マリオネットリングズ
ガシャンッ!!
フェニスが部屋を出てから少しして、ガラスが砕ける音が響いた。不審に思った俺は、ふらつく体に鞭を打って起き上がる。
部屋から出て廊下を進むと、窓越しからフェニスちゃんが巨体な男に捕まっているのが見えた。必死に抵抗しているが、抜け出せそうな気配はなかった。
「何にが起こっケホッゴホ!」
衝動的に男に向かおうとするが、体が言うことを聞かない。視界もぐるぐると回り始めた。それでも助けたい。一瞬でも注意を引ければ、フェニスは拘束から抜け出せるかもしれない。
――勇者よ、我を使え。
「ッ!?」
突然の声にあたりを警戒する。しかし、周りには誰もいなかった。症状が悪化して幻聴まで聞こえ出したかと動揺するが、それはすぐに間違いだと気付く。
――我の呪を使え。
今度はハッキリと聞こえた。脳に直接響くようなその声は聞き覚えがあった。そして『呪』という言葉。俺は咄嗟に指輪を取り出した。
――そうだ、我の力を使えば助けられる。
怪しく紫光に煌めく二つの指輪。宝珠の部分にある無数の星が、俺を誘うようにチラついている。
風邪を引いているせいか、切羽詰まっているせいなのか。俺は疑う事も知らずに、言われるがままに左右の指に呪具をはめた。
――我が呪の名は『マリオネットリングズ』。勇者の力になれることを誇りに思うぞ。
まず俺は自身の体をパペット化した。ただの人形ではない。もう一人の俺が俺を操るための人形だ。第三者の目でみるような感覚で、俺は糸を引いて人形を動かす。
初めての感覚に不気味な動きをするが、思い出していくかのようにすぐに慣れてきた。
一歩、また一歩と糸を動かす感覚で足を運ぶ。
「き、来ちゃ・・・ダメ・・・」
俺の姿を見つけた男はフェニスを片手で軽々しく持ち上げて、食堂の方へと投げ飛ばした。轟音とともにぐったりと動かなくなるフェニス。白い肌には赤い筋が流れる。
フェニスを傷付けた、こいつを殺る理由には十分だな。
「なんだお前。人間・・・なのか? いやそんな目を持つ人間はいない」
男の目を見る。だが、まだ呪は移さない。
今の俺の目は瞬膜で覆われている。瞬膜とは鳥や爬虫類が持っている、眼を保護する半透明の膜の事だ。この膜のおかげで、不用意に呪を振りまかなくて済む。先ほどまでフェニスも俺を見ていたのだから注意していた。
でも、今はこいつだけ。
「なんの亜人種かは知らんが、珍しい奴は高く売れる。大人しく捕まってもらうぜ」
男はボクサーの構えを取り、数メートルの差を一瞬で間合いを詰めてきた。いわゆる瞬歩というやつである。
すぐに男の右フックが迫るが、俺は体を後ろに曲げて避わす。あまりの柔軟さに骨が無いように見えるのだろう、男は一瞬だけ驚きを見せる。が、すかさず左ストレートを放ってきた。
それに合わせて俺は後転して距離を少し開ける。
たったの二撃だが、この男の身体能力が異常なのを理解した。拳が放たれた時に聞こえる風音が全然違う。まるで空気を切り裂いているかのような鋭い音で打っている。
「テメェ、只者じゃないな。なんの種族だ、答えろ」
「・・・いいのか、答えて?」
俺の呟くような小さな声。そして俺と目を一瞬だけ合わせた男は、咄嗟に両目両耳を塞いで、さらに俺との距離をとった。
その顔には油汗が滲みだしており、何かに強く抵抗するように膝をついて震える顎で空を噛み締めている。
すぐに目を閉じられたせいか、呪の効果がイマイチだな。
「どうしたアーヴィン」
「お、お頭、気を付けろ!」
食堂から出てきたのは無精髭の痩せ男。黒髪も肩まで伸びボサホザ。海賊を思わせる服も皺くちゃだ。俺としてはアーヴィンと呼ばれた筋肉男の方が、お頭っぽい気がするのだがどうでもいいか。
眠たそうな目で俺を見ようとするが、視線が合う直前に目を逸らし閉じてしまった。
「アーヴィン、こいつの目を見るな。撤退する」
「ッ! り、りょうかいだぜ!」
髭男とアーヴィンは脱兎の如く走り出し、倒れていたフェニスを見向きもせずに走り逃げていった。俺は追いかけることはせずに、その背を呪うように見つめ続けた。
フェニスをベットに寝かす頃には体も限界が着ており、ふらふらと壁へ激突するようにもたれかかった。手を見ると白い肌に白い鱗。頬に手を当てると、顔にも鱗のような硬いものがあった。
賊のイズガベルの姿が脳裏に過るが、特に嫌悪することもなく俺はぐったりと糸の切れた人形のように座り込んだ。
しばらくしてドタバタと慌しい足音が廊下から聞こえた。部屋の前で音が止むと同時に豪快に扉が開けられると、顔面蒼白のメディが立っていた。
メディは一瞬だけ寝ているフェニスに向けてるが、すぐに俺の胸ぐらを掴んで頬を叩いた。
乾いた音が一度、二度、三度と鳴る。
「正気に戻りなさいエージッ!!」
また振り上げられた手は、俺の頬ではなく指輪に向かう。メディの手により二つの指輪があっけなく抜けると、身体中の鱗は剥がれ落ち、ズンッとした重さが体にのし掛かった。
「ゴホッ! ケホッゴホッ! ゴホゴホッゴホッ!!」
咳き込み始める俺を、骨が軋むほど強く抱くメディ。咳は止まる気配を感じず、喉が切れたのか途中から血の味が口に広がった。
いったい何時間ぐらい咳き込み、血を吐き続けただろうか。重たい瞼を少し開けると、日は完全に沈んでいた。雲の隙間から顔を覗かせる月明かりだけが部屋を照らし、擦り切れるような呼吸音だけが聞こえる。
虚ろな目を動かすと、メディの肩周りは俺の吐血で汚れてしまっていた。
「・・・ごめん、メディ」
「謝るのは私の方よ! 私がエージから離れればどうなるかぐらい理解していたのに、それなのに、勝手に離れた私の責任なのッ!」
「エージ・・・ごめんなさい」
顔は見えないが、肩を震わせしゃくりあげている。ああ、その涙はどんな病気よりも辛いや。
「俺の方こそごめん。・・・メディ、ありがとう」
ラン「最近私の出番がないのよ。どうしたらいいのかしら?」
ウルマ「これからも旅を共にするのでしょう? なら大丈夫にゃ」
スフレ「そう・・・にゃ」
ラン「はぁ、あと一年でエージ様も成人。そしたら私のテクニックで骨抜きにしてやりますのに」
ウルマ・スフレ「・・・」