もう逃がしません
一面の爽やかな蒼穹。それがこの景色の第一印象だ。
雲一つない空に、心地よい波音を立てる海。どこまでも続く青の世界に俺は見惚れる。この青の先には何が待っているのか、湧き上がる浪漫に心が踊り出す。
ここはラグナエリオン大陸の最南端に位置する港町。崖上から海岸まで、斜めに切ったような地形になっており、家が段々に並んでいる。
中央の長く広い坂に沿って、数々の店が特産品やお土産など売っている。港には多くの漁船がならんでおり、漁師が次の獲物を求めて準備をしている。
その様子を防波堤の先端から眺める俺は、船達に無邪気に手を振った。一部の漁師が気づき、爽やかな笑顔で手を振り返してくれたのが嬉しかった。
その内の一つの漁船には、赤い髪と青白い髪の女の子が手を振り返していた。
そして俺が移動し始めると、二人は手を振るのをやめていきなり取っ組み合いを始めた。
まるで相撲のように張り手を付き合い、相手を海に落とそうとしている。
「お・ひ・さ・し・ぶ・り、ですわねぇ〜この泥棒猫ッ!! もう逃がしませんわよ!」
「黙れこの悪徳商人め!! 過去を水に流し、エージの前に顔を出すのを許可してやったのだから、感謝することね!」
「あらあら〜、どうしてあなたから許可をもらう必要があるのか、理解に苦しみますわ!」
揺れる船に波が一押し。大きくぐらつく船は、甲板にいた煩い二人を追い出すように傾ぐ。バランスを崩して驚いた顔のまま、二人は頭から海へと落ちた。
「何をやってるんだよ二人とも」
呆れる俺の前には海面から顔を出すメディとランライトの姿。波に遊ばれる髪が、タコとイカの触手のようにうねうね揺れていたのが印象的だ。
妖怪メディタコとランイカって感じだろうか。
犬のようにプルプルと振るだけで水を弾いてしまったランライト。髪を素早く梳かして踏ん反り返る。
「さて、私がここに呼ばれたということは、お母様に会いに行くという認識してよろしいのですね?」
「そうよ。ただ、会う目的は変わったけどね」
首を傾げるランライト。俺は要点だけをまとめて話した。
ふむっと難しい顔をするランライト。長考したあとにゆっくりと口を開いた。
「呪具と蛇神について・・・ですか。確かにお母様なら太古の歴史も知り得ていますが、それを開示するかは微妙なところですね」
「微妙? 何か不都合でもあるのか?」
「話が長くなるので、出航してからにしましょう」
先程までメディとランライトが暴れていた漁船、というよりフィッシングボートの方に近い形をしているが、今からこれに乗ってイグドラ大陸へ向かう。
はっきり言って大海原を航海できるような船には見えない。
大きさも小さめで、嵐でも起これば簡単に転覆してしまいそうである。船体は白に青いラインが走っており、マストは存在せず、魔力を使って操作する仕組み。
内部には四人掛けの客室があり、その上がデッキになっている。
まぁ、魔法の使えない俺は、この船を動かすことができないからデッキに上がることはないだろう。
「ねぇメディ、本当にこの船で大丈夫なの?」
「大丈夫よ、問題ないわ」
不安は拭えないが、メディの言葉を信用することにした。ランライトも特に懸念することもなく船に乗っているし。仕方が無い、俺も乗ることにしよう。
予定では二日だが、念をこめて三日分の食料と水を船の倉庫に押し込めた。メディが魔力を船内に流し、動力炉を稼動させる。
小刻みなエンジン音を鳴らし、魚人のような魔族の漁師が見送ってくれるなか、俺たちは港町を出航した。
結構なスピードの出る船だったようで、あっという間に港町は米粒見たく小さくなっていった。
海独特の臭いのある潮風に吹かれながら、気持ちの良い日光を浴びる。
数羽のカモメのような鳥が先端や、デッキの屋根に止まって羽を休めたり、遠くの方で魚が跳ねたりしていた。
「ねぇメディ! 今の魚は何ていう名前なのかな!」
「あれはアゴネンだな。鋭い羽が生えていて、海の上を飛ぶ魚よ。羽を加工すれば投げナイフとしても使えるわ」
「わっ! 下を見てよメディ!」
「こいつらはドルフィネンだな。懐っこい奴で、手を出せばキスをしてくれるわよ」
メディが船の上から手を伸ばすと、イルカそっくりのドルフィネンが、器用に顔を出して手に口を当てる。
キュっと可愛らしい声を出して、悪戯に水を飛ばして海に戻った。
お互い濡れた顔を笑い合いながら、俺は次々とメディに質問をしていった。
航海中でもっとも驚いたのはクラーケンが現れたことだ。巨大な触手を振り回し、この船を沈めようと襲いかかってきた。すぐにメディの黒粒子が触手を切断し、黒大蛇が本体の半分を虚へと飲み込んだ。
ぞくぞくと現れるモンスター達。メディとランライトが撃退するたびに、船は大きく揺れる。揺れに揺れてぐーるぐる。
「・・・うっぷ。ダメ、ムリ、ギモヂ悪い」
「大丈夫かエージ?」
客室で横になる俺。後半から休み無く大型モンスターに襲われ船の揺れがおさまる事が無かった。結果、船の経験がない俺にはかなりキツイ状態だった。
「あら、次はクラブジラだわ」
まだ来るかと恨めしく見上げれば、そこにいたのはただの巨大蟹である。ハサミ部分が凶悪で蛇の骸骨のような形をしており、挟む部分にはギザギザの鮫歯が光っている。
「はぁ、仕方がないわね。ラン、こいつ倒したら船を止めるから結界をよろしく。今日はこのまま朝を待ちましょう」
既に空は夕焼け。メディが巨大蟹の殻を容易く砕くと、泡を吹いて赤く染まった海へと帰っていった。ランライトは魔印を発動させると、一瞬だけ浮遊感を覚えると嘘かのように船から揺れを感じなくなった。
ランライトに聞くと、結界魔法と空間魔法の合わせ技で、船を軽く浮かせながらモンスターに認識されないようにしたらしい。何にせよ揺れないのはありがたい。
俺が落ち着いた頃に夕飯をすました。簡単な携帯食料だが、意外と美味しい。味の種類も豊富で、今回食べたのは果実のジャムを練りこんだものだった。
「ほらエージ、こっちで休みなさい」
そう言って自分の腿を指すメディ。俺が少し戸惑っていると、顔を少し赤らめながらも強引に俺の頭を寝かせる。
「メディばかりずるいですわ!」
ぷくっと頬を膨らますランライトに、俺は手を伸ばす。
「ランライト、フェアリーの姿になれば一緒に寝れるよ」
ひまわりのように明るい笑顔を見せるランライト。淡い光を溢しながら手の平に乗る。俺は胸に抱えるように寄せた。
うっとりとした上目で、ランライトは両手を胸に当てて俺の顔を覗く。
「エージ様もランとお呼びください。その方が私も嬉しいですわ」
「ん、わかったよ。ラン」
きゃーっとぶんぶん体を左右に振った後に、すりすりと体を寄せるラン。ほんのりと伝わる暖かみは、俺の眠気に拍車をかけた。
うつらうつらと微睡む中、優しく頭を撫でるメディの手が俺を夢へと誘った。
メディ「・・・エージ、もう寝た?」
エージ「Zzz」
メディ「・・・ちゅ」
ラン「頬の次はおでこですか」
メディ「はぅあ!?」