第十三話 二人で、夏の終わりに
流れるシャワーを止め、直前まで洗っていた髪をオールバックにかきあげる。引っ越す前までは貧乏すぎて見たことも聞いたこともなかった、『こんでぃしょなー』とか言う奴をここ最近は髪につけるようにしており、明らかに髪に触れた時の指通りが違う。若さ溢れたサラサラツルツルの髪質に、今まで美容にあまり関心がなかった恭も悪い気はしない。
「はへぇ……つっかれたぁ………やっぱ試合勘ってのは一月そこらでも鈍るもんだな」
緊張の糸が切れ、どっと押し寄せた疲労感を湯船のお湯に溶かすように流していく。昨日は本来お試し運転の練習試合にも関わらず、今できる最高のパフォーマンスを示すことができた。その反動の疲労はこれまでの人生で味わったことのないだる重さだ。
だが………意外と気分は悪くない。
「気持ちよかったぁ………ほんと」
今まで当たり前に、できて当然と思ってやっていたプレーの一つ一つが……楽しい。大事なものの価値は手放して初めてわかる、なんてことを言うがまさにその通りなのかもしれない。自信満々に走って来たランナーを屈服させるあの感覚。トリックプレーに相手を引っ掛けた時の爽快感。どれもこれもプレーの外では絶対に味わえない快感である。
守備では自分でも合格点の働きができた一方、打撃は今日の二試合で6タコ。アピール中にしてはあまりにも情けない結果に自分で自分をデコピンする。
「わっかんねえことばっかり……ただでさえ意味わからんピッチャーだった奴が、さらに化け物になってやがった」
四葉花凛は二試合通してあのマウンドを守り抜いた。それなのに二試合目の最終回になっても衰えるどころか増す凄みと、そしてあのライズボールとかいう魔球。倒し甲斐のある化け物がよくこれほど近くにいてくれたものだ。
「恭くーーん!お風呂まだぁ?」
「ああ、悪りぃ。今上がるから待ってな」
浴室のドア越しから未来の可愛らしい声が聞こえる。未来も汗だくで帰ってきたから早くシャワーを浴びたいことだろう。前の家のように長風呂をするわけにはいかない。
タオルで体を拭いて、あらかじめ用意していた部屋着に着替える。ドアの前にはなぜかニコニコしてそのぱっちりした目を細めている未来の姿があった。
「えへへ………うふふっ………ふっ……」
「どうした?なんか良いことでもあったか?」
「いやね?こういうやりとりを恭くんと出来るのが感動で……家族になっちゃったんだなって」
モジモジしながら頬を赤らめる義妹。それがあまりにも可愛らしくて、モチモチのほっぺと髪を撫でようとする。
「だ、だめ!汗臭いからっ!」
「そ、そうか。ダメか。ダメなのか………」
触れられる前にすごいスピードで身を引いてボディタッチを拒否する義妹。この時の恭に犬の耳でも生えていたらきっとしょんぼりと悲しく垂れ下がっていたことだろう。
「…………悪かった。女の子の体に無闇に触っちゃいけないよな。デリカシーなかった。」
「そ、そんなしょんぼりしなくてもさ?お風呂上がったら撫で撫でしてくれて良いからね?」
「うう……俺の妹……フォローまで優しい。」
恥ずかしくなってそそくさと浴室を出る。元々同年代の女の子との絡みを一切合切してこなかった恭である。同じチームの三人の女の子の同級生はみな距離感が近いから勘違いしそうになってしまうが。
「………こんな調子で、新しい学校でやってけんのかな」
夏休みも最終盤。あと数日で新天地へ飛び込むことが決まっている人間の正直な、不安な気持ち。前の学校では別にボッチで昼休みに机に突っ伏していようが、皆が鬼ごっこやサッカーをしている間に横で走り込みしていようが構わなかったが、今は違う。未来と義理でも家族になった以上は彼女に迷惑をかけるような奇行は慎まなければならない。
今までの自分を知るものはもうここには誰もいない。生まれ変わる絢辻恭が楽しみでもあったが、アイデンティティを一から確立するというのは、恐ろしくもある。そんな恐怖を風呂上がりの麦茶一杯で無理矢理に流し込む。
「恭くーーーん!台所にいるぅ?シャンプー切らしちゃってさ、詰め替え置いといて欲しいの!」
「シャンプー?おお、今置いておくから!」
日用品の置き場所はつい一週間ほど前に習ったばかり。引き出しから何やら高級そうなシャンプーを持って脱衣所のドアを開ける。どうやらシャワーを浴びている最中らしい未来の裸体のシルエットが見えて、慌てて頬を赤らめながら視線を逸らす。
「ありがとうね?おにいちゃん!」
「お、お兄ちゃんって……そういやあっちに遊びにきた時からちょくちょく呼んでくれるよな。」
「そーだねぇ?『恭くん』の方がずっと口馴染みがあるけど……でも瑠衣ちゃんもそう呼んでるからなぁ。これからはおにいちゃんって呼んでも良い?」
「も、もちろんさ。」
未来は普通に喋っているが、恭の方はドギマギが止まらない。視線のやり場に困り果て、目を移した先に見えたものは………脱衣したばかりの義妹のスポーツブラジャー。
(で、でっかぁ!)
小学生でブラジャーをしているのも凄いことだが、そのサイズがやはりすごい。この年齢にして大人用のものと大差ないのではないか。
直接触れてみると、先ほどまで包まれていた未来の大きな乳房の温もりを感じる。汗の湿り気もあるだろうか。漂う女の子の香りに恭は混乱の極みにいた。、
(ダメだダメだ!一体何考えてんだ俺!)
未来のスポブラを手放して我に帰った。着実に自分の性癖が歪まされていくのを感じる。
「あんな美人で胸デカい女の子と一つ屋根の下とか……マジで頭おかしくなる。本当にヤバい。」
何か間違いが起きる前に本当にどうにかしなければならない。そう思うくらいには、絢辻未来という義妹はあまりにも可愛らしく美しかった。
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「あっは、ママ気がきくぅ!棒アイスちょうど食べたいと思ってたんだよねぇ!」
未だに恭がドギマギしているのも知らず、お風呂上がりの未来はハイテンションで棒アイスを片手にリビングをスキップする。無防備なキャミソール姿の義妹はその大きな果実をたゆんたゆんに揺らしており、非常に目に毒だ。
「いただきまぁす!」
横の髪を耳にかけて美味しそうに白い棒状のアイスを頬張る。元気いっぱいで天真爛漫な彼女だが、お金持ちの令嬢らしく無意識に出る仕草などは上品そのもの。それでいて小学生離れした艶かしさがある。
ごくりと生唾を飲み込んだ。
髪を耳にかけた時に露出した真っ白なうなじにドキドキする。これだけお日様のもとで活動しているのに何故これほどまでに白いのか。本当に女の子という生き物は謎が多い。
「ん?どーしたのおにいちゃん。あ!アイス食べたかった?」
「い、いや……大丈夫」
「なんかぼーっとして顔赤い…‥…熱中症?もしかして風邪!?」
「いや本当に……」
「お熱測ってあげる!」
舐めていたアイスを大急ぎで食べ切った義妹はまるでわんこのように俺のところへ駆け寄ってくる。自分のおでこを触りながら恭のおでこに触れ……いまいちピンとこなかったようである。
「くっつけた方が………早いよね?」
「ちょっ……近いっ!近いって!」
お風呂上がりの、フローラルなシャンプーの香り。それが直接香ってくる距離まで二人の距離は詰まった。
(か、可愛すぎる………睫毛長いんだ……すんごい目力)
顔立ちの美しさが特段目を引く。吸い込まれそうな大きい瞳に本当に吸い込まれるくらい目が離せない。やがて視界が未来のとびきりキュートな顔に覆い尽くされ、瑞々しい唇に目線が奪われたところで、完全に恭の脳はショートした。
(はわわっ………あわわわわ……!!!)
あまりの美しさに目が回る。酔いでも回ったかのように蒸気した顔。その熱がおでこを通じて未来のカラダに伝わって……いくことはなかった。
「なーんちゃって。マンガでよくあるやつだよね」
「え………?うぇ?」
「ふふっ……ふふふっ!ドキドキした?」
背中に手を回して耳元で囁くように。優しい吐息を吹きかけながら義妹は恭の脳を丹念に焼いていく。天然ではなく全て未来の掌の上だったことが理解でき、恭は少しばかり頬を膨らませる。
(なんだよ………なんだよもぉ!)
ものすごい勢いでドキドキしたのが事実だけに、自分が踊らされていた滑稽さが無性に悔しい。目に涙まで溜まってお兄ちゃんの面目丸潰れである。
「あはっ、ちょっと期待しちゃった?」
「…………してない」
「正直に言いなよぉ」
「してない!!!」
ーーー絶対にどこかで仕返しして、めちゃくちゃ恥ずかしい思いをさせてやろうと心に誓うのだった。
と、そんなことも30分もしたら忘れているのが小学生で。しばらくしたら仲良く二人並んでソファに座りながら夕方のニュースを見ているのを、両親は微笑ましく眺めていた。
「あぁっ!?今日の夜の『VSナニガシ』に横井京平くん出るじゃん!あっぶない、見逃すところだったよぉ。」
「…………有名な人なのか?」
「うぇぇ!?知らないの?ほんとに?こんなにバラエティにもドラマにもいっぱい出てるのに!?」
「テレビ見ないしな。ニュースでさえ見始まったのはここに来てからだし。」
そもそも野球の練習して、道具の手入れして、学校の勉強していたらすぐに寝る時間になってしまう。学校のみんながやいのやいの話しているのを机に突っ伏しながら聞いていて、なんて暇な奴らなんだと思っていたものだ。
最もーーーこれを話した時の未来の憐れむような顔と、母親の呆れた顔を見るに『普通』ではないようだが。
「あんたねぇ……そんなんだから一人も友達ができないのよ?」
「わーーってるよ。俺だって……反省くらいする」
「ほ、本当に野球と勉強しかやってこなかったってこと?テレビじゃなくても、ゲームとか漫画とかは?」
「ゲームなんて高いもん母さんに買わせらんねえだろ。マンガは読み方も知らない。」
そう言った時の未来の顔と言ったらまぁ、可笑しかった。鳩が豆鉄砲くらったような顔、まさにこの表現そのものみたいな表情だった。
「もったいない……もったいないよ!遊び盛りの小学生なのに!そんな修行してるお坊さんみたいな生活!」
「…………遊び盛りって。大人になって働いて金もらえるようになったらいくらでも遊べるだろ。」
「ふっふっふ、甘いよ恭くん。大人としてのアドバイスになるけれど……大人になったらなんやかんや仕事やら責任やらでほとんど遊べないからね。」
ずっとニコニコしながら見守っていた義父がどこか物悲しい目をして会話に混ざってくる。夢いっぱいの小学生にそんな悲哀で現実的な話をしないでほしい。
「決めた。明日、夏休みラストだけど……街におでかけします!私と、おにいちゃんと二人で!」
「ま、待て待て待て!そんないきなり?父さんも母さんも仕事だろ!?」
「そんなの電車で行けばいいんだよ。結構すぐだよ?山越えるけど一駅で着くもん。」
「突然過ぎるっていうか……その………」
「けってー事項です。えへへ……いーーっぱい楽しいこと教え込んであげるからねぇ?」
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そして次の日の朝。前日は強引な義妹に押し切られひたすらに困惑の表情を浮かべていた恭だったが、意外にもその胸中は前向きだった。
(よ、よく考えたらあんな可愛い女の子にサシで遊びに誘われるって……すごいことだ。引っ越し前じゃ絶対考えられん。)
友達と街に電車で遊びに行く、これだけでも経験のないことなのに初めてのお相手が義理の妹とはいえあの絶世の美少女。不安な気持ちよりもワクワクとそれに倍するドキドキの方が大きかった。
先ほどから着替えやその他の準備も完了しているのにも関わらず落ち着かない。広いリビングを意味もなくウロウロしながら未来の準備を待っている。
(いやらしいこと考えるな俺………相手は義妹。もし粗相をしでかしたら気まずくてこの家で生きていけなくなるぞ)
あらかじめ自分に念じるように言い聞かせる。どれだけ可愛くても未来は家族。心頭を滅却し極めてナチュラルに接するのだと。
そんな感じで頭の中をガチガチに固めていたからだろうか。お待たせぇと意気揚々とリビングに突入しお披露目してきた義妹を見た時、思わず鼻血が出そうになった。
「どーお!?どーお?似合うかな?恭くんの好みに合ってる?」
くるくると跳ねながら今日の周りを回る未来の姿は白いティーシャツに黒のスカートとニーソックス。カジュアルでスポーティーな動きやすさ重視の服装だ。露出度的にはそこまでないが………やはり目を引くのは小学生にしてはあまりにボリューミーなバストだろう。
(で、でっっっかぁぁぁ!!!)
動くたびにばるんばるんと揺れる盛り上がりはシャツでいわゆる乳カーテンを作っている。カタチがわからない分そのボリュームが強調される感じである。
さらにカーテンで捲り上げられている分少しだけ無防備な引き締まったお腹がチラリズム。スポーツ少女らしい少しだけムチッとした太腿がニーソックスで強調され、大きめのお尻が特に目を引く。小学生にして男の理想のプロポーションが完成されている。
「ま、まぁ……悪くないんじゃね?うん……悪くない」
「もう!素直に似合ってるって言ってくれればいいのに」
実際は目に入れただけで眼球が蕩けそうなほど心惹かれているが、あいにく素直になれないお年頃である。加えて昨日の一件で義妹に対抗意識的なものも生まれていた。
「ほ、ほら!電車に乗り遅れたら後一時間走ってねえんだろ?早く行こう早く!」
「ああ!露骨に話逸らしたぁ!」
元気いっぱいな小学生二人組は家の鍵をちゃんと閉めたのを確認して、駆け足で駅に向かう。家から15分ほど歩いたところにある金川駅は平日の朝10時前の筈だが、若い人たちが一際目に付く。というか………ほとんど若い人しか居ない。
「あはは、珍しい光景だよね。わかる気もする。ウチの周りなんて田舎のジジババしかいないしね。」
「これっ……どういう?」
「すぐ近くに大学があるの。まあ夏休み中の筈だけど……お兄さんお姉さん達みんなこの辺にアパート借りて住んでるから。多分この時間はアルバイトに行く人たちで溢れちゃうんだよねいつも」
言われてみれば大学生くらいの年齢の人間が多い気もする。逆に恭と未来のような小学生は珍しい。風景からかなり浮いてしまっている自覚がある。
「体育科のお姉さんがね?時々練習に来てくれるの。筋トレのメニューとかいい栄養の情報とか色々教えてくれてさ。すごい助かってるんだよね。」
「…………なるほどな」
妙に腑に落ちた。金川ファイターズの練習メニューは基本的に身体作りからいつも始まる。しかし昔ながらのやれば良いというキツイメニューではなく、超回復の期間を設けて部位ごとにローテーションさせてトレーニングさせる効率的で効果的なもの。カントクさんが詳しい人なのかなと勝手に思っていたが……そういう裏事情があるのなら納得である。
切符売り場で一駅分の運賃を払って、階段を降りてホームに向かうとちょうど電車がやってくるタイミング。混んでいるかと思ったが流石に世間的には平日の昼だ、余裕で座れるくらいの人数である。
「えへへ……隣どーぞ?」
「さ、さんきゅー」
広い席も空いているのにわざわざ2人が密着するくらいこじんまりとした席を選んで座る。肩と肩、太腿と太ももが触れ合って、女の子のいい香りが漂ってくる。恭の目を引いたのは間近で見る絶対領域。慣れない女の子の色っぽさに頭がくらくらする。
「…………おにいちゃんと一緒に電車に乗って2人きりでお出かけなんて、一年前だったら想像もできないよね。すごい……すごいなぁ」
「何を言ってんだ大袈裟な」
「むぅ、おにいちゃんは軽い気持ちで遊びに来てるのかもしれないけどさ?私すっごいドキドキしてるんだから。心臓の音聞いてほしいくらい鳴ってるからね?」
表面上は平静を装えているのだろうか。義兄は心臓が銅鑼を鳴らしたように高鳴り、おそらく未来の3倍はバクバクなっているというのに。
「ね?楽しみ?お出かけするの」
「正直、めっちゃ楽しみ」
「うふふっ、良かったぁ。おにいちゃん、こっちに来てからずーーっと緊張してた。ちょっとだけ息抜きする時間も作ってあげたいなって思ってたの。えへへ、おせっかいかな、これ」
(そんなこと……思ってくれてたのか)
一見してちゃらんぽらんに見える義妹は、案外賢くて恭が思っているよりずっと周りが見えている女の子なのかもしれなかった。




