第一話 薄闇の少年
ちょっと死体描写あります。
霧散していた意識をかき集めるように目覚めていく。冷たく固い物の上に横たわっているらしい。徐々に感覚が覚醒されていった。聴覚と嗅覚はほぼ同時に感覚を取り戻した。ガサガサと近くで、遠くで布のこすれる音が聞こえる。滴下水の音も定期的に聞こえた。そして、何日も体を洗っていないようなすえた臭い。排泄物の臭いと混じって酷い臭いである。思わず顔をしかめて咳き込む。
「起きたのか」
掠れた中性的な声が降りかかってきた。何か口に含んでいるらしい。不明瞭なしゃべり方だ。
少女は状況理解が追いつかずに横たわった姿勢のままでゆっくりと目を開けた。薄暗い石畳の上に横向きに寝かされていたらしい。石の上に散らばされた自らの黒髪が視界に入る。すぐ傍は石畳と同じ素材の石壁だった。首を動かし、天井を見上げた。少女が直立するには足りないほどの天井が映る。しかし幅は広いらしい。
少女の顔が訝しむものに変わる。先ほどの声は何処から来たのか。真上から投げかけられたように感じたのだ。
「後ろ」
今度ははっきりと先ほどの声が呼びかける。特徴的な発音だった。石畳のために声が反響しているのだろう、特定がしづらい。少女は首をもとの位置に戻すと感覚を確かめるようにゆっくりと身体を起こす。
少女の両手には黒い枷がついていた。少女は悲しそうに眉を寄せると先ほどの声がした方に視線を移した。
「やあ」
周囲にはいくつか小さな黒い塊が散在していたが声の主の特定はできた。奥の方に人影があり、軽く手を振っていた。薄暗いためか、声の主の表情は読めない。黄色い瞳のみが微かな光を受けて反射する。少し離れた位置に座しているため細部までは伺えない。手には何かの実を持ち、しきりに齧り付いては口を動かしている。
少女は頭を打たないように中腰になって声の主に近づきながら口を開く。
「ここはどこ?」
当たり前のことを聞くなと言いたげに声の主は、鼻をならして軽く笑った。
「足元気を付けた方がいいヨ」
おもむろに片言で注意すると顎をしゃくってみせる。
少女は言われた通り視線を足元に移した。そして予期せぬ衝撃を受ける。思わず出かかる悲鳴を手で押し込んだ。心臓が早鐘を打ち、嫌な汗が全身に伝いだす。
今まさに踏もうとしていた地面には5歳ほどの小児が倒れていたのだ。生気のない青い肌からも息をしてないのは明らかだった。麻の布切れが服として着せられているが、体の至る所に透明な小石が括り付けられている。同じようにくくられた石の中でも色づいているものもある。
「さっき死んダ」
静かな無感情の声が少女に届く。少女は手で口をおさえたまま声の主を睨み付ける。押し寄せる吐き気と懸命に闘い、瞳を濡らしている。
「ここがどこかなんて、分かってるダロ」
声の主は相変わらず実を頬張りながらも言葉を発する。よく見ればその声の主の前には同じ実が山のように積まれていた。
「スルールの魔力研究施設サ」
掠れた声は静かに、それでいて全てを諦めたような冷めた響きを呈した。
少女自身も魔力研究施設が何をする場所か分かっていた。『選別』を受け、魔力を持つ者として炙り出された者は、全て大陸に数千か所と設置された魔力研究施設に連行される。
――連行された者は二度と戻れない。
信じたくないが自分の結末とも受け取れる小児の姿に動揺と絶望を感じる。
少女は足元に転がる小児を遠巻きにしながら声の主に近づき、数歩分離れて腰を下ろした。声の主は少年らしい。薄闇の中での判断だが、体の線を見ただけでも判別できた。歳は少女と同じくらい、15歳前後とあたりをつけられる。少年の周りには6人くらいの小児が集まっていた。ガサガサと警戒心をあらわに少女から隠れようと身をよじっている。例の話しかけてくる少年以外は皆やせ細り、目がくぼんでいる。
少年が無造作に食べていた実を投げ捨て、目の前の実に手を付ける。すると、それまで控えていた小児たちがわき目もふらず捨てられた実に群がった。
異様な光景に少女は眉をひそめる。
「規則ダヨ」
声の主である少年は一言そう告げると少女の表情を見て黄色の瞳を細めた。
「異国人?」
少年は少女の黒い髪と黒い瞳、白い肌を見つめる。確かに数ある民族を抱える大陸であっても珍しい容姿だった。少女は怪訝そうな表情を崩さずに答える。
「隠れ里の民族出身だから……」
「へー、でもその様子だと見つかって『選別』されたんだネ」
少年は意地悪そうに微笑する。少女が悲壮な顔になった。首を振って頭を抱える。手かせがチャリチャリと音を立てるが、空しく響くのみだ。
「何で、魔力なんか」
恨み言を絞り出すような少女に少年は驚いたように軽く目を見開く。
「君は後天性なノ?」
少年は興味深そうに少女の体をじろじろと見る。表面を見ているようで内部まで透かして見ているような瞳に、少女が居心地悪そうに腕組みをする。暫く眺めまわしたのち、少年は口を開く。
「さすが後天性、面白い魔力の流れをしてル。君も知ってるだろうケド、気をつけないと魔力は有限だからネ」
少年の黄色い瞳が鋭く光った。少女は魅せられたように少年を見る。
少年が言う魔力のことは少女も多少は知っている。
他の生物に宿る魔力もそうであるように人間に宿る魔力も有限である。魔力はその宿主の生命力と繋がり、一定の行使であれば時を経て魔力は回復する。しかし、一方的に魔力を垂れ流してしまうとそれに吊られて生命力も消費していくのである。
少女の暮らす隠れ里は、その地域を統べる国にすら存在を認められていないほど他の里や街から遠く離れた山の中である。『選別』からは無縁だったためか、その里にも数人魔力を持つ者がいた。ただ、使いすぎを恐れているのかめったに行使することはなかった。各地に広がった悪習の噂は知っていたため、自然と里の魔力を持つ者たちは外へと足を向けることなど無かった。幸い森の実りは多く、恩恵をうけていたので里の者は食糧に悩まなかったため、必要以上に近くの村や町と関わることがなかったこともある。
だが、少女自身は魔力を持っておらず、比較的自由な生活をしていた。同じように魔力のない物と一緒に近隣(といっても馬で2日かかる)の街に赴き、森で採れる薬草や山菜を売り払い、里に持ち帰る日用品を買う仕事を手伝っていた。隠れ里だが、地方の村人のフリをして売り込むのだ。小さなその街では比較対象も衛兵も少ないため、それなりに自然と溶け込めていた。
――それなのに……
少女は憎々しげに顔を歪める。形のいい眉が寄せられ眉間に深いシワを作り出す。
「その様子だト、覚醒したその場で捕まっタ?」
少年は、まるで少女の様子など気遣う様子もなく面白そうに明るく問い掛けた。面白おかしく図星を突かれたこともあり、片言なその言葉遣いも相まって少女を苛立たせた。キツく睨み据えた少女に対して少年は戯けた様に肩をすくめた。相変わらず手に持つ実を食らっている。
「俺、37。お前は?」
2人の間に訪れた束の間の沈黙を破り、少年は唐突に聞いてきた。何のことかと少女は身構える。
「何のこと?」
浮かんだ疑問をそのまま口にする。少年は軽く首を傾げた。何かを思い出そうとしているらしい。そして思いついたらしい単語を発した。
「名前」
少女は余計に混乱した。少年が言った彼の名前は番号だったからである。
「……リディ」
警戒しながらも名乗る少女は、相変わらず不信感を露わにしている。
「リディ、俺にとって君は久々に会話出来る相手なんダヨ」
少年は寂しそうな顔をして視線を下ろす。胡座をかいた状態だが、その上に力無く横になったり膝枕しながら寝ている複数の小児達がいた。小児達はその多くがより幼い時に親元を引き離されている。当然ながら言葉を多少理解できても発したりしないのだろう。
少年は小児達に対し、無表情だ。そして彼らを見つめる少年の眼は冷たかった。
未だに自分の作品が男女の内どちら向けなのか分からないですが、恐らく恋愛要素があります。お好きでしたら楽しみにしていていただけるとありがたいです。