第五話 純真
「怒ってル?」
静寂がしばらくその場を包んでいたが、沈黙を破って少年の掠れた声が薄暗い部屋に投げかけられる。
しかし、返事はなかった。沈黙が流れる。
「ねえ、リディ」
沈黙に耐えかねて、少年は再び呼びかける。今度は先よりも遠慮がちに声を発している。それでも発されない返事に辛抱しきれず、少年が立ち上がり、リディに出来る限り近づこうとする。足枷がチャリチャリと高い金属音を発して部屋に反響した。
枷の鎖がぴんと張る位置まで来ると、その状態のままリディに背を向ける形に座り込んだ。そして上半身だけ半身になって右手をつき、リディの方を伺う。リディは膝を抱え込む姿勢で座し、両膝の間に自分の顎を乗せてうずくまっていた。互いの表情が分かる程度には近い。恐らく互いが床にへばりついて近づけば、手を伸ばして相手の顔に触れられる程度であろう。
相も変わらず黄色い瞳が少ない光の中で不思議と輝いて見える。気遣うような温かみと見定めるような冷たさが、ないまぜになって伺える少年の表情を、ぼんやりとリディは暗い瞳で見つめ返している。少年の瞳が発する光を吸い込むようなリディの瞳は、深い崖の淵のように、月の出ない闇夜のように黒を主張する。
再び訪れた沈黙を、少年は味わうように少女の返事を待つ姿勢をとる。
「……魔力の底上げの方法を教えて」
不意にリディが口を開く。小さく、微かに震えの混じった声は、頼りなく少年のもとに届いた。黄色い瞳を細め、少年は試すような表情で首を傾げた。
「もう、分かってルでしョ」
少年は、はっきりと少女の心に浮かぶ言葉を肯定した。リディはゆっくり息を吐き出す。
「なんでなの?どうして……」
リディは、疑問を吐きだしながら両膝に顔をうずめる。リディが『選別』で囚われると同時に予想していたのは、少なくとも今抱いている懸念とは違っていた。
「魔力を上げるのには二つの方法が今見つかってル」
少年は独り言のように呟く。しかしその声は涼やかにリディへと届けられた。
「一つは、強い魔力を持つ者と共に過ごすこト。これは、相手の魔力が強ければ強いほど、相手との距離が近ければ近いほど、自分の魔力が反発して強くなル。結果的に、それが魔力量を上げることになル」
顔をうずめたままのリディは、身動き一つせずに、少年の言葉を噛みしめる。
「だから、リディはこの部屋に連れてこられたし、こいつ等も魔力が尽きかけの衰弱した状態なんダ」
その言葉にリディは反射的に顔を上げた。
いつの間にやら少年の傍には、小児が2人ほど座り込んでいた。眼が窪み、見えているのかすら怪しいその瞳は何処も映してなどいない。ここが、いや少年の居場所が、魔力を搾取され底を尽きかけた者たちの終着点というならば、いったいどれほどの幼い死を看取ってきたのだろう。また、少しでも生き続けたいという本能的欲望のままに少年へ近づき、あわよくば食糧すらも盗ろうとする強かな年端もいかぬ小児たちに、どういう感情をむけることが正解なのだろうか。ましてやこの少年は……
――心が読めるのに
少年の想いを量り、眉を寄せる。
リディの様子を見て少年がまた肩をすくめた。どうやらこれは癖になっているようだ。
「そんな簡単じゃないヨ。こいつらの感情ハ」
少年は困ったように軽く笑う。そして少し体を起すと小児の1人へ右手を持っていき、そっと頭をなでた。小児は特に反応を見せずに別の方向をむく。
「生きたイと、生きたくない、死にたイと、死にたくないがぐちゃぐちゃに入り混じるんダ。他のことも一緒。そして言葉のない感情のまま行動するカラ、一貫性もなイ」
無感情な瞳を小児に向けたまま静かに告げる。
しかし、リディがまだ少年が辿ってきた日々へ思考しているのを余所に、少年はあっさりと切り替えて説明の先を言い始めた。
「そしてもう一つの方法が、リディがあたりを付けてたコト。魔力が生命力と繋がっていて、魔力が減ると生命力もつられて減るという現象。これを逆手に取っタ……」
リディは先ほどまでの思考から、これから直面する自身の問題に直接関係する話題へと意識を変える。
「生命力を上げれば魔力は上がルというもノ」
リディは眉間に皺を寄せる。
「それとどう関係するのよ」
「分からなイ?リディって、ちょっとバカだナ」
少年は右手で頭を掻きながら心底不思議そうに眼を瞬かせる。
馬鹿にされた少女は、不機嫌そうな顔を惜しげもなく少年に見せつけることになった。ここに来た時ほどに表情を変化させるようになったリディを見て、少年は遠慮がちに安心したように笑う。それは一瞬だったが、ここに来て初めて見られた優しさで出来たその表情は、少女にとって魅惑的に映った。
しかし、少年はすぐにもとの冷めた表情に戻ると続ける。
「生命力が圧倒的に跳ね上がるのは、望まないものであっても異性同士で子を作る作業をした後ダ」
予想していた内容を何にも包まず、そのままを言葉にした少年に対し、リディはその純粋さに感心した。世間では多少なりとも羞恥するだろうものを平然と言ってのける程に少年は、無知の部分がある。
しかし、同時にその方法に対して反論が浮かんだ。それ以外にも生命力が活気に満ちるだろう方法はいくらでもあると思えたのだ。
「確かに、ある程度健康的に過ごせれば魔力は安定すル。だけどアイツラはそんなこと求めていなイ。即効性があって魔力が急激に増える方がいイ。その方がもっと早い段階で魔石が出来るカラ。それと……」
少年は言いかけて色素の薄い眉を寄せた。理解しかねると言いたげな表情。
「アイツラはその作業を愉しんでル」
少女にはある程度予想がついていた。魔力研究所の施設員だろうと、小さな街のゴロツキ達と大差ない。力無い性を愉しむための道具にして組み伏せる。そのためにリディたち娘は、細心の注意を払って生活することを余儀なくされている。ここではそれが正当化されているだけ数十倍質が悪い。
「ここに女がリディだけなのモ、そういうことだカラ」
リディは目を伏せ、連れ去られた少女たちの末路に心を痛める。
その様子を見て取った少年は冷ややかな視線をリディへ向ける。
「リディ、それ、自分もそうなル。先に見もしない奴らのこと考えて何になル?」
リディは何か言い返そうと口を開いたが、言い返せない。力なく口を閉じると俯いた。さらさらと長い黒髪が、少女の顔の横を流れていく。
「まあ、俺が挑発したカラ遅くても今晩中に君は犯されルヨ」
少年の明るく軽い調子のせいで、励ましを言ってくれているのだろうと聞き流しそうになったが、リディは耳を疑った。
「どういうこと?」
放心したような表情でリディはぽつりと尋ねた。
「だから、俺が君にキスしただロ。そのせいでリディはある程度、魔力が安定しちゃったンダ。君の魔力は珍しいケド不安定で、暫くこの部屋に入れて、魔力を安定させてからでないと逆効果だカラ……リディ、怒らないデ」
少年は説明の途中で慌てて右手を振る。まるで無実だとでも言いたげな少年は、目の前で無表情のまま心に怒気を溜めこむ少女に対して、おどけたような顔を見せる。悪戯が見つかった時に子供が見せる態度だ。
「説明を続けてくれる?」
リディはその表情を全く変えずに先を促した。まるで仮面をつけているかのように硬い表情。目の前の少年に明らかに警戒を強めているのが見て取れる。
「えっと……」
少年は弁解を先に言うか、順を追って説明するか数秒思案している様だった。だが、多少順序を変えて説明を続けるらしい、気を取り直すように別の切り口で話し出した。
「まず、俺は先天性の魔力を持って生まれたけド、5年くらい前に後天性の魔力が目覚めたんダ」
リディが無表情を崩し、眉を寄せてそんなことがあるのかと首を傾げて反応する。
「心を視る力は後天性なんダ」
少女はそれについては納得した。少年と視線を合わせ、深く頷いてみせる。
そして少年はそのままの調子で続けた。
うーん、セーフでしょうか……