再会
花園ハトピアを後にしてから一夜が明けた。村の外まで咲いていた花は全て枯れ散ってしまい、朽ちた花びらの絨毯が出来上がっている。
その絨毯を見下ろしながら、馬車は急斜面の続く山の崖道を上り下りと何度も繰り返し進んでいた。
「ケホッ、この道って大丈夫なのか? 馬車一台がギリギリ通れる細さだし、なにより見る限りに崩れ落ちそうなんだけど」
さっきから車輪が道幅から脱線しそうで怖いんですけどー。って、一瞬だけ後輪が道から反れた様に見えたぞ!?
「フン、落ちたら馬車を捨てて歩くだけだな。ま、それだと紅いガキに追いつかれるかもしれねぇからお断りだな」
「そう。もう向かってきてるの」
「チっ さすがと言って褒めるべきか?」
ベルヨネアの言葉に片眉をあげるムトウ。舌打ちをし、すぐに自分の武器のチェックを始めた。ムトウの武器はこの世界では珍しい拳銃だ。大きさはや形状はハンドガンそのものだが、弾丸が特殊だ。ランとの戦闘時も、一度静止したはずの弾丸が独りでに再発砲されていた。おそらく弾丸自体が一種の魔具なのかもしれない。
それとあの黒い箱のようなもの。ムトウが銃で撃つことで散弾と化すあれも魔具なのか? 見た目は本当に黒い箱でしかないから、銃弾になるなんて実際に見ないと信じられないよな。
「・・・メディ?」
どこか懐かしい気配のようなものを感じ、俺は空を見上げて辺りを探す。それらしき影は見えなかったが、空を漂う糸線があるように何かと繋がった感覚がある。
この先にメディがいる。今すぐメディに会いたい。でもこの姿のままでは会いたくない。縫いぐるみは百歩譲って見られてもいいとして、呪われた姿は見せられない。
「・・・早い」
「うわ!?」
突然、首後ろからをベルヨネアに抱き付かれると、ぐいっと引っ張られてそのまま荷台から崖下に跳び出してしまった。
予想外の行動に慌てふためくが、すぐにここの標高を思い出し身震いをする。いくら縫いぐるみクッションがあるからといっても即死は間逃れないであろう高さだ。
ベルヨネアは長い落下時間のなか、指に光る呪具を地面向ける。
「呪具ライフテイラー! 抱えて!」
ベルヨネアの指輪から全身へ煌めく魔印が走り、滝のように翡翠の糸が溢れ出す。龍のような糸の塊が次第に巨大なクマを編んでいく。地面寸前時にはマンティコア同等の大きさになっており、それに抱えられる形で着地した。
ベルヨネアは魔印を収めることなく新しい翡翠糸を生み出すと、巨大クマの両手を肥大化させ、ナックルのような武器を編んだ。そして足を前に大きく踏み出し、空から飛来してきた黒い塊に向かって拳を突き出した。
ガキィィィンッ!
とても糸から出る音とは思えない金属音。巨大クマのナックルと交差しているのは、黒いベビ。それもクマの片手を飲み込みそうな程これまた巨大なヘビである。
特撮でも見ているような俺だったが、その黒いベビには見覚えがあった。
「メディ!」
「やっと見つけたわよ エーージ!! そのウサネンの中はエージよね!? 怪我は無い? どこも痛くない? 咳は? 喉は? 姿はよく見えないけど、少し痩せたように思えるわ。ちゃんと食べてないの? 大丈夫よ、すぐに終わらせてご飯にしましょう! あ、でも先にお風呂の方がいいかしら? いえいえ、それよりも診断が先よ! すぐに魔力循環しないとダメよね。大丈夫よエージ、全部私に任せて頂戴!!」
巨大モンスターの戦闘最中、ヘビの背からメディが俺の元に飛んでくるが、それを遮るようにベルヨネアが立ちはだかる。
「・・・させない!」
二体目のクマを編んでメディに嗾けるが、先程のような大きさもなく翡翠の糸も量が少なかった。ベルヨネアの出せる糸も有限なのだろう。
「ふふ、貴女の相手は私がしてあげるわ」
さらに二人の間に割って入るのは、金髪ロングへヤーの美女だった。背中にはメディよりも大きい蝙蝠の羽を広げており、吸い込まれそうな唇からは尖った牙が見えている。
「エリーはそのふざけた翡翠クマをよろしく。私はこっちの被り物に話があるわ」
「お嬢の仰せのままに」
エリーと呼ばれた女性は、自分の掌から重たそうな赤黒いハンマーを手品のように出すと、それを両手でしっかりと握りしめて翡翠クマをフルスイングで遠くへ飛ばした。
「ではお嬢、あちらが終わりましたらすぐに戻ってまいります」
血のように液化したエリーは、礼をしたまま地面へ染み込んでいき姿を消した。ヨザクラのように地面を移動しているのだろうか。
「さて、色々と聞かせてもらうわよ。ククク、あの無精髭男の援護を期待しても無駄よ。今頃デュラと楽しく遊んでいるのだからね」
「・・・」
クマの被り物で表情は読めないが、舌打ちでもしていそうな苦い顔に思えた。
「そう、構わない。もともと私の狙いは・・・魔王メディ、あなたなの」
「どういう意味かしら。私はエージの持つ呪具が狙いだと思っていたのだけれど」
「それなら拉致した日に殺してる。エージは・・・ただのエサよ」
普段の大人しめで口が少ないベルヨネアだったが、今は明らかに怒りを言葉に込めて話している。あの可愛らしい言動をとっていた時とは雰囲気もしゃべり方も違った。
「ムトウと組んでいたのもこの日の為。・・・パパとママの敵討ち、ここで撃ち払うわ!」
ベルヨネアが再び魔印を煌めかせるが、新たに翡翠糸を出すことはなかった。代わりに、片時も外すことのなかったクマの被り物に手を触れた。
クマの被り物は翡翠の糸となって解けていく。それに従って露わになっていくベルヨネアの素顔。高出力の魔力により吹き荒れる風の中、まるで怒りの炎を表しているかのように長い茶髪が逆立ち揺らぐ。被り物が全て翡翠の糸になった時、白い顔にペンキをぶっ掛けられたような大きな火傷のあと。紫色の左目周りを除き、首から顔全体まで広がっている。
右目の瞳は火傷の影響なのか、色素を失った白色になっていた。
「・・・戦争の被害者ってところかしらね」
「そうよ、ちょうどパパとママが前線に出る前の日。最後だからと私が特別に駐屯地に行った時よ。あなた達が空から突然現れて、私たちが運んだ補給物資を全て焼き払った! たまたま側にいた私を庇うようにパパとママは・・・ッ!」
バツが悪そうな顔をするメディだが、言葉を濁らすことなくハッキリと、ベルヨネアの顔から目を背けることなく言った。
「謝罪する気もないし、同情する気もない。人間が起こした戦争であり、むしろ被害者は私たちだ。・・・だから、目の前にいる貴女も敵。私の手で、ベルヨネアの両親を殺したこの私の手で殺してあげるわ」
「そうよ。謝罪なんて必要ない。・・・欲しいのはあなたの首。パパとママの墓前で、私と同じように、その顔を醜く焼き殺すのよ!」
ベルヨネアは翡翠の糸を手首に巻きつけ、そこから爛れる糸を握って鞭のように振る。翡翠糸に叩きつけられた地面は、数多の刃に切り刻まれたように抉られた。
「随分と危なげなく魔具ね」
「気をつけてメディ、それは呪具だ!」
「呪具・・・ね。なんとまぁ危険な玩具で遊んでいるのかしらね。ほら、お姉さんがちゃんと管理してあげるから、それを渡しなさい」
差し出されたメディの右手を、払いのけるようにベルヨネアは鞭を大きく振るう。すぐに手を引っ込めたメディだが、瞬時に鞭が解けるようにばらけて攻撃範囲を網状に大きく広げた。
慌てずバク転するように避わすが、手には小さな切り傷が出来てしまった。
「ちょっと、私の顔に傷が付いたらどうしてくれるのよ!」
「人の顔を焼いておきながら、よくもそんなセリフが言えるわね!? 今すぐズタズタにしてあげるわよ!」
ベルヨネアは再び鞭を振るい始めるが、一振りで無数の軌跡を描くその鞭は、先読みする事が不可能に思える。
しかし、特に苦にすることなくメディは全て避け続ける。ターンを決めてはステップをし、手と足を優雅に動かして、まるで踊っているようにも見える。
「その翡翠の糸・・・相手に寄生する呪法ね」
「ふふふ。そんなこと今更気付いても、既にあなたは手遅れよ」
ベルヨネアが腕の魔印をかざすと、同じ翡翠色の輝きがメディの右手から発せられた。
華麗に動いていたメディの体は、右手を引っ張られる形でバランスを崩した。その隙を狙って再び鞭が襲いかかる。
側転するように大きく動いて躱すメディだが、着地の際に右手を地面に着けたのが不味かった。
「そう、捕らえたの」
右手に寄生していたと思わられる翡翠糸が、メディの傷口から蔓のように溢れ、地面と手を縫い付けるてしまった。
「小ざかしいわね、こんなの地面ごと引っこ抜いて――ッ!?」
「不可能よ。あなたの右手と縫い付けたのは、地面じゃない。縫ったのは、この大陸中に張り巡らされている、根っこ。いくら魔王だからと言って、この大陸を持ち上げることは出来ないでしょ?」
ベルヨネアはゆっくりとメディに近寄り、鞭を構える。一歩進むごとに口の端を釣り上げ、狂喜に満ちていく。
「終わりよ魔王。あの世でパパとママに謝罪することね。許される事はないでしょうけどね!」
復習を果たさんと鞭を下ろす。翡翠の糸が迫る中、メディは素早く黒粒子で右手を覆った。
「無駄よ! そのライフテイラーは特別製。私以外に切ることは出来ないの!」
「知ってるわよ。切れるのなら傷を受けたその時に切ってるわ。だから、切れる方を切るだけ」
「な、何を!?」
黒粒子はメディの肘上まで包み込んだ。少し冷や汗をかくメディは、不敵の笑みを俺に向けた。そして、噛み殺した声を漏らしながら、鮮血が飛び散り自らの腕を切断した。
「メディ!!」
「来るなエージ! クッ、あぐッ!」
紅い切断面から流れる血肉。白い骨も綺麗に切られており、断面がハッキリとわかる。どっと溢れた汗で湿った髪がメディの顔に張り付いており、尋常じゃない痛みを堪えているのがわかる。その姿を見るだけで、おれ自身も痛く目を背けたくなる。
苦痛に悶えたいメディだがそんな暇などあるわけがなく、すぐにベルヨネアの鞭を避けるため跳ぶ。着地は不格好だったが紙一重で危機を脱した。
「大した脱し方ね。でも、その様子じゃ痛みでまともに動けないでしょ? 」
黒粒子を切断面に集中させ止血を行う。涙目で無理やり笑みを作り、ベルヨネアに余裕を見せようとする。
「ク、クク。こんなの、全然、い、痛くない、んだから」
「そう。痛かろうとなかろうと、死んでくれるならなんでもいいの。だから・・・」
ベルヨネアはメディの切断された右手を鞭で掴み投げた。メディ右手は自らの意思を持ったように指を広げ、主人であるメディに襲いかかろうと迫る。
「人の体の一部を、勝手に玩具に変えないでほしいわね」
「切り捨てたのは、あなた。なら、拾った私がどう扱おうと勝手」
メディは黒粒子を巨大なハンマーに変化させ、虫を払うのに躊躇なく自分の右手を潰した。白くて綺麗だった手は、水風船が破裂するように血を撒き、その肉塊から翡翠糸が飛び出す。
「ク、クク、その糸はもう触れたくないわ」
ハンマーの柄から糸にも負けない細い黒蛇が伸びる。翡翠糸と黒蛇はお互いに激突し、黒蛇が糸を呑み込むように喰らっていった。
「魔素を媒体に侵食する呪法なんて最悪な呪具ね。そもそも、魔素を持たない奴なんて殆ど居ないんだから、全てを操れる呪具と言って謙遜ないわよソレ」
「そう。これなら、幾ら最強最悪の魔王であろうと呪い殺せる。だから早く死んでよ!」
ベルヨネアは残りの翡翠糸を全てメディに向ける。それに合わせてメディも黒蛇を生み出し、ベルヨネアごと呑み込もうと一気に勢いをあげる。
黒蛇にどんどん呑まれる翡翠糸。思惑通りにいかないベルヨネアに、焦りの顔が見える。
「ッ! どうして、縫い操れないの!?」
「私の黒蛇を縫いつけることなんて出来ないわよ。大人しく腹の中で封じられていなさい!」
蔓延っていた黒蛇は一つに集まり大蛇へと姿を変えた。全てを飲み干さんとベルヨネア事呑み込もうとするが、とっさにベルヨネアが翡翠糸を手放し離れたことにより、呑み込んだのは翡翠糸のみだった。
ヘビは姿をサッカーボール程の球体まで小さく丸めて動かなくなった。
一糸もないベルヨネアは、その黒い球を見て唖然としていた。メディはその隙を逃す愚行などするはずもなく、素早く黒粒子の纏った左手をベルヨネアの首へ振り下ろす。
避ける動作をすることなくベルヨネアはメディの手刀を見守る。
ザシュッ!
切られ、宙へと吹き出す鮮血。
「――なっ!?」
「・・・え?」
そして、血の混じって撒き散らされる翡翠にきらめく糸。
驚愕するメディと、間の抜けた声を漏らす俺。すぐに状況はわかったが理解には程遠い。
俺はベルヨネアを庇うように跳躍し、メディの手刀によって体を大きく切られていた。
ウサギの縫いぐるみから露わになる白い鱗に覆われた俺。メディの紅い髪に俺の血が降りかかり赤く濡れる。そして、より一層歪んだ笑みを浮かべるベルヨネア。
この激しい痛みの一瞬が、酷く永く感じられた。
ヨザクラ「・・・!!」
デュラ「・・・!!」
ヨザクラ「・・・!!」
デュラ「・・・!!」
ヨザクラ「・・・!!」
デュラ「・・・!!」
ムトウ「めんどうくせぇーッ!!」