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あの日の約束を、同じグラウンドで。〜最強キャッチャーと少女たちの青春ソフトボール〜  作者: ジャスパー


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第十五話 ギザギザの心

 あの朝のことはーーー今でも声や音まで鮮明に思い出せる。


『ふざけないで……言っていい冗談と悪い冗談があるでしょ!!!』


 なんでもない日常の、なんでもない朝。眠い目を擦りながらご飯を食べていた恭達親子の家に、一本の電話がかかってきた。


『そんな……香織が………ウソでしょ……』


 絢辻香織、未来の母親と恭の母親は幼馴染だった。幼稚園時代からの親友で、高校まで一度も違うクラスになったことがない、一生の友達だとよく母親は恭に自慢していた。


 香織さんは未来を連れて何度もこちらに遊びにきて、俺のことも気に入って可愛がってくれた。幼児ながら、その凄まじい可憐さに心惹かれたのを覚えている。


  ーーー死因はくも膜下出血だったという。


「その前の夜から頭痛いって言ってて………私は早く寝た方がいいよって。そうしたらね?ごめんね、明日の朝は未来の好きなオムレツ焼いてあげるからねって。嬉しくて朝が待ちきれなくて………なかなか起きてこないから部屋に呼びに行って……そしたら」


「…………うん」


「もう、どこにもいなかった。触った瞬間、冷たくて……もうお母さんはどこにもいないってすぐわかっちゃった」


 本当に突然の出来事だったらしい。前兆は前日の頭痛のみ。特に重い病気をしていたわけでもない健康体だった香織さんの死は、誰もがその事実を受け止める準備などできていなかった。

 ましてや当時6つか7つの幼い子供だった未来に、母親の突然すぎる死などという現実が受け入れられただろうか。受け入れられたとして………数年後、こんな風に天真爛漫に笑って暮らせるだろうか。少なくとも自分には無理だと、恭はそう思う。


「ごめんね。遊ぶのやめて蜻蛉返りしてきた上に、こんな辛気臭い話」


「そんな風に言うなよ。俺が未来のこと、もっと知りたいって言ったんだ。辛いなら無理して喋らなくてもいいけど……そうじゃないなら、話してほしい」


「………ありがと。優しいね。」


 前を行く未来の半歩後ろを恭はついて歩く。青々とした田んぼ道を通って、高速道路の下を潜った後。近代的な建物など何もないまさにのどかな日本の原風景といったところに、それはあった。


「お花もお線香もないけどね。ここが、お母さんのお墓」


 急勾配の坂の上までずっと続く思った以上に規模の大きい集団墓地だ。石階段が配置されており、そこを一つ、二つと上がってすぐのところで未来の脚が止まった。


「香織さん、俺だってわかるかな。」


「ふふっ、わかるよ。お母さん恭くんのことすっごく気に入ってたし。私ももう1人産めたら恭くんみたいな男の子欲しかったなぁって言ってたもの。」


「なんだよそれ、初耳。」


 未来と同じように墓石に向かってしゃがんで、手を叩かないで、拝む。


(俺と母さんは親戚からハブられてたからな。あんまりこういう墓参りとかやったことないんだよなぁ)


 大学一年生、未成年で恭を身籠った母。当然家族からは堕胎を勧められたわけだが、産むと言って聞かなかったらしい。産まれてきた身としては有難いが、家族と絶縁までしなくてもと思ってしまうが。


「お母さん、恭くん来てくれたよ。すごくない?本当に家族になっちゃったの。ママもすごーくカッコよくて優しいし、家も賑やかになったの。お母さんが見守ってくれてるおかげだよね。」


 ふと墓石の周りを見渡すと、比較的新しい花が備えてある。線香は………流石に灰になってしまっているが。


「…………そのお花。私とママのだよ。三日位前にきたの」


「うへっ!?なんだよいつの間に……というか俺も呼べよ」


「珍しくママが平日にお仕事休みの日だったじゃない?せっかく夏休みだからって遊びに行った日。帰りにちょっと寄ったの。おにいちゃんはなんかずっと寝てたじゃん。」


「むぅ……起こしてくれていいのに」


「女の子のショッピングなんておにいちゃん飽きちゃうでしょ」


 家では義父に気を遣ってか、香織さんの話題は殆ど出ない。だがやはりそこは子供の頃からの親友、見えないところではやはり母も気にかけていたのか。


「さ、これでおしまい。お掃除もこの前やったし」


「え?もう帰るのか?」


「うーん。じゃあ、涼めるところでのんびりしよっか。景色のいい日向ぼっこポジあるからね」


「このクソ暑い時に日向ぼっことはまた」


「いいとこあるんだって。ちょうどこの時間日陰になって涼しいところ、とっておきの場所がさ」


 再び未来の半歩先を着いていく。彼女は腕をぐぅぅっと上にあげて背伸びをすると太陽の光を全身で目一杯浴びながら深呼吸をする。


「お金使って都会で遊ぶのも好きだけどさ。やっぱり私は緑が好きだなぁ。田舎ってすごい落ち着くもんね。」


「………俺はぶっちゃけあんま落ち着かないな。なんつーか、いまだに別の世界に来たみたいだ。テレビの中みたい。」


絢辻恭にとっては見るもの全てが新鮮。都会も田舎も、全てが初体験のものばかり。自分がどれだけ狭い世界で生きていたのか、いやでも思い知らされる。


「カッコ悪かったんじゃないか、今日の俺。何やらせても下手くそで、不格好で。世間知らずでさ。失望……したんじゃないか?」


 恭は自分からこんな自嘲の言葉が口に出てくるとは思いもしなかった。ましてや常にカッコいいところを見せたい義妹の前でこんな女々しいことを。

 未来はうーんと首を傾げるとまたいつもの天真爛漫な笑顔に戻る。両手を繋いで、その吸い込まれそうな大きな瞳にじっと見つめられて。


「もしね?これが逆の立場だったらどう思う?そうだなぁ……私がぜんっぜん野球のこと知らなくて、一緒にやろうと思ったらバッターボックスから三塁に走っちゃうような子だったら」


「え?何その例えは。」


「いいからいいから。考えてみてよ。おにいちゃんはそんなへたっぴな私を見て、失望しちゃうの?」


「いや………しねえけど?するわけないだろそんなん。ルールわかんねえのはしょうがないんだから。」


「同じだって。私だって全く同じ。むしろね?すっごく可愛かったの恭くん!教えてあげるもの全部に目をキラキラさせてさ。はしゃいでくれて……ぎゅーーって抱きしめたくなっちゃったなぁ。」

 


 ーーーどこかで、兄と妹なんて形式ばった関係でこの絢辻未来という女の子の本質を見誤っていたのかもしれない。甘えん坊で、天然で、どこか子供っぽい。同年代ながらどうしてか年下のように接していた気がする。だが今の未来は大人のお姉さんみたいで……本能的に母性すら感じる。発見した新たな一面にも、心がときめいていくーーー心が、惹かれていく。

 


「あっ!あそこあそこ。あのでーーっかい木の下だ!」


 着いたところには樹齢うん百年とか経ってそうな大きな大きな樹木が堂々と君臨していた。残暑が厳しい今の時期は深い緑の葉が生い茂って、そこだけがオアシスと化している。


「…………ほんとだ。ここだけやたら涼しい。」


「そうなんだよね。この時期はこの辺は山からの風も吹いてくるから休むのにちょうどいいの。これ、地元でも私しか知らないマル秘情報。まあ、日向ぼっこじゃなくて日陰ぼっこだね、これじゃ。」


 雄大な木の幹の根本に2人で腰を下ろす。お互いに肩を寄せ合うように座ってほっと一息をつくと、目の前には牧歌的な美しい日本の原風景が広がっていた。


「……………すっげえいい景色」


「でしょでしょ?田んぼがあって山があって………ボロっちい古民家があってさ。今はぜーんぶ緑だけど、秋になったらまた紅葉で全然違った景色になるの」


 都会のせかせかとした感じとは違う、ここだけ時間の流れがゆっくりと流れているような、そんな感覚。すーーっと深呼吸をすればマイナスイオンを感じ、目を閉じれば小川のせせらぎが心地良い。


「いいとこだなぁ。心がなんかあったかくなる」


「なにそれっ………うふふっ。でも気に入ってくれたなら良かったぁ。おにいちゃんもちょっとずつ田舎に染まってきたねぇ。」


 不意に、未来の頭が恭の肩に乗せられ、少しだけギョッとする。心臓の音が一気に早くなるが、聞こえたりはしていないだろうか。



「お母さんが死んじゃって………その時は毎日ここに来てた。家にはお母さんとの思い出がいっぱいあって、それを思い出にしちゃうのも怖くて。私よりもずっと苦しい筈のお父さんが我慢してるのも辛くて……泣き顔を見せるのが苦しくて。」


「未来…‥お前。」


「ここに来ると、なんでだろうね。自分が自然の一部になったみたいで、辛いことがどうでも良くなって。少しだけ………気が紛れた。」


 寄りかかる未来の重さが少しずつ増えていく。より深く、自分と彼女の身体が密着して、そしてそれ以上に未来は自分と心を通わせようとしてくれているのだとそう直感的に感じた。


「すごいな、未来は。」


「え?」


「もし……母さんが病気で突然亡くなっちゃったら、俺は今だってそんな風には笑えない。ずっと引きずって、つまんねえ顔して暮らしてたと思う。本気で思う。だからお前のこと……俺はすげえ尊敬するよ。」


 口をついて出た言葉は慰めや同情ではない、心からの賞賛。この話が出た時から、ずっと心に秘めていた自分の率直な思いだ。


「そう……だね………。お母さんがいなくたって……私にはもう、新しいママがいるし……。ママはカッコよくて優しくて………お母さんのことなんて……忘れ、ちゃう……くらい……」


 未来は何か言いかけて、言葉を失う。


 それは痛々しい、泣き顔だった。いつもと同じ天使のような笑顔を浮かべながら目だけは悲哀に満ちて、そして大粒の涙が溢れてきている。自分の感情を押し殺して、悲しさに向き合うのではなく、見ないことで自分を保ってきたた少女の下手くそな泣き方だった。


「悪い………頭、貸せよ」


「ふぇっ!?」


「野郎の膝枕なんて硬いだけで気持ちよくないんだろうけどな。ごめんな。」


 とにかく、この娘のために何かしたい。あまりよく考えずに反射的に出した答えが『これ』だった。だが咄嗟に出てきたものとしてはなかなかに悪くない。真っ赤になった未来の顔がよく見下ろせるし、何より頭が撫でやすい。


 恭は未来の瞳から溢れ出る大粒の涙を掬って、そしてスベスベの頬を撫でる。次いで髪の毛を漉きながらガラスを扱うように大切に、大切にあやしていく。


「強がらなくていい。思ってること、全部吐いてほしい。お前の心の中を、俺に聞かせてくれよ。」


「…………本当にへーき、だから。悲しくなんて……ない……」


「大変、だったな。誰にも頼れなくて、泣き顔を見せられなくて。部外者が知ったような口聞くのもアレだけど、想像はできる。」


「大変……なんかじゃない。私は、みんなに支えられて、ずっと幸せに生きてきて…‥それで……」


「無理しなくてもいい。思ったことを、なんでも言って良いんだよ。」


「………ぐちゃぐちゃで、本当に何言ってるかわからないかもしれないよ?」


「ーーー未来は、いい子だね。」


 そう耳元で囁かれた瞬間、未来の脳内にフラッシュバックしたもの。幼き日の日常。春の日向で膝枕をしてもらい、頭を撫でられて……大好きな母親に思う存分甘えていたあの日。もう二度と戻ってくることは叶わない、あの日の情景。

 

『未来はいい子ねぇ』


 ほっぺを撫でて頭を撫でて、最後にはお決まりの一言。優しくて、怒ったらちょっぴり怖くて、そんな母の幻影が、絢辻恭と重なった。



「…………悲しかった。恋しかった。辛かった……苦しかった。」


 それは少しずつ、凍っていた心が溶けて、解きほぐされるように。この数年、自分の中に溜め込み続けていたものが、堰を切ったように解放されていく。


「お母さんが………火葬場で骨だけになって。お母さんじゃなくなっちゃったとき……心がギザギザになって……ただいまって言ってもおかえりって返ってこなくて。もう二度と………甘えたり、叱ってもらったり、できないんだってそう思うと、辛くて。胸が……痛くて。」


 恭はそれに相槌を打つことなく、黙って頷きながら優しい目で見守り、優しい手つきで頭を撫で続ける。


「お母さんのお料理の味ももう思い出せない………。そんな自分が薄情で嫌。授業参観とか運動会にお母さんが来てる子を見ると、モヤモヤしてる自分が大っ嫌い。情けない………ほんとに情けない……よ……」


「よしよし」


「ぐすっ…………何で………私を置いてどこかに行っちゃうの!大好きって言ったのに………うぇぇぇん!!!」


 まるで幼児に戻ってしまったかのように、声をあげて泣きじゃくる未来。恭はその姿を頭を撫でて見守るだけだったが、悲痛な叫びにこちらの感情まで溢れ出しそうになる。


「未来はよく頑張ってる。偉い子だ。」


ーーー風の音だけが静かに二人の元に戻ってくる。


やがて泣き止むと、未来は恥ずかしそうに恭のお腹に顔を埋めて耳を真っ赤にする。ムッと唇を噛んだ表情があまりにも可愛いのでほっぺをむにっと触ると、お腹をポンポンと優しく叩いて抗議してくる。


「…………今日はこんな………かっこ悪い私を見せるつもりじゃなかったのに」


「かっこ悪くなんてない。それこそお前がさっき言ってたことそのまま返すぜ。未来は俺がお前の膝でギャン泣きしたらカッコ悪くて幻滅するのか?」


「…………しない、かも。」


「じゃあいくらでも甘えたらいい。お前は妹で、俺はお兄ちゃんなんだから」


 未来はこくりと頷くと、今度は頭を肩に乗せてすりすり。恭は恥ずかしがらずにその愛情表現を受け入れる。


「おにいちゃんは………ずっとどこにも行かないでね?」


「…………約束する。どこにも行かないから。」


「ありがと。気休めでも……その言葉が嬉しいの」


 やがて陽が落ち夕方になるまで恭と未来はずっとその木の下でお互いに触れ合い、じゃれあう。天真爛漫なオモテの顔に隠された、ささくれてギザギザになった心。もしかしたらそれは未来にとっては見せたくない醜い部分だったのかも知れないが。それでも、これから一つ屋根の下で暮らす上で理解しておかなければならなかった義妹の一面だった。


「なぁ、もっかい香織さんのとこ行くか?」


「えぇ?もう夕方だし……お墓怖くない?」


「伝え忘れてたことがあんだよ。」


 ふと、よく思い出せずにモヤがかかっていた記憶の中の香織さんの顔が綺麗に思い出せるようになった気がした。優しい目で、優しい仕草でこちらを見て、俺たち2人が遊んでいるのを見て嬉しそうに微笑む。美しい女性だ。多分未来が大人になったらこんなステキなレディーになってしまうのだろう。そのくらい2人は瓜二つで、よく似ている気がする。


「香織さん。俺が未来のこと、守っていくからな。安心して見守っててくれ。」


「………恭、くん……」


「なーんて。現状世話になってばっかの奴が言うセリフじゃねえけど。でも、これが俺の本心だ。」



2人は連れ添って夕暮れ時の墓地を後にする。その距離感は心なしか、来る時よりもずっと縮まっていた。体の距離も、心の距離もである。


西日が、二人の影を長く長く伸ばしていた。


 

お読みいただきありがとうございます。

ここからは週2回、毎週火曜と水曜の更新になります。

ということでいきなり明日、第十六話です。

評価とブックマークいただけると大変励みになりますのでよろしくお願いします。

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