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インタヴュー・ウィズ・アーバンレジェンド#1

作者: 漆原カイナ


 第一節 遭遇~Crose Encounter~


 その日も私は安全装置として幾重にも仕掛けた目覚まし時計の一個目が、けたたましいアラームを鳴らしたのをきっかけに目を覚ました。

 起きなければいけないのは頭では十分に分かっている。

 だが、いざその瞬間になると私の心身がそれを拒否するのだ。

たまに「心と体は別」なんて言われているのを聞く事があるが、それは間違った説なのではないかとこの瞬間を思い出すたび痛感する。

 何故なら、今も心身が一体となってベッドから起き上がるのを拒否しているのだから。

 身体は残っている眠気に衝き動かされるまま眠り続けようとする。

 心は心で起きなければいけないことを理解し、身体を起こそうとする筈なのに何故かいつも気がつくと「別に遅刻しても一向に構わない」なんていう思考に変わっているのだ。

 小難しい言い訳をしたが、要約すれば余裕を持って起きると決めていた筈が今日もギリギリになりそうな予感がするということだった。

 その時、遅刻することを容認した私に強烈な一撃を入れるかのように、時間差で鳴り響いた別のアラームが私の頭を揺り動かした。

 高音で火災報知機のような音が鳴り響く目覚まし時計を止めるべく、私は気が付いたら反射的にベッドを飛び出していた。

 まるで夢遊病患者のように部屋中を歩き回りながら、散らかった部屋を物色していく。

 今までの実例から得られた貴重なデータもとに練られた私のプランには、自分で言うのも何だが死角は存在していない。

 貴重なデータによれば、私はまどろみながらも正確無比な狙いで目覚ましを止めてしまうことが確認されている。

 ならば、手の届かない所は勿論。そう簡単にスイッチを押せない所に置けばいい。

 本やDVD―Rで散らかり放題散らかりつつある部屋の上を歩きながら、私は埋もれた目覚まし時計を見つけ出す。

 ディスクを床に放置しているのも、実は作戦のうちだ。

間違ってディスクを踏みつけないように、神経を使って歩き回るうちに目が覚めることも多かった。

 私は雑誌の中に埋もれた、もとい私が埋めた目覚まし時計のアラームを止めると部屋を後にした。

 私は微かにあくびをしながら、たった今の戦いを振り返る。今日の戦果は上々だった。

 何せ、殆ど時間をかけずにベッドからの脱出を成功させたばかりか、眠気のほうもあらかた無くなってきている。

 私は思わずほくそ笑んだ。これで、朝ごはんを食べる時にのんびりしすぎてもたついたりなどしなければ今日は完全勝利なのだ。

 その時だった。意気揚々と階段を下りる私の耳朶(じだ)を最大級の轟音(ごうおん)が盛大に揺らす。

 しかも、その音は単一では無い、間断なく連続したひとつながりの音だ。

 油断した所に、他ならぬ8時間前の私が仕掛けた最後のトラップが発動したらしい。

 そして、8時間後の私――即ち、今の私はその存在をすっかり忘れていた。

 慌てて階段を駆け戻ると、体当たりするようにドアを開けた私は部屋に飛び込んだ。

 すぐさまパソコンデスクの横にある勉強机の上に目を向ける。

 目的のものを確認するが早いか、私は間髪入れずに手を伸ばして今も轟音を発し続けている物体を掴み取った。

 掴み取った私の手の中で小刻みに振動し続ける物体――携帯電話を慌てて開き、私は受話器の置かれた絵柄のボタンをまるでシューティングゲームの攻略法のように連打する。

 ややあって静かになった部屋で私は一息ついた。

 これが私の仕掛けた最後にして最強のトラップ――携帯電話のバイブ機能と缶ペンケースのコンビネーションである。

 以前、着信音に使っている音楽をそのままアラームにしていしたのだが、もともと私の好きな曲だったということも手伝って起きることなく聞き入ってしまったのだ。

 それ以来、私はアラームを設定する時はバイブ機能を使うことにしていた。

 更に、それを金属製のペンケースの中に置けば凄まじい速さで連打を繰り出す時限式の打楽器の完成だ。

 おかげでこの時限式打楽器は最後の砦として大いに活躍したものの、今日のように私が早く起きてしまうと未発に終わる。

 そして、概ね私は最後の砦に頼って起床することが多いせいか、いつもの癖で解除した気になっていることが多い。

 標的を失ったこの時限装置を放置しておくわけにはいかないのだ。

 隣の部屋では仕事で夜遅くに帰って来た私の親が今も寝ているのだから。

 私が遅刻するのはともかくとして、隣で快適に寝ている親を起こしてしまうことだけは絶対に避けたかった。

 日々、夜遅くまで働いてくれているのだ。

 だからこそ、私は被害が最小限で済んだことに胸をなでおろしながら、今度こそ一階へと降りて行った。

 

 手早く朝食を取ってから寝ぐせを直す為に櫛を通す。

 今年に入ってから切っていないが、そろそろ毛先が痛み出す頃だと思いながら櫛を通す。 枝毛が引っ掛かって抜けたのを見ながら、時間ができたら美容院に行こうと決める。

 流した前髪をヘアピンで留めながら、肌の具合をチェック。

 昨日は原稿の作業を一休みして、十分に睡眠を取ることにしたのが良かったみたいだ。

 今日の私の肌はいつもに比べて従来比三倍増しくらいでみずみずしい気がする。

 心の中で握った拳を構えて喜びを表現しながら私は階段を賭け上げった。

 部屋に戻って制服に着替えながら、私は勉強机の上に置かれた機械に目を向ける。

 デスクに取り付けられたプラグに挿し込んだケーブルにつながった黒い機械を見ながら、私は表示を確認した。

「よし!」

 私は小さく声を上げる。

 ケーブルに繋がった黒い機械――私の愛用するデジタル一眼レフカメラであるEOS kissは一晩かけてたっぷりと充電したおかげでバッテリーが満タンになっていた。

 私はケーブルを急ぎながらも細心の注意を払ってそっと引き抜くと、通学用のバッグにしまい込んだ。

 高校の合格祝いに親から買ってもらったカメラだが、一年以上使い込んでいたのもあって今ではすっかり私の手になじんでいた。

 それほど大きくは無い私の手でも十分に取りまわせる程に小型でありながら、高画質な写真が撮れるというお勧めの一品。

 いつも友達にこの話をすると、「実は回し者なんじゃないの?」と聞かれるほどに私はすっかりこのカメラのファンだった。

 私は愛用のカメラを入れたバッグを持つ時に、自分に気合を入れることにしている。

 ――このカメラがいつか自分の商売道具になるように頑張ろう。

 今日も私はそう気合いを入れながら玄関のドアを開けて朝の陽射しを浴びた。

 そろそろ私の自己紹介をしておこう。

 私の名前は日野(ひの)真桜(まお)

 業界の第一線で活躍する凄腕ジャーナリスト……になる予定の女子高生だ。

 


 いつもよりいくらか余裕を持って学校に着いた私は友達に挨拶をしながら教室へと入って行く。

 まだ始業時間までは間がある為か、早めに登校していた生徒たちが教室や廊下で騒いでいた。

 季節は9月。新学期が始まったばかりだ。

 夏休み明けと言う頃も終わって適度に長期休暇ボケが抜けた上に、まだテストも遠い先の話とあってか生徒たちの精神的なコンディションは好調なようだった。

 自分の席に座りながら私は携帯電話を取り出してニュースサイトをチェックし始めた。

 ジャーナリストたるもの、このようにちょっとした時間にも情報収集を行ってはいけないのだ。

 私の細めの指が使いなれた携帯電話のパネルを滑るように移動していく。

 いつも行くことにしているニュースサイトのロゴが表示された画面をスクロールさせながら私は文字列に目を走らせた。

 新着のニュースをまとめたトピックの一番上にあった見出しに目を留めた私は、いたたまれない気持ちになりながらもその見出しにカーソルを合わせて決定ボタンを押す。

 また行方不明事件が起きたらしい。

 最近、この街で散発的に発生している行方不明事件の概要を思い出しながら私は文章の続きをスクロールさせていく。

 若い女性ばかりが行方不明になっている事件としてテレビなどでも報道されている事件であり、先日にはこの学校でも集会が開かれて先生による注意があった。

 何度聞いてもいたましい事件だ。このニュースを聞くたびにそう思う。

 出来れば朝から見るものとしては明るいニュースのほうが良いのは当然だ。

 だけど、ジャーナリストを目指すのならば目を逸らしてはいけない。

 私は半ば自分に言い聞かせるように、胸中で呟きながらそのニュースを読了した。

 新着のニュースを一通りチェックし終えた私はいつもの癖でバッグに携帯電話をしまおうとする。

 だが、バッグのジッパーを開けた所でふと気付いた。

 いつもより早めに着いたおかげで、今日はまだ始業まで時間があるのだ。

 私は今しがたしまおうとした携帯電話を再び覗きこむと、ちらりと目をやって画面右上に表示された時刻を見る。

 確かに、まだ時間にいくらか余裕があるようだ。

 私は携帯電話のパネルに指を乗せると、再びウェブブラウザを起動した。

 実は、先程のニュースサイト以外にも私が懇意にしているサイトがあるのだ。

 交信状況を表すバーグラフが埋まり、見慣れたトップページが画面に表示される。

 掲示板を用いた情報交換サイトと言えば聞こえは良いが、その実は虚実入り混じる側面も多分に飛び交うサイトである。

 真相報道を行うべきジャーナリストという職業を目指す者が何を見ているのかと聞かれれば返す言葉も無いが、何を隠そう私はこのサイトの情報に興味をひかれているのだ。

 都市伝説――それこそが、このサイトが扱っているテーマだった。

 テーマがそれとは、いよいよもってジャーナリストらしからぬ行為に思えてくる。

 だから、私がこのサイトを割と高い頻度で見ていることは周囲に秘密にしていた。

 何せ、都市伝説といえばジャーナリストのモットーである真相報道とは真逆も真逆、まさしく対極にあるものに他ならないと言う人もいるだろう。

 だが、私はこう思っていた。

 ――都市伝説と言われるもの中にも、まぎれもない真実があるのではないかと。

 荒唐無稽な発想かもしれない。だけど、火の無い所に煙は立たないのだ。

 きっと、その都市伝説が生まれた理由がある筈。

 そしてその中には何か凄いネタが紛れているに違いない。

 業界用語で言う所の「特ダネをスッパ抜く」時を私は密かに狙っているのだ。

 もっとも、今まで一度も都市伝説が実は真実だったということもなければ、特ダネをスッパ抜いたこともないのがつらいところだが。

 苦笑しながら私はトップページから掲示板のページへどブラウザを切り替えていく。

 どうやら、新しい投稿があったらしい。

 大手のサイトではないから利用者の数も少なく、必然的に更新の頻度は高くない。

 だから、先日私が見た時にはなかった書きこみがトップに来ていたのはすぐに判った。

「またこのネタ……“銀の弾丸”……って一体何なのよ……?」

 思わず私は口に出して呟いていた。

 ――“銀の弾丸”。私の住むこの街を騒がせている都市伝説だ。

 今年の4月あたりから発生しており、新学期が始まった頃と時期を同じくして最初の投稿がこの掲示板に書きこまれたこともそれを裏付けている。

 以後は散発的に同様の目撃談が書きこまれるようになり、このサイトの利用者の間ではちょっとした知名度を持っているであろう所までは有名になった存在だ。

 そして、並みいる都市伝説の中でもとびきり荒唐無稽なものでもあった。

 夜の道路を走っているとどこからともなく現れる謎のライダー。

 とても世間一般に出回っているとは思えない仰々(ぎょうぎょう)しいパーツをゴテゴテとつけて改造を施したバイクに乗って現れ、凄まじい速度で走り抜けていくらしい。

 しかも、乗っているのは人間ではなく金属片が集まってできた銀色の人型だという。

 概ね、ここまでが共通の情報だ。

 更にはそれに付随するようにして様々な追加情報がてんでバラバラに寄せられたり、根拠のない憶測が飛び交ったりしている。

 曰く、噂のバイクだけがライダーも乗せずに無人走行していった。

 曰く、謎の怪物に追われていた自分を助けてくれた。

 これらの投稿は実際に私も見た為によく覚えている。

 不審者に追いかけられていたOLからの投稿だった筈だ。

 私はふと気になってその投稿を思い出してみた。

 ――追いかけてくる謎の怪物を追い払って自分を助けてくれました。という内容の投稿だった気がする。私はそこまで思い出してもう一つのことを思い出した。

 確か、その投稿では不審者のことを怪物と表現していなかったか。

 結局のところ、その女性の勘違いということで怪物などではなく人間の不審者であるということが結論付けられたものの、その投稿が多くの利用者の興味を引いた。

 故に、ネタはサイトに残り、独り歩きを始めたのだ。

 いつしかこのサイト利用者の誰かが、その目撃談をもとに伝承になぞらえてこの都市伝説の主役をこう呼んだ。

 弾丸のような凄まじい速度で走り、怪物すら撃退する謎の存在。

 その様はまさに、吸血鬼や人狼すらも倒す必殺の武器――銀の弾丸と。

 実を言うと、本当に存在するなら一目見てみたいと私は思っていた。

 それに、もし人間に近い存在だとしたらインタヴューをしてみたいとも思う。

 でも私の中でそう思う部分がある半面、理性的な面も同時に結論を出していた。

 ――アホらし。私の中の理性を司る部分は瞬き一つよりも早くそう論ずる。

 私のように都市伝説に興味を持ち、それがもとで並の人よりもこの類の話に詳しくなった者ならば解ることだが、この都市伝説は虚偽の典型のようなものに他ならなかった。

 第一、ライダーというネタは都市伝説で最もポピュラーなものだ。

 日本全国津々浦々、とにかくこの手の都市伝説は多い。

 だからきっと、このネタもどこか他の地方で発祥したネタがこちらに伝わって来る途中で伝言ゲームよろしく歪曲を繰り返したのだろう。

 誤伝に次ぐ誤伝を経て全く別物になった都市伝説。

 それに加えて、これはネットの情報なのだ。

 誰でも簡単に投稿できる上に、きっとこの掲示板に出ている幾つかの情報は誰かが面白半分で上げた作り話だろう。

 要は、大なり小なり胡散臭い都市伝説の中でも、あからさまに胡散臭そうな話なのだ。

 そう結論付けてサイトを閉じようとした時、私はもう一つの新着投稿に気がついた。

 “銀の弾丸”の新着投稿があったのにすっかり気を取られていた私は危うく見落とす所だった書きこみに目を走らせた。

「また胡散臭そうな投稿ね……。最近、こういうのが流行りなのかしら……」

 私が無意識のうちに呟いていたのも無理はない。……自分で言うのも何だけど。

 何故なら、今度の書きこみも胡散臭さは満点だったからだ。

 まるで胡散臭い話の見本とでも言いたくなるような書き込みのタイトルはこうだった。

 ――怪人赤マント。

 これも昔からどこにでもある都市伝説だが、まさか今更になってこの噂が出るとは思ってもみなかった。

 赤いマントを纏った怪人が現れたという何の変わり映えもしない情報。

そう思っていた私だったが、とっくに下火になったと思っていた今の時期になってこの噂が出てきたことに興味をひかれたのもあって、斜め読み程度に目を通す。

 やはり情報は赤マントの怪人が現れたというものに違いなかった。

 しかし、気がつくと私は画面をスクロールさせてもう一度読み返していたのだ。

 今度は斜め読みではなく、しっかりと細かい情報にも目を通すようにして。

 珍しいことに、この手の根も葉もない噂にしては随分と仔細(しさい)がはっきりしていた。

 出没が確認された場所から日付、そして大まかではあるが時刻まで。

 先程、“銀の弾丸”を虚構だと論じた私の中の理性は早くもこの書き込みをイタズラだと断じていたが、それでも私は携帯電話の画面から目が離せなかった。 

「毎週土曜日のこの時間――。何か意味があるのかしら?」

 前髪を留めたヘアピンをいじりながら私はふと考えていた。

 最初の出没が確認されてからというもの、同じ時間と場所に毎回出没しているようだ。

 律義な怪人もいたものね。私は胸中で今度はクスリと笑いながら更に考えを巡らせた。

 もし、本当に律義な怪人だとしたら――この時間に行けば会えるからもしれない。

 それだけではない、仮に会えたとしたら特ダネをスッパ抜ける。

 微かな期待を膨らませながら携帯電話のディスプレイに目をやっていた私は教室のドアが開く音で現実に引き戻された。

 私のクラス担任である先生がやって来たのだ。

 若い女性教師が出席簿などの書類を持って入って来る。

 私のクラスの担任は、元気なお姉さんという印象を受ける先生だ。

 年齢が私たちと近いのと、それなりに美人の部類に入る為に生徒からの人気はいつも上々なようだった。

「出っ席~。ホームルームはじめるよ~!」 

 元気の良いよく通る声が教室に響き渡る。

 私は少し慌てたように携帯電話を閉じると、マナーモードになっているのを確認してバッグにしまった。

「はい。おはようございます!」

 生徒たちが席に戻り、残響のように残っていたざわめきが収まるのをまって先生はひときわ大きな声で挨拶する。

 それに反応するように男子生徒たちが更なる大声で挨拶をを大合唱するのがいつもの風景だった。

 毎日それを見ながら私は先生の人気を確認するのだった。まるでアイドルだわ。

 先生は大合唱する男子たちを微笑ましげに見ながら持ってきた出席簿を開いた。

 出席を取り終えた先生は出席簿を閉じると別の話題を切り出した。

「今日は文化祭についてお話します」

 文化祭。その単語が出た途端に教室に再びざわめきが満ち溢れる。

 ひょうきん者やお祭り好きの生徒たちが騒いでいるのが止むのをゆっくり待ってから先生は再び口を開く。

「今年の文化祭ですが、クラスごとに出し物を発表するやり方に決まりました」

 それを聞いた生徒たちの反応は見事なまでに二分されていた。

 まず、文化祭という単語を聞いただけで興奮していた人達は待ってましたとばかりにざわめいていた。

 文化祭という言葉を聞いただけなのにもう本番当日のように興奮している人もいる。

 彼等の興奮が最高潮に達しつつある一方で、もう一方の人たちは怒り半分落胆半分と言った表情で見るからに浮かない様子だ。

 こうした行事に興味の無い人間にしてみれば今まで有志参加だったから良いものの、打って変わって自分たちも強制的に付き合わされるのだからたまったものではないだろう。

 何も自分達の代の時にシステムを変えなくても良いだろうに。

 暗澹(あんたん)たる表情の向こうではきっとそう思っているに違いなかった。

 で、当の私はと言うと――実は少し困っていたりする。

 私自身もこういった行事は嫌いではないのだけれど、なにぶん今年は私が部活の発表の為に出し物を用意しようと思っていたのだ。

 どうしたものかと私が考えている間にも先生の説明はつつが無く進んでいく。

 どうやら、クラスの出し物の他に部活や有志での出し物もやっていいみたいだ。

 それの説明を聞いて私が安心したのもつかの間、更に面倒な――もとい、今の私にとっては不穏当な言葉が先生の口から発せられる。

「では、各クラスから実行委員を決めることになっています。男子と女子から一人ずつ、誰かやりたい人はいませんか~?」

 やはり元気の良い声で先生が告げる。

 しかし、相変わらずざわめきはしているものの、それ以上の反応は無かった。

 さっきは騒いでいた人たちも、クラスで出し物をやることに対してはやぶさかではないようだが、実行委員までやるとなると話は別のようだった。

 結局、ホームルームの時間にも限りがあるということで、先生がいくつかの案を出し、それに何人かの生徒が意見を出したことで一つの案に落ち着いた。

 今、実現する中では最高レベルでの公平性を有する手段――即ち、くじ引きだった。

 そうと決まるや否や先生が裏紙再利用のプリントを細かく切り、それを人数分数える。

 黒板近くの席を移動しているクッキーの空き缶を見ながら私は自分がプレッシャーに晒されているのを感じた。

 自分でも部活として出し物を出そうと思っていからよく解る。

 学校の文化祭と言うのは、実は意外と規定が細かく厳しいのだ。

 食品関係の出し物を出すなら言わずもがな、劇にしろ展示にしろとにかく多い。

 やれ何を使うのは禁止、やれ何を使うのは危険――。

 せっかく授業が終わった後だというのに、わざわざ放課後を使ってまで説明会を聞きに行かなければならない。

 それだけならまだしも、その後で聞いてきた内容をクラスメイトたちに説明しなければならないのだった。

 確かに面倒だけど、自分でも部活の出し物をする以上はどうせ通る道だと思えば、それだけなら別に何とかなる。

 でも、実行委員になったら名実ともに発表の中心になってしまう。

 私用とか何とか理由をつけて自分の部活発表の方に時間を割くのも難しくなりそうだ。

 でも、私が所属している部活のメンバーは私一人なのだ、私がやらずに誰がやる。

 ふと、そんなことを考えた私は軽く首を振ってそれを否定した。

少し心配性過ぎるだろうか。私はついつい長考に入ってしまったようだ。

気がつけば前の席のクラスメイトがクッキーの缶を差し出したまま私の顔を見ていた。

 ボーっとしてだらしのない顔になっていなかったかどうかが急に気になった私は早口で手短にお礼を言うと、素早く一枚の紙切れを取り出してクッキーの缶を後ろに回した。

 もしかすると、顔が赤くなっているかもしれない。

 ほどなくして全員に行き渡ったことを確認する先生の声が響き、全員が思い思いのタイミングで半分に折られた紙切れを開いた。

 その結果――。

 やっちゃった……。私は思わず机に突っ伏しそうになった。

 確立としてはそれほど高くない筈の当たりくじ、否、外れくじを引いてしまったのだ。

「当たりを引いた人は誰~?」

 教室全体を見回すように顔を動かしながら喋る先生の声が聞こえてくる。

 先生は元気な声で当たりと言っているが、私にはとてもそうは思えなかった。

 しかし、黙っているわけにもいかないので私は力の抜けた手を頭上へと挙げる。

「日野さんね。新聞部との兼ね合いも大変だと思うけど頑張って」

 傍目にも解る程に脱力していたのだろうか、先生はどこか遠慮がちに私に言った。

「いえ、決まったものは仕方ないですからがんばります、それと……」

 確かに大変なことになるのは間違いなかったが、それでも公平にくじ引きで決めたことなのだ。ここで文句を言い続けてはただの困った子以外の何者でもない。

 それはもう良いとして、私は半ばムキになったように先生の言葉を正していた。

 ひょっとすると外れくじを引いたことで無意識に苛立っているのかもしれない。

「新聞部じゃありません……報道部です」

 自分の声がどこか刺々しくなりかけていたのに途中で気付いたのが良かった。

 おかげで後半のほうの声はつとめて穏やかに言えたと思う。

 ――報道部。それが私の所属する部活だ。

 と言っても、部員は今のところ私一人だけだが。

「ごめんなさいね、日野さん。でも、引き受けてくれてありがとう」

 先生は相手が生徒でも反論する素振りも見せずに謝ると穏やかに笑う。

 やはり、こういう所を見るとこの先生の人気があるのがわかる。

 それに、先生が名前を間違えるのも無理は無かった。

 もともと、この学校には新聞部という部活はちゃんとある。

 私が入学する以前には全国のコンクールで賞を取ったこともある程の有名な部活だ。

 だけど、私が見学に行った時にはその時の功績を理由に部費だけ貰って、日がな一日駄弁(だべ)っているだけの部活なっていた。

 だから報道部は私が新聞部に業を煮やして立ち上げた部活。

 もっとも、“部”と名前に付いてはいるが、私が勝手に名乗っているだけだから本来は同好会だけど。

「女子は日野さんで決まりね。男子の方は誰が引いたのかな~?」

 再びクラスメイト全員を見渡すように顔を動かしながら先生が聞いた。

 また起こった少しのざわめきの中で一人の男子がゆっくりと手を挙げた。

 彼は周囲のざわめきにかき消されそうな声で、挙げた手に一言を添えるように呟く。

「……俺です」

 教室中の視線がその男子生徒に集中する。

 多くのクラスメイトに混じって私も視線を向けた。

 喜ぶことも嘆くこともなく、無表情で手を挙げていたのは都築(つづき )克也(かつや)だった。

 今年の4月に転校してきた男子生徒である彼は来た当初こそ、物珍しさに加えて見た目もそれなりに良かったせいか男女問わずに興味を抱かれた。

しかし、今では他者と殆ど関ることもなくなっていた。

 決して人間性に問題があるわけではないのだろうけど、何故か他人との関わりを持とうとしないせいで、誰かと一緒にいる所を見たことが無かった。

 先生は先程私に言ったのと同じように、どこか遠慮がちで申し訳なさそうな言い方で彼に実行委員の役を頼んでいるようだった。

当の本人の方はというと、別に良いとも嫌とも目立った反応を示さない。

「はい。構いません」 

 彼は頷いてからただ一言そう返事をしただけでそれ以上は何も言うことはなかった。

 こうして文化祭の実行委員は何一つ揉めることなく決まった。

 問題があるとすれば、私が報道部の発表との掛け持ちをしないといけないこと。

 そして、もうひとつは図らずも同じ実行委員として組むことになった彼とどうコミュニケーションをするかということだ。

 私はこれから処理する面倒事を思い、今度こそ机に突っ伏した。

 

 

 その日から忙しさを増した私の日々は始まった。

 取りあえず、実行委員やその他諸々を集めた全体説明会は土曜日にあるとのことで、それまでは放課後に長い時間を取られるということは無さそうだった。 

 それでも早速、実行委員の仕事は振られるのだから大変だ。

 授業終了後のホームルームが始まると同時、クラスメイト達にやりたいことの案はないかどうかを聞くように先生から振られた時には思わず声をあげそうになった。

 仕方なしに教卓の前に出た私は先生に負けず劣らず元気な声を上げた。

 今の声は、嫌々やっているとは思えないような良い声が出たとちょっとだけ自負する。

 やはりジャーナリストたるもの親しみやすい人柄が重要だ。

 そうでなくては取材をするのにも一苦労。

 私が胸中で納得した直後、教室中の所々でちらほらと手が挙がる。

 劇に喫茶店、お化け屋敷にバザー。出ると思っていた意見はあらかた出てきた。

 にしても……ちょっとぐらい手伝ってくれたって良いじゃない。

 思わずその言葉が私の口をついて出そうになるのをぐっとこらえて横を見る。

 一応、私と同じく実行委員である彼――克也も教卓の前に立っている。

 だけど、私と違って先程から一言も口を聞いていない。

 てっきりただ突っ立っているだけかと思いきや、意外にも彼は今まで出た案を余すことなく黒板に書き留めていた。

 普段から特に何かに興味を示す様子も無かっただけに、ただ黙って突っ立っているだけかと思ったらそうでもなく、実は意外と周囲のことを気にしているのかもしれない。

 少しだけだけど、私は彼のことをその時見直したような気がした。


 

 ややあって土曜日になった。

 あれから結局、私のクラスの出し物は無難な所で喫茶店に決まった。

 最初こそ様々な意見が出ていたものの、多数決で次々と少数派の意見が淘汰されていく中で気がつけば案は劇と喫茶店に二分されていた。

 決選投票で喫茶店が劇という案に競り勝ったからいいものの、もし劇をやることになったりすれば実行委員である私が主役をやることになるのは目に見えていた。 

 しかも、事と次第によっては相手役はろくに話もしない克也になるのだ。

 もうこれ以上は大変なことを増やしたくない私には、喫茶店の方がまだましだった。

 それに喫茶店なら劇と違って毎日練習をしなくても良ければ、家で台本を覚えることもないだろうし。

 その経過にほっと胸をなでおろした私は、椅子に座って時折、配布されたプリントに目を落としながら教卓で文化祭関連の責任者を担当している先生の説明を聞いていた。

 私の通う学校は公立高校の例に漏れず、魅力の一つである完全週休二日制を導入している筈なのに、実行委員の説明会の為に土曜日である今日も私は学校に来ていたのだった。

 確かに、授業が終わった後に時間を取りにくい人も少なくはないと思うけど、こっちにしてみれば困ることこの上なかった。

 補足すると、いつもの癖で土曜日は休みだと思っていたせいで私は、危うく目覚ましをかけ忘れる所だったのだ。

 幸いにも携帯電話のアラームが毎日指定で登録しっぱなしになっていたおかげで何とか目が覚めたから良かったものの、あわや遅刻する所だった私はヒヤリとした。

 何はともあれ間に合った私はプリントの余白にメモを取りながら、隣に座る克也を横目に見ているのだった。

 先日の件もあるから、てっきり彼がこまめなメモを取ってくれるかと思っていたのだけど、今日に限って彼の手は微動だにせず止まっていた。

 しかも、前は見ているものの、その視線はどこか遠くを見ているようだ。

 まさに彼は心ここにあらずといった状態にに見える。

私の気のせいか、目の焦点が合っていない気がする。

 もしかして眠気を必死にこらえているのだろうか?

 私は授業中に襲い来る睡魔に抗しようとする自分を思い出した。

 きっと、そういう状態の時の私もこんな顔になっているのかもしれない。

 ――でも、居眠りとかするような子だったかな?

 私はふと疑問に思い、声には出さず胸中だけで呟いていた。

 彼――都築克也には授業中に居眠りをしているというイメージがないのだ。

 普段から表情を動かさない彼はハイテンションになることもなければ、眠気のあまりローテンションになることも無いのではないか。

 漠然とした推論をそこまで組み立てていた私は、見落としていたある事に気付いた。

 ……って、私も含めて誰も彼のことを良く知らないじゃない。

 そうなのだ。彼は自分から話そうとしないのは勿論、休み時間になるとどこかへと姿を消してしまうのだ。

 そして、下校時間になれば誰とつるむこともなく一目散に一人で帰る。

 言われてみれば都市伝説よりも謎に満ちた男がすぐそばにいたのだ。

 ちょっとばかり興味の湧いた私はプリントに戻していた目線を再び横へと向けた。

 彼は私の視線に気づいていないのか、遠くを見たままだ。

 しかし、先程と違って今度はさらに口を少し動かしている。

 見たところ、何かを呟いているようだった。

 ――もしかして寝言……? でも、目を開けたままだし……。

 突然始まった奇行に、私はこっそり見ることも忘れて彼を凝視していた。

 まさか、電波とか念波で会話してるじゃあ……?

 我ながらおバカな推論を打ち消そうとした時、私の視界の中で彼が口を閉じてから一度小さく頷いた。

 そして、僅かな間を置いた後に再び口を動かし始めたのだった。

 口を動かす、頷く、そしてまた口を動かす。

 彼が繰り返すこの動作を見ながら私は一つの仮説を組み立てていた。

 まさか……誰かと話してるのかしら?

 数秒前に打ち消そうとしたおバカな推論が、急に私の中で実体と信憑性を持って重みを帯び始めた気がした。

 結局、彼は説明会の間ずっとこの妙な会話(?)を繰り返していた。

 そのせいで私はメモを取ることをすっかり忘れ、多くの生徒が教室から出ていく中で、同じく出ていこうとしていた先生を呼びとめて内容を質問する羽目になったのだった。

 何とかメモを取り終えた私はちらりと目をやって自分が座っていた席の方を見やる。

 克也はまだ席に座ったままで教室に残っていた。

 帰ってしまっていたらどうしようかと思った私は、ほっと胸を撫で下ろした。

 先生を急いで呼び止めるのに気を取られたせいで、うっかり彼に言い忘れていたのだ。

 私達にはこれから教室に行って、いくつか確認することがあるのだと。

 説明会は存外に早く終わったけど、次の雑務も可能な限り早く終わらせたかった。

 何せ、今日は土曜日なのだ。

 数日前に調べておいたあの都市伝説の真相を確かめる為にも、出来れば空けておきたかったが、実行委員になってしまったものは仕方ない。

 しかも、例の都市伝説は時間までもが決まっているのだから遅れるわけにはいかない。

 まさか本当に怪人が出ると言いきるつもりはないが、現場の写真を撮ってくれば文化祭で展示する報道部の原稿の足しにはなるだろう。

 報道部の発表の方に出すものを用意する為にも、出来れば今日のうちに目ぼしい写真を撮影しておきたかった。

「都築くん、これからちょっと良いかしら?」

 私が声をかけると克也はゆっくりと振り向いた。

 声に出して返事はせずに目線だけで何か用かと問いかけてくる。

「教室の幅を測ったり、机とか椅子とかを何個借りるかを数えないといけないから手伝ってもらってもいい?」

 彼は迷う様子も無く頷くと、バッグを持って立ちあがった。

 そのまま無言で歩き始めた彼を追って私も歩き始める。

 思っていたよりも克也は歩くのが早い。

 彼に追いつこうとすればいつもより歩くペースを上げなければならなかった。

 それが理由だろうか、心なしかいつもより早く廊下を移動できた気がする。

 土曜日で無人になった教室に入ると、そこはいつもとどこか違う風景に感じられた。

 放課後特有の色である夕陽の茜色も無く、まだ昼間ならではの強力な陽射しが教室を明るく照らしていながら、教室の中には誰もいない。

 それだけで全く別の教室に来たような錯覚を感じられるということを知った私は、どこか得した気分になりながら家から持ってきたメジャーを取りだした。

 まずは教室の寸法を図ってから、机や椅子が何個入るか割り出さなくてはいけない。

 更にその後は普段とは違うカーテンや、客席とバックヤードを隔てる為の布等々、何を借りるかを検討したのを生徒会に提出する書類にまとめる。

 そして、最後には机や椅子の合わせ方を試してみてから、客席の配置を仮組みする所まではやっておきたかった。

 別に期間に余裕がないわけではないが、報道部の方も力を入れたい私にしてみれば早い段階からクラスの方を終わらせておかないと不安だった。

 それに、きっと本番直前には展示する為の原稿を仕上げるのにかかりっきりになるのが私には予想できた。

今の私の原稿執筆スピードだと当日ギリギリまでかかっても不思議ではない。

 私はメジャー片手にてきぱきと寸法を測……ろうとして、なかなか出来なかった。

 やっぱり、こういうのは普段から慣れていないとダメなのかな……。

 心の中でぼやきながら私は腕時計の文字盤に目を落とす。

 例の怪人が出没する時間まではまだあるように思えても、現場はここからそれなりに距離のある場所だった。

 同じ市内とはいってもバスを使って移動する距離だ。

実際、私もこれからバスに乗ってそこに向かう予定なのだ。

 土曜日でバスの本数が少ない事も考えると、出来れば余裕を持って学校を出たい。

 それが私を焦らせているようだった。

 焦れば焦るほど、寸法を精密に測るという精密な作業はなかなか上手くいかない。

「こっちは終わった」

 私が測量に悪戦苦闘していると、背後で声がした。

 珍しいことに彼から話しかけてきたのだが、今の私にはそれどころではなかった。

 ……別に事務的な会話だったらするでしょ、いくらなんでも。

 胸中でそう結論付けるだけで、ろくに気にしない私はメジャーを巻き戻し、再び測量しようと紐の先端を伸ばす。

「手伝うか? ……急いでるんだろ?」

 言葉と共に彼の手がメジャーの先端を掴む。

 流石に今度は気にせざるを得なかった。

 彼から話しかけてくるのはともかく、自分から手伝いを申し出てくるとは正直意外だ。

「あ……ありがとう」

 思わず呆けてしまった私は、口を軽く開けたままほんの数秒の間を置くことになった。

 だが彼は呆けた私の顔をろくに見ることも無く、紐の先端を持ったまま教室の隅へと移動し始めた。

 克也は妙に慣れた手つきで測量を済ませていく。

もしかすると、彼はこういう作業が得意なのかもしれない。

 私が手間取っていた作業を彼が手早く済ませてくれたおかげで、思っていたよりも早く終わりそうなのは確実だった。

 その間に私は机や椅子といった備品の詳細を記入する書類に取りかかっていたのだが、私がそれを書き終えるよりも早く彼は測量を終えていた。

 私が誤字脱字が無いかをチェックし終えてシャープペンシルを置くと、横合いからそっとメモ用紙が差し出された。

「……これ。取りあえず一通りは測っておいた」

 私が書類の作業を終えた直後、タイミング良く差し出されたメモ紙を受け取りながら私はふと思った。

 もしかして、私の邪魔をしないように待っててくれたのかな。

 本当のところはわからない。

 でも、彼の気遣いだと思うことにしよう。

 私は思わず微笑しかけて慌てて口元に力を入れる。

 これでは突然笑いだしたみたいで変に見えるじゃないの。

 何はともあれ、今日は彼の新しい一面がいくつか発見できたのだ。

 ふと、私はそれにどことなく上機嫌になっている自分に気付いた。

 もっとも、更なる謎も発見されたことに違いないけれども。

 今度は苦笑しながら私は角を揃えた書類と筆記具を片付けてバッグにしまうと、腕時計を見ながら立ち上がった。

「今日はありがと、都築くん」

 私は彼に礼を言ってから気軽な調子で更に言った。

「ねぇ、良かったら一緒に帰らない? って言ってもバス停の所までだけど」

 彼ともっと話せば、先程の奇行の正体についても何かわかるかもしれない。

 もしかすると本当のところ、彼は普段のイメージとは違うのではないか。

 本当の彼がちょっと知りたくなったのも私が彼を誘った理由だった。

 自分の周囲に何の興味も無い人間――。

 私はとても彼がそうだとは思えないのだ。

 彼は私の誘いを聞いてからものの数秒と経たないうちに口を開く。

 まさに即答という言葉の見本のような返事のしかただった。

 間違い無く、イエスかノーかを微塵も迷っていないに違いない。

「断る。帰るんなら一人で帰るといい」

 地平線や大平原を思わせるほどに平坦な抑揚。

 ただ、事務的に意味を伝えるだけの声――いつも通りの声だった。

 思わず私は言葉に(きゅう)してしまった。

 取りつく島もないのがあまりにも明らかだったからだろう。

 ――そう。じゃあまた今度ね。

 角を立てないように作り笑いをしながら、そう言うことも出来ず。

 ――ちょっと……そんな言い方は無いんじゃない!

 当然のことを怒りながら、こんな風な文句を彼に言ってやることも出来なかった。

 むしろ、私には返事をされた一瞬、彼の言葉が異国の言語に聞こえていた程だった。

 私が言葉の意味を理解しかねている間に彼はバッグを掴むと、足早に教室を出て行く。

 少しして我に返ると、同時に私の中でふつふつと怒りが込み上げてきた。

「何もあんな言い方しなくたって!」

 教室から出る際に、私は思わず大声を出しながら教室を出てドアを閉めた。

 いつもよりドアを閉める音が大きかったのも、いくらか強い衝撃を感じたのもきっと気のせいではない筈だ。

 時間にはまだ余裕があったが、私は速足で校舎を後にした。

 そのおかげと言っては何だが、私が普段使うのとは違うバス停に着いたて時刻表を見た時には丁度バスが来る時間だった。

 バスの方も遅れていなかったらしく、殆ど待たずに時刻表通りの時間にやって来る。

 土曜のこの時間ということもあって車内に人影はまばらだ。

 私は空いている席を見つけて腰を下ろし、見るともなしに車窓から外の風景を眺める。

 いつもと違うバスに乗り、そこから風景を見るだけでも自分の知らない場所を走っている気分になるのを私は感じていた。

 教室のことといい、今日は意外な所で小さな発見がある日みたいだ。

 細めの道路に等間隔で並ぶ家々、それらの間に作られた公園。

 夕陽の色に染まりつつある茜色の風景がゆっくりとした速度で流れていく。

 住宅街の中をゆっくりと進むバスが校舎の横を通り過ぎようとした時、風景を眺めていた私は見覚えのある人物の姿があるのに気付いた。

 さっきと同じく他者を近付けまいとする雰囲気やそれを助長する目つき。

 間違いない、あの人類史上稀に見るつ(・)っ(・)け(・)ん(・)ど(・)ん(・)男――都築克也が歩いていた。

 彼はもうとっくに帰ったものと思っていた私が見ると、彼は校門の前で立ち止まる。

 今度はそれに合わせるようにして小走りで彼に近寄る人影が私の目に入った。

 私よりも長い黒髪は腰まであるだろう。

 そして、長さだけでなく質までもが私以上だった。

 顔立ちはまだかすかに幼さが残っているのを見るに、私よりも年下だろう。

 ただ、私からすれば年下なだけで同年代から見れば大人びているように思えた。

 きっと、同い年の友達からすればお姉さんのようなタイプに感じるに違いない。

 パステルカラーのカーディガンにデニムのスカートという派手さは控えめに抑えられているが、年頃の少女の可愛さがよく出た格好がよく似合っていた。

 ゆっくりと流れていく車窓の景色の中で克也とその少女は言葉を交わしているようだ。

 彼の口元は普段からは想像もつかないほど、ひっきりなしに動いている。

 少女の方もここからではあまりよく見えないが、やはり口を割と動かしているようだ。

 あの少女は一体、誰なのだろうか?

 私の胸中に疑問が湧いた瞬間、克也は手を伸ばすと例の少女の手を掴んだ。

 あれほど他人との関わりを廃絶して生活している彼に、手を繋ぐような仲の異性がいた事に私は驚きを隠せない。

 しかし、それ以上は見させまいとするかのように、私の乗ったバスは走り抜けていく。

 遠ざかって行く茜色の風景の中で手を繋ぐ二人を見ながら、私は何とも言えない感情が自分の中に渦巻くのを感じていた。

 


 辺りはもう既に暗くなっていた。

 頭上に幅広の道路が走る高架下で、私は周囲を見回している最中だった。

 申し訳程度に街灯の灯りがあるだけのこの場所こそが先日、例のサイトへと書き込まれた都市伝説――怪人赤マントの出没する現場なのだ。

 まだ日が長いこの季節でありながら、これだけの暗さになったのに気付いた私は半ば慌てるように腕時計へと目を落とす。

 時計の針が指し示す時間はまだ予定の時間にはなっていなかったものの、遅い時間であることに変わりは無かった。

 私は深呼吸を一つすると、バッグから愛用のカメラを取り出す。

 バッテリーはフルの状態で各部動作も異常なし。

 緊張から何度も腕時計に目を落としながら私は周囲をきょろきょろと見回していた。

 ここでも私の理性を司る部分が冷静に告げる。

 まさか本当に怪人が現れるとでも思っているの? 

 内なる自分からの問いかけに私は反論したくとも出来ずにいた。

 こんな夜遅くまで私のような女子高生が一人歩きした揚句、現場に張り込んでいる。

 殆ど信憑性の無い都市伝説を確かめる為に、カメラまで持って。 

 そのような事をしている暇があったら友人と遊びに行くなり、家に返って休むなり、あるいは勉強するなりしていた方がよほど有意義なのではないだろうか?

 自問自答に入り込んでいく自分を私は止められなかった。

 もしかして、自分のやっていることは無駄なのではないだろうか。

 薄々、思ってはいても明言するのを避けていた答えを内なる私が口にしようとする。

 その時のことだった――。

「お前……俺を笑ってるんだろ?」

 今まで人の気配の無かった辺りに突然声がしたのに少し驚いて、私は我に返った。

「お前……俺を笑ってるんだろ?」

 先程から少しの間をおいて再び同じ声がする。

 若い男のものと思しき声だった。

 言っていることの内容からして喧嘩か何かの前兆だろうか。

 面倒事に巻き込まれるのが嫌だった私は、声の主から距離を取ろうとして、それとなく目線を動かした。

 動かした視界には切れかかった蛍光灯から降りそそぐ弱々しい光と、照らしきれていない暗がり。そして一人の男の姿が飛び込んでくる。

 私はその瞬間、背筋にぞくりとするものを感じた。

 確かに、殆どが暗がりのようなこの景色が不気味だったのもある。

 だが、ふと気付いてみれば……男が先程から呟いていた言葉は疑問形だったのだ。

 つまりは会話の相手になる者がいるはずだが、周囲には若い男が一人いるだけ。

 私は恐る恐るその男へと目を向けて、ある事を確認した。

 案の定、その男の目は明らかに私を見ていた。

 私は都市伝説を確かめるのを中止して、今すぐこの場を走り去りたい衝動に駆られた。

 相手がただ大声で独り言を垂れ流しているだけの奇人ならば良かった。

 しかし、理由は解らないが相手は今も私に目線を向けているのだ。

 不穏当な視線を背中に感じながら私は素早くカメラをバッグに入れると、小走りに駆けだした。

「お前……俺を笑ってるんだろぉ!」

 今までよりも大きな声が背後から響いたと思った時はもう既に遅かった。

 暗がりの中に立っていた男は信じられないような速さで私の前に先回りすると、進路を塞ぐように立ちはだかる。

 丁度、男は街灯の下に立っているせいか、その姿はおぼろな光に照らされていた。

 消えかけの街灯はさして明るくも無い光で逆に不気味さを引き立てる一方、出来れば見たくないものはきっちりと可視化し、余計な所で光源としての役目を全うしている。

 見たくないもの――爛々と輝く男の血走った目を見てしまった私は、恐怖のあまりその場から動けなくなってしまった。

「本当は心の中で笑ってたんだろ? とっくに冷めてた関係に俺がすがろうとしてたのも……週末に久々に会えるって聞いて俺が無邪気に喜んでたのも……」

 私の眼前に立つ男は息を継ぐこともなく喋り続けていた。

 しかも、私を誰かと勘違いしているのか、向けてくる声も顔も憎々しげだ。

 一言一言を発し、私を一瞥する度に顔や声に滲む憎しみは色濃い物になっていく。

「……ずっと俺の一人相撲だったことも……全部、内心で笑ってたんだろォッ!」

 爆発する感情を抑えきれていないのは明白であり、語尾はもはや奇声だった。

 男の様子を見るに、勘違いだと正すことも宥めることも出来そうにない。

 ……まさか怪人じゃなくて、普通の人間の変質者が出てくるなんて……。

 私は泣きだしたい気分になった。否、私の目じりは濡れだしていた。

 存在自体が不確かな都市伝説よりも、現実にいそうな危険人物の方が遥かに怖ろしいに決まっている。

 凍りついたように動かなくなった脚に苛立ちながら、私は無我夢中で大声を出すべく息を吸い込んだ。

 気付いてくれれば誰でもいい。警察を呼んで、私を助けてほしかった。

「お前が悪いんだよ……俺を笑うからぁッ!」

 私が唇を震わせようとした瞬間、男がひときわ大きな声を出した。

 その大声にたじろぐ私の前で男はもがきだすと、うめき声を上げながら俯く。

 恐怖や困惑が飽和状態になった私は、呆けたようにその様子を見続けていた。

 俯いたままの男の口からうめき声と共に何かが吐き出される。

 最初は何かの液体かと思った。

 きっと、吐くほどの深酒をしたのだ。

 先程の意味不明な言動もそのせいに違いない。

 もはやただの酔っ払いとは思えないくらいの不気味さを男は放っていたが、それでも私は相手がただの酔っ払いという手合いに過ぎないと自分に言い聞かせようとした。

 しかし、私がそうして保とうとした平静を叩き壊すかのように、男が吐き出す物の量はみるみるうちに増えていく。

 もはやそこらの水たまりを軽く上回る程の量が溜まったそれは粘性があるのか、周囲に流れ出すことなく男の前に集まったまま動かない。

 切れかけの蛍光灯が明滅の瞬間に一瞬だけ全盛期の明るさを取り戻したせいで、私にははっきりとその液体の外見を見て取ることが出来た。

 粘りがあることが一目でわかる見た目はまるでスライムのようだ。

 でもその一方で、硬質な光沢を有しており、まるで金属のようにも見える。

 それを見て私は、理科の時間に教科書で見た水銀を思い出した。

 だが、色は銀色などではなく赤々とした銅の色だった。

 これじゃあまるで、新しい十円玉の色だわ……。

そんな場違いなことを考えてしまったのもきっと混乱のせいだろう。

 口から吐き出される赤銅色のスライムは男の周囲を浸すくらいの量が溜まり、やっとのことで止まった。

 衝撃的な光景でその場に釘付けになった私に更なる追い打ちをかけるように、赤銅色のスライムから突起が生えるように一部が盛り上がる。

 まるで手を伸ばすように盛り上がった一部は男の足にまとわりつくと、そのまま彼の身体を這い上がり始めた。

 最初に発えた一本の突起に続くようにして、次々とスライムのあちこちが盛り上がる。

 そして、それら全てが最初の一本と同様に男の身体を這い上がり始めた。

 やがて数秒もしないうちに男は赤銅色のスライムに呑みこまれてしまったのだった。

 ……まさか……食べられちゃったの……?

 かろうじてフリーズせずに機能していた一部の思考が私の中で仮説を立てる。 

 しかし、その仮説も次の瞬間に私の視界内に広がった光景によって否定された。

 男の身体を包みこんだ赤銅色のスライムは男の身体にまとわりつくように固まる。

余分な部分は流れ落ちるか、定着が少ない部分に吸収されてから同様に固まった。

 鎧……なのかしら……?

 奇妙なスライムが流れ落ちた後に立っていた男の姿は名状しがたいものだったが、何か近い物に強いて喩えるならばそうとしか言いようがなかった。

 全身を覆うスーツのような形に固まった赤銅色のスライム。

それは表面から放つ金属光沢のために、スーツというよりは鎧に似ていた。

 目元だけが真一文字に開いた兜のような頭部から僅かに覗く一対の目は、先程よりも爛々と輝きながら私を見ていた。

 既に自分の持つ常識の範疇を軽々と飛び越えてしまった今の状況で、遂にフリーズしてしまった私の思考は身体の動きを一切合切止めてしまう。

 そして、その時の私にとってはそれが命取りとなった。

 棒立ちする私に向かって飛びかかって来る赤銅色の鎧。

 近付かれたと思った時には既に相手の両腕が私の首へと延びていた。

 金属特有の硬質な感触と痛み、直接触れられた恐怖を首筋に感じながら私は朦朧とする意識の中で相手を見た。

 やがて痛みも消え、恐怖も消えようとしている。

 あまりに大きな心身へのダメージで感覚が麻痺してしまったのだろうか。

 やおら赤銅色の鎧は私の首から手を離すと、手を大きく振り上げる。

 切れかけの街灯に照らされたその手の先には湾曲した鉄板を思わせる爪が生えていた。

 あんなものを振りおろされたらきっと痛いだろうな……。

 もはや本能で諦めを感じ始めているのか、私は妙に冷静だった。

 急に手を離されてアスファルトに吸い込まれるように倒れ込んでいく私は、ここで都市伝説の真相を理解した。

 人間の変質者? とんでもない。

 全身から赤々とした光沢を放つその姿。それこそはまさに――。

 そっか……。だから、“赤マント”なんて噂が立ったのね……。

 最後の最後で納得して目を閉じようとした私の視界を、奇声と共に振り下ろされた赤銅色の爪が埋めていく。

 赤銅色の爪が私を引き裂く瞬間のことだった。

何か黒い影が私の視界に入ったかと思うと、私の身体は大きく揺り動かされた。

 振り下ろされた赤銅色の爪はあっけなく空を切り、アスファルトの路面に深々と傷跡を穿つだけにとどまる。

 一瞬、土壇場で自分に何が起きたのか解らない私だったが、黒い影――一つの人影が伸ばした手が私の手を取って立たせてくれたおかげで、おぼろげながら理解できた。

 この人影に私は助けられたのだ。本当ににギリギリのところで。

「……怪我は、してないな?」

 抑揚を抑えた声で人影は私に問いかけてきた。 

 そろそろ暗がりにも目が慣れたことに加え、いくらか落ち着きを取り戻した私は幾分か平静になって人影を見つめた後で、驚きのあまり絶句した。

「……はい。って、都築くん……なの?」

 私を助けてくれた人影――都築克也も驚きの表情を浮かべている。

 どうやら向こうも、助けたのが私だと今の今まで気付いていなかったらしい。

「……ッ! お前は確か――」

「日野よ! 何で都築くんがここにいるのよ!」

 思わず声を荒げてしまった私にひるんだものの、彼はすぐ我に返ると言い返してきた。

「それはこっちのセリフだ……! 理由はこの際どうでもいい、早く逃げろ!」

 克也は普段の彼に比べて随分と感情的な声の出し方で私にまくし立てる。

 今度は逆に私がひるむ番だった。

 そう言われては返す言葉も無い。まさか「都市伝説の真偽を確かめに来てました」などとここで言える筈も無かった。

 気まずくなって顔を伏せた私はその時、とあるものを目にした。

「都築くん……! 君、ケガしてるよ」

 見ると、彼の手の甲から何かが滴っているようだった。

 きっと、私を助けてくれた時にした怪我だろう。

 申し訳なさそうな顔をして怪我を指摘した私に対し、彼は特に気にした風も無い。

「気にするな……大した怪我じゃない」

 そう言われて気にしないでいられはしない私ではない。 

今度は申し訳なさのあまり私が顔を伏せた時、先程から明滅を繰り返していた街灯が再び会心の明るさを一瞬だけ取り戻した。

 暗くてよく見えなかった彼の怪我の具合が鮮明に照らし出される。

 彼の手から流れる液体は鮮やかな銀色をしていて、鋭い光沢を放っていた。

「……え?」

 私はつい間抜けな声を出してしまった。赤い血ではなく、銀色の液体……?

「お前も……俺を笑ってんだろぉッ!」

 果たしてこの疑問を彼に問うても良いものか逡巡していた私の思考を赤マントの奇声が立ち切った。

 私と克也に向けて飛びかかって来る赤マントのスピードはとても人とは思えなかった。

 間の悪いことに私も克也も互いに気を取られていたせいで反応が完全に遅れる。

「都築くん! あれ……! あれっ……!」 

 今しがたの疑問の事など全て忘れて悲鳴に近い声を上げ、私は震える人差し指を赤マントに向ける。

私の肩を落ち着かせるように掴みながら、克也はまるで雄叫びのような大声で言った。

「相棒ッ!」

 再び赤銅色の爪が私に振り下ろされようとする瞬間、横合いから砲弾の如く勢いで突っ込んできた何かが赤マントの身体を直撃し、盛大に吹っ飛ばす。

 砲弾の正体を見極めようと無我夢中で私が目を向けた先にあったのは、今もエグゾースト音を立ててアイドリング状態のまま停車する一台のバイクだった。

 そのバイクはアイドリングこそしているものの、シートには誰も乗っていない。

 まさか……ひとりでに走り出し、間一髪の所で赤マントに体当たりを叩き込んだとでも言うのだろうか。

 克也は私の肩を掴んでいた手をそっと離すと、赤マントに向き直った。

 赤マントはバイクの突撃を受けたにも関わらず、もう起き上がって先程から繰り返している言葉を憎々しげに克也へと吐きかけている。

 全身を覆う金属の装甲がダメージを軽減したのだろうか。だとしたら凄い耐久力だ。

 克也はそんな相手から一度も目線を動かそうとしない。

 まるで、ここでこの怪人と相対するとでも言うかのように。

「無茶よ……! 都築くん、一緒に逃げよう!」

 考えるより先に私の口が動き、目からは涙がこぼれる。

 まさか彼は私を逃がす為に死を覚悟して囮になろうとしているのだろうか。

 だが、私の様子を気にした風も無く彼はたった一言、一分の焦りも無い声で呟いた。

「行くぞ――相棒」

 それに呼応するように先程のバイクが再び無人で走り出す。

 バイクは克也の前に停車すると、前輪を赤マントへと向ける。

 ハイビームにしたライトや更に激しくなるアイドリングは、まるで相棒である克也の敵を威嚇しているようだ。

 その姿はバイクと言うよりは、もはや忠実な軍用犬みたいだったのを私は覚えている。

「キャスト・イット・アップ!」

 体中に満ちる力の全てを込めたような声で克也が叫ぶと同時、彼の前に停車していたバイクが何の脈絡も無くバラバラに分解されて四方八方へと飛び散った。

 突如として全ての部品がバラける様を見た私からすれば、あたかも車体が爆破四散したようだ。

 信じられないことに幾つもの部品は一つの例外も無く一カ所へと集まって行く。

 的確に動く様はまるで、部品が自らの意思を持っているのではないかと思ってしまう。

 しかも、空中を舞いながら部品はその姿を変えていった。

 先程、私が目の当たりにしたのとどこか似た粘性の金属光沢――ただし、赤銅色ではなく鮮やかな銀色の塊がいくつも発生する。

 幾つもの銀色の塊は更に細かく分裂すると、細かい粒のようになった。

 銀玉よりも格段に小さく、さながら砂粒のようなそれは水銀の滴と言い表すのが正しいのだろうか。

 やがてそれらは克也の眼前へと群がるように集まると、空中に滞留しているのが目にみえるほど濃厚な銀色の霧になった。

 克也よりも一回りも大きい水滴の霧は銀色の輝きを放ちながら、なんと動いていた。

 銀色の霧は急に加速すると、平然と立つ克也に向けて前方から迫るように動き始める。

 霧が克也と接触した瞬間、それは起こった。

 最初は霧の端に触れた手の変化に始まって、銀色の濃霧に触れた部位から彼の身体が鮮やかな銀色に変わっていく。

 それはどこか、さっき赤マントが自らに装甲を纏ったのにも似ていた。

 瞬き一つもかくやという速さで銀色の霧が克也を通り抜けた後で、克也がいた場所に立っていたのは鮮やかな銀色の体躯だった。

 街灯の光を受けて鋭く澄んだ光を照り返す銀色の全身装甲は、赤マントよりも鎧という存在に近い形をしている。

 銀という色に加えて西洋甲冑を思わせるデザインには、眼前に立つ怪人が持つ不気味さは無い代わりに、ある種の美しさがあった。

 頭部を覆う兜は銀色の仮面と新緑のような翡翠をはめ込んだ一対の瞳が目を引く。

そして、鋭く光る一本の角を額に抱く形は力強さと荘厳さを兼ね備えている。

 ――その姿はまるで鋼の一角鬼。

 雄々しくそびえ立つ銀色の体躯が私と赤マントの間を隔てるように立ちはだかった。

 その瞬間、私は全てを理解した。

 ――銀色の金属が集まって出来たような姿。

 ――無人で走行するバイク。

 ――そして、怪物から人を救ったという存在。

 私の住むこの街で密かに語り継がれる都市伝説――“銀の弾丸”。

 その正体こそ私のクラスの男子生徒――都築克也だったのだ。

 対峙する両者のうち、先に動いたのは赤マントだった。

 相変わらずの奇声を上げながら、人外と称すべきスピードで克也に迫る。

 先程はバイクによって盛大に吹っ飛ばされたが、その距離もあっという間に縮まった。

 だが、克也は焦る様子をほんの少したりとも見せはしない。

それこそ冷たい金属のような、冷静な雰囲気を纏って立ちながら軽く右手を振るう。

 克也が右手を振るうと同時に、彼の手首から水銀を思わせる液体が鞭のように延びた。

 その先端は克也が振るう右手の勢いに任せ、粘性の許すままに長さを延ばしていく。

 先端が前方から飛びかかって来る赤マントに触れる寸前――。

水銀の鞭の表面に無数の穴が等間隔で空いたかと思えば、間髪入れずに鞭はその形を決めるように粘性を捨て去った。

 鎖の形に固形化された水銀状の液体が赤マントの身体をしたたかに打ち据える。

 しかし、赤マントも負けてはいなかった。

 その一撃を受けてから警戒したのか、蛇のように音を立てて息を吐きながら持ち味である軽快な動きを活かして克也へとヒットアンドアウェイの攻撃を開始する。

 速度は勿論、夜闇に乗じてかけられる奇襲を避けられずに克也は何発もの打撃を身体の至る所に叩き込まれる。

 あれだけの攻撃を受けては、たとえ装甲があってもただでは済まないだろう。

 その証拠に、克也の身体は赤マントの拳が叩き込まれる度に揺れ、蹴りを叩き込まれる度に傾ぐ。

「相棒、奴はもう完全に“炉”になってるんだな?」

 四方八方から絶え間なく叩き込まれる打撃をクロスさせた腕でガードしながら克也はまるで独り言のように問いかけた。

 克也の問いかけに返事はない。だが、それから少しの間を置いて彼は再び口を開く。

「お前から見ても間違いないか。このままじゃ厄介だしな……早々に終わらせるぞ」

 克也の言葉に呼応するかのように、右腕から延びた鎖が更にその長さを増して行く。

 まるで絶えることを知らないかのように伸び続けた鎖は、彼の眼前で大きな銀色の山を形作るまでになっていた。

 突然の事に驚きを隠せない私の前で克也の手元から先で、伸びた鎖がやおら消失した。

 つい今しがたバイクが銀色の粒になったように、凄まじい量の鎖が銀色の水滴となる。

 嵐のように膨大な銀色の水滴は、やはり自らの意思を持つように一カ所へと集まって一つの形を作り上げていく。

 最初に二つの輪が生まれるように成形され、それを頑強なボディがつなぐ。

 バイクの大まかな形となった銀色の液体は瞬く間に細部を変化させ、表面のディティールを作り上げていく。

 バイクに変化するつもりだと私が予想した時には、もう既にそれは完成していた。

 私の眼前で先程、私を救ってくれたのと寸分違わぬバイクがそこに現出する。

 克也はそれに跨ると、ストッパーを高らかに蹴りあげてエンジンを始動させた。

 ヘッドライトのハイビームが闇に隠れる“赤マント”を照らし、その居場所を暴きだす。

 ライトの明かりに目がくらんだのか、反射的に手をかざして動きを止めたのが“赤マント”にとって致命的な隙となった。

 克也はロケットスタートで発車した車体を駆り、一目散に“赤マント”へと突撃する。

 私は目の前に広がる光景に瞬きも忘れて見入っていた。

 ハンドルを握る克也の右手首に微かに残っていた鎖も、彼がスロットルを更に上げた瞬間に銀の粒となって消失した。

 鎖の残滓は再び克也の前方に銀色の霧を作り出す。

 克也は一切スピードを落とすことなく銀色の霧の中にフルスロットルで突っ込んだ。

 すると今度は彼の身体ではなく、跨るバイクがその姿を瞬く間に変じさせていく。

 市販車を思わせる外装は一目で強固と解る大型の装甲へと変化し、更にはヘッドライトの上に突起が生み出される。

 いえ、違うわ……あれは……突起なんかじゃない!

 得心した私は叫び出しそうになるが、驚愕に支配された身体は喉すらも動かない。

 長大な突起の先端は槍のように、そして胴体は刀のように鋭い。

 これは角だ。それも、決して装飾などの目的ではない。

 必中必滅にして一撃必殺を可能とするほどに強力な、紛う事無き立派な武器。

 内部に抱くエンジンの心肺が生み出す爆発的な馬力に乗って角を繰り出す姿――。

 獰猛さで知られ、額の一角であらゆる敵を打ち倒す伝説の獣――ユニコーン。

 銀色をした鋼鉄の一角鬼の相棒――さながらそれは銀色の一角獣。 

 相棒を乗せた銀色の一角獣は赤マントの怪人へとその角の先端を突き立てた。

 勝負は一瞬かつ一撃で決すると思っていた。

 それだけに、私にとってその光景は今まで以上の衝撃を与えた。

 何と……赤マントは角の一撃に耐えたばかりか、角の胴体を掴んで踏ん張ったのだ。

 半ばまで貫きながらも、角は赤銅色の装甲に寸での所で受け止められていた。

 バイクのパワーに押されながらも踏ん張る赤マントの足元で火花が散る。

 金属に包まれた足が擦れ、火花を散らす様はまるで溶接の作業を思わせた。

 ……って、私ってば何考えてるの!

 場違いな喩えを持ちだした自分を戒めながら、私は震える手でカメラを取りだした。

 緊張に揺れるせいで思うように操作できない自分の手に苛立ちながらも、撮影モードを連写に切り替える。

 堤防の堰を切るように私が連写のシャッターを押すのと、克也が動いたのは同時。

 最大出力でストロボがを焚き続けるフラッシュを浴び、まるで稲光のようなそれを照り返しながら克也はバイクのシートから飛び上がった。

 その後で左手から伸ばした鎖を街灯の突端に引っ掛け、克也は空中で姿勢を制御する。

 あたかも振り子の要領で勢いを加速させた克也は、速度が最高潮に達した瞬間を狙ったように鎖を銀色の粒へと戻した。

 糸の切れた振り子のように宙を舞う克也の前方で“赤マント”の背中が迫っていく。

 克也が飛ぶと同時、鋼鉄の一角獣は車体をウィリーさせて怪人の体躯を持ち上げた

 その光景を見た私は、あたかも鬣を振り乱しながら角に引っ掛けた相手を投げ飛ばす一角獣の姿がそこにあるような錯覚さえ覚えていた。

 タイミングや角度、全てにおいて寸分の狂いも無いコンビネーションで持ち上げられた赤マントの身体が克也に向けて突き出される。

 直後、それを迎え撃つように繰り出された克也の飛び蹴りが赤マントの背に炸裂した。

 鋼鉄の一角鬼の蹴りと鋼鉄の一角獣の角――二つの攻撃に挟み潰された赤マントが苦悶の声を上げる。

 先程の曲芸などもろともせずに、アスファルトの路面への着地を難なく決めた克也の前で“赤マント”の身体が変色していく。

 元々、赤い色をしているがその色合いは同じ赤でも明らかに違った。

 光沢のある赤銅は、くすんだ赤茶色へと変わって行く。そう、この色は――。

「錆びてる……? そういうことなのかしら……?」

 メモリの容量を全て使い果たし、連写の停まったカメラを抱えながら私は呟いた。

 錆びが全身にまわった“赤マント”の装甲は、まるで風化したように崩れ始めた。

 やがて全ての装甲が剥がれ、朽ち果てた残骸は風に吹き散らされて消えていく。

 赤マントの中身である男は白目を剥いたまま気絶していた。

 その姿には、私が恐怖した不気味さはもうどこにもない。

 ただそこにいるのは、弱ったようにピクピクと震える普通の人間だった。

 遠巻きに男を観察している私の横で、硬質な足音がしたのに気付いて私は振り返った。

 私の横に立った克也が鎧う装甲は銀色の粒が集まって霧へと変化すると、さっき彼が怪我をした手の甲の傷へと吸い込まれていく。

 同様に鋼鉄の一角獣と化したバイクも外装や角を銀色の霧に変え、元の姿を取り戻す。

 話しかけようとした私を遮るように克也は携帯電話を取り出した。

 そして、彼は私のことなど気にもせずに、そのままどこかへと電話をかけ始める。

 何事をかを手短に喋っていたようだが、私にはよくわからない言葉ばかりで内容は今ひとつ推測出来そうにも無い。

 ただ解ったのは、今私たちがいるこの場所の番地を告げたということだけだった。

「説明してよ……都築くん」

 彼が電話を終えたのを確認して私は話しかけた。

 でも、彼はそれを無視して“赤マント”だった男に歩み寄る。

 克也は倒れている男の頬を乱暴に叩いて起こそうとする。

「ちょっと……止めなよ……相手は怪我人なんだよ」

 私の声など聞こえていないかのように男へと詰め寄ると、克也は目を覚ましたばかりの男の胸倉を掴んで強引に上体を起こす。

「聞かせてもらうことがある……コイツを知っているな?」

 いつもの感情や抑揚の乏しい声でもなければ、さっき私を助けてくれた時のような気迫に満ちた声でも無い。

 聞いただけで思わずぞっとするような声で問いかけながら、克也は胸ポケットから取り出したパスケースを男に突き付けた。

 未だ焦点の定まりきらない目で克也を見ながら男はぽつりぽつりと語り始める。

「ああ……。彼女に捨てられてヤケになってた所に話しかけられて……それから――」

「そうか。もういい――」

 語り始めたばかりだというのに克也はそれを遮ると、男の無蔵を掴んだ手を急に離す。

 乱暴なやり方で男を再びアスファルトに横たえると、克也は踵を返した。

「行くぞ、日野。ここにいると面倒なことになる」

 私の返事も聞かないままに歩き出した克也の後を追うように私は小走りで駆け寄った。

「だから説明してよ! 都築くん……あの怪人は何なの? それに……キミは一体?」

「詳しい話は後だ。今はここから去るぞ、後は事情を知る大人が何とかしてくれる」

 実在していた怪人。そして、“銀色の弾丸”の意外な正体。

 私の常識は一夜にしてあっという間に塗り替えられてしまった。

 でも、これは私が彼――都築克也を取材したことをきっかけに直面した驚くべき事実の数々の中のほんの一端、即ち始まりに過ぎなかった。

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