その4 睨み合いへの突入
韓国上空
帝國空軍も陸軍と同様に朝鮮の事変に機敏に対応した。
早速、出撃したのはAWACS―早期警戒管制機―である<セントリー>である。これは機体背部に大型のレーダードームを装備して敵航空機の動向を探ると空中レーダーサイトとして機能すると同時に、その情報を基に味方航空機に指示を与え指揮する空中司令部としての役割も果たす帝國空軍の切り札的な存在で、アメリカ空軍のE-3C機を輸入したものである。帝國空軍ではV2Boの形式番号を与えられていて、これは2番目の専用電子戦機でボーイング社製ということを意味する。空軍はこれを12機導入して航空総軍直轄の独立第八〇一戦隊を編制している。
これに護衛のA15M<旋風>が4機加わる。この機体は九州一帯を担当する第四航空軍の第四七戦隊から派遣されたものである。第四七戦隊は大戦中に陸軍初の二式単座戦闘機<鍾馗>装備部隊として組織された独立飛行第四七中隊を原型に編制され極東戦線で制空作戦の中核を担った伝統ある部隊である。装備機の<旋風>はAから始まる形式番号から分かるように、元々は海軍向けの艦載機として開発されたもので、それを空軍も導入したのである。なぜ空軍が海軍の艦載機を使用しているかと言えば、独自の新型機開発の予算が第4次中東戦争時の石油危機による削減され、たまたま同時期に海軍と三菱が新型艦載戦闘機を開発していたので代替として採用したのである。優れた戦闘機であることに間違いは無いのであるが、アメリカのそれと比べて小柄な日本海軍空母の格納庫の中でも嵩張らないように小型化された機体は空母の制約などありはしない空軍にとっては不満であった。
元来、韓国の防空は大韓帝國空軍の管轄なのであるが、同空軍は独自にAWACSを保有していないので日本空軍がそれを補わなくてはならない。セントリー機のリンクシステムは韓国空軍の防空網に接続され、そのシステムに組み込まれた。
中国と韓国の両空軍は衝突の発生以来、相手国の領空に作戦機を接近させて挑発を繰り返す一瞬触発の状態を続けていた。だが、そんな状況を覆す事態が戦闘の起こっている慈江道の対岸で起きていた。
「複数の戦闘機が韓国領空に低空で向かっています。発進基地から推定して、おそらくフィッシュヘッドとフィンバックBによるストライクパッケージかと」
オペレーターの1人がそれを指揮官に報告した。
「挑発行動ですかね?」
「挑発が目的なら韓国の地上レーダーに捉えられるように飛行する筈だ。わざわざ低空を飛ぶということは、攻撃のためだ!至急、韓国軍に報告を」
リンクシステムを通じて日本のセントリー機が捉えたレーダー情報はリアルタイムに伝わっているので報告を待たずしてKF-16―アメリカ空軍が開発したF-16の韓国バージョン―をただちにスクランブル発進させた。敵は殲撃7戦闘機とその改良型である殲撃8II型と推定された。どちらも原型はソ連軍が開発したミグ21戦闘機で、それの中国生産型が殲撃7であり、エンジンを双発化したものが殲撃8である。それぞれが4機ずつ、日本軍と韓国の陣地を目指して低空で飛行していた。
スクランブル発進した2機のKF-16は日本のAWACSのデータにより誘導されて8機の戦闘機をすぐに捉えることができた。
「目標を捕捉。まもなく領空に侵入する」
<領空に侵入すると同時に撃墜せよ。警告は不要>
地上レーダーサイトの迎撃管制官の指示を受けて韓国空軍のパイロットたちは火器管制システムを作動させた。
中国空軍機は橋の架かる地点の南側から侵入を試みようとしている。そして遂に運命の一線を越えた。2機のKF-16はその8機の背後に食いついた。
「攻撃開始!フォックス2!フォックス2!」
レーダーは作動させずに、AIM-9サイドワインダー空対空ミサイルのシーカーに中国空軍機のジェットの排熱を捉えさせて、それぞれの機体が2発を発射した。完璧な奇襲で殲撃7のうち2機が空に散った。
KF-16のパイロットはレーダーを作動させた。
「フォックス3!」
2機のKF-16がさらに1発ずつ、AIM-120アムラームを発射した。これはサイドワインダーが敵のエンジンが発する熱を追うのに対して、レーダーの電波を敵に向けて発してその反射を追うミサイルである。アムラームはその最新のタイプで、従来のものが敵に命中するまで発射した母機がレーダーで誘導しなければならないのに対して至近距離ならミサイル自身のレーダーで敵を追尾することができる。だから、2機のKF-16はミサイルを発射してそれが命中するのを待たずに次のミサイルを発射できたし、その直後に敵の反撃から逃れるために急旋回することもできたのである。
結局、4発のアムラームミサイルがそれぞれ別の目標に対して発射された。後方から襲われた殲撃7と殲滅8II型は反撃することができず、ただ回避行動をするしかなかった。そしてミサイルの洗礼から逃れることができたのは1機の殲撃7と2機の殲撃8II型だけで彼らは自分達の領空に逃げていった。
「奴らはなにがしたかったんだ?」
韓国空軍のパイロットが僚機のパイロットに嘲笑も含んだ声で言った。
帝國空軍のAWACS機内の緊張は否応無く高まっていた。韓国空軍と中国空軍が空中戦を行い、それに伴って中国空軍の活動が一段と活発化しているのだ。だが、これが巧妙な罠であることに気づく者はその時までいなかった。
「大変です。敵編隊が!」
先ほどの8機は囮に過ぎなかったのだ。新たに侵入したのは8機の殲撃7であった。日本や韓国が空中戦や各地での挑発行動に目を奪われている間に国境に接近し、まんまと突破したのである。
韓国空軍がその編隊に気づいたときには手遅れだった。ただちに迎撃機を向かわせたが、殲撃7の編隊は日本軍と韓国軍が対岸の中国軍と睨み合いをしているところへ爆弾を投下したのである。
地上の防衛線は大混乱していた。特に被害は装甲化されていない韓国軍に集中していた。十字路に防衛線を前進させた彼らであったが、その防御を頑固にするために塹壕堀をしている最中であった。無論、直撃を受ければ塹壕に入っていようが装甲車に乗っていようが関係ないのであるが、たかが8機の戦術機が落した爆弾である。直撃など受ける確立はそれほど高くはない。問題は爆弾の爆発で発生する爆風と破片である。これは装甲車や塹壕の中に隠れていれば、かなり防ぐことができる。が、塹壕は無かったどころか韓国軍兵士の多くはスコップを片手に無防備な状況であった。この攻撃による十数名の兵士が死に、また数十名が負傷した。
殲撃7の編隊は任務をやり遂げると、国境を越えて再び自国領空にまんまと戻っていった。国境を越えた後はやられっ放しな状態であった中国軍であるが、最後の最後に日韓連合軍に打撃を与えて、なんとか面目は保ったわけだ。だが、橋頭堡は失われたのであるから中国の敗北であるという事実は動かない。ようやく装甲師団の先遣隊が到着したが、なにもすることがなかった。日本時間で午前11時のことであった。
首相官邸
時計が12時を過ぎた。宮川首相は地下の特別対策室で昼食を摂っている時に戦況報告を受け取った。食事は彼の目の前で調理されたもの―なにしろ食堂を特別対策室として使っているのだ―で、ホカホカで美味かった。
「なるほど。陸軍部隊はやってのけた訳だな」
宮川は報告を持ってきた吉野に向かって言った。
「えぇ。爆撃で韓国軍に多くの犠牲者が出ましたが、しかし作戦は成功です」
「よくやった。で国連の方はどうなっているんだね」
それに答えたのは蛭田であった。
「甘木国連大使が安保理の招集を提議しました。現地時間の朝には正式な会合が開かれるでしょう」
「現在の現地時間は?」
「午後の10時です。前日の」
なるほど、丸一晩は時間があるわけだ、と宮川は思った。その時間は有効利用しなければならない。そんな宮川の考えを察したのか、蛭田が付け加えた。
「甘木大使は優秀な外交官だと聞いています。今ごろ、徹夜を強いられることについて中国を呪っているでしょうね」
「国連の状況はどうだね?」
「まぁなんとかなると思いますよ」
「もし、我々の提案を中国が受け入れなかったら、多数決で押し通せるかね」
「非常任理事国のメンバーですが、ソ連、イタリア、アルバニア、ベトナム、オーストラリア、エジプト、リビア、セイシェル、メキシコ、アルゼンチンですね」
国際連合は第二次世界大戦の後に設立された国際機関で、戦前の国際連盟に代わるものであった。実質的には第二次世界大戦時の連合国が恒久組織化したものである。その中核となるのが、全加盟国が参加する総会と特定国が参加する安全保障理事会である。どちらも国際紛争に対して調停を行なうのであるが、安全保障理事会や加盟国に対してあくまで勧告を行なうことしかできないのに対し、安全保障理事会の決議は加盟国に対して拘束力を持っている。であるから、その理事国の権限は絶大なものであるのだ。安全保障理事会は日本、アメリカ、イギリス、フランスの4ヶ国の常任理事国と総会から選ばれた10ヶ国の非常任理事国から成り、うち9ヶ国の賛成によって決議を出すことができるのである。しかし常任理事国の4ヶ国は拒否権を持っていて、それらの国の1つでも反対をすれば決議は破棄される。ただでさえ権限の強い常任理事国の中で、さらにこのような特権を持つ常任理事国が国連の中でどのような地位にあるのか容易に想像できるだろう。それ故に加盟国の間では常に“国家間の不平等”が問題となり、“国連改革”の必要性が訴えられているのである。その筆頭がソ連、中国の枢軸二大国であることは言うまでもない。
しかしながら実質的には連合国という国際連合の中にどうして枢軸国が混じっているのだろうか。もちろん国際連合設立当初に国連に代表を送っていた中国とは国民党の中国であって共産党の中国ではなかった。またドイツとソ連にはどちらにも加盟する気が無かったに違いないし、国連側も受け入れる気はさらさら無かっただろう。だが1950年代から60年代にかけてアジア・アフリカ諸国の独立が相次ぎ、それらの国が国連に加盟すると国際連合の存在感は否応無く高まっていった。特にアジア・アフリカ諸国は自由主義陣営にも社会主義陣営にも組せず第三国という独自のグループを築いていたのことが、国際連合のあり方に大きな影響力を及ぼしたのである。
1962年に消滅した国民党政権から国連代表の地位を引き継いだ共産中国は第三国諸国とも友好関係を築く場合が多かったので、それらを通じて国際連合に工作を行なうようになった。そうなるとソ連や東ドイツも国連に興味を持つようになり、影響力を持とうと工作活動を始める。そして国連そのものへ参加しようという動きも現われる。ソ連は1980年代に革新派書記長が登場すると国連に加盟した。かくして枢軸陣営は国際連合に自らの席を獲得したのである。
「ソ連は中国側に立つでしょう。となると、ベトナム、リビア、セイシェルはソ連に従うでしょうなぁ」
そして日本自身を含めた常任理事国4ヶ国とオーストラリア、イタリアは日本案を支持するだろう。
「問題はアルバニアとアルゼンチン、エジプト、それにメキシコですね」
その4ヶ国のうち2ヶ国が反対をすれば、当事国である中国を除いた14ヶ国の採決において6対8で廃案になる。
「どう問題なんだ?」
「その4ヶ国がどう動くのか、どうも予想し難い。例えばアルバニアは共産圏ですが、ソ連とも中国とも距離をとっています」
アルバニアはユーゴスラビアと同様に第二次大戦時の反イタリア・ドイツのパルチザン運動を指導した者が戦後政権を担った国である。であるから、同じ共産主義国家といえども独伊の同盟国であるソ連との関係はもともと良好とは言いがたい。しかも長年アルバニアの実権を握っていた独裁者はそのような事情がありながらなぜか熱心なスターリン主義者で、スターリン批判以後のソ連や改革・開放路線の中国を非難して外交関係を断行した不思議な歴史がある。そんなわけで独裁者の死後もアルバニアと中ソの関係は疎遠であった。それではユーゴスラビアのようにソ連やドイツに対抗する為に西側との関係を強化するというわけでもなく、事実上の鎖国状態である。
「しかし、アルバニアはともかくとして、アルゼンチンもメキシコも西側の国家だぞ?エジプトだってイスラエルとの和解以降は西側寄りの国だし」
「総理。国連というのはそう単純なものではありませんよ。結局のところ、大国を本心から尊敬する中小国なんて存在しないんです」
本音と建前を使い分けるのは日本の専売特許というわけでもない。どこの国だって本音ではアメリカを筆頭とする西側列国の振る舞いに苛立ちを憶えているものである。日本は欧米よりもうまく立ち回っている方であるが、それでも大国は大国である。他の国々はそれを心の奥に隠して良き関係を築こうとするのだ。国益のために。
しかし国連という場では、特に国連総会は西にも東にも組しないと言いつつ反米的傾向が強い第三世界が数的優勢を握っていることもあって、不思議な化学反応を起こす。アメリカのグラナダ侵攻には全会一致で非難決議を出すくせに、ソ連のアフガニスタン侵攻にはソ連を名指しすることさえ避ける。そういうダブルスタンダートを西側寄りとされる国でも平気でやってみせるのが国連という場である。
「特にアルゼンチンなんて、フォークランドの時の怨みもありますしね」
アルゼンチンは西側の国である。しかし同時に戦前よりナチス・ドイツとの関係も深い国だ。例えばアルゼンチン空軍を育てたのは、東ドイツの英雄である第二次世界大戦時のスツーカパイロットであった。加えて日本とはフォークランド戦争以来、関係がギクシャクしている。
「日英同盟を優先して対アルゼンチン経済制裁に参加したのが、向こうはどうも気に入らないようですね」
1982年にフォークランド諸島―これはイギリス側の呼称で、アルゼンチン側はマルビナス諸島と呼ぶ―の帰属を巡ってイギリスとアルゼンチンの間に戦争が勃発した。イギリスの本気を感じ取った当時の日本は日英同盟を理由に、アメリカさえ和解に尽くしていた時期に早々とイギリス支援を表明してアルゼンチンに対して経済制裁を行なったのである。元々、アルゼンチンと日本は良好な関係を築いてきたのだからアルゼンチン人にとっては裏切りも当然であった。
「アルゼンチンの外交官は我々の事情を理解してくれましたが、そう簡単に納得できる話じゃないでしょうね」
「それで東ドイツの指示で中国側にまわるかもしれないと?」
「そういうことです」
決して楽観できる状況でないということか。
「しかし中国人だってバカではありませんよ。最終的には我々の提案にのる筈です」
(改訂 2012/3/21)
実在の人物の名前をカット