それは、心に刻まれた物語
兵士のナイフは、人魚姫の胸の前で止まっていた。
どこまでも人魚姫を愛している兵士は、ついに人魚姫を殺すことができなかった。
兵士は、人魚姫に自らが愛していることを伝えると、ナイフを逆手に持ち替え、自分の胸に引き寄せた。
したたり落ちる赤い血。
しかし、兵士の胸にはナイフは刺さっていない。
ナイフを止めたのは人魚姫の透き通るような手。
その手が切れ、血が流れるのもいとわず人魚姫はナイフを握りこむ。
人魚姫は兵士に語りかける。
あなたがあの魔女であったのかと。
兵士は、一瞬何を言われたのか分からなかった。
人魚姫はなおも続ける。
いつからか夢に現れる顔、それは薬を貰った魔女と同じ顔でありながら苦しみや悲しみを持った別人の顔。
会ったことはない筈なのになぜか何度も見たような顔。
その顔が現れる前までは暗闇だった夢がその顔が現れてからは徐々に夢が明るくなっていき、そして光溢れる夢へと変わっていた。それは、何かから私が救われた証なのではないか。
今のあなたはその時の魔女の顔に良く似ていると。
兵士は動けず只聞くのみ。
人魚姫は兵士のナイフを床に置きつつ話す。
辛く苦しい何かから私を救ってくれてありがとうと。
兵士の頬を涙が伝う。
それは、幾千万と繰り返したあの苦しみを褒められることなく、知られることすら無かった兵士に対する初めての感謝の言葉。
最愛の人から貰ったその言葉は、暗く沈んだ心に溶け込みその心を暖める。
人魚姫は兵士を抱きしめつつ語る。
私は、いつの頃からか王子だけでなくあなたのことも好きになっていたと。
もし、あなたが本当に私を好いていてくれるのなら私はあなたと添い遂げましょうと。
兵士は答える。
幾千、幾万と繰り返した世界の中で、一時たりともあなたを忘れた事はないと。
私は、あなたを幸せにするためなら命すら捨てて来た魔女だった者ですと。
二人は深く抱き合うと手を繋いで歩いて行った。
その場に残されたナイフの刀身に静かにひびが入る。
そのひびは徐々に大きくなり、ナイフの刀身はやがて砕け散り、空気中に溶けるように消えていった。
▽▽▽
白い世界の中で、男は一人呟く。
「あぁ、つまらない。あとちょっとだったのに、最後の最後で絆が繋がっちゃった」
手元にはナイフの破片達。
「折角、世界をぶち壊せるいいチャンスだったのに。これじゃあこの世界にはもう干渉しようが無いじゃないか」
自称神の男はそのナイフの破片を握り締める。
「やめだ、やめだ。この世界を見るのはもうやめだ。次は浦島太郎の世界にでも行こうかな」
男が手を開くと、手のひらからキラキラとした砂がこぼれ落ちた。
「あんましバッドエンドってないんだよね。あんなに面白いのに」
男は白い世界を歩いていく。また、救いのない世界を楽しむために。
人魚姫は歌唄う
~終幕~