気を取り直して、旅立つ勇者
ほんのりと甘い香りが鼻をつついた。まどろむ意識の中、瞼を開けるとビニールのような革袋の屋根が視界を覆っていた。
俺は寝る前の記憶を掘り起こしてみると、どうやら昨日はあのまま深く眠ってしまったようだ。メディと、オニヒメの実を食べる約束をしたのに悪いことしたな。
「ふあぁ~ア!?」
大きな欠伸に合わせて腕と体を伸ばそうとするが、グッと何かが身体を固定して動かなかった。金縛りかと少し焦ったが、すぐに原因が判明した。
犯人はメディである。
俺の体を抱き枕のようにガッチリと手足で抱いており、静かに寝息を立てている。視線を移していくと、黒のネグリジェは着崩れており、いつものツインテールも解かれている。
そのため、長い髪が好き勝手に乱れており、その一部が俺の体にまで巻きついてしまっている。
よくこんな雑な扱いで髪が痛まないものだ。・・・いや、今はそれどころではない。
俺が動かそうとした左手が、大変よろしくない所で固定されているのだ。
左肩付近にメディの寝息が当たり、上腕には発展途中の山が二つ。腕から手首にかけて滑らかなお腹があり、手と指には程よい弾力の肉に挟まれてしまっている。
これはある意味幸福なのかもしれないが、重要な事を忘れてはいけない。メディは泣く子も黙る魔王様である。
少しでも勘違いされて衝動のまま魔法を行使されれば、俺は消炭すら残らず終わるだろう。
「落ち着け、大丈夫だ。さっき少し動いた程度では起きなかったんだ。ゆっくり、慎重にやれば・・・いける!」
「そうかそうか、逝けるのか」
「・・・」
錆びた歯車のようにギギギっと首を回す。透き通った紅い瞳が、俺を見つめ返しながら怪しく笑みを魅せる。
「オハヨウ、メディ」
「ええ、おはようエージ」
にぃ~っとメディの口角が釣り上がる。乱れた前髪から覗かれる紅い瞳に見惚れるが、すぐに俺は目を強く閉じて覚悟を決める。
終演、やはり勇者は魔王には勝てませんでした。著作エージ。
「・・・あれ?」
いつまで待っても幕が下りない。まるで、引退宣言を大袈裟に公表したのに、あれは嘘だ! っと微妙な空気を作り出してしまった気分だ。
恐る恐る目を開けると、メディは少しは慣れ他ところで乱れた髪を櫛で梳かしていた。慣れた手つきで櫛を操り、髪自身が生きて動いているかのように、あっという間にツインテールが出来上がった。
そしてネグリジェに手を当てると、溶けるように黒粒子化して形状を変えていき、最終的にいつもと同じ漆黒のワンピースに変貌した。(魔法少女のように、一瞬裸になったりはしない。黒粒子さんに隙などないのである)
その手品のような様を寝転びながら見ていると、ふと目と目が合った。メディは少し恥ずかしそうに目を逸らして口を尖らせる。
「見ていても面白くないでしょ。それよりも早く起きなさいよ。昨日食べなかったオニヒメの実、あれを朝食代わりに食べるわよ」
「う、うん。そうしよう」
お咎めなし? よくわからないけど、助かりました。
「あ、甘栗だこれ」
「アマグリ? なによそれ」
「俺のいた世界のスイーツの一つ。これよりも少しだけ甘いけど、味はそっくりだ」
「ふ~ん。良かったわね、昔を思い出せる味に会えて」
「まぁ、前を思い出しても寝込んでいる記憶だけだよ」
「・・・そう」
メディは目を細めてオニヒメの実を頬張った。少し退屈そうで微妙な顔を見せるが、俺は何かしただろうか? ・・・したな。したけど不可抗力だ。掘り返すのはやめて頂こう。
「さて、そろそろ行くわよ」
「よし、準備完了」
ガサ
「ん?」
ガサガサ・・・シュバッ!
「お、お前は!?」
茂みから飛び出したのは見覚えのある白い毛玉。俺はリベンジする好機と嬉々して腰ベルトのナイフに手をかざすが、その手は空振りするだけに終わった。
おかしいなと思った時には、風を切る何かが視線の端を通過していた。
ドス!
「ギュッ!?」
一瞬だった。俺とウサネンは何が起こったのかわからないまま、風を切っていった物をに目を向けた。
それは、ウサネンの心臓を貫いていたナイフである。
突然訪れた死を、驚きながらも悟ったウサネンは、ゆっくりと顔を上げてつぶらな瞳で語るように俺を見つめる。
「そんな・・・ウサネン」
「キュゥ」
小さく掻き消されそうな鳴き声だが、俺にはハッキリと伝わった。
「ああ、わかってる。俺はお前の分も生きていく。こんな病弱な体だけど、病になんか負けずに生きてやる!」
「キュ・・・」
そっと小さな前足を差し出すウサネン。俺はその小さな前足を優しく握り返した。
ほんのりと暖かく毛が柔らかい前足。俺はこの感触を決して忘れない。そして満足したかのようにウサネンの瞳が閉じられた。
「ウサネンーーッ!」
「・・・もういいかしら、バカエージ」
「ウッサネーーンッ!」
「うっさいわよバカ!」
ドカッと後頭部に重たい衝撃が走る。メディの拳が振り下ろされたと理解した俺はそのまま意識を手放し、ライバルであり友でもあったウサネンの隣に倒れるのであった。
「あ~もー! 軽くどついただけなのになんでこうなるのよ。エージのバカーッ!!」
「う・・・ん。ここは?」
目が覚めると、見慣れたテントの天井。また倒れてしまったのかと、申し訳ない気持ちで周りを見渡すが、そこにはメディの姿は見当たらなかった。
「――メディ?」
メディを捜そうとテントから出ると、そこは予想を裏切る世界が広がっていた。
山の木々が茂みなど存在せず、変わりに何処までも続いている草原が広がっていた。その草原を包み覆うのは、溢れ落ちてきそうなほど散りばめられている星々である。
暗くも明るい夜空で、きらきらと宝石箱にも思える美しさで輝き続けている。この計り知れない開放感に、俺は口を開いたまま見惚れていた。
「すっげー・・・」
そよ風が吹く度に草が揺れ、葉の擦れる音が心地良く耳を刺激する。それから数分か数時間かわからなくなるほど、俺は立ち見惚れていた。そして知らずの内に頬に雫を流して泣いていた。
「エージ?」
気付けば隣に立っていたメディ。抱えていた薪を落とすように下ろすと、流れていた涙を暖かな手で救ってくれた。
「どうして、なぜ泣いている? どこか痛いのか?」
「ううん、違う。とても、とっても嬉しいんだ。本当に心の底から嬉しいだけなんだ」
前の世界では、木造の天井に冷たいコンクリートの壁。毎日見飽きた蛍光灯の白光と豆球の橙光。窓から見える景色を覗いては、幼い時に少しだけ見た街の情景を重ね思い出に浸る日々。
そんな弱すぎる俺がここにいる。夢だと言われても疑えないこの景色に。
「ありがとう、メディ」
「急に何なのよ、可笑しなエージね」
「でも、次からはもう少し手加減してほしいかな」
後頭部にあるコブを摩りながら苦笑すると、メディは顔を赤らめてエージが弱すぎるっと愚痴りながらテントの中へ潜ってしまった。
「次はどぉ、コホンッ。・・・どんな景色が見れるのかな。楽しみだ」
メディ「今夜は肉だぞ。これでエージも体力をつけるのね」
エージ「モグモグ。うまいなこの肉」
メディ「ククク、大半の人間共はこの肉を絶賛しているからな」
エージ「へー、何の肉なんだろう」
メディ「ウサネンよ」
エージ「・・・まさかっ!?」