第6話『異世界通貨と街の香り』
石畳を踏むたび、硬い感触が足裏から伝わってくる。
顔を上げると、木骨組みの二階建ての家々が通りの両側に並んでいた。赤茶色の屋根瓦が整然と続き、煙突からは細い煙が立ち上っている。
行き交う人々は革鎧やローブ姿。腰には剣や杖を下げている者も多い。ゆっくりと進む荷馬車の横を、子どもたちが駆け抜けていった。
路地の奥からは、焼き立てのパンの香ばしい匂いが漂ってくる。
「ここが……異世界の街か」
タクミは小さく呟いた。
何度見渡しても、日本ではあり得ない景色だった。
完全に、別の世界だ。
⸻
リナは隣を歩きながら、腰に手を当てて笑う。
「とりあえず冒険者登録は済んだね」
「これからどうする?宿を探す?」
(やばい)
タクミは内心で冷や汗をかいた。
(俺、この世界の金を持ってない)
さっきパン屋で、リナが銅貨を出していたのを思い出す。
(まず相場を知らないと詰む)
タクミはできるだけ自然に聞いた。
「……その前に」
「この街の貨幣って、どんな感じなんですか?」
リナが首を傾げる。
「貨幣?」
「宿とか食事とか……だいたいどれくらいするのか知りたくて」
「ああ、そういうことね」
リナは少し考えてから答えた。
「宿なら一泊、食事付きで銀貨1枚くらいかな」
「普通の食事なら銅貨3枚くらい」
「金貨1枚あれば……2ヶ月弱は暮らせるんじゃない?」
(なるほど)
タクミは頭の中で整理する。
銅貨 → 銀貨 → 金貨。
そして、もう一つ聞いた。
「ちなみに、その上は?」
「上?」
リナは少し声を落とした。
「金貨の上は、王族とか貴族が使うお金らしいよ」
「白金貨とか、宝珠貨とか」
「私は見たことないけどね」
(白金貨、宝珠貨……)
つまりこの世界にも、上の階級の貨幣がある。
タクミは小さく頷いた。
「そういえば」
タクミはふと思い出した。
「ウルフの牙なら持ってるんですけど」
「この街で換金できますか?」
「もちろん」
リナが頷く。
「素材なら鍛冶屋が買い取ってくれるよ」
タクミは手を軽くかざした。
すると――
何もなかった空間から、白く鋭い牙がふっと現れた。
「……!」
リナの瞳が丸くなる。
「今の……どこから出したの?」
タクミは一瞬言葉に詰まった。
(これって普通じゃないのか)
少し考えてから答える。
「えっと……」
「インベントリ、みたいなものです」
「インベントリ?」
聞き慣れない言葉に、リナは首をかしげる。
「収納魔法みたいなもの?」
「たぶん……そんな感じです」
しばらく牙を見つめていたリナは、ふっと笑った。
「便利なスキルだね」
「マジックバッグみたい」
タクミは曖昧に笑う。
(この世界ではあまり一般的じゃないみたいだな、気をつけよう)
⸻
二人は通り沿いの鍛冶屋に入った。
重い木製の扉がギィと軋む。
店の中には鉄と油の匂いが満ち、壁には剣や槍が並んでいた。
カウンターの奥で、逞しい体格の男がハンマーを置く。
丸太のような腕。
短く刈った髭。
「おう、いらっしゃい」
「どうした?」
「ウルフの牙を買い取ってもらえますか?」
タクミが差し出すと、店主は牙を手に取り、じっと眺めた。
「ほぉ……」
しばらくして、頷く。
「こりゃ上物だな」
「普通の冒険者じゃ、なかなか落とせねぇ」
「運が良かったな」
タクミは苦笑する。
「まあ……そんな感じです」
店主はカウンターに銀貨を並べた。
「銀貨8枚」
「どうだ?」
正直、相場は分からない。
だが悪い話ではなさそうだ。
「それでお願いします」
店主は頷く。
「俺はヴォルドだ」
「素材があったらまた持ってきな」
「覚えとくぜ」
「ありがとうございます」
タクミは軽く頭を下げた。
⸻
外へ出ると、市場は夕方の賑わいに包まれていた。
焼き魚の煙。
香辛料の香り。
屋台から威勢のいい声が飛び交う。
タクミはパンとシチューを買い、木のベンチに腰を下ろした。
一口食べる。
(……温かい)
素朴な味だが、体に染みる。
(コンビニ弁当を流し込んでた日々が嘘みたいだ)
リナは向かいでスープをすすりながら言った。
「こういう時間、好きだなぁ」
タクミは小さく笑う。
(この世界……)
(意外と悪くないかもしれない)
⸻
その後。
リナの助言で、タクミは服を新調した。
スーツではどう見ても浮いてしまうからだ。
簡素な革のチュニックとズボン。
これでようやく、この街の人間に紛れられる。
「うん、これなら大丈夫」
リナが満足そうに頷いた。
⸻
やがて宿へ案内される。
木造の素朴な建物だった。
タクミは銀貨1枚を払い、一泊の部屋を借りる。
そのとき、リナが振り返った。
「そうだ」
「明日、一緒に依頼受けない?一人より安全だし」
「午前中、ギルド前で待ってるね」
正直、かなり助かる提案だった。
まだこの世界のことは何も分からない。
「いいんですか?」
「俺、ステータス低いですよ」
「足手まといになるかもしれない」
リナは笑った。
「大丈夫」
「そのステータスでもウルフ倒せたんでしょ?」
「それって普通にすごいことだよ」
そして少し真剣な顔になる。
「でも無理しないで」
「今日ゴブリンロードに襲われたんだし」
「かなり疲れてるでしょ」
タクミは頷いた。
「……ありがとうございます」
「じゃあまた明日」
リナは手を振り、夕暮れの街へ消えていった。
⸻
部屋に戻り、タクミはベッドに腰を下ろす。
小さなランプの灯りが、壁を揺らしていた。
天井を見上げる。
(ウルフの牙)
(インベントリ)
そして――
頭に浮かぶ数字。
LUCK 999。
ギルドで言われた言葉を思い出す。
「“ラック”というステータスは存在しません」
(存在しない……)
(じゃあ、この力は)
(俺だけのものなのか)
ふと、あの銀髪の少女の声が蘇る。
『真価はあなた次第』
タクミは静かに目を閉じた。
(俺次第、か……)
ランプの火が小さく揺れる。
こうして、長い一日が終わった。




