第四話 左腕の対価
「ねえ、施設員さン」
少年が突然ローブの者たちに向かって声をかけた。先ほどと同じように明るい掠れ気味の声が部屋に響く。ただ、その声音は酷く冷めていた。
奇妙な死を遂げている小児に気をとられていたリディは、突然のことに反応できずにいる。
扉の近くまで来ていたローブの者たちは、少年の方を振り返った。
「俺の左腕、いつ持ってくノ」
いったいどういうことかとリディは少年を振り返る。そしてそのままの勢いで、長いぼさぼさの髪が纏わりついた少年の左腕を注視する。
――これは……
リディは眉を寄せ、吐き気を寸でのところで噛み殺した。「うっ」という音がリディの腹からこみあげ発される。
薄闇では識別できなかったが、少年の左腕には先ほどの小児と同じ大きさの水晶が3つ埋め込まれていたのだ。どす黒い赤色の水晶は、青く変色して皺が出来てしまっている肌とは対照的だ。血は止まっているようだが、何より殺された小児と同様の刺し傷が無残にも腕に刻まれていた。
「……まだだ」
ローブの者の1人が返事をした。死体を何体も回収していた方である。低いしゃがれた男の声で、静かだがそれでいて威圧するようなものであった。他の小児への対応と違い、若干少年に対しては警戒の姿勢を見せる。もう片方のローブの者も立ち止まり、こちらに目を向けている。
「なんデ?もうこれ以上この石、俺から何も吸わないヨ」
少年は心底不思議そうに首を傾げた。
「近いうちにそこだけ切り取る。それまでまだだ」
先ほど答えた男が物騒なことを付与して言い直す。これ以上の問答は無用とばかりに扉に手をかけ、もう1人のローブの者も後に続こうと足を踏み出す。
「ねェ、左腕の対価って何でも欲しいものをくれるんだったよネ、今言ってもいい?」
無邪気に、それでいてどこか冷え切った調子で少年はローブの者たちに呼びかける。まるでガラスのビー玉を転がすような冷ややかな声音。
すると、そこで急に少年はリディの腹に右腕をまわして抱き寄せた。抱き寄せられた弾みにリディの足が積み上げられた実に当たり、あたりにばらまかれる。少年の近くにいた小児はこれ幸いとばかりに散らばった実をめがけて素早く霧散し、少年から取り返されないような距離をとる。
「なっ」
リディはとっさに声を発するが、顔の下から口に右手を回され、覆われる。体を動かして逃れようと考えたが、不思議と身体に力が入らない。リディは少年の肩に半ば押さえつけられるように頭を乗せた。少年の体臭がリディの鼻孔を突く。恐らく何日も体を清めていないのか、独特な香りにリディが涙目になって顔を歪める。
「コレ、頂戴ヨ」
黄色い目を細め、少年はさも5、6歳の小児が親にねだるような顔をする。全く悪びれもせず、傲慢な態度。これと呼ばれた少女が多少怒りを覚え始めた時だった。
「ダメだ。そいつから離れろ」
ローブの男が怒気を絡ませながら忠告した。
「何故ダメなノ?此奴をここに入れたのハ、魔力を増やさせるためでショ」
少年が首を傾けてリディの頭にそっと乗せる。まるで大きな人形に顔をくっつけるようなしぐさである。
男が少年に向き直り、歩み寄ろうとする。
「ほら、アレ。施設員さンがやってるヤツ。俺もやりたイ」
「……だめだ」
少年に視線を合わせたまま、男は重そうに歩を進める。
「でも、俺がやった方がもっと魔力増えるヨ。例えば……」
それまで男へと視線を投げていた少年は、リディを流し見た。口を押えていた手をリディのあごに持っていき、上を向かせて固定させる。流れるような作業にされるがままのリディは、蛇に睨まれた様に体を動かせないで冷や汗を流した。黄色い瞳が怪しく、それでいて圧倒的な余裕を持って艶やかに煌めく。吸い込まれるように目を外せない。この視線のせいで男は動きが鈍かったのだろうか。
「こうするだけでいイ」
冷やかに、それでいて艶めかしい低い声で告げると、少年の顔がリディに近づく。
「やめろ!」
弾かれたように急ぎ足でローブの男は少年へ駆け寄るが、事が成った後であった。
リディの唇に少年の唇が重なった。
とたんにリディは身体を何か柔らかい物が包み込むような感覚に捕らわれた。真綿で包まれるようにそれまで抱いてきた不安や恐怖を緩和され、穏やかな心境が少女に訪れる。
不意に、リディの視界に別の様々な視界が重なった。一種走馬灯の様だが、見覚えの無い物が大多数だ。いくつか故郷である里での風景が入り混じっている。中でも気になったのは、金髪の少年らしき人物が視界の端々に浮かんでは消えていったことだ。ただ、その全ては曖昧にぼやけており、夢を見ている様だった。
少年との接吻の時間は短かった。体感では数分にも感じられたが、実質数秒であっただろう。リディは未だ微睡まどろみから解放されずにいたが、少年はローブの男に頭頂部付近の髪を鷲掴みされ、顔を引き上げさせられていた。
「貴様!」
男は憎々しげに声を荒げる。
「……何デ?俺がする方が、魔石だけを手に入れるにハ丁度いいでショ」
髪を引っ張られながら少年は悠然と尋ねる。顔にはからかうような生意気な笑みが広がっていた。
「……」
男が押し黙ったまま答えないでいると、もう1人のローブの者が歩み寄り、リディを少年から引きはがした。少年もそうなることが分かっていたかのように簡単にリディを手放す。そのままリディは乱暴に近くの壁まで連れて行かれ、いくつか壁から下げられている枷の一つを足にはめられた。
「これで良い。そいつも足枷で動けないからな」
リディを連れて行ったローブの者が静かに語りかける。若い男の涼やかな声だった。
呼びかけられたローブの男も、若干納得はしたようだが怒りが収まらないらしい。舌打ちをすると、少年の髪を掴みあげた状態で更に高く持ち上げ、少年の不自由な左腕側へ倒れ込ませるように床へと叩きつけた。体を石に打ちつける鈍い音がする。左腕が受け身の邪魔になり衝撃がもろに来たらしい、少年は顔を歪ませる。その状態を見て少しは気が晴れたのか、男は鼻を鳴らして短く嘲笑うと踵を返した。
リディのもとにいたローブの若者は、扉へと向かい、何の未練もないようにそのまま扉をくぐって出ていった。だが、そこで笑い声が響く。発生源は少年である。ローブの若者に続いて扉へと辿り着いた男が、ぎらつかせた目線をフードの端から覗かせて少年を見つめた。体を起しながら少年は、さも愉快そうに笑っている。
「フフ、そんなに唾つけられたのが悔しいノ?でも、俺だって、この子が欲しイ。上の人に言ってみてくれなイ?」
少年は意味深な笑みを顔に張り付けて、言葉を投げかける。扉からの光に照らしだされた金髪が艶やかに光を受けて反射している。
ローブの男は若干目を細めたが、黙ったまま威嚇するように少年を睨みつけ、扉をくぐった。
「魔力は絶対上がルヨ」
少年の言葉が言い終わるか終らないかのところで、重たい扉は軋ませながら閉じられた。
後には再度物の音が聞こえるのみで、部屋の中は数分前と同じように静寂が支配した。
キスって注意書き要らないですよね……