第五話 おにいちゃんと呼ばれた夜
恭が絢辻さんと呼び慕う男性。もっと言えば、次の日から自分の義父となる絢辻誠の家は昔から母親の暮らしていた地域では知らないものがいない存在だったらしい。絢辻グループはその町に飲食店や呉服店、建設業など様々な事業を展開し、町民の生活に携わってきた。
その絢辻グループを若くして継ぎ、今の所大成功を収めているやり手のビジネスマン。それがここまで何度か会ってみて、恭が義父へと抱くイメージであった。
話がわかる大人の人。イメージの通り、その少女……絢辻未来をここまで送り届けたこと、不良から助けたこと、そして……まあ、トラックから未来を守った末に、『アレ』になったのだと、懇切丁寧に説明したところすぐにわかってくれた。
『いやー心配していたのだけれどね。恭君が付いていてくれたのなら安心だ。ありがとう。』
ーーーなんならお礼まで言ってくれた。ただまあ父親には許される雰囲気になってもこれから妹となる絢辻未来に粗相をした事実は変わらないわけで。
どう考えてもヤバいのはもしこの事件が母の耳に届いてしまった時である。
『妹に手を出すような息子はウチの子じゃありません!出ていきなさいっ!』
みたいな事態にだってなってもおかしくない。恭は戦々恐々としていた。
こんな感じでその後の食事会は幼馴染2人、結婚する俺達の親同士は話が盛り上がるものの、連れの子供2人は地獄みたいな雰囲気、という些か異常な事態に発展していた。
そう、気まずいのは何も恭だけのことではない。なんならたかだか事故で胸を揉んだくらいの恭とは比べものにならないくらいには未来は焦っていた。
(ど、ど、ど……どーしよ。偶然助けてくれた男の子がキョウくんなんて……そんな偶然あると思わないじゃん。本人の目の前で結構色んなこと喋っちゃったし……)
自分の吐いた言葉を隅から隅まで覚えているわけではないが、結構なことを言ったことは覚えている。もう会うこともないし、いいか、くらいのノリでまさかのご本人登場だったわけである。
(落ち着いて私。大丈夫。恭君に嫌われてさえいなければ、いくらでも挽回できるんだから)
ーーー何か自分は致命的なことを言っていなかったか。
『へ、ヘンタイさん………』
『サイテーですっ!痴漢ですっ!ばかっ!良い人だと思ってたのにっ!』
思い返すたびにアウトなことしか言っていない。
(終わった………)
お互いにそんなこんなで二の足を踏んでいるうちに
ーーー食事が、終わった。
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何か変な感じだ。
そもそもを言うならこんな日も落ちた夜中に誰かと歩いていること自体が初めてに近いし、すぐ近くに同年代の女の子がはしゃいでいるのも違和感がすごくある。父親がいて母親がいて、兄妹がいて、いわゆる『家族』というものは今までドラマやアニメなどフィクションのものでしかなかったが、自分の身の回りにいざそれが構築されていくとこんなにもむず痒いものか。
「ーーーちょっとあっちで景色見てくるわ」
別に居心地が悪いわけじゃない。母が取られたとかそんな子供じみた考えをしているわけではない。ただ、あまりにも大きな環境の変化に少し一呼吸置きたくなるのも事実だった。
「……………意外とウチの街の夜景も捨てたもんじゃなかったらしい」
もう今日の夜にはこの街を発つ。最後に見晴らしの良いところに行きたいとの母のお願いもあって展望台っぽい所に付いてきたわけだが。これだけ長く住んでいても知らないことは多かったようだ。
ーーー街の明かりが宝石のように瞬いている。
「………やっぱり、引っ越すの……いや?」
「そうでもないさ。そんなに愛着があったわけでも……っておおおいっ!!!」
いきなり渦中の人物に話しかけられてびっくりしてしまった。未来もどこか気まずそうな顔をしているが、なるほど勇気を出して話しかけにきてくれたらしい。
「ご、ごめんねいきなり………大丈夫?」
「……………おっけ。あのーその……なんつーか」
「お昼のことだよね。うん、私の方は気にしてないから。大丈夫だよ、恭くん」
気にしてないと言いながらも後ろに手を組んでモジモジしながら照れた表情を浮かべている。
「ごめんね?私恭君だって知らずに酷いこといっぱい言っちゃったよね。」
「いや、アレくらい言われて当然だろ。『せくはら』ってすっごい悪いことなんだぞ?母さんも先生も言ってた。」
「別に……おにいちゃん……だし」
「おっ……ふ……」
流石に高純度、高糖度の『おにいちゃん』呼びに頭がバグる。そこに殺人的な上目遣いまで加われば、流石に動揺してしまうのは仕方がない。
しかし………目の前の少女があの時のちんちくりんな田舎っぺ少女とは未だに信じられていない。特にどことは言わないが色々育ち過ぎだ。同い年とは思えない色香は改めて見ても凄まじい。こんな同年代でこれほど美人な娘はテレビの中で以外見たことがない。
「……………っふっ。ふふふっ。恭くん、おにいちゃんって呼ばれて嬉しかったの?」
「ば、バカ言え。別に嬉しくなんて」
「うそだぁ。顔にバッチリ出てるよ?えへへ……おにいちゃん♡」
先ほどよりも、もっと息が掛かるくらいの近くで、先ほどよりも計算された『カワイイ』を詰め込んだ上目遣いで………
ーーー危なかった。自分の義妹が可愛過ぎて危うく失神する所だった。
「ーーー良かった………嫌われてないみたい」
ボソッと言った一言の後、昼よりも控えめに恭の小指に触れる未来。心の底から安堵するため息が漏れる。
「この前の全国大会、現地で見たよ。結果は残念だったけど」
「母さんから聞いた。ははっ……もっとカッコいいとこ見せてやりたかったけど」
「カッコよかったよ?『諦めてんじゃねえ!』、だっけ?いやーなかなか言えないよねあんなの」
「……………頼むから殺してください」
ピンポイントでとんでもない場面を思い出させる義妹である。体が急にむず痒くなってきた。
「ーーーママから結構色々聞いたよ。大変だったね」
「大変だったんじゃない。大変にしたのは……俺だ。俺の責任だ」
「野球、辞めるの?」
「…………今の時点ではわかんねえ、としか言えない。やる理由も見つからないけど、勿体ねえってそんな気もしてる。うん、どっちつかずで情けないったらありゃしないな」
頭をポリポリとかきながら苦笑いを浮かべる恭。結論を急ぐ問題でもないがなんともまあ優柔不断で歯切れの悪い回答だ。
それを見た未来はその大きな瞳をさらに大きくする。胸に手を当てて深呼吸して、改めてこちらに向き直った。
「私ね。今ソフトボールしてるの。本当は野球が良かったんだけど……近くになくてね」
「聞いてるよ。なんかホームランバシバシ放り込むバケモンバッターらしいじゃん?」
「そ、その言い方は女の子に対して失礼でしょ!」
あまりにも真面目な雰囲気で少しばかり茶化してしまった。恭の悪い癖である。
「最初はキョウくんに近づきたくて、少しでも関わりを持ちたくて……そんな理由で始めたんだけどね。毎日頑張って、上手くなって、試合に出て、勝ちたいって思って……それ以上に……」
「…………っ」
「キョウくん………ううん。おにいちゃんと一緒のグラウンドでプレーしたいって思った」
あまりにもキラキラして真っ直ぐな視線。目を逸らしたいのに、逸らすことができない。吸い込まれるような、不思議な魔力を持っていた。
「状況を利用してるみたいでなんかヤだけど……でも私にとってこれはすっごいチャンスなの。男の子と女の子が一緒にプレーできる時間は少ない………多分、中学にでも入ったらもう対等にはプレーできないから。」
「…………俺、は……」
「お願い………私のチームに。決勝戦で見たおにいちゃんの目。あれだけみんなを奮い立たせて……心の奥でずっと泣いてた。わたし……私達なら絶対あんな表情させない。ソフトって、野球って楽しいんだって……絶対言わせるから」
ーーー別に、野球に愛想を尽かしたわけではない。プレーすることが嫌だった訳ではない。ここに来て、初めて自分の本心が自分で理解できた気がする。
怖いんだ。せっかく上手くいっているはずのチームが俺の途中加入によってバラバラに引き裂かれてしまう可能性が。また新しい人間達に出会って……嫌われてしまう可能性に、恐れ慄いているのだ。
「未来。俺は………怖いよ。その………できるだけ気をつけるようにはするけどさ。それでも、人間はそう変われるもんじゃない。いつかボロが出てしまった時に、未来ちゃんの大切なチームをぶっ壊しちゃうかもしれない。」
「私がいるし。これから一緒に住むんだから、ずーーーっと離れないでいるし。おにいちゃんが間違ってるって思ったら、その時は全力で止めてあげる。心配しなくて、いいの」
「そう………か」
自分で本心を口に出して、情けない本音をぶち撒けて。それを即座に否定されたことで少しだけ、少しだけだが心が軽くなった気がする。
「明後日。大会あるからさ。おとーさんと、ママと一緒に応援に来てくれる?」
「あ、明後日!?オイオイ、こんな所にいて大丈夫かよ」
「あはは……別に大した大会じゃないよ?仲良くさせてもらってるチームの周年記念大会だし」
「周年……なんだって?」
「とにかく、騙されたと思って見に来てよ。ぜったい!ぜーーーったいこのチームに入りたい!入らせてくださいって言わせるくらい、いい試合見せるから」
未来はくるっと踵を返すと、用は済んだと言わんばかりに返事も待たずに軽快な足取りで遠くに離れていく。まあ……恭にそれを断るような選択肢など存在はしないわけだが。
「ソフト………か」
思い出されるのは、あの日の記憶。三橋彩音という眩し過ぎた太陽のような女の子。
『ーーーだからアンタもウチのものになる。ウチが望んだから、そう、なんや』
「…………まさかな」
あの日の予言じみた、荒唐無稽な発言。それに少しずつ、しかし急激に近づいていることに……何か運命じみたものを感じずにはいられない。
「あっちでソフトボールやってたら……また会えんのかな」
偶然にしては出来すぎた出会いが、また一つ重なろうとしている気がした。




