終わりではじまり。そしてひとつ目。
ありきたりなものだと、思っていた。
高校二年生の男子生徒、車に撥ねられて死亡。……新聞に小さく載るか載らないか、そんなものだと。
だが、目の前のヤツが言うには
「本当にすみません。全くの想定外でした」
、ということだ。
「そうなの?」
「はい」
ヤツは俯……いたように見える。何しろ、顔も輪郭もぼんやりしたヤツなので、何がどうなってるか分からない。ただ、辛うじて人型なのは分かる。
「何らかの手違いで、貴方の死期は決められていなかったのです。通常は生と同時に決められるのですが。それで、この国の平均的な寿命と死因にすることが昨夜急遽決まったのですが、あまりにイレギュラーなことでしたので、歪みが出てしまって、こんなに早く終焉を迎えることに……」
「ふぅん。色々あるんだ」
「はい」
コイツ、言葉遣いは丁寧なクセに、感情が全く感じられない。本当に謝っているのだろうか。まあ、別に良いけど。もう俺、死んだんだし。
俺が死んだのはついさっき。まだ5分と経っちゃいない。チャリで下校中、信号無視のトラックに撥ねられた。ツイてないといえばツイてない。
周りはけたたましいサイレンの音やら野次馬の声やらが響いている。俺の足元では俺が血を流して死んでいる。全く、死んでいる。
良かった。体はともかく顔はぐちゃぐちゃになってない。葬式ではちゃんと顔を出してられるな。
愛チャリの一部を腹に刺して死んでいる俺の向こうでは、蒼ざめたトラックの運転手が放心している。ああ、可哀想に。ここ、普段誰も通らないからな。信号無視するヤツ、多いんだよ。運が悪かったな。まだ若いのに。仕事も辞めなきゃならないだろうな。損害賠償も相当だろうな。俺、若くて先が長いから。いや、長い予定だったから、か。うん。
「落ち着いてらっしゃいますね」
輪郭のぼやけたヤツが話し掛けてくる。コイツは、さっき衝撃を感じた瞬間に世界が暗転したと思ったら、目の前に立っていた。曰く、「天使です」とのことだが、これもコイツ曰く「我々は、その人のイメージする『天使』の姿に見えるようです」とのこと。……だからか。無神論者で無宗教の俺には、こいつの存在がぼやけて仕方が無い。
「まあ、騒いでも仕方ないしね。死んだんだし。痛くも無かったし。即死でよかったよ」
「そうですね」
俺と目の前のヤツの存在には、誰も気付いていない。それはそうだろう。俺たちが見えていたらこれ以上の大騒ぎになっている。
「で、どうすんの?俺、死後の世界に行く訳?」
「ええ。ですが、こんなことも初めてなもので、主から、お詫びに三日の猶予を与えることと、三つだけ貴方の願いを叶えるように言い付かっております」
「は」
思わず笑ってしまった。
「よくあるパターンだな」
「ええ。だから貴方も戸惑わないかと」
「へぇ。そんなもんなんだ」
「はい」
救急車で運ばれていく俺の死体を眺めながら、これからのことについてコイツは事務的に説明を始めた。
「貴方は今から三日間、現世に滞在することが許されます。その間ずっと私は貴方の側に居ることになります」
「え」
俺は露骨に嫌な顔をしたかもしれない。こうなってしまった以上、風呂やトイレに行くことは無いから、そういう意味で恥ずかしいことはないのだろうが、それでもやはり
「ちょっとうざったいな」
誰かと四六時中一緒に居るなんて、考えるだけで寒気がする。
「我慢してください」
「う~ん……ま、三日の辛抱か。それより早く切り上げてもいいんだし」
「そうですね。そして、その三日の間、三つの願いを叶えて差し上げます」
「ふぅ~ん……」
普通なら(まあ、この事態で「普通」はありえないのだが)、少しくらいはラッキーと思うのかもしれない。だが生憎、俺はぴくりとも嬉しくない。だって死んでるんだし。今更何か叶えたってな……でも、
「まあ、無料でしてくれるってんだから、ありがたくお願いしよっかな」
「はい。遠慮なくどうぞ」
「じゃあ……」
「その前に」
コイツは指らしきものを俺の前に立てた。なんだ。
「勿論ベタなことに、『願いが100個叶うようにしてくれ』、に類するものは駄目ですよ」
「へえ」
驚いた。天使も「ベタ」とかいう言葉、使うんだ。
「そうか。ま、そんなに願いはないケド、一応試してみようかと思ったのに」
「残念でしたね」
「うん」
さて、言ってみたいことが一つ消えたな。
「う~ん……じゃあ、ま、早速」
1.ひとつ目。
「死後の世界で優遇して」
「駄目です」
おいおい、速攻却下かよ。
「現世で叶えられるもの限定です」
「ケチ」
唇を尖らせて抗議してみたが、コイツは勿論動じない。
「それに、どうせすぐに生まれ変わりますよ」
「あ、そうなんだ?じゃあ……あ、来世もダメか」
「駄目です」
そうか。我ながら良いアイデアだと思ったんだけど。
さて、となると、とりあえず親孝行しとくか。
俺はヤツの顔辺りに視線を遣った。
「先ず一つ目、言うよ?」
「はい。どうぞ」
「母さんの買った宝くじ、一等ってコトにして」
「わかりました」
ヤツは頷いたようだ。
「……」
「……」
頷いて、それっきり。
「……なあ、ホントに叶ったのか?」
「ええ」
イマイチ、信じがたい。
そんな俺の考えが分かったのか、ヤツは(多分怪訝そうな顔をして)こちらを窺う。
「当選番号の抽選は、明日ですので。明日になるまで証拠はお見せできませんよ?」
「あ、そうか」
「そうです」
「分かった。信じる。これで葬式代は賄えるな」
「そうですね」
死んでからできる親孝行といえば、これくらいだろう。どこか抜けてるが、あれでどうして、女手一つで俺を(自分で言うのもなんだが、まあ、立派に)育てた母さんだ。一億円のプレゼントでは足りないかもしれないけど。
ああ、そうか。
そこで俺はやっと気が付いた。俺が死んだってコトは、母さんは独りになる。自由もプレゼントしてやれたのか。
母さんはまだまだ若い。これからイイ男でも捕まえれば、もっと自由に楽しく生きられるだろう。小さい頃からほとんど笑わない息子なんかに縛られずに。ホントは嫌がっている夜のバイトも辞めて。
……なんだ。俺、死んでからの方が役に立つじゃん。
「もしもし?」
ヤツがこちらを見ている。
「何?」
「いえ。あと二つはどうするのかと」
「そうだなあ……」
考えながら視線を巡らすと、警察が俺のすぐ横で現場検証をしている。あの可哀想な運転手は、震えながら警察と車に乗り込んでいた。野次馬が「血だ」「自転車が」などと言っている。携帯で写真を撮っているヤツらも居る。別にどうでもいいといえばいいが、何となく、腹が立つ。見世物じゃないっていうんだ。
「あ」
野次馬の中に、俺と同じ制服を着たヤツが居た。同じクラスのタナカだ。蒼ざめた顔で、俺のチャリを見ている。そういえばアイツ、登下校で時々擦れ違ったから、俺のチャリを知ってるっけ。自慢になるが、俺のチャリは結構カッコイイ。シルバーと紺の色も良いし、パーツはごついのに全体として滑らかなフォルムも気に入っている。……今は無惨に車体の下でひしゃげているけど。その上、一部は俺に刺さったまま救急車に乗ってるけど。
タナカは携帯を取り出したが、周りの野次馬とは違い、写真を撮ることはしなかった。震えながら、誰かに電話をしている。ああ、これで俺のクラスにはすぐに連絡が回るだろうな。母さんにも連絡がいくだろう。……誰か、泣くだろうか。
「……なあ。ちょっと、家とか学校とか見てもいい?それから決めたい」
「わかりました」
「あ、今のは『願い』に入らないよな?」
「入りません。そこまで意地悪でも融通が利かない訳でもありませんよ」
「良かった」
「そうですね」
俺はとりあえず事故現場から離れることにした。面白い。俺の体が人や物をすり抜ける。ちょっと貴重な体験だ。
「とりあえず家に。母さんが帰ってきてるかも」
「はい」
ヤツが頷いた瞬間、景色が一瞬ぼやけた。そして次の瞬間には
「こちらですね」
「……うん」
俺と母さんの住んでいる団地の前に居た。コイツの力だろう。辺りを見回せば、平穏そのもの。まだ誰も事故のことを知らないようだ。近所のおばさんたちが今日も飽きずに井戸端会議をしている。
俺たちはその横を通り過ぎて、ドアの前に立った。いつものクセで鍵をポケットから取り出したけれど、もう必要ないんだっけ。
「只今」
それでも習慣というか、なんというか。「只今」を言ってドアをすり抜ける。玄関に母さんの靴はある。もう、スーパーのレジ打ちのバイトは終わったらしい。
……お帰り、って、言ってもらえないんだな。
母さんはまだ着替えもしないままで、台所に立っている。疲れているだろうに、鼻歌交じりに夕食を作っている。
要らないんだよ、母さん。今日は、俺、今日から、俺の分は。
なんだか居た堪れなくなって、母さんの肩に手を置こうとしたけれど、すり抜ける。
「……はは」
なんだか笑いたくなった。
それから暫くは、大変だった。ウチの電話がけたたましく鳴り出して、母さんが青い顔をして家を飛び出して、病院に駆け込んで、白い布を掛けられた俺の前で泣き崩れて。……母さんが泣くのを見たのは、十数年ぶりだった。その時母さんを泣かせた男を俺は軽蔑しているが、まさか自分まで母さんを泣かせてしまうとは。
「親不孝だな」
「本当に申し訳ありません」
相変わらずの抑揚の無い声で謝られても、少しも誠意は感じないんだけど。
「いいよもう。仕方ない……んだよな?この場合」
「はい。神の手にも負えなかったのですから」
「そうだね」
「はい」
母さんはまだ俺の体に取りすがって泣いている。……見ているのも、ツライ。それ以上に、耳に刺さる声が……
「移動しよう」
「はい。どちらに?」
「どこでもいいよ」
「……」
「……じゃあ、家」
「わかりました」
また、一瞬でウチに着いた。母さんが慌てて出て行ったままだ。サンダルや俺のスニーカーがぐちゃぐちゃだ。
「ふぅ……」
ソファに座……ろうとしてすり抜けて床に尻餅を着いたが、とりあえず坐って息をついた。
「今日は色々あったな。死んだし」
「そうですね」
習慣でテレビを点けようとしたが、リモコンも触れない。不便だな。
「はぁ、結構死んでるのもしんどいや。早く願いを決めよっかな」
「はい。焦らなくても結構ですが」
「うん」
俺は狭いリビングに視線を巡らせた。母さんに、とりあえず現金と自由は残せた。後は、何かできないだろうか。
「……」
俺の目に、小さい頃の俺を抱えて笑っている母さんの写真が映った。母さん、とても楽しそうに、大口を開けて笑っている。
シャッターの向こうには……あいつが居るのに。
「そうだ」
俺はヤツを見た。相変わらずぼやけている。
「ねえ、ちょっと訊きたいんだけど」




