後編
「あれよ」
勇者さまが指をさす先には、絵に描いたような洞窟が黒々とその口を開けていた。既に辺りはとっぷりと日も暮れ、中の様子は全くわからない。
見たところ、見張りは居ないようだが……。
「さあ、行くわよ」
「ちょ、ちょっと待て!」
無警戒に入り口に歩み寄ろうとする勇者さまの腕を掴んで慌てて止める。
「なによ、いったい」
「なによ、じゃねえよ! なんだって、わざわざこんな夜中になってから行くんだよ!」
戦争なんかは人間同士がやるもんだから、夜襲というのも効果的だが、魔物は殆どが夜行性である。
「おかしなこと言うわねぇ、洞窟に昼も夜も関係ないわよ」
勇者さまは掴まれた腕を振り払うと、堂々と入り口まで近づいていく。
後をついていく俺は、いつ物陰から矢が飛んでくるかと、一瞬も気が抜けない。
が、予想に反して、見張りも居なければ不意打ちの一つも無く、あっさりと入り口に辿り着いてしまった。
……それはそれで、不気味な気もするが。
洞窟の入り口をくぐろうとした俺は、ふと大事なことに気付いた。ところで明かりはどうするんだ?
たいまつやランタンは置いて来ちまったし、俺は明かりの魔法なんて便利なもんも持ってない。このままじゃ真っ暗な中を手探りで進むはめになるんじゃ……。
中に入ると、俺が危惧したとおり、延々と続く暗闇が続いて……いなかった。
「見えるのは周りだけだから、あんまり離れるんじゃないわよ」
そう注意する勇者さまは、どう見ても明かりになるような物は持っていない。壁が光ってるわけでもなく、敢えて表現するなら、自分たちが光っているような感じだ。
「なんだこりゃ? 魔法か?」
「違うわよ、こういうシステムになってるの」
「しすてむ?」
何やら聞き慣れない単語に、俺は首を傾げた。それにしても、俺が聞き返すたびに、勇者さまがまるで幼児を見るような見下した目をするのは何とかならないもんか。こちとら今まで培ってきた物が根底から覆されて戸惑ってるってのに。
「暗闇が切り替わる所では、敵に会いやすいから気をつけるのよ」
……もう、意味を考えるのはよそう、頭が痛くなってきた。
洞窟の中は、さして複雑な構造をしているわけでは無かったが、よくぞここまで詰め込んだと褒めてやりたくなるほどの魔物で溢れ返っていた。
何故かどいつもこいつも真正面から襲い掛かってくるしか能が無い騎士道精神あふれる奴らなので、さして苦労は無いが、とにかく数が多いので、蓄積される疲労もばかにならない。
「ここね」
洞窟の一番奥、いかにもな扉を見つける頃には、俺も勇者さまも肩で息をするほど、疲れきっていた。
持ってきた『やくそう』、これがまさか食べるものだとは思わなかったが、それも既に使い切ってしまっている。
顔を見合わせて、一つ頷きあった俺たちは、勢い良くその扉を蹴り開けた。
残った力はあまり多くない。ここは短期決戦あるのみだ。
扉の向こうは、長い廊下、左右に整然と並ぶ燭台、そして奥に悠然と座るローブ姿の男が一人、もう全力で俺が「ラスボスだ!」と主張しているようなもんである。これなら、初心者のあなたでも安心ってもんだろう。
「あんたね! 洞窟に住み着いた魔法使いってのは!」
男は何も答えず、その代わりに音も無くゆらりと立ち上がる。俺は魔法を警戒し、全身の緊張を高めた。
と、やにわに男がこちらに向かってダッシュをかける。
椅子に座っているときは気づかなかったが、魔法使いイコールじじい、という常識を裏切り、意外な速さで間合いを詰めてくる男は、おそらく俺よりも若い。
まさかローブ姿は目くらましで、実は接近戦が得意なのか! 完全に意表をつかれた俺は、慌てて剣を構えるが、時すでに遅し、相手はもう目の前まで迫っている。
斬られる! 俺は覚悟を決めた、が、男は俺をガン無視すると勇者さまへと飛び掛る。まずい! そう思った瞬間!
「おねがいします! たずげでくだざいぃ~」
「ちょ、ちょっと! なにすんのよ!」
男は情けない声を上げながら勇者さまの脚にしがみついた。このヤロウ、なんて羨まし……じゃなかった、とにかく助けねば。
思ったより強い力でしがみついている男を半ば強引に引っぺがし、なおも泣き崩れる男をなだめすかして、何とか事情を聞き出した。
曰く、この男、見た目通りの魔法使いなのだが、洞窟に迷い込んだ所を魔物たちに問答無用で追い回された挙句、この部屋に逃げ込んだのは良いが、ここから出られずに困り果てていたらしい。
確かに魔法使い一人で厳しいのはわかるが、それを差っ引いても、なんとも情けない話である。
「あなたたち冒険者なんですよね? 僕を外まで連れてってください~、もうこんなことしませんからぁ~」
弱気な声を上げる目の前の魔法使いに、さすがの勇者さまも面食らったような顔をしている。
「仕方ないわね、連れてってあげるから、遅れるんじゃないわよ」
半ば呆れ顔で承諾する勇者さまの言葉に、魔法使いが急に元気になって立ち上がった、その時である。
俺はどこからともなく響いてくる、ごごごご、という鈍い音に気が付いた。何かとてつもなく嫌な予感がする。
徐々に音が大きくなり、目の前の天井に、大きなひび割れが走る。
「やべぇ! 逃げるぞ!」
俺の叫びに異論のある者など居るはずが無い。俺たちは、脱兎のごとく今来た道を逃げ出した。
「これがイベントなら、あんたが犠牲になって洞窟の崩壊を止めてる間に、あたしたちが辛くも脱出ってパターンなんだけど」
「こんなもん、どうやって止めろってんだ! いいから走れ!」
また妙なことを口走ってる勇者さまと、ついでに魔法使いを引きずるようにして、俺は洞窟を駆け抜けた。人間、追い詰められると、意外な力が出るものである。
来る時に、あれだけ居た魔物たちに何故か一度も会わず、俺たちは洞窟の外に転がり出る。
同時に、洞窟の入り口は派手な音を立てて崩れ去ってた。
地面にへたり込む三人。誰からともなく安堵のため息が漏れる。
「なんだったんだ、いったい……」
いくらなんでもタイミングが良すぎて、とても偶然に起こったものとは思えない。
「わかったわ!」
やにわに、勇者さまが立ち上がると、ぐぐっと拳を握り締める。
「きっとこれは魔王の罠よ!」
いち冒険者の妨害とか、昨今の魔王ってのは、随分と細かい仕事までやるんだな。
「まだ、あたしたちのレベルが低いうちに潰してしまおうという魂胆ね」
なるほど、それなら理にかなってない事も無いな。
「同時に、あたしに付き従う運命の仲間であるあなたたちも倒してしまおうとしたのよ」
って、ちょっと待て、今そこの魔法使いはともかく、俺のことも指差さなかったか?
「僕が運命の仲間……わかりました! この命、勇者さまに捧げます!」
お前まで、目輝かせて気分出してんじゃねえよ!
「冗談じゃない、何が運命の仲間だ、俺は今回限りで抜けるぞ」
そう言って、俺は勇者さまに背中を向けて歩き出そうとした……が、何故かそのまま足が一歩も前へ出ない。
「バカねぇ、パーティの仲間を外す権利があるのは勇者だけなのよ、ただのメンバーのあんたにそんな選択肢が出るわけないでしょ」
なるほど、最初に勇者さまの依頼を断れなかったのも、俺に選択肢が出ないせいなのか。
……って、納得できるかぁ!
「さあ、そうと決まれば、次の冒険に出発よ!」
「やめろー! 後生だから、せめて荷物だけでも取りに行かせてくれー!」
「つべこべ言わずに、とっとと行くわよ!」
朝日の中を遠ざかっていく勇者さまと、その一行。
俺の冒険は、まだまだ終りそうも無い。