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あの日の約束を、同じグラウンドで。〜最強キャッチャーと少女たちの青春ソフトボール〜  作者: ジャスパー


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第一話 敗北の日 運命の出会い

 ーーーああ、また『これ』だ。


『勝手にテメェの理想押し付けんなよ』


『一人でやってればいいじゃん』


 またあの時の光景が、頭痛や耳鳴りと共にフラッシュバックする。


『僕はもう……付いていけない』


『早くゲームやりてえんだよ、帰ろうぜ?』


 悔しさが、やるせなさが、恭の胸の中をいっぱいにする。

 どうして?野球をやりたいから、勝ちたいからみんなこのチームに入っていたんじゃないのか、?


『毎日毎日遊ぶ暇もなく練習してさ?それで何になるの?結局どっかで負けるんじゃん』


『自分だけでやんならいいけどさ。それを他人にも強制すんなよ。頭イカれてるよ、お前も監督も』


『こーんなにがんばって、結局どっかでは負けるんでしょ?ダサいって』


  ーーーなら俺はもう一度も負けない。お前らが見られるはずだったものを。途中で放り出した景色を、俺は見る。


『さよなら。ジコチュー野郎』




 ▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 母親が榊原恭を身籠ったのは、彼女が大学三年生の時だった。


 恭は母親から父親についてろくに聞いたこともない。聞きたいと思ったことはない。けれど、まだ学生の身分の女の子を妊娠させて放っておいている時点で相当なロクでなしであることは確かだ。


 シングルマザーの家庭で育った恭。母親は働き詰めでほとんど家には居なかった。だから……唯一寂しさを紛らわせ、時間を忘れさせる野球に没頭した。


 ある時テレビで見たニュースで、ドラフト一位の選手の契約金が一億円、なんてニュースを見た。それだけあったらお母さんもこんなに働かなくていいのかな。もっと構ってくれるのかな。そんな幼いながらの考えで近所の元球児のお兄さんにグローブを譲ってもらったのが始まりだった。


 最初は近所の公園で壁当てをしているだけだった。そこから近所のチームに誘われ、小学三年生の頃にはもう既にメキメキと頭角を現した。


 全てが順調。天才的な吸収力で飛躍的に実力を伸ばしていき、そしてそれを裏付ける圧倒的な努力の量は明らかに小学生の限界を超えていた。手は何度も再生した分厚い皮に覆われ、それすら素振りで何度も剥がしては血塗れに。キャッチャーというポジションを選んだ宿命か、ストッピング練習が生んだ身体中のあざは常に彼を蝕んだ。


 だからこそ、とも言うべきか。

 彼は知らなかった。自分が人間の外れ値にいる事を。野球は一人で勝てるスポーツではない。だからこそ勝つために『最善』の努力をせずに負ける、そんなチームメイトにーーー怒りを抱くようになった。


『なんっで……もう帰っちまうんだよ!家でゲームすんのがそんなに大事なのか?』


『マメ剥がれたくらいで泣き言言うんじゃねえよ。死ぬ気でバット振れよ』


 休み時間も空いた時間を見つけてはトレーニング。家に帰っても野球、勉強。それにさして苦痛も覚えなかった。休み時間にサッカーやらおにごっこやらで無駄な時間を過ごして遊んでる奴らがバカに思えた。自分は特別なんだと思い込んだ。


  ーーー当然ながらその『無駄な事』をしてこなかった恭に、他人との関わり方を知る術はなかった。そうして彼は孤立して行き、そしてついにーーー爆発した。


 その年からから厳しく方針転換を図った監督と父兄の温度差もあったのだろう。それまでそこそこの強さの割に大きなクラブとしてやっていたチームは、たちまちスタメンギリギリの十人ほどまで数を減らした。

 


 (絶対に後悔させてやる……もっと上手くなって……勝って勝って勝ち続けて……お前らが絶対見れない景色を……)

 

 恭は辞めていった人間たちを激しく軽蔑した。そしてその憎しみを原動力に、チームは全国大会の決勝へと勝ち進んだのだ。


 (絶対……間違いだったって、言わせてやるんだ……てっぺん獲って、みんなで笑って……どうだ見たかって、辞めるんじゃなかったって……あいつらに……)



 ▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲


 ――無情にも、敗北を告げるサイレンが球場に響き渡った。


 その音だけが、やけに遠くから聞こえてくる。


 歓声が上がっている。誰かが叫んでいる。ベンチがざわめいている。

 なのに、分厚い水の中に沈んだみたいに、すべてがくぐもって聞こえた。


「あ……れ……?」


 自分の声さえ、他人のもののように遠い。


 気づけば俺はベンチの中で膝をついていた。

 マスクの内側にこもった熱気と汗の匂い。喉の奥が焼けつくように乾いている。


 視界の向こうでは、相手チームのマウンドに歓喜の輪ができていた。誰かが帽子を投げ、誰かが抱き合い、砂煙が舞い上がる。


 ――世界が、そこだけ別の色をしている。


「なん……で……」


 胸の奥が空洞みたいに軽い。

 なのに、肺は押し潰されたみたいに息が入ってこない。


 最終回、打線が奮起して三点をもぎ取った。

 だが、それまでに背負った十七点という重さは、あまりにも大きすぎた。


 このチーム最後の夏。最後の試合。


 ――俺たちは、負けた。



「なん……で……」


 このチームの最後の夏の大会。最後の試合。そこで俺たちは、惨敗した。


 『こーんなにがんばって、結局どっかでは負けるんでしょ?ダサいって』


 頭の中で、あいつらの声がフラッシュバックする。死ぬほど憎くて仕方なかったあいつらの。あいつらを見返すためならどんなに苦しい練習でも耐えられた。吠え面を、かかせてやりたかった。


 でも、間違っていたのは自分の方だった。努力の先、限界の先で見たものは、想像していたような呆れるほどおめでたい景色ではなかった。


  ーーーあいつらの言うことは、正しかった。


(違う……違う違う違う違う!!!!!)


 茫然と、魂が抜けたような気分になる。とてつもない頭痛がして、まるで自分の体を操作しているのが自分ではないかのようにふわふわする。首元にのしかかった銀色の重たいメダルさえもかけられたことすら記憶にないのだから重症だ。


  はっと気がついた時には、球場の選手ロッカーの控室にいた。


 金属製のロッカーの匂い。湿ったユニフォームの汗の匂い。

 誰も言葉を発さないのに、すすり泣く音だけがやけに響いている。


 ぼんやりと、先輩たちの声が耳に届いた。


「……ごめんなぁ……」


 低く、かすれた声だった。


「勝たせてやれなくて……ごめんな……」


「え……?」


 顔を上げると、頼りになるはずの先輩たちが、目を真っ赤に腫らしていた。


 泥だらけのユニフォームのまま、膝に手をつき、肩を震わせている。


「お前に……チーム、残してやれなくて……」


「すまない……」


「は……?」


 何を言っているのか分からない。


 さっきまで一緒に戦っていた人たちが、どうして俺に頭を下げている?


 理解が追いつかない。


 ただ、胸の奥に、熱いものが込み上げてくる。


 ――違うだろ。


「なんでだよ………」


「きょ、恭……?」


「俺のせいだろ!」


 声が勝手に大きくなる。


「今日みんなを勝たせてやれなかったのは、俺だ!

あんなバカみたいに点を取られたのは、キャッチャーの俺のせいだろ!」


 違う。

 本当は、こんなことが言いたいんじゃない。


 ――ついてきてくれて、ありがとうって。


「俺を責めろよ……最後の夏なのに……無茶苦茶にしやがってって……」


 先輩たちは首を振った。


「違う……僕たちは……」


 声が震えている。


「チームを……恭くんに背負わせすぎたんだ」


「背負わせ……た……?」


「お前がいなかったら、ここまで来られなかった」


「全国二位だぞ?俺たちが、だぞ?」


「ありがとうな……恭」


 やめろ。


 それ以上言うな。胸の奥が、壊れそうになる。


「そんなんだから……」


 喉が震える。


「こんな無様晒すんだよ……」


「キョウ……」


「二位で満足?できるわけねえだろ!!」


 視界が滲む。


「二位じゃ……てっぺんじゃなきゃ……意味ねえんだよ……この、腰抜け共……!」

 

 そんな馬鹿な事を言って、そこに平然と居られるわけもない。ロッカールームを飛び出して、駆け出して。どこか遠くに行きたかった。誰も俺を見ない、どこか遠くへ。もう激闘を終えて既に疲労困憊の身体を根性で前に進める。あんな心にもない事を流れで言ってしまった、自分自身の恥を、掻き消すかのように。


「はぁ……はぁ……なんっなんだよ俺は……」


 自暴自棄とはまさにこういうことを言うのだろう。自分の情けなさを直視出来ず、他人に当たり散らして迷惑をかける。迷惑千万甚だしい。そんなことはわかっている。わかっていても………これまで縋っていたものが崩れ去った衝撃はあまりにも大きすぎた。


 ちょうど人のいない、木陰に来た。蝉の大合唱が頭に響いて煩わしい。


「俺達は……負けるために、いつか負けるこの日のためにあんな苦しい思いをして練習してたってのか?そんなの……あいつらの言ってることと……」


 自分がかつて否定していたものと、今自分の思っていることが、ピタリと合致する音がした。まるでジグソーパズルの最後のピースがハマった時のように、全てが……腑に落ちた。理解が、できてしまった。


「正しかったのはあいつらなんだとしたら……俺は……なんて酷い事を……」


 頭を抱えたまま、呼吸だけが浅くなる。


 蝉の鳴き声が、やけに遠い。


「誰か……教えてくれよ……」


 掠れた声が、喉からこぼれた。


「頼むから……俺は……わかんなくなっちまった……」


 その時だった。


「――なあなあ」


 背後から、間の抜けた声が降ってきた。

 心臓が跳ねる。


「ウチな、プライド高い人間が絶望してポッキリ折れる瞬間、めっちゃ好きやねん」


「……は?」


 振り返るより早く、


「ほれっ!」


 白い球体が視界いっぱいに飛び込んできた。


「うおぁ!!」


 反射で掴んだ瞬間、骨まで響く衝撃が手のひらを突き抜けた。


「っ……!!」


 握りしめた手の中にあったのは、野球ボールより一回り大きい白球。


「……ソフトボール?」


「うへぇ……やっぱ決勝に出るようなキャッチャーはちゃうなぁ」


 顔を上げた。そこに立っていたのは――


 陽炎みたいに揺れる真夏の空気の中、

 焼けた肌に、汗で額に張り付いた前髪。

 短く結ばれた髪が揺れ、太陽を背負ったような笑顔がそこにあった。


「な、何すんだお前!捕れなかったらどうすんだよ!」


「あ?でも自分捕ったやん。何があかんの。」


 少女はニカッと笑う。それはあまりにも無邪気で、あまりにも場違いな笑顔だった。


「……は?」


「さっきまで世界終わったみたいな顔しとったで?」


 突然の出来事に言葉が出ない。頭の中の重たい霧が、強引にかき回されていく。


「申し遅れたなぁ!」


 少女は胸を張った。


「ウチの名前は――

美少女関西ガール、三橋彩音ちゃんや!よろしくなっ!」


「自分で美少女って言うんだ……」


 思わず呟いてしまった。少女は気にした様子もなく、再び太陽みたいに笑っている。


 ――なんなんだ、こいつ。


 さっきまで胸を覆っていた重たい闇に、

 小さなひびが入った気がした。


 この日。


 恭の世界は、音を立てて軌道を変え始めた。

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