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その10 竜王 アレクサちゃん

王国暦 23年 初秋

タラン・ウルスVS王国諸侯連合軍


杭を立て、壕を掘り、馬防柵を張り巡らせ、タランが相対した野戦陣地としては空前の規模を誇るそれは、土木技術の発達した南方はイルリアス諸侯の技術に拠って二カ月足らずの短期で築かれた防衛線であった。

短期間での建設を可能とする野戦築城技術とは言え、生半な力では要塞めいた防壁は構築できぬ。

王家の惜しげなく投じた莫大な財が、タランの脅威がどれ程のものかをまざまざと物語っていたが、しかし、惜しげもなく矢の雨を降らせる陣地を前に力攻めしては、流石の騎馬民族も少なくない犠牲を払わさせることとなるであろう。


元より、機動性の高さが騎馬民族の特質。

北部が落とせぬであれば、迂回して東部より侵入すればよい。

が、東部は山がちの峻険な地勢であった。数多の森と沼、そして無数の丘陵沿って流れの激しい河川が行く手を遮っている。

さらに土着の土豪たちは、馬の諸侯であった。良く馬を駆り、弓を使い、馬は小柄で耐久力が有り、傾斜面を駆け抜ける。地理を知り抜いた東部諸侯は、神出鬼没に現れては、タラン軍の後背を襲うであろう。


いかな犠牲を払っても、北部を抜けるしかない。が、同時に、王国もまた総力を結集していた。

東方の帝国に譲歩して国境を削り、南方の都市国家群に頭を垂れて軍資金を調達し、西方からは金をばらまいて諸侯と傭兵を掻き集めている。

此処で王国を打ち破れば、もはた遮る者とてない。

西方の華、永遠の都と謡われしバイロンの都は、タラン・ウルスが手に堕ちるであろう。


車輪のついた巨大な晒し代が、タラン・ウルスの軍勢の前に進み出た。

大木を斜め交差させた十字の晒し代には、騎馬民族に捕えられし王国の勇士、貴顕の数々が張り付けにされていた。

彼らは血塗れであり、手足は厳重に荒縄で縛られており、もはや呻く力もないようであった。

幾人かの若い女性の騎士や貴族たちは、暴行の後も生々しい裸身を晒している。


タラン・ウルスの軍勢に対峙する王国軍の堅陣より、怒りと嘆きの声が上がった。

「おお、アレクサが!」

「なんという……やはり捕らわれていたか!」

幾人かは絶望したやも知れぬ。

先だっての乾坤一擲の野戦。一敗地に塗れた王国軍の主力を逃がす為、殿を勤め上げた王国最強の女騎士が、味方の無事と引き換えに、見るも無残な姿で張り付けにされていた。


手足は鉄釘によって縫い留められている。いかな豪傑と言えども、この拘束を破れようはずもない。

アレクサの前にタランの武将が進み出ると、王国軍に対して大音声を張り上げた。

「見たか!蛮族どもよ!お前たちの最も強い戦士も、我らタランの戦士にははるか及ばぬ!

 貴様らもこうなりたくなくば、無駄な抵抗を止め、偉大なる大ハーンの統治に帰依せよ!

 大ハーンは寛大である!来たるべき西方征服においては、貴様らを厚く遇するであろう!」


リール子爵ギョームが怒りの声を上げた。

「おのれ!蛮族共めが!生かして帰さんぞ!」

互いに蛮族呼ばわりであった。


「……アレクサが。おのれぇ」

友の無残な姿に歯噛みをしたのは、南方よりの援軍であったイザベル・ランカスター方伯令嬢。もう一人の北方諸侯イレーネ・アトラス辺境伯令嬢は、鼻を一つ鳴らしただけで騎馬民族の陣構えをじっと観察している。


アレクサをじっと見つめていたトゥーレ伯マルセルが、ふと眉を動かした。

数瞬、迷ってから怒り狂っている老将に話しかける。

「ギョーム殿。弁舌で彼奴等の注意を引きつけてくれませんか?」


数騎ほどが王国の陣営より進み出てきた。

タラン軍の弓の射程より、遥かに外れた位置に停止すると、進み出た老人が声を張り上げた。

「貴様らに何の害を与えた訳でもない我らが地に攻め込み、家を焼き、畑を荒らし、神殿を焼き、女子供を連れ去った。

いったい、何方が蛮族であり、どこが寛大なのか!」


大音声であった。声がタラン軍の前線にまで余すところなく届いている。


「貴様らは野蛮な獣であり、邪悪な侵略者に過ぎない。

獣に我らが屈することはけしてない。

神々の名において、我らは最後の一兵まで貴様ら邪悪と戦うであろう!」


タラン軍からも、妙な装束に鹿の角を頭につけた男が進み出てきた。

騎馬民族の聖職者なのだろうか。

陣営真正面に張り付けられたアレクサの前で立ち止まり、口を開いた。

「偽りの神を信じる異教徒どもよ。悔い改めよ!

 天に神はただひとつテングリなり!

 テングリを信じぬ者は、死後に魂を引き裂かれ、消滅するであろう!」


アレクサが蠢いていた。

歯を食い縛って右腕を幾度も動かし、そのたびに鉄釘が揺れている。

激痛に猿轡を噛まされた口の端から、血の泡が噴き出ていた。

だが、止めぬ。徐々に腕の動きが大きくなる。


タランの戦士たちも気づかぬ。

その多くは敵陣を睨みつけ、残りも神官と老将の舌戦に気を取られていた。


アレクサの腕が膨らんだ。筋肉がのたうつ蛇の如く蠕動し、太い血管が蠢き浮き上がる。

筋繊維がぷちぷちと弾ける音を立て、腕を縫い付けた鉄釘が杭から抜けた。

右腕を貫いた釘をぶら下げたまま、アレクサが右手を伸ばし、左の鉄釘を一気に引き抜いた。

近場にいたタラン騎士が振り返り、目を瞬いてから、何ごとかを叫んだ。


屈伸して腕の力だけで足の縄を引き千切ったアレクサが、其の儘、飛翔した。

舌戦を繰り返していた大神官が言葉を止め、風切り音に振り替えるも間に合わぬ。

凄まじい蹴りが鹿の角ごとその下の頭骨を粉砕。顔が肩の下にめり込む凄まじい蹴りであった。


聖職者を蹴り殺したアレクサが馬に乗った。

駆けろ、とも言わぬ。その瞬間、心が通じ合ったかのように馬が駆けだした。


タランの将校が絶叫すると共に、アレクサの背に一斉に夥しい矢が発射される。

しかし、素晴らしい馬であった。

大ハーンより賜りし、汗血馬が風を切るように駆ける。

背を伏せるアレクサに矢は当たらない。

なまじ優れた射手故に、目測を誤ったか。全てその後背の地面に突き刺さった。


王国軍の陣営に歓声が響き渡った。

同時に、まるでアレクサの脱出の瞬間を事前に知りえていたかのように、王国軍の陣営から騎兵の一団が出撃していた。

気勢を制するかのように、騎馬民族と戦ううちに身に付けた騎射を行いながら、アレクサを守るように突出して挟み込み、敵勢を遮断する。その先頭に翻る旗は、トゥーレ伯マルセルのものであった。





王国26年 初秋

反乱者アレクサ・バルクホルンvs討伐軍トゥーレ伯マルセルの戦い


四つに断ち割られたトゥーレ軍は、もはや組織的な抵抗力を喪失しつつあった。

騎兵隊は縦横無尽に駆け回っては、逃げ惑う騎士や兵士たちを追い散らしている。

総大将の身を守るように漆黒の騎兵たちがアレクサの四方を固めつつ、周囲を睥睨していた。


この時、突破された第2陣から第6陣もまた、アレクサ勢が各々100騎によって追い打ちに追い打ちを重ねられ、散々に叩かれていた。

第1陣の2000に至っては、主将を頭に半数以上が戦死しており、兵を纏めて本陣に駈けつけることなど到底かなわぬ。


踏み止まって抵抗を続けていたトゥーレ伯の騎士たちが、なぎ倒されて、地に伏していく。

中心を制された上に四つに断ち割られたのだ。

僅かに抵抗を続けている小部隊も、統制が崩れるのは時間の問題であろう。

近くでは、

それを見つめていたトゥーレ伯も、またアレクサへと視線を戻す。


3年前の時点で、敵に追撃を受けながら百余の騎兵を斬り倒すほどの使い手であった。

それも味方のいない状態。ただ一人、単騎での殿を務め上げ、味方の逃げる時間を稼ぎ抜いた。

加えて相手は大陸の半ばを征したタラン・ウルスの騎兵である。


人中の龍、王国に並ぶ者なき勇将、黒き死、百騎殺し。

全て、アレクサ・バルクホルンが16歳の時、タラン戦役での活躍を称えて謡われた二つ名であった。


だが、16歳であった時のアレクサは、その武勇は人間離れしつつとも辛うじて人の領域であった。

その頃は、汗血馬も、方天画戟も持たず、星の剣もいまだ黒き森の地の大王が帯剣であった。

大軍と当たるのは避け、戦えば当然に疲労し、強敵と戦えば傷も負い、血も流した。

例え及ばぬとしても、リール子爵ギョーム程の豪勇であれば、或いは一矢報いることが出来たやも知れぬ。


今のアレクサ・バルクホルンは19歳。わずか500騎で60000を打ち破り、8000の首を上げている。

汗血馬に乗れば一薙ぎに10人の兵を両断し、僅か30騎を率いては王国騎士800騎を撫で斬りにし、列国にその名を知られし帝国のアンガルム候を蟻のように踏み潰している。


方天画戟を片手にアレクサが馬から降りた。マルセルに向き直って構えを取った。

立ち昇る気焔の大きさからして、果たして人なのか疑わしい。

万の軍をも圧する気であり、マルセルの背筋を総毛立たせている。

視界の端では、アレクサの黒騎兵と切り結びながら、マリーが叫んでいた。


「マルセル、貴様には一度ならず救われた。

貴様がいなければ、私はここにはいなかったかもしれぬ」

揺るがぬ構えをとりながら、アレクサが口を開いた。


「そう思うのなら、矛を引け。アレクサ。

 陛下には、きっと私がとりなしてやろう」

マルセルの言は真情が込められていたが、アレクサはかぶりを振った。

「無駄だ。もはやどうにもなるまい。

 それに私も、もう止まる気はない」


言ったアレクサが、どこか悪戯っぽい笑みを口元に浮かべた。

「それよりも、どうだ?

 王国など見捨て、手を組まぬか?中原の半分をやってもよいぞ」

  


「それは、それは……魅力的な申し出だな」

マルセルが考え込むように沈黙する。アレクサが頷いた。

「私とおまえが力を合わせれば、この地に不滅の大帝国をも築き上げることができよう」

いつしか、周囲の騎士たちが固唾を飲んで見守る中、マルセルも微笑みを浮かべた。

「だがね、アレクサ。戦乱の夢を見るには聊か年を取りすぎた。

 私は、ね。血に濡れた王冠を被るよりも、穏やかな午睡に微睡んでいたいのさ」


「そう応える気はしていた」

寂しげに呟いたアレクサだが、次の瞬間には瞳に氷原の輝きが戻っていた。

「ならば、これも定めと言うもの。苦しまぬよう一太刀で葬ってやろう」


「侮り過ぎだ!」

叫んだマルセルが剣を引き抜いた。


アレクサが獲物は14尺(4メートル)の方天画戟。此れを手足の延長のように使いこなす。

だが、人を殺すに両断する必要はない。3寸斬り込めば人は死ぬ。

間合いギリギリにいたマルセルが先に動いた。

長物の弱点は、その長さ。懐に飛び込めば、威力は封じられる。


と、ほんの微かに空気が動く気配がした。

瞬間、凄まじい悪寒を覚えたマルセルの鍛え抜かれた脚部が、意思を無視して全力で飛び退った。

ほぼ同時に、見慣れぬ矛槍の先端が肉体を突き破る軌道で突きだされていた。


マルセルの胸部を凄まじい衝撃が貫いた。

来るのが分かっている。それと分かってなお躱せぬ、迅雷の如き槍の一閃であった。

鎧兜を着込んだマルセルの肉体が、血飛沫をまき散らしながら塵芥のように宙を舞った。

砂煙が舞いおこり、触れてはいないはずの周囲の兵が巻き起こった剣風にたたらを踏んだ。


鎧袖一触。主君の体が弾き飛ばされ、無惨に地面へとたたきつけられる光景にマリアンヌが絶叫した。

全身よりぶわりと汗が噴き出していた。




「北ガリシア諸侯軍は、アレクサ・バルクホルンが奇襲を受けて潰走!

兵の半数を失い、トゥーレ伯マルセル殿も消息不明とのことです!」

3日後か、4日後には、会戦が始まるであろう。そう予想されていた北ガリシア諸侯軍の惨敗の報が王城にもたらされた時、国王は静かにため息をついたと言われている。


「えひぃ!とっ、突然の襲われて、なにがなんだか、

 ヴェーシルさんが連れて逃げてくれたんです。きゃ」


「アレクサ軍は、20里(80キロ)南方にいる。その報告がなければ、ああも容易く打ち破られは」

アレクサ軍を追跡していた友軍の責任をあげつらう軍監のヴェーシル卿


「奴らは、真っ当に戦わず、卑怯にも遠来から矢を射かけてくるに終始しておりました。

尋常な戦いであれば、必ずや」

老騎士は、唾を飛ばして戦術について語った。


「信じられぬほどの速度と突破力でした。

事前の偵察によって、我らは叛乱軍が4日の距離にいると信じ切っていたのです。

忽ちのうちに七段構えの備えを打ち破られ、本陣壊滅の報とともに

さんを乱して前衛より逃げ出してきた兵に飲み込まれて、

後方にいた我らは、何もできずに敗北したのです」

生き残った北ガリシア諸侯軍の騎士は、そう悔しげに拳を震わせていた。


敗報を耳にした国王は、自室に籠った。

目を閉じている。脳裏に戦を描いているのだろうか。

だが、勝てる方法が見当たらない。

帝国方面での戦についても、ようやく情報が集まってきた。

主な会戦だけで28戦して28勝

そのうち7度は二倍以上の敵を打ち破っている。

小さな戦いを含めれば、数え切れぬほどの戦闘で一度も敗れていない。


「軍神の娘よな。一対一でアレクサに勝てる者は、王国にさえおるまい

惜しむらくは……」

アレクサが大将軍、マルセルが宰相として、王家を輔弼する。

それが国王の夢見た未来であって、今、片翼に続いて、もう一つの翼までもがおそらく永遠に千切られたのだ。

失われた未来を惜しむように目を閉じた国王が、しかし、再び強い意志をもって目を見開いた。


「だが、打てる手は打たねばなるまい」

国王は、テーブルの上に置かれた地図の上から、北におかれたチェスの白駒を一つ横倒した。

しかし、地図の上の中原では、まだ七つの白い駒が黒い駒ひとつを四方から取り囲んでいた。


「……アレクサよ。王国は広い。

 王家に忠誠を誓うものはなお多く、世に名将はお主だけではないぞ」

国王の呟きが、昏い部屋の片隅に吸い込まれるように消えていった。


窓の外では、暗雲が立ち込め、稲光が走っている。

王国に嵐が訪れようとしていた。




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