第十六話 第一印象、終了
ーーー思いかえせば、『こう』なることに思い当たる節はいくつもあった。
『おにいちゃん、おにいちゃん。このお化粧水ね?お風呂入った後に使うとすごいお肌がツルツルになるの』
『おにいちゃん、一緒に顔パックどう?』
『もう、おにいちゃん?食べるのはお野菜からだよ?ベジファースト、知らないの?ああんもう、そんなにパクパクご飯食べちゃダメ!よーく噛まないと栄養にならないし腹持ちも悪いよ?』
小学生にしてあれだけの美貌を持つ自慢の義妹。それが並々ならぬ努力と栄養バランスの整った食事に裏打ちされたものであることは、同じ家で一緒に生活をしていく中ですぐにわかった。未来にお勧めされたものは全て二つ返事で素直に受け入れた恭。結果夏休み明けの転校一日目、制服姿で鏡の前に立った絢辻恭が見たものとは。
「……………良い。」
引っ越し前の恭といえば身だしなみなどほぼ興味なし。髪も無造作で寝癖が立ちっぱなし、最低限の清潔感はあったものの、ニキビが ぼちぼちできてきた顔も含めてとても自分の容姿を好ましいと思えるようなものではなかった筈であった。
だが今のこの姿はなんだ。程よく焼けた小麦色の肌は肌荒れ一つなく。若い黒々とした髪の毛はきちんとセットされて艶さえ感じる。少しぼんやりしていた顔のラインがシュッとして、眼さえも以前のこの世の全てに絶望したよくな濁りが取れている気がする。
「案外イケているのではなかろうか」
自分を様々な角度で鏡に映し、ポーズを取ったり表情を変化させてみたり。俯瞰してみるとナルシストが入っていて気色悪いことこの上ない。
だがこれから始まる絢辻恭への試練を思えば、少しばかりの自尊心、自分を好きでいる気持ちは持っているべきだ。
「さ、行くか………あんまり先生を待たせてもだしな」
今日は記念すべき、転校後初日。夏休み明けの初登校日。気合いを注入するように両頬をパンと叩いて古くなって建て付けの悪いトイレのドアを引いて開ける。
「すいません、待たせちゃって」
「いいってことよ。まぁ、そんな気合い入れんでも大丈夫だぞ?ここの子達はみんな田舎ののんびりした子達だからな。仲良くやれると思う。」
「………そうだといいんですけど」
恭は担任の先生の後ろをついて歩き慣れない廊下を歩いていく。教師の年齢は40前後くらいだろうか。顎髭を蓄えた短髪のさっぱりした感じにキチッと手入れされたジャージ。男女問わず人気がありそうな第一印象だった。
ーーー自分は誰ともつるまず、滅多に笑顔を見せない孤高の一匹狼。
実際にクラスメイト達がどう思っていたかまでは知る由もないが、恭が自分をそのように定義してキャラ付けしていたのは事実だった。昼休みは皆が外に鬼ごっこやらサッカーやらを遊びにいく中で恭は机に突っ伏して狸寝入りを決めていた。内心孤独で、惨めで、鬱屈とした気持ちを抱えていたが、つまるところ曲がりなりにここまで築き上げてきたキャラクターを捨ててはっちゃけるのはダサいというか恥ずかしい。
そんな思春期丸出しの悩みを抱えたままここまで来たのが絢辻恭。だが、そんな固定化された自分のキャラクターを知る者はここには誰もいない。故郷から遠く離れたこの地では、絢辻恭は何者でもなかった。
(だからこそ………第一印象が大事。第一印象が大事……第一印象が大事!)
「おい……何もそんな気負わなくても。うちのクラスの子達はみんな穏やかで優しいから、な?」
「だ、大丈夫………大丈夫」
先ほどまでは余裕だったのに、いざ教室が近くなってくるとプレッシャーと緊張で吐き気がひどい。呼吸も上手くできず、酸素が足りなくて息が苦しい。
(こ、これ……もしトチっちゃったらどうなるんだ?第一印象が大事って、つまるところそこでやらかしたらずっとやらかしたやつのままってことなんじゃないか?ヤバい……ヤバいヤバいヤバいっ!)
喉がカラカラで手汗が止まらない。足音とドアの向こうのざわめきが耳の奥にやけに響く。
先生が教室の扉に手をかける。気分はまるでギロチンを落とされる前の罪人の如くであった。
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一方、教室では毎年あるいつもの夏休み明けの気怠さはどこへやら。どころか女子を中心にかなりふわふわと浮き足だっていた。原因はもちろん今日から転入する転校生。登校中の制服違いの彼を見た人間から噂が広まり、なんだかすごいビジュアルの良い男の子がウチのクラスに来るらしいとあちらこちらで話されている。
その正体を知っている彩音はああでもないこうでもないと大騒ぎの教室内を一歩引いた目で眺めていた。
(入ってくる前からこないにハードル上げてしもたらあかんやん。かわいそうに。)
彩音も同じく二年前に転校してきた身。自分は持ち前のコミュ力ですぐに周りとも打ち解けられたが、やはりこの教室に初めて入る瞬間は何事にも変え難い緊張が走ったものだ。
「やっほ。夏休み明けの朝から騒がしいね。何か良いことでもあったの?」
「めちゃめちゃすっとぼけるやん。今日は恭くんの転入日やろ?学校中、どこもかしこもその話で持ちきりなんよ。」
「へぇ……なーんかみんな髪の毛とかいつもより綺麗にセットしちゃってるよねぇ。意識しちゃってるのかなぁ?ね、彩音ちゃん?」
「やかましいわ」
朝からニヤニヤ顔を見せながら彩音に声をかけてきた瑠衣。じーーっと彩音の全身を見てまたクスリと笑う。いつもは軽く束ねるだけの彩音の髪はきちんと高くポニーテールに結われており、おまけにキャラじゃないピンク色のシュシュまで。
「ご丁寧に制服にアイロンも。気合いが違うね」
「な、夏休み明け初日だからやん!何もおかしなとこないやろ!」
お肌がペリペリと剥けてしまうくらいには炎天下の中で日焼けをした瑠衣にとっては同じく太陽の下でプレーしていたとは到底思えない彩音の白さにびっくり仰天だ。服装も髪型もきちんと整えた彩音はもうただの口が悪いだけのスタイル抜群な色白超絶美少女だが、ただご丁寧に褒めるのも悔しいので口には出さないでおいた。
「別にハードル上げまくるのも否定はせんけど……芸能人の誰々に似てるぅとかはやめてあげてほしいわ」
「あぁ……わかる気もする。ビジュアルに具体的な個人名出されると実物見た時にどう足掻いても絶対ガッカリ感出ちゃうよね」
「せやろ………あれ?そーいえば未来おらんな。瑠衣、今日あいつ見た?」
「そういえば。もうすぐ始業だから来ると思うけど」
瑠衣の言う通り未来は始業のチャイムの一分前にドアを開けて教室に入ってきた。ランドセルを背負っていないあたりおおかた先生に頼み事をされて教室にいなかったのだろうと想像できるが。
(ん?なんか、雰囲気が。)
見た目としては何も変わらない。久しぶりの制服姿なので若干胸が大きくなったのがちょっとわかるくらいか。だが、表情というか、オーラというか。彩音には少しばかり親友の姿が大人びて見えた。憑き物が落ちて落ち着いた、なんてボキャブラリーが彩音にあったのならそう表現していたのかもしれない。
「あはっ、おはよう彩音ちゃん。熱中症大丈夫?具合悪くない?」
「お、おう。へーきへーき。」
「よかったぁ。夏休み明け初日からお休みしたらダメだもんね。うんうん。」
(………考えすぎか)
話してみるとまた天真爛漫なガキの未来のまま。危うく親友が同居の勢いで大人の階段を登ってしまったのかと疑ったが、杞憂であったらしい。
ーーーチャイムが鳴り、それと同時に見慣れたスポーツ狩りのおっさんが入ってくる。皆、『それ』をわかっているからこそ、期待と不安と、なんともいえない感情の溜まり場がそこに生まれていた。
「突然だが、転校生を紹介する。今日からクラスの仲間になる、絢辻恭くんだ。よろしくな。」
教室に入ってきた時の絢辻恭を見た瞬間。彩音は口に含んだ水筒の水を危うく吹き出しそうになった。
(な、なんか………顔白ない?)
無理もなかろう。身体が見るからにガチガチに固まった恭は手と脚が一緒に出る歩き方をしており、顔面蒼白。暑さもまだまだ残る頃とはいえ、滝のような大量の汗が顔面から滴り落ちている。
「ど、どーも。ほんじつはおひがらもよく……ええと。あの……アレ!」
「…………実は未来のお父さんが再婚してな。新しいお母さんの子供で、未来とは義理のお兄さんということになる。みんな、仲良くしてやってくれ。」
「そう!そ、それ!」
(アカン!はちゃめちゃにテンパっとる!)
目線があっちゃこっちゃに行って一定しない上に、震えで呂律もだいぶ怪しい。まるでライオンの檻に入れられたウサギだ。ソフトの入団の時はあんなにも堂々としていたというのに、得意分野が絡まないとここまでポンコツになるものか。
「すぐ後に始業式だから。簡単に自分で自己紹介しようか。」
「あ、あの……その。絢辻、絢辻恭です。み、みなさん今後とも……よろしゅくおねがいしましゅ!」
(……………あ。)
恭が90度に迫ろうかという勢いで頭を下げる。その瞬間、彩音だけではなくクラス全員が嫌な予感を感じ取った。それは今立っている教壇と教卓の位置を考えればすぐに感じ取れる危険で、しかし頭が真っ白な恭には周りのものなど全く見えていなくて。
ーーーゴンッ!
…………
…………
「え?」
「あ、絢辻!?」
「アカン!普通に血ぃでとるが!?」
勢いよく振り下ろされた頭が思いっきり教卓の角にぶつかり、衝撃で鈍い音がした。
「大丈夫…?」
「血出てる…」
「やば…」
夏休み初日の転校生歓迎ムードは、他でもない転校生の手によって爆発四散したのだった。
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「もうダメだぁ……死ぬんだぁ……」
この醜態はこの日の夜の練習ですぐにチーム全体に広まった。広まったというか、広められたというか。おでこを包帯でぐるぐる巻きにしたやつがいきなり練習に来て事情を聞かれない方がおかしいが。
正直もう終わった。恭の学校生活はここで死んだのだ。
「笑い事ちゃうねん。始業式はおろかその後の歓迎のお楽しみ会まで参加できんかったんやから。アレ一体誰を歓迎するパーティーやねん。前代未聞やろ。」
「………いや笑えねえって。だいっじょぶかよぉ。脳震盪とか起きてっねえのか?」
「うぅ……井桁優しい。顔に似合わず。」
「その最後の一言ぜってぇいらねえっだろうが!」
小学生にして既に将来有望な強面が完成している井桁が恭の余計な一言に声を荒げる。茶化した形になった恭だが本日の惨状は腹を抱えて嘲笑われても仕方ないと思っていたので、真っ先に心配してくれた井桁の人間性に感動していたりもした。人の本質は見た目だけではわからないものである。
「だいじょぶやって。大阪ではなぁ?ツカミいうて挨拶代わりの小ボケはお笑いに一番大事なことなんよ?恭くんはその点バッチリいけてたで」
「別に笑い取りに行ったわけじゃねえんだよ!」
「そんなにウケていたのか?」
「……………ボクの主観だけど、少なくとも女子は結構引いてたね。ドン引き。」
キャプテン梅津の問いに答える形でボソッと呟いた瑠衣の一言にさらに落ち込む恭。別にモテようなどとこれっぽっちも考えてはいなかったが、薔薇色の学園生活が初日で潰えたとなるとそれはそれで堪える。スタートダッシュどころかとんでもないマイナスの印象からのプレイボール。正直明日からの学校生活が既に億劫にすらなってしまっている。
「恭、気の毒だが。わかってるね。」
「わかってるよキャプテン。ソフトと学校は別。これでパフォーマンスが落ちるようなことは絶対にしない。」
「話が早くて本当に助かるよ」
梅津一心は和かな笑みを浮かべると、そのままパンっと小気味よく一度手を叩く。その瞬間、弛緩していた空気は一気に空気は張り詰め、その場にいた全員が背筋を伸ばして姿勢を正す。
「監督、シートノックよろしくお願いします」
『よろしくお願いしますっ!!!!』
それぞれのポジションへ散り散りになっていくチーム。自分の号令より前に動いたキャプテン梅津一心、それに完璧に導かれた選手たちに、監督である丹内はゾワっと背筋が凍る。
ーーー三橋彩音はチーム歴代最高のエースだ。
彼女の奪三振能力は今まで見てきた中でも群を抜いて高く、気性の荒々しさや時折訪れるとんでもない不安定感を無くせば間違いなく世代最高の一角になり得る。
ーーー絢辻未来は凄まじいスラッガーだ。
やや身体能力頼りなところはあるもののあそこまでフェンス外にポンポン放り込むアーチストは男女問わず見たことがない。それを小学五年生の女の子の身でやってのける未来には感嘆を禁じ得ない。
ーーー絢辻恭は間違いなく日本一のキャッチャーになる。
鉄砲肩に潜った修羅場の数に裏打ちされた経験値。豊富な手札とそれを使い分ける判断力。将来はプロにすら自信を持って送り出せると言い切れるのは後にも先にも絢辻恭だけだろう。
だが、小学生にしてこの曲者どもを束ねる統率力。誠実さとカリスマ性で三番サードというチームの主力にいながら、圧倒的なキャプテンとして君臨する梅津一心こそが、このチームの大黒柱であることは言うまでもない。
ふと、少し前に梅津一心と話したことを丹内は思い出す。この2人が集って世間話などしない、もちろんソフトボールの、このチームのことだ。
『梅津、このチームに恭が加わって………こいつらが、チームが変わると思うか?強くなると、思うか?』
『なりますね』
思った以上の即答に、思わず面食らったのが記憶に新しい。
『やっぱりそんなに違うかアイツは。』
『いえ………恭の守備は素晴らしいですが。このチームが劇的に変わるのは、実は恭とは別の要因だったり。』
『別の……要因?』
『多分、やってみたらすぐにわかると思いますよ。」
梅津一心は絶対に希望的観測を口にしない。彼がそう確信するのであれば、おそらくそうなのだろうという信頼がある。絢辻恭はこのチームに欠けていた最後のピースを埋める存在、その加入によって歯車が大きく回り出すのだと。
(まずは初戦、土曜日の市の秋大会。本気で優勝を狙いにいく。絶対にタイトルを取らせなければ。)
丹内がノックバットを握る手にも力がこもる。だがこの黄金世代とも言えるタレント達を預かるプレッシャー以上に、この子供たちが見せてくれる新たな景色への期待がさらに上回るのだった。
金川ファイターズ オーダー
一番 中 二階堂瑠衣
二番 捕 絢辻恭
三番 三 梅津一心
四番 遊 絢辻未来
五番 右 井桁遼太郎
六番 一 大友哲
七番 左 秋瀬風太郎
八番 投 三橋彩音
九番 二 一ノ瀬胡桃




