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その6 アレクサちゃん おうちに帰る

作戦会議に使われる大天幕に参集した諸将を見回してから、アレクサが口を開いた。

「撤退する」

総大将の言に大半の東部諸侯は苦虫を噛み潰しながらも肯き、しかし、幾人かの将軍たちは猛り狂って総大将に翻意を求めた。

「なんと!王都は目前で御座いますぞ!」

「正気とは思えぬ!いかな存念があっての事か!」


アレクサは冷たい目をして再び諸将を見回すと、右手を王都の方角へと指し伸ばした。

「七姉妹は、抜けぬ。そして冬が迫りつつある。厳しい冬がな。我らは先細りになるであろう」


強硬に反対を表明したのは、やはり隻眼のドレーであった。

「王家は、かつてなく弱っている!

立て続けに大軍を撃破したのだ!兵卒も末端まで動揺していよう!

もはや、連中に戦う力はない!

だが、機を逃せば力を回復する!今しかないのだ!」

部将のバウアーが苦い口調ながらも、僚友を嗜めた。

「戦線を広げ過ぎた。兵が餓える。アラミスまで撤退しなければ、我らは持たぬ」

「略奪すればよい!我らが陣取っているは中原の穀倉地帯ぞ!」

 吼えるドレーに、銀髪のザカーが忌々しげに吐き捨てた。

「それが出来れば、苦労はせぬ。近隣の農民共、悉く各地の城市へと籠っておるわ」


「すでに秋である。もはや、青田刈りも叶わぬ。時機を逸したのだ」

帝国に時間を喰い過ぎたわ。内心、忌々しく思いながらも、アレクサが静かに告げた。

ドレーが歯噛みをして机に巨大な拳を叩きつけると、破砕音を立てて砕け散った。


元より、強固に守られた城市を攻略するには、多大な犠牲と時間を必要とする。

いかに東国勢が精強を誇ろうとも、広大無辺な国土を誇る王国の悉くを平らげる訳にはいかぬ。


アレクサ軍とて、東国から中原に至るまでのすべての都邑を占領した訳ではなかった。

東部諸侯が落とした主たる城市は十一にも昇ったが、此れでも東国との連絡を維持し、補給線を守るのに必要な重要拠点だけを落としたに過ぎぬ。いまだ健在な中小の諸侯や豪族、自治都市は、星の数ほども存在している。

王家と近しい主たる大諸侯に関してのは、その戦力の過半を殲滅したものの、中小の諸侯の封土に関しては放置せざるを得なかったのだ。


通り道にあった中原の貴族どもも交渉にて領土を安堵し、一応は城下の盟を誓わせていたが、しかし、面従腹背の姿勢であること火を見るよりも明らかであった。

放置されたる小諸侯は、東部諸侯を相手に打って出るだけの力は持たぬものの、己が領土を守るだけの兵力は充分に擁していた。加えて、撤退戦ともなれば日和見の豪族や騎士、武装農民や山賊の類までが勢いづいて襲ってくるは明白であった。


「故に、戦う力があるうちに退く。これは命令である」

有無を言わさぬアレクサの口調であった。

隻眼のドレーとて、見かけほどの愚か者ではなかった。

だが、王都を落とす千載一遇の好機である。

中原を我がものとし、延いては天下を握り、広大無辺な王国全土を制する。

此れに昂ぶらぬは、武人ではない。

だが、有能な武人であるが故に、己が力の限界も悟っている。


ドレーが東部軍の総大将であれば、破滅と隣り合わせの賭けだとしても、きっと進軍の号令を下したであろう。だが、全軍の総帥はアレクサであり、退くことを選んだのだ。

中原を突き進むこと、すでに100里(400キロ)にも達している。

兵站が限界に達っしつつあること、誰の目にも明白であった。



およそ武門に生まれたるつわもので、天下を夢見ぬ者がいるであろうか。

王都に上洛し、中原を征し、もって天下に号令するは、武者どもの見果てぬ夢であった。

王家もまた、古代王朝の末裔より都を奪い取り、中原を征した。

のであらば、我らがそれに倣って、なにを憚ることが在ろうや。

王国の諸侯にとって中原制覇は前王朝崩壊以来400年の夢であった。

若き日の大ゲッツも、また、東国勢が都を行進する戦の夢を見ていたものだ。

だが、夢は醒めるものであった。


「アラミスまで退く!厳しい撤退となろう!心せよ!」

抗うものは斬る。総大将の裂帛の気合いと武威を前に、敢えて抗おうとする者は皆無であった。


だが、無念であった。部将の幾人かが血を絞り出すような声で呻いた。

冷静なザカーにしてからが、握った拳を激しく震わせていた。老ゲッツだけが、無言で目を閉じていた。



王都の高き城壁の彼方から、秋の空に巨大な砂塵の煙が立ち上っていた。

夥しい馬蹄が大地を揺らし、都の人々は世界の終りかと恐れ戦き、しかし、東国勢は姿を消していた。


「……此処で退くか。退けるものなのか」

一夜にしてがら空きとなった東部諸侯軍が陣営を歩き回りながら、王国近衛騎士団の隊長が一人、アポロニア・ヴェラツィーニは憮然として呟いていた。


「勝ったぞ!王国ばんざぁい!」

「東部人どもめ!敵わぬと見て逃げ去ったぞ!」

王宮から斥候に派遣されたアポロニアの周囲で、東国勢と対峙していた現地軍団の将兵が歓声を上げて駆けまわっていた。

誰も彼も遺棄された物資を戦利品と見做し、早々と我が物にしようと群がっている。

中には、見つけた貴重品を巡って、味方と奪い合っている将兵までいた。

将の統率が、碌に効いておらぬ証拠であろう。


とは言え、流石にアポロニアをからかおうとする雑兵はおらぬ。

付き従う女兵士2人が、威圧的な長槍を携えていた。

堂に入った歩き方に、性質の悪そうな傭兵の類でさえ遠巻きに距離を取っている。



なにを喜んでいるのか。東国勢の本隊は、今だ無傷であると言うのに。

アレクサ軍は、一夜にして姿を消していた。東部勢の伝令が四方八方に飛ばされたのは、本隊撤退後、半日が経ってからであった。

徴発の為、各地に派遣された部隊や幾つかの守備隊は、未だ本隊の撤退を知らぬであろう。

伝令が多数動けば、王国軍になにかしらの動きを悟られる。

故に斬り捨てた。本隊の撤退を優先し、末端を置き去りにして駆けに駆けて逃げ去った。

恐るべき冷徹さと統制力であった。


倍の軍勢を相手に連戦して連勝し、要害を悉く踏破し、兵の尽きたる王都を目前に、敢えて兵を退いてみせられるか。そして諸将を納得させ得られるだろうか。

「自分に出来るか?」

自問自答したアポロニアは、出来ぬ、と即座に結論し、戦慄を抑えきれずに肩を震わせた。


気が早いのか。会戦に勝利した訳でもないのに「勝った!勝った」と叫んで跳ねまわっている若い兵士たちがいた。兵士たちの脳内では戦争が終わったらしい。能天気な気質なのか、それとも現状の認識が歪むほど、東国勢が今日こんにちまで与えてきた圧迫と恐怖が強かったのか。


「……どうかしている。アレクサが退いた以上、間違いなく戦争は長期化するのに」

それがアポロニアの読みであった。戦乱が短期に収束する見込みはほぼ完全に途絶えた。

若輩のアポロニアに分かるその理屈が、どうやら将校たちでさえ分かっていないようだ。

いい歳をした中年男が、とうの経った年増の尼僧と涙を流してアレクサの撤退を喜び合っていた。


「……あれでも、将校か」アポロニアは、思わず吐き捨てた。

声に込められた苦々しさに、後ろについている2人の女騎士が思わず顔を見合わせた。


いずれにしても、戦が終わったなどと思い込むのは、途方もない勘違いであった。

アレクサ・バルクホルンが退いたのは、負けを認めたからではない。むしろ、その逆だ。


消耗戦となる攻城を嫌って撤退したは、迅速を旨とする騎兵軍団を持って王家に短期決戦を強いる戦略を切り捨て、腰を据えて長期戦に備え始めたに他ならぬ。

既に、中原の盾となるべき、アラミスの関は陥落しているのだ。

これよりは、神出鬼没の騎馬軍団を持って容赦なく各地を荒らし回り、もって王国の消耗を図ること明白であった。

中原の全土で戦乱の嵐が吹き荒れることとなる。

戦が終わるどころか、始まりに過ぎぬ。地獄が生まれるであろう。


王立学園では、アポロニアは剣術倶楽部の部長を務めている。

戦史研究会の部長であるアレクサ・バルクホルンとは、知らぬ仲ではない。

互いに主宰する会に顔を出しては、意見を交換したものだ。

故にその思考の一端は、我が事のように理解できた。


アポロニアは、未だ実戦を知らぬ。戦術に造詣が深く、学園に入学したる12の歳の時には、既に初陣を済ませていたアレクサは、ある意味、アポロニアにとって得難い師であり、また友でもあった。

少なくともアポロニアは、そう思っている。


卒業パーティーでの顛末を、アポロニアは全てが終わった後日に耳にした。

その前日、副部長のヴァイオレットと稽古で立会い、竹刀の一撃に昏倒して意識を失っていたのだ。

自身がその場にいれば、なんとしても止めた。

愚かな王子を叩き斬ってでも、場を収めたものを。

アポロニアは歯噛みしたものの、全ては手遅れであった。


王族の弑逆は死罪であった。

だが、逆に言えば、それで友であるアレクサと王国を救えたのだ。

己一人が乱心者として首を落とされれば、済むことである。

或いは、近衛騎士団長である父も腹を切ることになろう。

しかし、それで東部諸侯と王家の対立が避けられるのであれば、安い買い物ではないか。

そんなふうにアポロニアは思う。


だが、戦乱の火種は既に撒かれている。もはや、大火は免れぬであろう。


自身の剣が、実際の戦場においてどの程度に通じるかは、まるで未知であった。

アポロニアの剣の腕は、副部長のヴァイオレットにはいまだ及ばぬ。

ヴァイオレットは、弓も、槍もよく使う。馬もよく乗りこなした。

打ち込みにて大木を立ち枯れさせ、太刀を持って石灯籠を切断するヴァイオレットでさえ、しかし、戦場に出るのは気が進まぬと、アポロニアが誘った近衛騎士への仕官をすげなく断った。


アポロニアが今引き連れている2人の女剣士、ユリスカとイオーも近衛騎士ではない。

学園の剣術倶楽部の部員であるが、アポロニアの個人的な郎党として戦場にまで付き従ってくれた。

ユリスカは市民階級の娘であり、イオーは近郊の郷士の身内であった。

イオーの剛剣は豚の頭蓋を真っ二つに断ち割り、ユリスカは飛んでいる蝿を切り裂いた。

剣術倶楽部では腕の立つ方だが、アポロニア同様に実戦の経験は持たぬ。

精々が、墓を荒らして新鮮な死体を据物斬りし、人を襲う野獣の類を斬った経験しかない。


100人中3人は死ぬか、廃人となる剣術倶楽部の調練であった。

時に死者が出る程の調練を、しかし、生温いとヴァイオレットは断じた。

まるで、足りませぬ。そう語る。

生死の境に踏み込むは、東国の武者にては尋常の仕業なり。

死を日常とすることから、武の道は始まりもうす。


王都生まれの侯爵令嬢ヴァイオレットが、何故、東国武者の修練に詳しいのかは分からぬ。

されど、その言葉には尋常ならざる説得力が感じられた。

そのヴァイオレットにしてからが、戦場は恐いと憚らずに語り、アレクサも同意を示していた。


戦場では、綺麗も汚いもない。あらゆる事態を想定なされ。

四方八方より、矢も鉄砲も飛んでくる。毒も目潰しも当たり前である。

相手が手強いと見れば、大勢で囲み、槍で突き、石で投げ殺しもする。

道場の剣術とは違うのだ。奇襲上等。不意打ち、死んだ振り、何でもありで御座る。

生きる為にあらゆる手を使い、勝てなければ逃げなされ。

剣の達者が、思わぬ不覚を取って雑兵に討ち取られることも珍しくはありませぬ。


その戦場に今踏み込もうとしている。

高揚感と恐怖が同時に込み上げて来てアポロニアの身体を激しく震わせた。武者震いであろうか。



王国が将モラン男爵は、敵軍の寝床の後にしゃがみ込み、残された炭の熱を確かめた。

「……払暁と共に引き上げたようだな」

抜け殻となった陣地を一通り見て廻ったのであろう。

腹心の女騎士レダが、将軍の元へとやって来て報告した。

「糧食や矢玉は残されておりません」


「将軍用の天幕までも引き払っている。どう思う?」

モラン将軍の問いかけに、レダは首を傾げた。

「相当量の荷を運んでいるとなれば、東国勢の足も鈍りましょう。

 しかし、殿を残さず、またろくに偽装もしていないのが奇妙です」

「……我らを誘い出す為の罠やも知れませんな」

とやはり副将のカスパールが低く呟いた。

王都ではそれと知られた豪傑であり、大槍を小枝のように振り回す恐るべき膂力の主であった。


「ふむ。罠だとしても、総勢で偽装撤退とはいささか手が掛かり過ぎている。

兵に威を撤退させなければ、追撃を掛けられた際、本物の敗走になりかねぬ。

仕掛ける方にとっても、危険な罠だが……」

高き蒼天を仰いだモラン将軍が、瞳を細めた。

「アレクサ・バルクホルンならやるやもしれんな」


太陽は地平の稜線にあって、黄昏の煌めきを発していた。

王国のモラン将軍は、罠と承知した上で誘いに乗ると決めていた。

「兵を招集せい!七姉妹にも増援を要請せよ。此れより、追撃に移る!」

略奪した荷を運ぶ東国勢の足は遅い!まだ遠くにはいっておらん!」


天幕にて矢継ぎ早に指示を出すモラン将軍の元に、アポロニアが馳せ参じた。

「モラン将軍!追撃と聞きましたが……!」

息を切らしながら、話しかけてきた。

「危険です。バルクホルンが備えをしていないとは思えませぬ!」

「戦が危険なのは当然の事であろう。

 恐いのならば、子爵令嬢は、下がっておられるがよかろう」

モラン将軍は、歴戦の勇将であった。元が平民上がりの叩き上げであり、アポロニアを親の七光りを持って近衛騎士となったお飾りと見做している。故に相手にせぬ。視線も合わせず適当にあしらった。


「恐れてはおりませぬ。ですが、見え見えの罠に飛び込むのは気が進みませぬ。

 アレクサの事です。必ずや、罠を仕掛けています」

「承知の上。だが、もう決めたことだ」

モラン将軍は高座にあって、言い募ってくるアポロニアに冷たく言い放った。


「伝令!七姉妹は、兵は動かさぬと!」

飛び込んできた伝令の言に、将軍は太い眉を聳やかした。

「なんだと!抗命罪だぞ!もう一度、伝令を出せ。」

「砦の司令が、兵団を動かしたければ、王都の命令書を持って来いと!」

「……どいつもこいつも。已むを得んな。我が軍のみで追撃する!」

兵卒の備えに舌打ちしつつ、大股に歩きだしたモラン将軍にアポロニアが声を掛けた。


「将軍、将軍。アレクサ・バルクホルンは王国で最強の将です。

それを我らだけで追撃するのはあまりにも無謀。せめて増援をお待ちください」

「今聞いたであろう。増援は来ぬ。だが、撤退する兵は崩れ易きもの。

 今がアレクサ・バルクホルンを討ち取る絶好の好機」

虎穴に入らざれば虎子を得ず。危険は承知の上で追撃に踏み切ったモラン将軍が振り返った。

鋭い視線でアポロニアを射抜いてくる。

「臆されたか?それとも、アレクサと戦えぬ別の事情でもあるのか。

 そう言えば、ヴェラツィーニ嬢は、アレクサめと多少の交流が在ったとも聞き及んでおる。

 まさか、近衛騎士団長の娘とも在ろう者が籠絡されたのではあるまいな?」

アポロニアの頬に鮮やかな朱色が差した。

「此れはしたり!私が情誼なりで責務を蔑ろにしたと疑われるか!

 下衆の勘繰りと言うもの!

 其処まで言うなら、止めはせぬ。好きになされるが宜しい!」


もはや返答の必要も認めず、モラン将軍は鼻で笑うと踵を返した。

その背に向けて、アポロニアは一瞬だけ躊躇してから忠告を送った。

「将軍。アレクサは、伏兵を上手く使いますぞ」

「伏兵については、留意しておこう。出撃だ!」

肯いたモラン将軍が、腹の底から出した大声で号令を発っした。


「アレクサ殿が伏兵ですか?」ユリスカが笑った。

「……兵棋での話と言っても聞かぬだろう?

 何時も効果的に使いこなしていた。

 分かっていても防げないタイミングで襲ってくるのだ」

アポロニアは憮然として肩を竦めた。


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