その4 ドッグファイト
エネルギー空戦理論って難しいですね。
空中戦と言うのは基本的に背後の取り合いとなる。戦闘機の搭載兵器というのは大抵、前方に向けられているので後方は死角になるからだ。敵機の背後をとれれば圧倒的に有利になれるのである。それ故に空中戦は背後の取り合いになり、その様子はまるで犬同士の喧嘩のように見える。だから戦闘機の近接格闘戦はドッグファイトと呼ばれるのである。
東郷と結城はレーダーを近接格闘戦用のモードに切り換えた。このモードではレーダーの捜索範囲が狭まる代わりに、探知した目標を自動的に追尾してレーダーロックすることができる。まさにドッグファイト用のモードであった。
相手は12機で、数では圧倒している。しかし東郷は自ら敵に戦いを挑むことを選択した。東郷達がまったく不利というわけではない。機体性能では旋風戦闘機は殲撃7を上回っているし、なにより高所に陣取っている。
空中戦に利用できるエネルギーの総量は決まっていて、通常は飛行高度によって得られる位置エネルギーと飛行速度によって得られる運動エネルギーの総和になっている。このエネルギーが大きければ大きいほど急旋回などの激しい空中機動が行うことが可能であるが、空中機動を行う度に空戦エネルギーを消耗してしまう。消耗がエンジンの余剰推力の範囲内であれば、エンジンの余力で補うことができる。戦闘機でエンジンパワーが優れている方が有利とされるのはその為である。そして余剰推力を超える消耗を続ければ徐々に速度と高度を失い、やがて失速して墜落に至ってしまう。
一度、失われた空戦エネルギーを取り戻すにはひたすら上昇をして高度を稼ぐか、ひたすら加速して速度を稼ぐしかないが、敵機から見ればただの的になってしまう。いかにして空戦エネルギーを保持し、相手より高い状態を維持するかが現在の空戦の肝なのである。
今回の場合、低い高度から上昇してくる殲撃7に対して高所に陣取る旋風は、エネルギー空中戦理論という視点で見ると遥に有利な立場にあるのだ。
東郷と結城は大きく旋回して殲撃7型の背後に回り込むように、加速しつつ急降下していった。降下することにより位置エネルギーを失うことになるが、その分を急降下による加速によって運動エネルギーに置き換え、旋風戦闘機はエネルギー総量を維持したまま敵の背後をとった。追う者と追われる者が瞬く間に逆転した。
「目標を捕捉!」
東郷機のレーダーが最初の目標を捉え、ロックしたことを電子音で報せてきた。相手の方も警戒装置で東郷がロックオンしたことを知って回避行動を試みたものの、上昇の途上でありエンジンの推力に余裕の無い殲撃7の更なる加速は望めず、機敏な空中機動も難しかった。
一方、2機の旋風戦闘機は相手の機動に十分に追随できたし、むしろ急降下により加速していたので相手より優速であり、追い越さないようにすることに苦労していた。
「カワセミ1、フォックス2!」
次の瞬間、右翼端のAAM-4<江戸彼岸>が発射レールから離れて、目標となった殲滅7へと向かって行った。AAM-4の弾頭に仕込まれた赤外線シーカーは殲撃7のジェットエンジンの発する熱を感知し、それを追っていった。東郷の目にはAAM-4が殲撃7の機体に吸い込まれるように見え、次の瞬間に敵機は吹き飛んだ。
「1機撃墜!」
東郷が1機を撃墜すると、今度は結城が前に出て次の目標を探す。すぐに1機の殲撃7に狙いを定めた。東郷も結城の後について援護をする。
結城が目標と定めた殲撃7も敵の追跡を受けてると気づいて、回避行動に移った。殲撃7は急旋回した後、エンジンをフルパワーで噴射して逃走を図る。しかし、その加速は高空から急降下してきた旋風に比べると鈍く、結城は楽々と追いつくことが出来た。
殲撃7は振り切ることを諦め、急旋回を繰り返して攻撃を避けようとする。結城の旋風も後を追う。旋回半径は原型のミグ21の機動性を受け継いだ殲撃7の方が小さく、それに比べると旋風の旋回はひどく大回りだった。これだけ見ると殲撃7の運動性に旋風がついていけず、殲撃7の方が優位に立っているように見える。
しかし、すぐに殲撃7に異常が起きた。殲撃7は急旋回を繰り返しながら降下していき、スピードも落ちていった。その動きはやがて飛ぶのに精一杯という風に見える危なっかしいものになった。
旋回の際には直線飛行の時より多くの抵抗とGが機体にかかり、急旋回をすればするほどエンジンのパワーがそれに奪われ、速度と高度の維持できなくなる。殲撃7はヨレヨレの飛行しかできなくなる程に追い詰められていた。
旋風の方は緩い旋回で抵抗やGによるエンジンパワーの消耗を余剰推力で補える範囲内に収め、空戦エネルギーの消失を最小限に押さえていた。
一方、他の殲撃7もこの状況を黙ってみているわけがない。2機の殲撃7が目標を追撃する結城機を背後から狙う。それを阻止するのが東郷機の役目だ。結城と負ってくる殲撃7の間に入り照準を邪魔する。しかし、そうなると今度は東郷機が殲撃7の射線上に入るのだから、危険この上ない。
「カワセミ2!とっとと敵を落とせ!これ以上は持ちこたえられないぞ」
『カワセミ1、了解!』
結城機は高度を落として低空を飛ぶ目標の殲撃7を上から見下ろす形で飛んでいた。
『攻撃を仕掛ける!』
結城機は殲撃7に急降下して襲い掛かった。
『カワセミ2、フォックス2!』
結城機の右翼端からAAM-4が発射され、至近距離を飛んでいた殲撃7に直撃した。AAM-4は殲撃7の左主翼を吹き飛ばし、翼を失った機体は地面に向けて真っ逆さまに落下していった。
『1機撃墜!』
だが東郷と結城には喜んでばかりはいられなかった。2機の殲撃7が背後から迫っているのだ。
「カワセミ2!ヨーヨーだ!3で行くぞ!1、2、3、今!」
東郷の号令で2機の旋風がほぼ同時に機首を上に向けた。突然の事に殲撃7は追随できず、上昇する旋風の下をくぐって前に出た。2機の旋風はすぐに機首を下に向けて降下し、殲撃7の背後をとった。ハイ・ヨーヨーと呼ばれる空戦機動の一種だ。
「カワセミ1、フォックス2!」
東郷は背後をとると同時に、追い越した殲撃7のうちの1機に狙いを定めて左翼端のAAM‐4を発射した。しかし、急旋回した殲撃7を捉えられず明後日の方向へと飛んでいった。
「ちっ、外したか!カワセミ2、行け!」
『了解!』
すぐに結城機が東郷機の前に出た。
『カワセミ2、フォックス2!』
結城はすぐに残るAAM-4を発射した。今度はしっかりと敵機をシーカーが捉えた。殲撃7は逃げ切れず、吹き飛んだ。
さらに別の声が無線に割り込んできた。
『カワセミ3!フォックス1!』
3番機と4番機が救援に駆けつけたのだ。3番機はもう1機の殲撃7を目標に定め、4番機の援護の下で上空から襲い掛かった。標的となった殲撃7のパイロットは新たな敵の存在に気づきもしないうちに撃墜された。
東郷機と結城機に翻弄された上に、日本空軍の援軍も加わって、中国の殲撃7編隊は完全にパニック状態に陥った。残る8機はバラバラに動き、統率を失っていた。
3番機の次は4番機が攻撃を行う番だ。バラバラに逃げる敵機の中で手近な1機を目標に定めた。4番機が標的の背後にまわりこみ、3番機がそれを援護する。
東郷と結城も近接戦で威力を発揮する赤外線追尾式ミサイルを使い果たしたこともあり、さらなる攻撃を続けるよりも4番機の援護にまわることにした。あたりを見回して4番機に襲い掛かろうとする敵機を2人は探した。しかし、そんな敵はいなかった。
4番機がAAM-4を発射し、敵を撃墜した。残る殲撃7は四方に散って戦場を離脱していた。
「よし。編隊に合流する!」
東郷機を先頭にしてストライクパッケージを援護する位置に戻る4機の旋風。東郷は上昇をしながら、今の戦闘のことを振り返っていた。12機の敵に対して4機で立ち向かい、損害0で敵機5機を撃墜した。まずまずの成果だと思った。
編隊と合流すると、AWACSから夜鷹隊が攻撃目標をすべて片付けたという旨の通信が入った。ストライクパッケージ・フジはこれから帰途につく。任務が無事成功したという事で、パイロット達も自然と気を緩めていた。
「気を抜くな。まだ敵地の上空に居るんだからな!」
東郷はそう部下に言っていたが、彼自身も表情が緩んでいた。
しかし、地上には彼らを狙うものがまだ残っていた。
今回は特に改訂は無しです。