのですか?不平等以外の何物でもない。そして特権が与えられた国は韓国と同盟に近い資本主義国ばかり。これでは客観的で公正な判断などありえません」
カリャキナ大使の主張に対し、ベトナム、リビア、セイシェル、それにエジプトとアルゼンチン、メキシコの大使が拍手を送った。共産国はもとより西側でも中小国にとっては安保理常任理事国への権力集中は許しがたいものなのだ。
「国連を資本主義国によるリンチの場にすることは認められません。我がソ連邦はこの問題を各国が平等の投票権を持つ国連総会によって審議することを要求します。そしてこれを機会に安全保障理事会の根本的改革を推進するべきであると考えます」
かくして理事会初日はなんの妥協点も見出されずに終わった。しかし、それは各国大使も当然に予測していたことであった。むしろ“本当の外交”は初日の理事会閉会後に進められたのである。
閉会後の常任理事会の休憩室。夕食を終えた大使たちはワイングラスを片手に、先ほどの会議とは打って変わった様子で談笑をしていた。
フランス大使のピエール・オブラックの相手は中国大使の李紫陽であった。
「ムッシュ。分かっていただきたいのは、我が国の政治は西洋のそれとは違うのです。国内の意志を統一するのに時間が必要なのです。同志主席はお国のマスコミが言うような独裁者ではないのですよ。貴国の大統領の方がよっぽど独裁的です。そして、それにはいくつかの条件を満たさなくてはなりません」
「それで李大使。貴国は何を求めるのですか?」
「そうですね。詳しくは本国の決定待ちですが、平和維持軍の構成国についてが特に問題になるでしょう」
その向こうではアメリカ大使のジェームズ・クックと甘木日本大使、それに韓国大使の丁白一が集まっている。
「中国に対して何らかの譲歩が必要だろうが、なにが用意できるんだい?」
クック大使の言葉に甘木も丁も浮かない顔をしている。
「その点は丁大使と話し合ってみたのですが、本国の方がね。我が国は資本投下などを考えているのですが」
「我が国の首相は中国相手に譲歩をしたくないのですよ」
丁大使が溜息をついた。ナショナリズムを煽るイ・ホニョン政権にとって中国への譲歩はなかなか決断できることではない。
「うぅん。それは弱りましたね」
クックは溜息をついた。気分転換になればと思い、部屋の中を見回してみるとカリャキナ大使が友邦の国の大使と集まって話しをしている。その中にはアルバニア大使の姿もあった。
「アルバニアの造反は期待できそうにないね」
東京 霞ヶ関
翌日10日、日本時間午後0時。外相蛭田が柳法安駐日大使から外務省近くのホテルのレストランに呼び出しを受けた。マスコミを避けて何とか指定のホテルに辿り着いた。
「おはようございます。大臣。一緒に昼食でもどうかと思いまして」
「それはどうも」
2人は同じ席についた。
「ところで国連での貴国の提案ですが、本国の方で検討した結果ですがね。最低でも次の要件を満たす必要があります」
「呑むんですか?あっさりしていますね。もっと粘るかと思ったんですが」
「我々だって現実を見ておりますよ。今や我が国の経済は貴国や欧米との関係なくして語ることは出来ませんからね。問題は軍と国内世論をどう説得するかですよ」
民主化が進んでいない国で国内世論を気にするというのも不思議な話に聞こえるかもしれないが、しかし実のところを言えば民主化していないからこそ為政者たちは世論に敏感にならざるをえないのだ。なにしろ選挙制度が無い国である。国民の不満が溜まった時に行きつく先は革命であり、指導者たちには断頭台が待っている。そもそも自分達が革命で政権を握ったのであるから、自分達に対する革命が起こされた場合の危険性は十分に理解しているのである。しかも中国政府が経済成長のために改革・開放政策を推し進めたのも拙かった。自由経済のためには自由が必要である。徹底的な統制下にあるソ連や東ドイツなどと異なり革命の下地が十分にあったのである。それに加えて独立性の高い各軍管区という問題。中国政府が頭を抱えるのも当然というわけである。
「それだけじゃないでしょう?」
蛭田が指摘した。実は中国政府が気にしているのは軍と世論だけでは無い。実は柳法安ら外交官たちも重大な問題を抱えているのだ。
中国という国自体が外交世界では微妙な地位にある。中国は共産主義国であり同じ共産圏のソ連と同盟を結んでいる。しかしソ連と友好国というわけでもない。むしろ第二次大戦後に限れば対立していた期間の方が長い。1960年代の中ソ対立により両国関係は冷え込み、中国政府は欧米に接近したものの、1980年代終わりの天安門事件により欧米との友好関係は終わり再びソ連に接近する。しかし経済はその間に改革・開放を推し進めて資本主義化してしまった。資本主義陣営と共産主義陣営の間でどっちつかずの状態であると言える。国内の張徳平ら親ソ派と徐雲山らの親欧米派の対立もあり、中国の外交は微妙な状況なのである。
「ともかく、我々の側の譲歩が必要ということですね」
「えぇ。ですから次の二つの点を考慮してほしいのです。第一に平和維持軍の構成国は第三世界の軍隊で編成されること。パキスタンが含まれることが望ましいです」
パキスタンは同じインドを仮想敵―パキスタンにとっては完全な敵であるが―としているので軍事面では協力関係にある。そして対するインドの最大の軍事援助国がソ連というのが中国をとりまく複雑な外交状況を示しているだろう。
「欧米の軍隊は含まれないほうが良い。フランスや北欧諸国なら認められる点もありますが、アメリカの軍隊は絶対にダメです」
それも当然の事である第三世界への影響力が強い中国であるが、アメリカや欧州の軍隊を領内に引き入れるようなことを認めれば、そういった影響下の―大抵は反米的な―国々が中国に失望する事になり彼らの外交に大いに影響する事だろう。そしてなにより国民感情が受け入れない。
「第二に韓国側が厳戒態勢を解除すること。連合軍司令部が非常事態宣言というのも止してほしい」
「連合軍司令部の方はこちらで調整できますが、韓国政府の方がねぇ。向こうにも世論ってのがありますから」
そこへ給仕がやってきた。
北京
同じ頃の北京。中国時間は日本に一時間遅れているので、現地時刻は午前11時。
中国政界における親欧米国際協調派の中心人物として知られる徐雲山は自分のオフィスで国際電話を受けていた。
「お久しぶりです。そちらの今、何時頃ですか?朝の6時ですか。朝早くからすみませんね」
相手は徐の外交官時代に知り合った相手で、彼に近い政治思想の持ち主であり、その後から今まで親交が続いていた。
「それでご用件ですが。はぁ。政権を握るための得策ですか?」
徐はしばらく聞き入っていたが、次第に渋い顔になっていった。
「それなら考えましたが、危険すぎます。確かに張は決してばか者ではありませんが、しかしですね危険です」
徐は拒否し続けたが、相手はそれでも説得を続けたようだ。最後に徐が折れた。
「わかりました。検討してみます」
電話を切ると徐はすっかり黙り込んでしまった。
・【第5部その1】を加筆しました