怨恨の呪い
「・・・え?」
上半身から激しい痛みと熱を感じたと思ったら、すぐに冷水で冷やされたように寒く凍えてきた。痛む体を見ると、右肩から左横腹までざっくりと切られており、大量の血液が飛び散っていた。
なぜ、どうして俺がメディとベルヨネアの間に割って入った? そもそも俺自身の意思で動いた覚えはない。
ああ、それよりも何よりも先に、大丈夫だよってメディに言わないと。ほら、酷く青い顔をしているよ。そんな顔は二度と見たくなかったのに。この呪われた姿も見せたくなかったな。
ゴフッ、ゲホ!!
「い、や・・・エー、ジ? う、嘘よ。私が、私が・・・エージを、傷付ける、なんて」
「だい、じょ・・・ぶ、だよ。メ、ディ」
鉛のような重たい血塗られた手でメディの頬をさすると、手に雫が流れ落ちて血が少しだけ洗われる。それでもメディの顔色は悪くなる一方で、ふるふると首を横に振っては、自分を否定する言葉を呟き続ける。
「フフフ。終わらない、終わらせないわよ魔王」
「ベルヨネア!」
メディを庇うように間に立ち、怒りを込めて名前を呼ぶが、血も流し過ぎたせいか目眩がしてふらつく。
「あははは! 忘れたのエージ? 貴方と呪具を縛り付けたのは私よ」
俺は今も指に縫い付けられているマリオネットリングズを見る。そこには翡翠の糸が今もなお健在であり、糸が俺の体内に縫い巡らされている事を理解した。
「もうエージは私色に染まったの。永遠に切り離せない、私とエージの絆の糸。そう、そうよその顔よ。最高だわ魔王! その絶望の顔のまま死んじゃってよ!」
俺の背中を食い破り出てくる翡翠糸。糸は触手のようにベルヨネアに絡みつくと、そのまま糸で覆ってしまった。
「憑糸結合」
言葉が響くと、ベルヨネアは糸に飲み込まれ姿を消した。
「くそ、どこに消えた」
「あはは、何処って此処よ?」
まるで脳内で囁かれているような気持ち悪い声。その声の発声源は俺の全身に縫い付けられている糸からだった。
背中から溢れている糸が紡がれ、それは翡翠のベルヨネアを編み出した。まるで二人羽織するように背中のベルヨネアによって、俺の意思に反し銀の短剣を手に握りしめられる。そして矛先は、今だに放心状態であるメディの胸へ向けられ、高々と振り上げられた。
「や、やめろーー!!」
叫びなど虚しく、俺はメディの心臓へ杭を打った。肉を断ち切る感触が、暖かい返り血で濡らされていく感覚が、メディの命を削っている感覚が、じわじわとハッキリと伝わる。
深々と貫いた短剣は勢いを付けて引き抜かれ、ダムが決壊するように血が噴き出す。俺が悲しむ間も無く、再び短剣の握る手に力が込められた。
「嘘だ・・・いやだ、やめてくれ! 止めてくれェ!!」
もはや俺の意思など許されず、短剣は迷う事なくメディに二つ目の穴を開けた。
振り上げ、振り下ろし、刺して、抜いて、裂いて、また裂いて、血肉を浴びて、血を血で濡らして、痙攣し、意識のない紅い少女をさらに赤く染めた。
胸元に幾つもの穴を作り、肉が削げ落ち肋骨の見え隠れする真っ赤な身体は、受身を取ることなど出来ずそのまま地面へと崩れた。
「あは、あはははッ! あははははははは!! やった、ついにやったわ! パパ、ママ、今そちらにま魔王を送りましたわよ! 思う存分痛め苦しめてあげてくださいね!」
翡翠のベルヨネアは、両手を広げ俺の背中で高々と狂喜する。憑糸が途切れたのか、急に力が抜けるように身体が自由になった。
ようやく手から離されたヒビの入った短剣。地面に刺さるソレは元の色などわからないほど赤く染まりきっている。
力の入らない脚が折れて、俺はメディの前に崩れ座る。赤い手で紅い髪を撫でるが動くことはない。触り心地の良かった髪は、血でベタ付き固い。ゆっくりとメディを抱き寄せて、ズタズタの小さな身体を抱き締める。
だらんと力ない腕が、俺を抱き返してはくれず、変わりに熱を失ったメディの身体だけを感じる。
「あははは、あはははッ! はは・・・ふぅ。エージ、ありがとうね。もう用済みだから、すぐに魔王の後を追わせてあげるわ。でも、エージはきっと天国に行くでしょうから追っても会えないでしょうね」
「・・・さない」
「ん?」
「ユるサない」
ベルヨネアはつまらない顔を向けると、ため息をついて翡翠糸で短剣を縫い上げた。
「そう、だから何? あなたは抵抗も出来ずに死ぬだけなのに」
ベルヨネアの翡翠の手が頬を撫でる。それを払いのけて、俺は抱き寄せたメディの耳元で一言だけ囁いた。メディは魔王だ。きっと死んでなんかいない。何の根拠もないけど、俺はそう信じ口約束を押し付ける。
そして赤い短剣の柄と刃を両手でしっかりと握りしめて、眼前に持ってくる。
「そんな短剣が振るえる体だと思ってるの? ほっといても死ぬ身体のくせに」
「振る必要なんてないさ」
短剣を力一杯に握り締めると指に刃が喰い込む。短剣はヒビの入った所からピキピキと音をたて、刃の粒が光を反射して、まるで星の欠片が落ちるように散る。
「あっそ。バイバイ、エージ」
首元に翡翠の短剣が添えられると同時に短、剣は金属音を響かせて折れた。
いつまでも耳に残響する音。折れた瞬間に錆びて朽ちた短剣。目の前に解れ舞い散り始める翡翠の糸。
「え、なん・・・で? ちょっと、どうして糸がほつれていくの!?」
プツプツと次々切れていく糸は苦しみ悶えるように形を崩していく。そして俺の身体も変化していった。身体に生えている白い鱗は鋭利ものに伸び変わり、手も細く長く鉤爪が伸びていく。口も横に少し裂けては歯が牙のように尖る。臀部からは細長い白い尾が肉を食い破って生え、ズルズルと無理やり引き伸ばされて長くなっていく。
引きちぎられるような激痛と焼かれるような熱さ、液体の鉛に沈んでいくように身動きも取れない。
「ッゴホ! ゲホゴホ、オエェ! ・・・ハァ、ハァ。ベルヨネア、キミの、負けだ。俺は、俺を、呪い殺す」
「いったい何をした! 私に呪法をかけたというの!? いつ、どうやって!!」
吐血と汚物で汚れた口元を白鱗の腕で拭う。気合だけで動く身体にも限界が見えてくる。
「これが、俺の呪具さ」
俺は瞬膜を開く。トカゲ目が絞るように縦に細く伸び、星のように煌めく瞳が血走る。背中で悶え苦しむベルヨネアを貫くように睨みつけ、ありったけの呪いを振りまいてやった。
「ッ、なんなのよその眼は。やめて、見ないで。その眼で私を見るなあぁぁ!!」
原型の保っていない翡翠の短剣が首に突き刺さるが、新しく生え変わった白い鱗を貫通することはなかった。
飛散していく糸屑と共に、核である指輪がベルヨネアからほどけ落ちる。
「イ、いやあぁぁぁ――!」
色と形を失い糸屑に変わるベルヨネア。木霊した悲痛の叫びが消えていく。
先程までのが嘘かのように静まり返り、今度こそ終わったのだと悟った。身体の中に縫い巡らされていた糸の感覚もなくなり、身体の自由を再度確認するように、ベルヨネアの落とした指輪を手に握る。
「やっと、終わっ・・・た」
だが安堵したのも束の間、ドロドロと溶解液に浸したように溶けていく右手。痛覚が働いておらず、本当に自分の手なのかと思考が追いつかなかったが、握っていたはずの指輪と共に落ちるヘドロの肉塊を見て理解した。
「あは、はは。そりゃそうだよな。無数の呪いを自分に振り撒いたし、銀の短剣も無くなってるんだから」
今まで呪いを無理やり押さえ込んでくれていた短剣。恩を仇で返すように自分で折ってしまったことを申し訳なく思う。
「最後に、メディの髪を撫でながら抱きしめたかったな。・・・この体じゃもう叶わないや」
手首から先が完全になくなり、今も腐食を続ける腕からは骨が剥き出ていた。追い討ちと言わんばかりに、今度は両足が錆びるようにひび割れはじめる。
もうグロいし眠いし疲れたし思考も回らないと、俺は目を閉じて地面に寝転ぶ。
そして、メディに伸ばした腕を引っ込めようとした時だった。ガシッと物凄い力で掴まれた。あまりの強さに、肩から捥げるのではと目を見開く。
「ケホッゴホッ! なにを、しているのよ、エージッ!!」
ホラー要素満載の肋骨剥き出し血塗れ少女が力一杯に俺の頬を叩いた。それもパーンなんて可愛らしい音ではない。ズドンッ! っと頭が吹き飛んだと勘違いする衝撃が脳に伝わる。
「やっぱり、生き――」
クラクラする頭痛に耐えつつメディの元気な姿に安堵すると、血の味のするキスが口一杯に広がる。紡がれた口から暖かいものが流れ巡る。それが魔力循環だと理解した時、呪いの影響が大きく遅延した。
「ばか! アホ! エージ! すぐに、絶対に助けるから! 気をしっかり!」
メディが両手を地面に叩きつけると、見覚えのある赤い魔法陣が周囲に展開された。周囲に半透明の赤いドームが築かれ、複雑な文字が並んで行く。どうやら前に見た転送魔法とは違い、その魔法陣は二重三重と書き換わっていく。
だけどその光景を最後まで見守ることは叶わず、ガコンっと何かがハマる音とメディの声を閉じた瞼の中で聞き、俺は意識を手放した。
「――ッ!」
薄っすらと脳内に映し出される映像。
真っ白な部屋の中央にポツンと寂しく浮いているオレンジ色の球体。淡い光を放ち、コポコポと泡の音を鳴らしている。その泡は、水球の中にいる白い人影を撫でるように出ては消えてを繰り返す。
部屋といったが周りに壁など存在せず、永遠と白い床が続いているのだ。
果てしない先の白景色を眺めていると、水球の前にエレベーターのような黒い両扉が現れ、ピンポンと音が鳴り開かれた。
「あら、まだ寝てないとダメですよ」
凛とした声ではにかむ少女。誰かと雰囲気が似ている気がした。
綺麗な緑眼に、右側だけ伸ばしている黄髪のセミショート。ツンデレの似合いそうな釣り目をしている。メイド服のような短いスカートの端をつまんで、優雅なお辞儀をする。
「おやすみなさい。ゆっくりと癒すのよ」
そこで映像は終わった。夢のような、いや夢なのだろう。不思議な夢だと思いつつ、明日の朝の目覚めを待つことにした。
メディ「エージの容体は?」
リーヴ「良いわけないでしょ。呪いは単体でも脅威なのに、何十と自分に呪いをかけたのよ。生きているのが不思議よ」
メディ「・・・私が油断したばかりに」
リーヴ「そうね、手を抜きすぎ。そんな頼りないと、彼女にエージちゃんをとられるわよ」
メディ「どういう意味よ」
リーヴ「すぐにわかるわ。私も呪具や呪法について調べなおす必要が有るみたい」