三題小説第二十七弾『薔薇』『海』『新作』タイトル「罪人と二つの薔薇」
付き添いは一人までだと伝えているはずなのに、私の目の前には一人の少年と、二人の男がいた。何度数えても計三人いる。
私達は住居兼仕事場であるマンションの一室にいる。地域の中ではそれなりに防犯対策が施されたマンションの数ある部屋の中の一室だ。玄関からすぐ隣の洋室を診察室のように見える改装を施している。その装いは直接的には私の仕事にほとんど全くと言って良い程に無関係だ。しかし例えばこういう何事も疑ってかかる手合いには丁度いいハッタリになる。
私は診察室めいた部屋で医者めいた格好と表情でもって回転椅子に座る少年を見る。
少年は中学生くらいだろうか。何かと地味な風貌なのはこういう輩との関わりに対する無意識からの否定だろう。
隣にはこの場では最年長の大柄の男が座っている。そしてさらに大柄な禿げた男が二人の後ろに立って私を遥か高みから睨みつけていた。
紹介者の言によるとこの二人の男はヤクザであり、年配の男の息子が今回の患者だ。いかにも患者めいた神妙な面持ちで目を伏せている。
「まあまあセンセイ。こいつは単なる護衛ですわ」と年配の男が後ろの男に指差して言った。「仕事の邪魔はさせませんよ」
「当然ですよ。別に一人多かったところで仕事ができない訳じゃありませんがね。とはいえルールはルール。守れないというのならこちらも相応の対応をしなければなりませんね」
「てめえ」と、後ろの禿げた男がいきり立ったが年配の男が押しとどめた。
「対応というと?」
「何。これっきりにしてもらうだけです。次からはルールを守ってもらいます」
数瞬の沈黙の後、年配の男が膝を叩いて豪快に笑った。そして禿げた男に指示する。
「おい。外で待ってろ。センセイ。構いませんね?」
「ええ」
禿げた男はにやにやしながら私を一瞥して部屋を出て行った。
「しかしセンセイ。節介を言うようだが、こういう裏の商売をしているならもっと強気でいた方がいいんじゃありませんかね? 何といっても舐められたら終いですよ」
舐められたくない時は私を舐めないように相手を変えるだけだ。
「そうですね。留意しておきましょう。それで息子さんですが」
私は改めて目の前の少年と向き直った。
「いや、どうも。倅が口を利かなくなっちまいましてね。うんともすんとも言いやがらねえんですわ」
私は男の声を聞きながらもじっと少年を見据えていた。
「随分心を閉ざしてしまったようですね」
「何て言いましたか。トラウマ? まあこれもセンセイとはいえ詳しい事は話せませんが、ちょっとばかり我々の仕事を見ちまいましてね」
「別に言わなくとも構いませんよ」
「まあ、ちょっとばかし刺激が強すぎたんでしょうな。殴ったり蹴ったりはしてませんがね。相手が泣いたり喚いたりするような」
少年は耳を両手で塞いで亀のように縮こまってしまった。
「だから言わなくても良いと言ったんですよ。仕事が面倒になる」
「これはすみません、センセイ。もう黙ってるんでぱぱっと治しちまってください」
言われなくともそのつもりだ。それが私の仕事であり、私の能力なのだから。
少年の体全体を視界に入れ、意識をスイッチする。私の意識から脳の認識が段階的に隔離される。まず少年の遠景が排除された。次に私の肉体に基づく諸要素を意識から排除する。呼吸も鼓動も五感も脳がそれを認識しながら、意識には上らなくなる。そして最後に少年自身がそこから消え失せる。すると、そこには一輪の杜若が残った。
薄紫の花弁はくすみ、茶色みがかった葉に茎がしな垂れている。いかにも生気を失ったという面持ちの花だが、これがまさにこの少年の意識や精神と呼ばれるものの表象だ。
私は心の目でじっとその花を見つめ、正しい姿を想像する。葉に覆われるように茎がぴんと空に伸び、美しくも控えめにそっと花開く。するとその想像と少年の心の表象は一致し、まさにその姿へと変わる。変わっている。少年がおそらく元々持っていたであろう美しい姿に戻っている。
実際には一秒もかからない出来事だ。
意識が認識を取り戻すと、少年は晴れ晴れした様子で私の顔を覗きこんでいた。父親の方はまだ変化に気付いていないようで、何かを待つような表情でこちらを眺めている。
結果的にトラウマと共にきっかけとなった記憶も切除する事になった。
「もう終わりましたよ」
「はあ……え? そうなのか?」
少年は父の方を向き直って頷く。
「うん。そもそも何を悩んでいたのか忘れちゃった」
「そ、そうか。話には聞いていたが不思議な力ですね、センセイ」
「ええ、まあ。それより似たような出来事に直面すれば同じようにトラウマになりますから気を付ける事ですよ」
「そうなんですか? センセイ。私はてっきり強い男に変えてくれるのかと思っていたんだがな」
「私は闇医者であって闇メンタルトレーナーではありませんよ」
「そりゃそうですね」
少年の父であるヤクザはがははと笑った。
やろうと思えば、その出来事がトラウマにならないように改変する事も出来る。しかしそれは人格を変える事であり、私の持つ倫理にもとる。
唐突に、、ドアチャイムが鳴り響く。ここはオートロックのマンションであり、訪問者はエントランスで訪問する部屋を呼び出すものだ。もちろん侵入する方法はあるし、私は少なからず敵を持っている。しかしいきなりドアチャイムを鳴らして訪問相手を警戒させるような人間に心当たりはない。
ピリピリとした緊張感が走る。事に気付いていないのは少年だけのようだ。
「センセイ。お客さんのご予定が?」
「いいえ。今日はあなた方だけのはずだが、おかしいな」
「なるほど。お前はここで待ってろ」
少年にそう言ってヤクザは立ち上がり、警戒しながら部屋の扉を開ける。待っていた禿の大男に様子を見てくるように指示を出し、二人で玄関の方へと歩いて行った。
続いて私も玄関モニターから様子を見ようと部屋を出る。既にヤクザの二人は玄関の外に出てしまったのか姿がない。
リビングへ移動し、起動したモニターを見る。そこには濃紺のスーツを着た若い痩せた男が棒立ちしていた。二人のヤクザの姿はモニターにもない。
ふと玄関の方を見ると、そこに今しがたモニターに映っていた男が立ちつくしていた。何の音も聞こえなかったのに、と信じられない気持でもう一度モニターに視線だけやる。改めて玄関を。玄関は見えず、目の前に痩せた男が立っていた。
徐々に意識が覚醒していくのに気付いた事をきっかけに一気に目が覚める。コンクリートの天井が剥きだしになっている。
ふらつく体を何とか制御して起き上がる。自分の体の在り処を探すように、四肢の神経に電流が流れ始めた。起き上がると目の前には一体のマネキンが、いや見知らぬ初老の男がいる事に気付いた。あまりにじっとしているせいだろうか。逆ならともかく人間を人形と見間違えてしまった。あるいは私の能力が起因しているのかもしれない。
私はベッドに座っていた。ベッドは牢獄のような場所にある。そして男は牢獄の真ん中でパイプ椅子に座ってこちらを見ていた。
「ここはどこなのか聞いても?」
「構わんよ」
男は確かめるように抑揚のない声でそう言ったきり、口を閉じてしまった。待てど暮らせど続きの言葉が出てこない。
「ここはどこです?」
「それは教えられん」
どうやらからかわれているのだという事が分かった。
男を無視して周りを見回す。やはりただの牢獄にしか見えない。テレビで見た事のある刑務所の様子を思い出す。無機質で小奇麗な用途のはっきりした部屋。
仕方ない、と納得する。ここにいる事を、ではなく、他人の心を盗み見る事を。
初老の男に視線をやり、彼の心を剥き出しにしようとする、が出来なかった。何か堅い殻に覆われているような感触があった。
「無駄だよ。でなければ他人の心を操れる人間に近づこうとは思わんさ。君とてそう思うだろう?」
私もそう思う。という事はこの男も閉じ込められている、というわけではないようだ。とするとこの男もまた私を拉致した者の仲間という事か。
それにしてもどうやって私の影響を防いだのだろうか。
「あの少年は無事ですかね?」
「あの時君が診察していた少年かな?」
「そうです。何か暴力的な光景を見せたりはしていないでしょうね?」
初老の男はくすくすと笑った。全然面白くないという様子で笑うのだった。
「彼らは穏便に帰ってもらったよ。センセイ。それにしてもあんなヤクザの息子が心配なの? このような状況に置かれた中で」
「自分の心配が無駄だと分かったのでね。私の患者は私の中でかなり優先度が高いんですよ。ご存じありませんでしたか」
「そうだね。だけどそれは私どもにとっても助かる。闇医者といってもどうやら話は通じそうだ。そうそう、精神科の闇医者がこの世にいたとはね。これまで想像もしなかったけど、君の力をもってすればそれも可能という事だね」
「ええ、まあそうですね」
「どれぐらい昔からやってるの?」
別に隠さなくてはならない事でもないが、この男には話したくなかった。それに、ともすればこの男は、私がいつからこれを生業にしているか知った上で質問しているような気がする。
「それで私に何の御用です? やはりこの能力にまつわる事ですかね?」
男は表情の無いまま頷いて言う。
「ああ、その通りだよ。ある少女の治療を行ってもらいたい」
「それだけ?」
「ああ、それだけだよ」
「それなら普通に依頼すれば良いのでは? どうしてこうも手間をかけて。様子を見るにお金がない訳でもないのだろうに」
「一つに君の方から着てもらう必要があった。二つにこの場所を知られたくなかった。三つに我々には君を拘束する権限が与えられている」
「拘束する権限?」
男はこれ見よがしに両腕を広げる。
「ここは政府機関の施設だよ。厚生労働省逸脱能力局能力災対策部が保有しているある島にある拘置所というわけだ。ちなみに私は更生課課長の飯島です、よろしく。灰原君」
私は挨拶を返さなかった。自分の思い上がりにショックを受けていた。
逸脱能力という言葉が現れたのは数十年前に遡る。ある男の計算能力がスパコン並の結果を出したという。その話自体の真偽は分からないが、その後ある種の能力があまりに偏向している者が確認され始め、この言葉が総称として定着した。その九割は無意味な能力であり、残りのさらに九割は無力な能力であり、残りのさらに九割は無害な能力だという事で、人類社会への影響は微々たるものだった。ただし残った1%の有用かつ運用次第で危険性を伴う無上の能力は各国の政府が秘匿研究している、という噂だ。
「てっきり上手く逃げおおせていると思いましたね」
「別に追ってはいなかったけど、監視下にはあったんだね。そもそも逃げる必要もなかったんだよ。逸脱能力者の起こした事は全て事故なんだから」
私はその話をこの男、飯島とするつもりはない。
「それで少女は?」
「仕事を引き受けてくれるんだね?」
「どちらにせよ他にないでしょう。それに私にも無免許の闇医者とはいえそれなりの矜持ってものがあるんですよ」
「そうか。それならいいんだ。勿論結果を出せばそれなりの報酬を用意している。契約書もしっかり書く。とはいえ私の方は君を信用しない。悪いけど治療が終わるまで君の部屋はここだ。夕飯は後で持ってこさせるよ」
そう言って飯島は立ち上がると大きく伸びをし、ため息をついた。そして呟く。
「この年にもなると、座っているだけで疲れてくる。まあ日頃の不摂生が祟っているんだろうけども」
「よければ健康のための意識改革を手伝いますよ」
飯島は何の感慨もなさそうに言う。
「遠慮しとくよ」
いつの間にか、私の部屋に家宅侵入したあの若い男が拘置部屋の中にいた。扉を守るように棒立ちしている。飯島はお休み、と言うと若い男の肩を掴み、若い男ともども空中に消えた。
連れてこられたのはロの字形の拘置所の真ん中にある中庭だ、と思っていた場所だ。実際には庭ではなく、そこには西洋のおとぎ話の中から持っていたような丸っこい小さな煉瓦と木で出来た家があった。家の周りには色とりどりの花が咲き乱れ、蝶まで飛び、一層ファンシーな雰囲気を醸し出していた。よくよく見ると周囲を囲むコンクリートの壁にも青空と雲と草原の絵が書いてある。逆に、まるで刑務所だ。
と言うような事を飯島に話すと答える。
「狙いは同じ事だよ、灰原君。その家に住んでいる少女に出来るだけストレスを感じさせないようにね。あの一件古臭い家も中はハイテクの粋で出来るだけストレスフリーな環境を作っているんだ。まあそれでも彼女は心を開いてはくれないのだけれどね」
私達は二人で小屋を、中庭全体を眺めるようにして立っている。
「その少女もあんたみたいに心を覗けないようになっているんですかね?」
「いやいや。言っておくけど君みたいなレア能力持ちはそうそういないんだ。彼女の心の中がどうなってるかなんて知りようもない。それこそ単なる精神科のお医者さんの方がまだ彼女の事が分かるだろう。ちなみに私の心を覗けなかったのは私の能力だ。君のような能力者から心を守れるってだけのハズレ能力さ」
「それでその医者達は何て言っていました?」
「色々な見解を述べた後、そっとしておくのが一番だとさ。我々にできるのはご機嫌斜めのお姫様をあやすだけというわけだね」
「ご機嫌斜めか。私は大丈夫なんでしょうね? 突然吹き飛ばされたりなんて事はごめんですよ」
話によるとその少女は自分の想像した通りに物体を動かす事が出来るという、いわゆる念動力を持っているらしい。何を逸脱すればそうなるのかは分からないが。
「それについては大丈夫。灰原君を私が担当しているのと同じ事で、彼女にもきっちり対策がある」
「どういう対策か聞いても? つまり答えてくれますかね?」
飯島は少しばかり頭を捻って考えた。
「いや、うん。灰原君に答える必要はないな。答える必要がないと判断した理由も答えられない」
「そうですか。一見自由に放し飼いされているライオンだけれど、私を軟禁している者の大丈夫という言葉を信じてとりあえずあやしてみろ、と」
「悪いね」
いや、本当に。
「まだ名前を聞いていませんでしたね」
「飯島光雄といいます」
「少女のですよ」
飯島は照れ臭いと言う代わりに頭を掻いた。
「速水アカネだよ。たしか十二歳だったかな」
私は家の前まで行く。本物の木と煉瓦であって、それっぽいレプリカではなかった。たった一人の少女の為にこれだけの事をするという事は、それだけの価値がある能力なのだろう。
古めかしい、それこそ数十年も使いこんでいそうなドアノッカーを鳴らす。神経質なまでのこだわりだ。
返事はない。留守のようだ。まるで留守であるかのようだ。
飯島の方を振り返ると、もうそこに飯島はいなかった。
軋む音を聞いて扉に向き直る。少し開いた扉の隙間から少女が顔を覗かせていた。
「やあ、こんにちは」
腰をかがめ、少女より少し上の視線で、柔和な笑顔を作る。
闇医者の患者に子供は少ないのかもしれないが、闇精神医の患者であれば子供は少なくなかった。
少女は、速水アカネは困ったような表情で、
「こんにちは」と、呟いた。
「灰原洋司です。今日はアカネさんと話に来ました。いいですか?」
速水アカネは私の後ろを一瞥してから、少し扉を開いた。
「中でどうぞ」
私は彼女に続いて家の中に入る。中身もやはりファンシーな装いだ。丸みを帯びた木製の家具。花や鳥の描かれた壁や梁、絨毯にテーブルクロス。まるで小人の家だ。大人のサイズには小さいが少女のサイズには少しばかり大きいようだ。
私は速水アカネに勧められて椅子に座る。彼女は紅茶とクッキーまで用意して私をもてなしてくれた。彼女が机を挟んで向かいの椅子に座るのを待って切りだす。
「私が来る事を知っていたようですね」
「うん。メールで聞いた」
速水アカネはリスのようにぽりぽりとクッキーを齧っている。
「いつもこの家の中に?」
「たまに外で遊ぶよ。家の周りで」
「私が何をしに来たかはご存じで?」
「お話に来たんでしょう?」
「それもそうですが、一番の目的はアカネさんの心の中にある心配や不安を取り除く事ですよ」
速水アカネは紅茶を少し啜って言う。
「そんな事出来るの?」
「ええ」
「注射は嫌いよ」
「私もです。あんな物は使いませんよ。ただじっと見つめるだけです」
「それなら別に良いよ。ここに座ってればいいの?」
「はい」
文字通り瞬く間に彼女の心を丸裸にする。それは水に濡れたような艶めきのある深紅の薔薇だった。棘が異様に鋭い事を除けば何の異常も見当たらない。けだし何が異常かは各々が判断することだろうし、これは私がそう思ったというにすぎない事ではある。
能力を閉じ、改めて少女の顔を見るとやはり何の異常もないのだと確信した。彼女が何かおかしいのだとすれば、それは環境の側に問題があるという事だろう。
「何か不安や心配はありますか?」
「あるけど、取り除くんじゃなかったの?」
「私が取り除くのはダメージだけです。例えば過去に何か危険な目にあって傷ついた人を癒す事は出来ますが、今まさに危険な目にあっている人の傷は癒せません」
「癒す傍から傷ついちゃうもんね」
「そういう事です」
「それなら私をいやす事なんて出来る訳ないよね。こんな所に閉じ込めて。それに……」
速水アカネはティーカップを唇にあてたまま押し黙った。続きの言葉は待てど暮らせど出てこない。
「とりあえず、同じ囚われの身です。適当に良いように伝えておきましょう」
私は立ち上がる。
「待って! 灰原さんの能力は私が今考えている事を読む事も出来るの?」
「出来ますよ。思考と記憶はよほどの事でもない限り読まないですけど」
「面白そう。ちょっとやってみて」
「よほどの……」
「よほどだよ!」
速水アカネの必死な表情を見て、私はもう一度座る。
思考の流れは表層を取り巻いている。速水アカネは二つの言葉を繰り返していた。
盗聴。盗撮。盗聴。盗撮。盗聴。盗撮。
「読めました。失礼しました。紅茶のお礼を言ってませんでしたね」
「あたり。美味しかった?」
「ああ、とても。それで何でしたか?」
「適当に良いように伝えてくれるんだっけ?」
そう、そこを修正しなければいけない。もしかしたら命拾いしたのかもしれない。
「ああ、そうですね。一番良いやり方を伝えないと飯島さんは怒るでしょうね。つまり何度かここに通わなくてはならないかもしれません」
「飯島さんじゃなければ誰だっていいわ」
どこかにある盗聴器の向こうにいる飯島に向かって言ったのだろう。
「それじゃあ」
そう言って私は立ち上がる。
「帰るの? もうちょっとお話していってよ」
そういうわけで私は三度椅子に座る。
私達は治療そっちのけで夜まで語り合った。少女のこれまでの人生について、お互いの逸脱能力の分かっている事について、飯島のえも言われぬ不気味さについて。
速水アカネには厳しい父と優しい母と厳しくも優しい兄がいた。勉強は得意だったけれど、父と兄に叱られるので嫌々やっていた。お菓子作りが好きで、母と兄に喜んでもらうのが嬉しかった。
能力に気付くと両親の勧めもあって、ここの研究施設にやってきた。何かを潰したり、吹き飛ばしたり、そういう測定実験を延々とやらされた。嫌になって帰ろうとしたがここに閉じ込められた。何故能力を使って逃げ出さないのか聞いたが答えてくれなかった。何か弱みを握られているのだろう。しかしこれだけの待遇だ。彼女に自殺でもされては困るので手をこまねいているというところか。
飯島は私がここへと連れてこられる二、三か月前にここの責任者に着任したのだそうだ。何度か会話を試みたが、まるで人形に話しかけているかのようで、今はもう彼とは何も話さないらしい。おそらく飯島の心を閉じる逸脱能力の副作用のようなものだろう。
飯島と再会したのはそれから一カ月ほど経った朝だった。ここに連れてこられた時と同じように、起床すると部屋の真ん中に座っていた。私は起き上がり、ベッドの縁に座る。
怒っているのだろうか。失望しているのだろうか。その表情からも読み取れない。おそらくどちらもなのだろうけど。
「灰原君。結果は出せそうにないかね?」
「報告書を提出しているはずですがね。お読みになっていないんで?」
「読んだとも。だが読む価値はなかった」
「報告とはえてしてそういうものですよ」
「灰原君、君の能力を行使する時の感覚というのは我々に知りようもない事だが、手を抜いているんじゃないだろうね?」
「これは報告書にも書いた事ですが、私の能力でも開かない心というのはあるのですよ。それはあんた自身が一番よく分かっているはずですがね。それに用済みになったというのなら帰していただいて構わないんですよ。元々来たくて来た訳でもないのでね」
「そして毎日女の子と紅茶を飲み、クッキーを食べると言う訳だ。結果を出せないなら結果を出せる仕事に変わってもらう事になる」
「私の能力を活かせる仕事だと良いですね」
飯島は何かを思い出すように首をひねり、宙をにらみつける。
「例えば犯罪者の更生だとか、かな」
「それは私の仕事じゃありませんよ」
「何故だ? 君の能力を活かすのに最も適した仕事だと思うが?」
飯島は大げさに両手を広げて、分からないふりをする。
「他人の心を操るのは道徳に反する。考えれば分かる事だろう」
「精神医の治療も同じ事じゃないのかね?」
「少なくとも患者は自身に実害を伴っていて患者自身が治療を望んでいる」
「犯罪者とて己の悪意を取り除きたいと思っている者はいる。患者とて望まず、いや望む機能すら失われている者もいる」
「前者なら手伝うし、後者なら望む機能を復活させてヒアリングしますよ。そこまでの能力があるのか私にも分かりませんし、器質性ならおそらく限界がありますが。そもそも例外を反論に持ちだしたところで、あんたらが私にやらせたいのは洗脳でしょうが」
「それが君の能力を最も活かせる仕事だろう? それとも最初の事件、じゃない。事故の事はもう忘れたのかな?」
私の中で飯島への憎しみが膨れ上がる。
「やめろ」
「君のご両親と年の離れたお姉さんは今も生きているんだってね。生きていると言ってもいいのか分からないが」
「あんたには関係ないだろ!」
私は思わず立ち上がった。血が上り、目の前にいる男を殴りつけたい衝動に駆られる。飯島は私を見上げて唇の両端を持ち上げる。
「人形遊びはもう卒業したのかい?」
私は飯島に殴りかかるが、あの若い男がまた空中から現れ、私の拳は空中を振り抜いた。飯島は若い男と共に消えた。扉の覗き窓が開く。そこに飯島の目があった。
「実はね。灰原君。あの少女にも似たような経験があるんだよ。君ほど悲惨な出来事でもないが、それが原因で他者を拒否するんだろう。さて、灰原君。実は君の言う通りだ。我々に、私に必要なのは結果だ。私の能力は君に強気に出られる事以外何の取り柄もない訳だが、上手く噛み合ったので、こうしてこの施設の責任者になれたわけだ。さらに上がるにはさらに結果が必要なんだよ。そして、心を操る方法というのは他になくもない。君ほどスマートではないがね」
「何をするつもりだ」
「知りたければ私の心を覗けばいいさ」
「やめろ! 分かった。私がやる」
「ほう。何故? 洗脳は道徳に反するはずだが」
「私が変えた結果は器質的には何の異常も出ない。必要ならば私が元に戻せる」
「なるほど。それが彼女の心のためであり、君の心のためであり、私の心のためだな」
飯島は覗き窓を閉めた。歩き去る音は聞こえない。
さて、どう切り出そうか。速水アカネを前にして私は逡巡する。
ちょっと君を洗脳させてくれませんかね? と言いに来た訳ではない。可能ならば脱出させたい。欲を言えば私も脱出したい。
いつもの椅子に座り、いつものように紅茶とお菓子を前にして、私は思い悩む。
「そういえば何故君が彼らに従っているのか聞いていませんね」
この一カ月で編み出された抜け道。ぎりぎりの発言をする事が心を読む合図、という暗黙の了解だ。言葉に出して確認した事はないが。
そして速水アカネはクッキーを食べる。イエスを意味するクッキー。この一カ月で彼女のクッキーレパートリーは格段に増えた。ここ数日で造られた最新作の言語クッキーを組み合わせればシェイクスピアも紡げそうだ。
あちらこちらへ飛びまわる思考の流れを何とか読み取る。
病院。両親。逸脱能力の暴走。兄。二年前。人質。私。意識不明。
やはりだ。目論見があたった。
「それは話せないって言った気がするけど」
「しかし私は君を助けたいんですよ、心から」
「ずっと上手くいかないじゃない。不安なんて一つも消えてない。何か新しい方法でも見つけたの?」
「ああ。ずっと良い方法ですよ。これで皆が助かります。君も私も飯島さんも。皆です」
速水アカネの目の輝きを見逃さない。意味にちゃんと気づいたようだ。
「それは何だか癪ね」
「私もそう思います」
「それでどうするの?」
「簡単です。全てを解放するのです」
「そんな事が出来るの?」
「ええ。出来ます。これで三人とも助かります。あとこの施設にいる、働いている人達もですね」
一塊の沈黙が流れる。
「じゃあいいけど。本当に出来るのね?」
「ええ、最初は混乱するでしょうけど、すぐに意識がやってくるでしょう。そしたらそれを私が捕まえて制御します」
「何だかチンプンカンプンね」
そう言って速水アカネはクッキーを齧る。
「まあ逸脱能力の感じ方は人それぞれだと言われてますからね」
速水アカネはクッキーを食べ終えると目を閉じた。
「さあ、始めるよ」
「終わらせるんですよ」
そう言うと私は勢いよく机の下に潜り込み、衝撃に備えて頭を抱える。と、同時に頭上で頭が割れんばかりの爆音が鳴り響いた。家具もインテリアも壁も天井も全てが吹き飛んだ。速水アカネの念動力のあらん限りで周囲の全てが破壊された。更に周りを取り囲む風景画の描かれたコンクリートの壁も次々と瓦解していく。
私は立ちあがり辺りを見回す。これだけの事をされておいてまだ対応措置が何もない。
速水アカネは周囲を睨みつけるように視線を振りかざしている。視線の先にある者は一瞬たりとも形を留められずにいる。
一つ思い当って、私は速水アカネから目を逸らすふりをする。
直後、速水アカネの背後にあのテレポート男が現れた。すぐに男を私の視界に入れ、もう一度男の心を開く。そこには針金のようなもので縛られた白い薔薇が現れた。瞬時に針金を切断し、ありったけの想像力を働かせて美しい白薔薇を再現しようと試みる。
速水アカネに触れようと手を伸ばした姿勢そのままに男は立ち尽くしていた。
気配に気づいて速水アカネが振り返る。
「に、兄さん! 何でこんな所に? 人質になっていると思ってたのよ! 兄さん!? どういう事なの? 灰原さん」
「前にこの男、速水ユキトの記憶を読んだ時、君の兄だと分かりました。だが細かい事情は読みとれませんでした。おそらく薬物か何かを使って洗脳されていたんでしょう。今出来る限り治療したが、完全に元には戻せませんでした」
「待って! 父さんと母さんは無事なの? 兄さんと一緒に人質になっていたんだと思ってた」
「ユキトさんの記憶だと大丈夫なようです。さすがに公的機関が理由もなく一般市民を拘束するのは面倒だろうし、実際に拘束しなくても君にある程度言う事を聞かせる事は可能だったのだから」
「それでここからはどうするの?」
「ここからは行き当たりばったりです。君の兄さんのテレポート頼みだったんですけど、テレポートにも限界がある様ですね」
「どういう事?」
「まず彼は彼自身と一定以内の質量しか運べない。ようするに定員がある」
「つまり私たち二人とも同時に運ぶ事は出来ないって事? でもそれなら二度に分けて運んでもらえばいいでしょ?」
「次に彼の移動先は相対座標ではなく絶対座標で認識している」
「よく分からない。どういう事?」
「つまり下手に飛べば自転する地球に押しつぶされるか、公転する地球に置いていかれるか。上手くやれたとしても知っている場所にしか飛べないのです。しかし彼も私もこの島が地球上のどこにあるか分からない、と」
「テレポートの度にそんなややこしい事してるの?」
「経過だけ見れば彼以上の逸脱能力は中々なさそうですね」
速水アカネが速水ユキトに飛びつく。ほぼ同時に銃声が鳴り響き、速水アカネが撃たれた。私は駆けより、彼女を抱きかかえる。腕に針が刺さっている。どうやら麻酔銃だったようだ。彼女は歯を食いしばって痛みに耐えている。すぐに腕を抑えたおかげか、元々即効性のあるものではないのか。すぐに眠りに落ちる事はなさそうだが、能力の行使は難しそうだ。
飯島が瓦礫の中から現れる。舌打ちをし、拳銃型の麻酔銃に次の弾を込めている。
「麗しきは兄妹愛だね。灰原君には姉弟の絆はあったのかな」
飯島は狙いを定めている。その照準は速水ユキトのようだ。彼にとって一番厄介な能力だという事だろう。
「あの念動力の嵐の中、傷一つないってのはどういう事なんですか?」
「運が良いんだ。昔からね。前にも言ったろう?」
「そうですか。どうやら心を覗かれない能力だけではないようですね。念動力も、いやもしくはあらゆる能力の干渉を防ぐ能力?」
「つまらない能力だよ。他人なしには何の意味も価値もない能力だ。まあここの園長さんにはぴったりかもしれないけど」
「謙遜ですね」
飯島の構える拳銃が空中で揺らめく。小さく深い穴がじっとこちらを覗き返していた。
「しかしまあ、お陰で、この能力によって誰かを傷つけた事はなかった。君とは違ってね」
この男はあの事件の時、どういう立場にいたのだろう。能力災対策部の人間として事に当たっていたのだろうか。
「何を知っているんですか」
「覚えてないのも、まあ無理はない。もう二十年も前の出来事だ。君はまだ物心が付いているか付いていないか、という具合だったな。何を知っているか? 何を知っているかだと? もちろん君が行った凶状の全てを知っているよ。両親と姉と、いや両親と姉で人形遊びをしていた君の行いは当時の新聞紙上を連日のように賑わせていたよ」
全て真実だ、と思う。飯島の言う通り、私はまだほんの子供で知ってか知らずか両親と姉に能力を使い、その精神をズタズタにしてしまった。能力を使いこなせるようになって治療をする頃には器質的にも彼らの精神は損なわれており、完全回復は出来なかった。
「彼らの精神を治すために私は闇医者になったんですよ。学べば学ぶほど既存の知識ではお手上げだという事が分かっただけでしたが」
「別に責めちゃいないよ。君はまだ子供だったし、能力災は事故なんだ。だが、その通り、君は彼女らを治す必要があった。今のところ君以上の精神改竄能力者は発見されていないからね」
「ここを私の修行場所にするつもりだったのですか」
「思い上がるなよ。こちらはこちらで速水兄妹も含め、重要なプロジェクトが何本も走っている。君はその一つだ」
しかし飯島の瞳には何か深い執念のようなものを感じる。
「あんたと私に何か関係があるのですか?」
銃声が鳴り響く、と同時に崩れたコンクリートの壁も、飯島もどこかに吹き飛んでしまった。
海が広がっている。広く青い絨毯がどこまでも伸展している。
「ここは……」
焼けつくような太陽の下、私は辺りを見渡す。どうやら島の港のようだ。遠くにさっきまでいたと思われる崩れかかった施設が見える。
突然、目の前に速水ユキトが立っていた。速水アカネを抱きかかえ、虚ろな目でじっとこちらを見つめている。
「何をしているんです。アカネさんを連れて早くこの島から脱出しなさい」
「何言ってるの? 私達の恩人を置いていけるわけがないでしょ? ねえ、兄さん?」
速水アカネが兄に掴まりながら地面に立って、そう言った。
「一人だけ。二人、連れていけない」
速水ユキトも初めて口を聞いた。
「言葉を取り戻しましたか」
「それに一度、行けばここに、戻れない」
「お気づかいどうも。でも他に方法はないでしょう」
「周りを見てよ」と、速水アカネ。
「船」と、速水ユキト。
確かに港にはいくつもの船があった。しかし……。
「すぐに追いつかれます」
すると一隻を残して全ての船が水を滴らせながら空中に持ちあがり、施設の方へと飛んでいった。
「これで追いかけられないでしょ?」
「無茶しますね」
「お願い灰原さん。寂しい事を言わないで。たった一カ月だけどとても楽しい一カ月だったんだから。離れ離れになんてなりたくない。約束して」
「分かりました。約束します。三人で逃げましょう」
意を決し、残った近くの船に近づいたところで、途端に船が爆発した。私は咄嗟に海に突き飛ばされ、速水兄妹はその場で一旦消え、爆風が収まったところで戻って来た。私は海から這いあがる。
「言ったろう? 何本も重要なプロジェクトがあると。別に君達だけじゃないんだ。確かに君達ほどではないけどね」
いつの間にか飯島も港にいた。そして三人の男が飯島の後ろにいた。おそらく三人ともが逸脱能力者なのだろう。
「お早いご到着で」と、私は言った。
「さあ諦めてくれ。彼らも中々の能力を持っている。手負いのサイキッカーや薬漬けのテレポーターでは敵わない。そこのテレパスなら敵っただろうけれど、どっこいこの三人は速水ユキトを越えて薬漬けだ」
現れた瞬間読みとった三つの花、紫陽花、睡蓮、桔梗は蝋で固められたかのように硬直し、手の施しようがなかった。
「さて、どうせなら灰原君も薬漬けにしたいところだ。君の姉のように。私の婚約者のように」
飯島の事は全く記憶にはなかった。しかし私の記憶にある姉さんは、そう、まるで花嫁のように幸せそうだった。
「私を怨んでいるのですか?」
「いいや。怨んじゃいないさ。もう二十年も前の話だ。結婚もしたし、子供もいる。だがな、今でも夢に見るんだ。無表情で甲高い声で昔のアニメヒーローのセリフを繰り返す義父さん、悪役のように下品に笑う義母さん、延々と泣き続ける洋美」
私が喋ろうとすると飯島は手を掲げて制止する。
「怨んじゃいない。怨んじゃいないんだ。君の何度かの治療で今は少なくとも穏やかには過ごせているんだろう。それも知っている。だからね。これはあくまで仕事なんだ。だから大人しくしてくれ」
「悪いけど三人でここから逃げると約束をしたんですよ」
「そうか。いいか。この際テレパスはもういらん。薬で十分だという事をお前達が示せ」
飯島がそう言うと、燃え上がる船から炎が噴き出してくる。心を見るにどうやら紫陽花の男の能力のようだ。私は咄嗟に身構えたが、空中で掻き消えてしまった。しかし続けざまに火は飛んできて、掻き消える。速水アカネが消し飛ばしているのだ。
いつの間にか飯島が連れて来た睡蓮の男がすぐ傍まで来てナイフを構えていた。その背後に速水ユキトが現れて取り押さえようとするが、睡蓮の男はまるで後ろに目でも付いているかのように潜り抜け、私の脇腹にナイフを突き立てた。拳を振るうがまるで当たらない。睡蓮の男は巧みな体捌きで距離を取る。
飯島がこれ見よがしに笑う。
「接近にすら気付かんとはな。動揺しているのか?」
「駄目だ。逃げられる」
桔梗の男がくぐもった声でそう言った。
「馬鹿者。具体的に言え」
飯島が焦った様子で桔梗の男に言った。桔梗の男が答える。
「速水ユキトが速水アカネを連れてテレポートする。灰原洋司は置いていく」
「何だと!?」と、飯島。
「あいつは予知能力者なんだわ。やめて! 兄さん! 灰原さんを見捨てないで!」
「俺、そんな事、しない、しない」
「アカネさん。ユキトさん。さようなら。ありがとう」
私は二人に最後の言葉を贈った。二人はこちらを振り向き、何かを言おうとした。一瞬後、速水アカネと速水ユキトはその場で消え失せた。
「ユキトの頭を弄ったのか。自己犠牲のつもりか?」
「私の患者は私の中でかなり優先度が高いんですよ。ご存じありませんでしたか?」
「それでこれからどうするつもりだったんだ?」
「さてね。多分飯島さん次第なんじゃないですか?」
「いや、君がどうなるかはもう決まっている。君を刺した男の目には、君の太い血管がどこをどう走っているか見えているんだよ」
気が付くと、私の下には大きな血溜まりが出来ていた。男達は施設の方へと去って行く。飯島だけがその場で私の最期を見届けるようだ。
私は痛みに喘ぎ、声を振り絞る。
「飯島さん。一つだけお願いしても良いですか?」
「何だね」
「家族をお願いします」
少しの沈黙があったが、飯島は答えた。
「分かった」
その言葉に嘘偽りがない事は心を読めなくても分かった。
急速に体から熱が失われるのを感じる。続いて自分を支える力が失われ、私は血溜まりに斃れた。去り行く飯島の背中を見た。
ここまで読んで下さってありがとうございます。
ご意見ご感想ご質問お待ちしております。
能力バトルをやりたかったはずなのに、強い能力を与え過ぎて、
仕方なく制限を与えたら今度は戦いようがなくなってしまった。
プロットを読み返すと何か話の流れが微妙に違ってた。
主人公の口調が安定しなくて苦労した。




