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あの日の約束を、同じグラウンドで。〜最強キャッチャーと少女たちの青春ソフトボール〜  作者: ジャスパー


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第八話 忘れたなんて言わせない

 最終回の攻撃はあの未来の一発を最後に沈黙。金谷川ファイターズは結局このブロックを準優勝という形で終えることになった。


 全部で3ブロック。準優勝まで表彰があるらしく、異様に長い閉会式を恭と父は夏の生暖かい夜風に当たりながら遠くから見物していた。


「いやぁ、惜しかった惜しかった。一点差かぁ。岩代は今年も強いけどなかなか差も縮まってきたかな?」


「一点差とは思えないほどチーム力に差はあったけどな。守りのソフトボールで守り切った相手と打力のソフトを全然貫けなかったウチじゃな」


「ほぉ………『ウチ』ね。もう既に恭くんに帰属意識が……」


「ば、バカっ、ちげえって!一日中応援してたから……つい……」

 

「またまたぁ。素直じゃないなあ恭くんは。見てたら一緒にやりたくなっちゃったんでしょ?」


「うっさいうっさい!」


 図星とばかりに顔を真っ赤にして首をブンブン振る恭。大人びた小学生だが存外子供っぽいところもあるものだと誠は破顔するが……恭は深くため息を吐くと再び遠く虚な目で閉会式に並ぶチームメンバーを見つめる。


「あいつら、勝っても負けてもすっげえ楽しそうだった」


「そうだね」


「やってきた練習の成果をぶつけんのが楽しくて仕方ないんだろうな」


「そうかもしれないね」


「ちょっと……眩しいわ」


 ポツリとそんなことを呟く恭の目に少しばかりの涙が溜まっている。よく見てみればその小学生にしては大きめな手も、小刻みに震えているように見える。


「ずっと見てたら……うっかり失明しちゃいそうだ」


 ――ぎこちない、下手くそな作り笑いだ。今にも泣きそうで、押しつぶされそうで、気持ちを押し殺すしかない子供の哀れな姿。



 父はすぐにうつむく恭の真ん前に立って、それからしゃがんで目線を合わせた。目に溜まった大粒の涙が、決壊して溢れてしまっている。


「自分は枯れてしまった、とでも言いたげだね。そんなセリフ、たとえ30年経ったって許さないよ」


「うっ……ぐっ……」


「君は未来達よりずーーっと大人で、賢いけどね。嘘をつくのはとびきり下手だよ。君が未来達のプレーを見る目、あの子達に負けないくらい、すっごく輝いていたよ。僕から言わせれば、君だって眩しいさ。」


 父は恭の両肩を掴むと真っ直ぐにその目を見る。心に訴えるように、閉ざされた心を、解きほぐすように。


「君はまだ子供なんだ。子供はね、したいことをすれば良い。やりたいことを、やれば良いんだ。僕も全力でサポートしようじゃないか」


「やりたい………こと……」


「本音を聞かせてくれるかい?今日一日中試合を見て、恭くんはどんなふうに感じたのかな?」


 しばらく続く沈黙の後、恭は頭の中でまとまっていない言葉を選びながら、ぽつ……ぽつと話し出した。


「カッコいいって……思った。バチバチにぶつかり合って……女の子も男の子も関係なく、戦ってんのが、カッケェって。あと………未来のホームランに、見惚れた。」


「うんうん」


「俺……アイツらと同じグラウンドで、プレーしてみたい。ソフトボール、やってみたい。知らない事、まだまだいっぱいなの、楽しいって思ったから」


 ーーーやっと、恭の心を覆っていた氷が溶けていく。大人ぶって仮面を被ったマセガキではない。本物の、等身大の小学生の姿をやっと見せてくれた恭に、誠は安心感を覚えた。


「そっか……じゃあこれから色々買い揃えに行くか!」


「ええっ!?い、今から!?」


「当たり前だろう?こんなのは早ければ早いほど良いんだ。グローブだって今までの奴じゃいけないよ?ソフトボール仕様のやつを買わないといけないからね」


「ま、まだ未来達の閉会式終わってねえけど?」


「大丈夫大丈夫。あの娘、最近三橋さんの家のワゴンに乗って帰ってくるんだ。僕の車はヤニ臭くてあんまり乗りたくないんだって」


「急に父の世知辛さ満開なんだが……」


 突然思春期の娘を持つ親の苦悩を聞かされ、先ほどまで流していた涙は引っ込んでいった。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲


「それでそれで?恭君はどこのメーカーのキャッチャーミット使ってたの?」


「………ミヤノのハイパーエリート。ウチは金なかったから、近所の草野球引退したおっさんからの貰いもんだけど」


「ほお、上等だね。じゃあワンランク上げてミヤ「「」」ノプロ行っちゃおっか」


「な……めっちゃたっけえやつじゃん!?買えない買えないって」


「道具にはお金かけないとね。こう見えても僕ね。結構稼いでいるんだよ?大事にしてくれるなら全然痛くないさ」



 観戦用の椅子を畳んで、未来達よりひと足先に球場を後にする。現在は駐車場までの道中を親子二人で歩いているところだ。


 (………や、やっぱり慣れねえ。すっげえ違和感。)


 恭には生まれてこの方、父親というものが居たことがない。世話をかけてくれるおじさん達が周りに居ないでも無かったが、ここまで無償の愛を注いでくれる男の人には初めて触れるのである。そのこと自体は嬉しいが、言いようのない今まで感じてきた日常とのズレを感じるのも致し方ないことだった。


 元々恭の中の『父親』というイメージは、昭和気質の頑固親父みたいなステレオタイプな偏見まみれのものしかなかったわけで、今隣で上機嫌に鼻歌を歌う父親像などは完全にイメージの範囲外なのだ。混乱するのも無理はない。


「いやぁ、良かった良かった。実はね、恭くんの首を縦に振らせるのもママからの重要ミッションの一つだったのさ」


「母さんが……?」


「そーだよ?ママなりに、君が苦しんできたのもずっとみてた訳だからね。どうにかしてやり直させてあげたいってさ。僕も同意見だ。」


 ーーー正直、意外だった。

 愛情を感じず育ったとは全く思わない。女手一つ、何とか自分を養うために自分のことなんて二の次で汗水垂らして遅くまで働いていたのも本当に感謝している。けれど、母親が恭のことをそこまで考えてくれていたことにまた戸惑いを隠せない。ずっと放任主義で、一時期は自分のことなどどうでも良いのかと思っていた時期もあったのだから。


「ーーーいいの、かな。俺、やり直しても。」


 恭は誠に聴こえないくらい小さく、ボソッとこぼした。


「色んなしがらみ全部忘れて………アイツらと、未来と楽しんでプレーしても、許されるのか?」


 遠くの空を見つめながら、身体の力が抜けるような感覚がする。ずっと張っていた肩肘を緩めるかのように。背負っていた重い荷物を、下ろしたかのように。


「解放されて、良いのか?」


 山から吹く生暖かい夏の夕方の風が、そよりと恭の頬を撫でた。


 ーーーその時だった。


『逃がさないよ』


突然後頭部を鈍器で殴られたような衝撃が恭を襲う。あまりの痛みに膝を地面に着くと、胃液の酸性の匂いが喉の奥を満たしていく。


「きょ、恭くん!?だ、大丈夫かいっ!?」


「大丈夫っ……はぁっ……はぁっ………大丈夫っ……だからっ」


 酸素不足で頭がビリビリと痺れる。急激に呼吸と鼓動が乱れ、背筋にひどい寒気が襲ってくる。過呼吸気味に散乱した息に、話すことすらままならない。

 

ーーー世界から、色が抜ける。

 

『逃げるな』


『まだ終わってない』


『お前が壊したんだろ』


『楽しむ資格、あるのか?』


『――忘れるな』


 (何だっ……何だ何だなんなんだっ!)


 周りを見渡しても、自分の他には父の姿しかない。ならばこれは幻覚、幻覚だと自分に言い聞かせる。


「救急車っ!ええとっ……ああっ、何番だっけ!?」


「大丈夫っ……もう収まった………ただの風邪っ……だから」


「どう見たってただの風邪じゃないだろ!」


  声は止んだ。だが耳鳴りと、絶えず襲ってくる吐き気が酷く、恭は立ち上がるもふらついて父親に寄りかかる。


「大丈夫………おおごとにしないでほしい」


「…………本当かい?」


「本当に何ともないんだ………寝れば治る」


「絶対に、絶対に何かあったら言うんだよ?少しでもだ。隠したりしたら本気で怒るからね」


「………サンキュー」


 車の後部座席に乗り込んで、目を瞑る。もう既に幻覚も幻聴も、耳鳴りもない。だが……


 (…………クソッたれが。)


 その身に刻まれた恐怖の震えは、一向に止まる気配はなかった。



 

 


▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲


 

――夢を見た。


 その場所は何年も通って見慣れた景色。学校の昇降口。

 靴箱の並ぶ廊下は、妙に静かだった。足音だけが、やけに大きく響く。


「…………やっべ。今日日直の日だっけか。学級日誌持ってこねえと」


 時計はいつも登校している時間よりも30分以上早い。ふと違和感を覚えて背中の方に手を触れてみると、いつも背負っているランドセルが今日はない。

 

  どこかズレている、おかしい。ここが夢の世界であると自覚するまでにそう時間はかからない。だが不思議なのはいつもなら夢だと自覚した瞬間醒めるものだが、今日は継続して夢の世界にいるということ。


「とりあえず……教室行こっと」


 一番右の列の上から三段目。いつものバレーシューズに手を掛ける。だがそれを地面に置く前に、その隣の隣。あるクラスメイトの下駄箱に強烈な興味を惹かれ、どうせ夢の中だと開けてみる。


「…………うわぁ」


 中には大量の毛虫の死骸。それに『死ね』、『消えろ』、『デブ』、『学校来んな』といった罵詈雑言が油性ペンで落書きされている。

 下駄箱の主は気弱で、少し小太りなイツキくんといったか。かなりキツイいじめられ方をしていたのを覚えている。


「――――悪趣味な奴ら」


 その辺りにあった箒と塵取りで死骸を花壇のある方に捨てにいく。するとそこにあった落書きもいつの間にか消えている。

  不思議な感覚に陥りながらも再び自分のバレーシューズを履こうとしたその時、後ろから男とも女とも取れない声が響いてくる。

 

「画鋲、入ってる」


「……………?」


 いつのまにか、背後に気配があった。


「シューズの中に、画鋲、入ってる」


 その声の主の顔を確認しようとしたが、まるでそこだけ暗闇の中に居るように、ぼやっと異質な存在がそこにあるだけであった。極めて非現実的な現象であったが、ここが夢の中であることを再確認すると、気にせず恭はそのまま話を進めることにする。


 バレーシューズをひっくり返して中を確認すると、金色が鈍く光る先端の尖った画鋲。おそらくは教室のものを拝借してきたのだろう。その凶器部分はきちんと足の裏の方を向いており、入れた者の悪意が垣間見える。これを全体重を掛けて踏んでしまっていたらと思うと背中がゾクっとする。


 ――だが。


「……………教えてくれてありがとな」


 恭は冷静に、画鋲に手に取って教えてくれた『誰か』に礼を言う。


「その画鋲を入れた奴と、その隣の子を虐めたのは同じ奴だ」


「だろうな。こんな底意地の悪い奴が周りに何人も居ると思いたくねえよ」


 正体不明の謎の存在と、ごく普通に会話を成立させる。夢の中ならではだなと恭は余裕すら見せる。


「――お前が先生に言えばこの子は救えてたかもな」


 その言い方に、胸がざわつく。


 だがこういう時、恭はいつもこう答えてきた。


「めんどくせぇじゃん」


「めんどくさい?」


「だって結構悪質なイジメだろこれ。先生にチクったらもしかしたら放課後まで拘束されるかもしれない。そしたら野球の練習行けねえじゃん。」


 そうやって……人間の悪意を見て見ぬふりをしてきた。気づかないふりをして、意図的に通り過ぎた。それらしい免罪符を、顔に貼り付けて。


「お前は?もう少しで歩くのすらキツイくらいの怪我させられるところだったんだぞ?」


「そりゃ………まあ明日から気をつけて靴を履くことにするわ。じゃあな、親切な誰かさん。」


 そう言って後ろ手を振りながら去ろうとする恭を、暗闇は決して逃がさない。


「そうやってお前は必要なコミュニケーションから逃げてきた。野球を言い訳に使って。逃げ続けてきたんだろ。その結果、疎まれてこんな画鋲を仕込まれるまでになった。」


「………………」


「――――イツキくんが学校に来なくなったのは、もしかしてお前のせいなんじゃないか。」


「………………黙れよ」


 その暗闇の一言一言が胸を締め付ける。理由は……わからないのに。


「本当に罪深いのは見て見ぬ振りをしていたお前なんじゃないか。イツキくんの不登校はお前の、お前達の怠慢な選択が生んだものだろ。」


「黙れって言ってんだろうが!!!」


 激昂する恭。胸ぐらでも掴んでやろうと振り返ろうとするが、突然身体が重くなって言うことを聞かなくなる。


「受け入れろよ。自分の後悔を。変えろよ、自分を。そうじゃなければ、新しいところでもチームメイトにも、クラスメイトにも同じことを繰り返すだけ。今度は大好きな妹さえ巻き込んでね」


「………………そう、だな。そうかもしれねえ」


 何故だか先程までの怒りが消えて、スッと、暗闇の言うことが腑に落ちる感じがして……そして同時に「ソレ」の正体も理解できた気がした。


「お前には今、心からの悩みがあるはずだ」


「………………わかんねえんだ。俺は、何もかもをやり直したい。周りのみんなもそれを良いって言ってくれてる。なのに……消えないんだ、声が。もっと苦しめって、逃がさないって………何なんだあれは。俺はどうしたらいい。」


 

 恭はせがむように、すがるようにその暗闇に頭を下げる。声も震え、ぎこちなく、この上ない哀れな姿だ。


「許してないのは、お前だ」


「………は?」


「お前の迷いなんだよ。迷惑をかけてしまった人達に謝ってもいない、許されてもいないままここに来てしまった。それを許さないお前の奥底の声だ。」


「…………」


「いっぺん開き直ってみたらいい。お前を縛るものなんて、何もないんだから。」


 世界が、まるでジグソーパズルを裏表ひっくり返したかのように、崩壊していく。夢の終わり、そろそろ目覚めの時間というのが直感的に自分でも理解できた気がした。


「お前は勝つために野球をやってきた、だけど。時間が経っていくうちに変化していったものにすぎない。」


「ちっ………もっとわかりやすく説明しろ」


「――一番最初。原点を思い出せ。お前が野球を始めたきっかけは一体何だったか」


「っ………俺の、原点………」


「忘れたなんて……言わせない。」

 

 崩壊する世界で、暗闇が徐々に剥げていく。目の前に立っていたのは ーーー約束の日の少年。あの日の自分。帽子のつばの曲げ方も、泥のしみも、全部覚えがある。それを感じたと同時に、影が揺らぎ、輪郭が定まっていく。


「…………今度はみんなと仲良く、上手くやれよ」






 

 ▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲


 目を覚ますと見知らぬ天井、ということはなく。まだたった数日間ほどしか居ないため実感もそれほど湧かない『自宅』でのお目覚めであった。


「原点………か。」


 珍しく夢の中の内容を一言一句はっきりと覚えている。自分が見落としている、自らのオリジン。それが、自らの迷いを振り切るきっかけになると。


「すぅ………すぅ………」


「へあっ!?あ、未来………居たのか」


 ベッドの横で未来が寝息をたてながら椅子に座っていたことに驚く恭。女の子に免疫がないためこんな近い距離に女の子がいること自体不思議な感覚だが、その上に手までギュッと繋がれているとなるといよいよ自分の恥ずかしさのメーターが振り切れる音がする。


「……………………」

 


 おそらく父から容態を聞いて一緒にいてくれたのだろう。心配もたくさん掛けたはずだ。


「…………綺麗な顔」


 同じ小学生とは到底思えない、美しい寝顔。透明感のある肌にはニキビひとつ無く、長い睫毛は見るものを忽ち魅了する美しさの象徴だ。


「手で触れたら壊れちまいそうだ」


 頬に触れるのを躊躇い、起こさないように優しくサラサラの頭を撫でる恭。シャワーを浴びた後なのか、若干湿った感触もある。


『忘れたなんて……言わせない。』


 頭の中にあの少年の言葉がリフレインする。ゆっくりと目を閉じて、自分の存在とと未来の温かさだけを知覚する。


「忘れて、ねえよな」


 


『俺、野球やってんだ。プロ野球選手目指しててさ………も、もしプロになったらさ。真っ先に俺がその帽子にサイン書いてやるよ。約束、する。大事にしろよな』


 頭の中に、鮮やかに蘇る出会いの記憶。泣き虫な女の子はその泣き顔すらも美しくて。一目見た時から、視線が彼女を追っていた。


『ねえねえ母さん?アイツ今度いつこっちにくるの?』


『そうねぇ………来年の夏休みに日程合うかしら』


『なんだよぉ。せっかく試合出て活躍してるとこ見せてやろうとおもったのになぁ。』


 あの日の約束を果たしたくて、無駄にしたくなくて。 ーーー気になる女の子に、良いところを見せたくて。


 いつの間にか目的も自分も変わっていってしまったけれど、原点はそんな、下心満載のしょうもない理由だったはずなのだ。


「縛り付けるものは何もない……か」


「ふぇ………きょう……くん?」


「わりぃ、起こしちま……うおおっ!?」


「恭くん………恭くんっ!!!!」


 未来は眠りから覚めるやいなや涙目でベッドに飛び込んで抱きついてくる。恭の胸板に顔を埋めて何度もごめんなさい、ごめんなさいと謝罪の言葉を口にする。


「オイオイオイなんで謝るんだよ。」


「だって……だってえ……私が試合に来て欲しいってわがまま言ったから……」


「ちょっと夏バテしただけだっての」


「ホント……?倒れちゃったって聞いた時は恭くんが死んじゃうんじゃないかって………」


「大袈裟だな全く………」

 

義妹を胸に抱きながら、泣き止むまで背中をさすって落ち着かせる。未来のプロポーション抜群なボディと密着してドキドキも止まらなかったが、そこはなんとか義兄の威厳で隠し通して見せる。


「…………準優勝おめでとう。惜しかったな。」


「ぐすっ………ありがと。最後まで見ててくれたんだね」


「あったり前よ。いやー凄かったな最後の未来のホームラン。あんな暑かったのに鳥肌ぶわーーーってなってよ。ホント来て良かったって思ったわ。ありがとな、声かけてくれて。」


 お世辞抜きの、心からの称賛を胸の中の義妹にかける。するとよほど嬉しかったのか、今度は背中に手を回してさらに強く抱きしめられた。


時間にして3分ほどだったか。泣き止むまでお互い沈黙を貫いて、ようやく落ち着いたところで未来はカラダをやっと離してくれる。照れ臭さから何を言うか戸惑う二人。先に口を開いたのは、恭の方だった。


「今日あそこに行くまで、正直大したことは期待しちゃいなかった。でも俺は……全部を知った気でいて、賢しげに振る舞って、実際何もわかっちゃいなかった。ありがとうな、すっげえ楽しかった。」


「そ、それじゃあ………恭くん……」


「まあ待て待て。そんな話を急ぐもんじゃねえ。」


  話を途中まで聞いた未来が一瞬目をパァっと輝かせる。ぬか喜びにも近い状態に若干申し訳ない気持ちもあるが…………恭にとっては、とてつもなく大事なことを聞かなければできない決断でもあった。

 


「俺は野球やってた時、勝つことだけが全てだった。それが正しいって言われてやってきて、実際チームは意識が変わって、めちゃくちゃ強くなった。けど………野球を楽しいって思ったことは、ただの一つもなかった」


「……………そっか」


「でも今日、この目で見たお前らは違った。勝つことだけじゃない………ライバルとバチバチにぶつかりあうこと自体が、すっげえ楽しそうで。でも、未来のホームランは絶対におちゃらけてこのスポーツに向き合ってる奴には絶対打てないもんだった。それは断言できる……だから。」

 

 ――この答え次第で、恭の頭の中の『迷い』に終止符を打てる。そんな予感もしていた。


「聞かせてくれないか。未来は、君はどうしてそんなに頑張れる。そこまでできる理由は、何なんだ?」


 いつの間にか恭の手が未来の肩に乗っていた。気付かぬうちに顔の距離も近くなり、目の前の美少女の顔が赤らむのと同時に自分の全身を巡る血も熱く沸騰しているのに気がついた。


「答えになってるかは、全然わかんないんだけどね?」


 未来は眼を閉じて、少し考えて……再び眼を開ける。


「最初はね、真似っこだったの。恭くんの言ってた「野球」って何なんだろうって思って。テレビで見てたら、いつのまにかすっごくやりたくなって……それでチームに入ったのが、二年前。」

 

「お、俺の影響だったのか。」


「でも、やっていくうちに夢中になって。上手くなって、試合に出て、勝ちたいって思って――それでも、何か足りなかった。」

 

 元々近かった距離がさらに近くなり、心臓の鼓動が銅鑼でも鳴らしているかのように大きくなる。


「恭くんと同じグラウンドに立ちたいって思ったの。同じ景色を見て、同じ悔しさで泣いて、同じ勝利で笑いたいって。」

 


 ーーー吸い込まれそうなほど美しい真っ直ぐなその眼は、キラキラと光を放つ宝石のようだ。


「私は……恭くんと一緒にやりたい……それだけなの。」


「…………そっか」


「そのためならどれだけボロボロになっても、嫌な思いしても、痛い思いしても、頑張れるんだ。ずっと夢だったから……そのぶん、もし断られたらって思うと、怖いけど。でも……それが私の理由だよ。」


 そう言い切ると、未来は両手で恭の手を握る。強く、強く握って、決して離さない。


「パパが再婚して、恭くんが引っ越してくるってなって……夢かと思っちゃった。でも絶対夢じゃなくて、現実で。こんなチャンス、絶対ぜーーったい人生で2度とないから。怖いけど……遠慮しないよ。」


「…………未来」


「私は………恭くんと一緒にプレーしたいの。この願い、叶えるためなら、何でもする………。そのくらい、私は恭くんにチームに入って欲しいの。」


 頬を赤らめる未来。


 余程自分の思いを打ち明けるのに勇気を出したのだろう。未来の手は震えて、息も荒い。


「恭くんなら……大丈夫だって信じてる。恭くんは自分の力で前に進めるって、そう信じてるから。」


恭は彼女の健気さに、胸を貫かれたような痛みを覚えた。


 

ーーー恐怖は、ある。


 またあの声が、あの痛みが襲ってくるのではないか。体の奥底にしっかり刻みつけられた恐怖が、確かにある。


ーーー自信はない。


 そこまであげられたハードルに応えられる自信がない。思ったより実力が無くて、未来にがっかりされたらと思うと、吐き気がする。


 逃げたい気持ちは消えない。それでもーー

 その手を離したくなかった。


 

(女の子にここまで言われて………まだクヨクヨウジウジしてられんのか?俺は。)


 恭は未来の手を解くと、一度自分の頬を両手でバシっと音が鳴るほど叩く。気合いが入るのと同時に……先程までの倦怠感と、迷いが不思議なくらい振り払われた気がした。


(自分が……何のために戦うか。)

 

 あの決勝戦からずっと己の胸に問うてきた。苦しんで、苦しんで、苦しみ続けて。それでも答えは一向に出なかった。だが………今なら明確に、自分の為すべきことがわかる。


(俺は………未来のために、俺のことを大好きでいてくれる、大好きな妹のために戦うんだ。)



 この決意に、もはや疑念はない。想う人のために頑張ること、努力すること。その気高さ、愛おしさを目の前の女の子が証明してくれているから。


「………………ありがとう、未来。俺はもう、腹括る。」


「じゃ、じゃあ!?」


「ああ、もう迷わないよ。やりたいことが、決まったんだ」




 この感情を、恭はまだ完全に理解することはできていないけれど。


「恭くん………恭くん!!!!」


この娘の笑顔を見るためなら、何だってできる、勇気が湧いてくる。そんな不思議な気持ちになった。


 


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