第十二話 浮き上がる魔球
「相手のエース、四葉さんの最大の特徴は極めて精度の高いチェンジアップ………それも間違いではないですが」
「足りないな。ストレートとチェンジアップのコンビネーション、その二択で勝負する駆け引きの上手さ、その辺りだ」
「同感ですキャプテン。単純ですが、単純ゆえにその一芸を磨き上げられればそれ以上に強いものがない。緩急をつけた攻め方が最強っていうのは、長いこのスポーツの歴史が証明していますから」
一ノ瀬胡桃は理路整然と、一言一言はっきりと言葉を紡ぐ。現状では今マウンド上にいる敵、四葉花凛を打倒するための画期的な策などない。その事実を、円陣の中で共有する。
ではなす術もなくやられるだけなのか。それを確認するためだけに集められた訳がないことは、この場の全員がわかっている。
「…………簡単に攻略できる策はない。なので、リターンを得るためにリスクを負う必要があります。」
「御託はいいっからちゃっちゃと本題を言え本題ぉ。」
「…………低めを捨てましょう、完全に。見逃し三振、上等で」
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二階堂瑠衣にとって、四葉花凛は最悪の相性とも言える存在だった。
瑠衣の最大の強みである脚力を活かすための走り打ち、『スラップ打法』。必然的に目線をブレさせながら打つ必要がある高度な技だが、きちんとボールの上っ面を叩いて高いバウンドのゴロにできる天性のミート力がそれを可能にしていた。
しかし、そのミート力もある一定のラインから完全に通じないものとなる。そのラインを超えてきているのが、今現在の四葉花凛だ。
四葉は……いや、岩代のバッテリーは分かっている。バットに当てさせさえしなければ全く怖くないのが二階堂瑠衣というバッターなのだと。
だから攻め方はとてもシンプル。ボールとバットを接させることすら許さない配球だ。投手の実力でどうにもならない、脚で掻き乱されての得点を許さないために2段も3段もギアをあげて向かってくる。
『チェンジアップは低めに落ちれば魔球ですが――高めに外れれば、芯を食った時どこまでも飛んでいく。そこを待ちます』
(簡単に言ってくれるよね……)
来るかどうかもわからないその甘い一球。その一球を仕留めてホームランでサヨナラ。そんな大味で再現性の低い作戦でしか、この化け物は倒せない。
『大丈夫です。あの人もこれが二試合目、ここまでノーヒットピッチングで、明らかに意識して前の前の回くらいからギアを入れてきています。疲労は確実にあるはず。』
「ストラックツー!」
だが、そんな考えを嘲笑うかのように外角低めのストレート二つで追い込まれる瑠衣。
(カット……カットだ。取り敢えず三振しないように)
そのマウンドのプレッシャーは圧倒的。アグレッシブさが持ち味の瑠衣が、知らず知らずのうちに後手の思考をしてしまうほど、この最終回の四葉花凛のボールはバットに当たる未来すら想像できない。
(来た……高めの……!!!)
自然と高めに目をつけていれば、それに一瞬でピクッと反応してしまう。わずか10メートルの攻防。回転で球種を判断するなどできる訳がない。
だから釣られてしまう。わかりやすい高めのボール球に。
「さ、三球三振か………」
「当てるの上手い瑠衣でこれッかよ……」
先程まで押せ押せだったベンチのムードが、消沈とはいかないまでも若干のトーンダウン。そして……二階堂瑠衣のらしくない打席を感じ取った花凛。ある程度察せないほど修羅場を潜り抜けて来なかったわけではない。
(あらぁ?円陣でなぁに話してるのかと思ったら、そういうことぉ?)
何かコソコソと対策を立てているのは誰が見ていてもよく分かる。だが、その内容をこの一打席だけで推測し、仮説を立てるまでに至るのは四葉花凛の地頭の良さ、洞察力の賜物だ。
(次はメガネのキャプテンくんかぁ。ちょっと小突いてみる?)
次は作戦遂行能力の高いキャプテン梅津。彼の待つ球、打つ球を見て作戦を看破できる。
敢えてアウトローのサインに首を振り、初球から高めの釣り球。こんなボールは普段ならピクリとも動かず見送るところだが、今回は違った。
「なるほどねぇ?」
花凛はその挙動一つで、相手のやろうとしていることを完璧に理解した。次のボールはチェンジアップ、だが指の握りを変える。普段はコントロール重視でそこまで変化させず、タイミングを大きく外す『来ない系』のチェンジアップだが、今回はどちらかといえばドロップ成分の多い……落ちるボール。
(………来た!高めのチェンジアップ!)
千載一遇、これ以上ないほどの甘い緩いボール。シャープにバットを振り抜き、外野の間を抜く。試合を決める長打になる、その筈だった。
「ショート!」
「突っ込め!」
バットの下に力無く当たった打球は名手狩野光俊のクラブの中へ。そのまま難なくファーストに送球され。
「アウトっ!!!」
一塁審が手を挙げてアウトコール。明らかに今までとは違う異質な変化に、一番近くでそれを体感した梅津遼太郎は、全力疾走して一塁を駆け抜けた直後明らかな動揺を見せる。
してやったりの花凛は一度タイムを取って捕手を呼び寄せる。何を言っているか悟られないようにグラブで口元を隠しながらの密談だ。
「最後の最後にやっかいなのが………前の試合で絢辻にはホームラン打たれてるからな。一応パーフェクトは継続中だけどここは慎重に……」
「いやいやぁ?そんなことする必要はないわぁ?もう分かっちゃったもの。相手のやろうとしてること。ま、作戦って言っても単純にゾーン上げて浮いた変化球待ってるだけよぉ。」
「なっ!じゃあ今の球とかめっちゃ危なかったじゃねえか!でもまあいい……アウトロー中心で攻めるか?」
「ううん。試したいボールがあるって言ってたでしょぉ?ここが使いどきだわぁ。ーーー初球から。もう勝負に行きたいの」
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(流石に……バレちゃってるって思った方がいいのかな)
アウトカウントラスト一つ。このタイミングでのバッテリーの密談。こちらの作戦は筒抜けである、そう考える他はない。
「未来さん、未来さん」
「…………胡桃ちゃん、どうするこれ?」
「大丈夫です。先程の作戦、有効でなかったのは悔しいですが、それはそれ、これはこれです。そもそも、未来さんはあまり難しいこと考えないでください。」
「期待されてないってことかな」
「全く逆です。このチームで唯一あの化け物に実力で対抗できるのがあなただから。普通に打席に立っても勝負にはなります。あとは………」
「この作戦がバレたことを逆にどう生かすか、だね」
未来にとっては、この状況は逆にチャンスとも言えた。このチーム随一の強打者、絢辻未来と勝負せずに四球狙いで厳しい攻めも予想される。相手は無限に選択肢がある中で対応しなければいけないが………もし作戦がバレているのだとしたらもう取ってくる選択はせいぜい二つ。
(徹底した低めの攻めか……梅津がやられたいつもより落ちるチェンジアップで引っ掛けさせられるか。)
『あまり難しいこと考えないでください』
(私だって……頭使えるもん)
元々このスポーツは打率が三割超えれば優秀な中で二択まで、五割の勝負まで絞れたのはこと幸いだ。この実力の拮抗した勝負、ここまでは打者絢辻未来に軍配が上がる、かのように思われた。
(考えてる、考えてるわぁ……可愛い。でもダメよ?それじゃあなたの思い切りの良さは失われちゃうもの)
プレイコールが掛かり、アウトカウントラスト一つ。この試合最後の勝負。大きく沈み込み、放ったボールは若干の半速球。このボールに対し、五割の勝負に完全に読み勝った未来はその高めのボールに完全にジャストミートした………その筈だった。
(なん……で……?)
ーーーバットは完璧に捉えたはずだった。
だが――
ボールは、さらに上を通過した。ボールの下を叩いた未来の打球は力無く内野にフラフラっと上がった。
「うふふっ……やたっ」
打球はまるで持ち主のもとに戻っていくかのように四葉花凛のグラブへ吸い込まれていく。
(今の………何?)
垂れないのではない。
落ちないのでもない。
――正真正銘、浮き上がった。
そもそも球速からしてストレートでもない。投げる時のリリースの瞬間もどこか変だった。であるならば、導き出される答えは一つしかない。
「浮き上がる変化球……ライズボール……」
ーーー背筋に冷たく、ゾッとするような冷や汗が流れた。怪物がさらに手のつけられない化け物に進化していく。言いようのない恐怖に震え、悔しさで歯噛みしたまま、絢辻未来は試合終了の整列に向かった。
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「私も詳しく知っているわけでは無いのですが」
練習試合終了後にグラウンド整備をして軽いミーティングをして帰る準備を整えるその時に、恭は胡桃に、未来に……最終回の最後の球。その正体を尋ねていた。
「ライズボールです。野球では確か存在しない変化球ですよね。」
「ああ……見たことも聞いたこともねぇ」
「要するに浮き上がる変化をさせる上方向の変化球……フライを狙う時にボールの下半分をバットで叩いてバックスピンかけるじゃないですか。そうすると……なんだっけ。揚力?みたいなのができますよね。」
「仕組みはわかるけどよ?それはバットだからできるのであって……バックスピンかけながらボールを投げるって無理じゃね?」
理論は理解できても、実行方法のイメージがどうしてもできない。胡桃は少しばかり得意げな表情になって身振り手振りを交えて教えてくれる。
「こう……手首を折り曲げた状態でロックするんです。そしてボールと手の間に指を入れて………投げる瞬間指で弾くように押し出すと」
「…………そんなん二メートルくらい先に落ちて終わりじゃね?キャッチャーまで届かねえよ。」
「実際どう投げてるかはあの人に聞かないと分かりませんけどね。でも理論上はこれでボールは浮く筈です。」
支度を終えたチームメイト達がいつの間にか周りに集まってくる。どうやらソフトボール初心者の自分が置いて行かれているだけではないことを感じて、少しばかりホッとした恭だ。
「でもよ?対処自体は簡単なんじゃねえっのか?上にふかす球なら見送れば全部ボールだろうがよ」
「…………多分、実際見た人の方がわかりやすく説明できますねこれは」
「そうだね……ちょっと、みんな私の話を聞いて」
ここまで神妙な面持ちで沈黙を貫いていた未来が皆の注目を集めるように手をパンっと叩く。
「私がこのボールを見たのはたった一球だけだったけど……私はこの球をチェンジアップだと思って打ちに行ったの。実際バッチリなタイミングでバットも出た。」
「つまり………意図的にチェンジアップと球速を揃えて投げてきた、ということか。」
「キャプテンのおっしゃる通りです。」
球種に見覚えはなくても、野球の基本の理論は全て同じだ。落ちるチェンジアップと上に浮き上がるライズボール、その二つの球速を揃えてきたということは。
「3択のカードの出し合いじゃねえな。ストレートか、変化球を読み切った上で、全く逆方向の変化2択。二段階の読み合いってことか。」
「ははっ。ボクなんて2択ですら手も足も出てないのに、一体どうしろって言うんだろうね。」
「現状を嘆いていても仕方ありません。幸いにして、岩代とは地区が違いますから。本番で当たるとしても十分に時間もあります。攻略はまた明日から考えましょう。」
簡易的なミーティングが終了し、整列して向こうとグラウンドに挨拶してから大人達の待つ車に乗り込む。本番最終調整のこの日の試合結果は一敗一分。ずっしりと重いモノがのしかかったのは事実だが。
(それでも………面食らっているのはあちらの方だと思いますけどね。)
胡桃はこちらの悩みなど軽々吹き飛ぶレベルの化け物対策を考えなければならない岩代に、同情の念を覚えるのであった。
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恭達の金川ファイターズが去り、グラウンド整備と後片付けを終えた岩代ナイン。胡桃の予想通り、かなり重苦しいミーティングとなっていた。結果としてはライバルチームに一勝一分け。敗北こそなかったもののその衝撃度合いは凄まじかった。
「まさかエース抜きのファイターズに完封されるとは。明日は坂ダッシュで一日終わるか?」
「…………カントク、坂ダッシュなら何本でもやります。けど……」
「わかってる……冗談だべや。お前らそんな怖い顔すんな」
ランナーは出た。得点圏を何度も脅かした。だから新たにあの女の子の左のエースに代わる投手が出てきたわけではない。むしろそれだったらどれほど良かったことか。皆の脳裏に浮かんでいるのはただ一人。
「とてつもないバケモノにぶっ壊されたな。俺も十何年このチームのカントクやってるが……キャッチャーであそこまで突出した傑物にはお目にかかったことがない。」
「ワザワザ『キャッチャーで』って付けたってことは、そういうことなのかしらぁ?」
「ああ。俺が現役の時含めてもナンバーワン投手は花凛、お前だし、ショートで光俊に敵う奴はいない。だが……あまりにも末恐ろしい異常な完成度だ、あのガキ。」
全国レベル、小学生離れしたプレイヤーなら目の前に二人。今までも敵に味方に数人覚えがある。しかし自分が攻撃のサインを出すのが怖くて躊躇うような圧倒的な制圧力を持つ小学生には出会ったことがない。
「で、でも負けてないじゃないですか。引き分けですよ引き分け。いくらキャッチャーがすごくたって点が取れるわけではないんじゃ……」
「今日はホームグラウンドだったし、ふふっ、今日は朝から特別調子が良かったわぁ。毎回このピッチングを求められるのはちょっと苦しいのだけれど」
「あの強力打線……本番じゃ0に抑えるのは厳しいか」
全員の頭の中に漂う、嫌な予感。これまで金谷川のディフェンス面、特に内野の守備やキャッチャーのパフォーマンスは明確にウィークポイントとして存在していた。それで自分たちと接戦を演じていたのである。その弱点が、今や埋められるどころか一番のチームの武器に変貌した。この意味を理解できないものは誰一人いない。
(光俊と花凛。まだ10歳ちょっとのコイツらに背負うことを期待するのは申し訳ないが………それでも)
四葉花凛はリアリストだ。彼女は希望的観測や、100%できる自信のないことは絶対に口にしない。だからこそ着実に、現状を受け入れて一歩一歩その才能を磨いてきたとも言えるが。
(エースとして、嘘でもいいから大丈夫と言って欲しかったところだな)
最近の子供は発達が早い。小学校高学年のこの段階で随分と背が高いし、ネットに小さい頃から触れているせいかなかなか語彙も達者だ。
だがそれでも彼らは、彼女達は子供なのだ。
新チームになってから夏休みの間、他のチームは未だ上級生が出ていても関係なく実戦を勝ち続けてきた。もちろん今回負けたわけでもないが、鼻っ柱を折られたことによるショックは監督が思っている以上に選手達に響いている。
「カントク……合宿しましょう。アイツらと合同で」
その時だった。静寂の中を切り裂くように、ずっと目を閉じていた狩野光俊が口を開いたのは。
「合宿………?」
「10月半ばに今年は三連休があったような気がします。そこで……合同合宿しましょう。そのワンチャンスで、アイツの弱点を全部洗い出してやる」
「あらぁ?随分やる気じゃなぁい?」
「当たり前だ。俺は今日2回もアイツに刺されて、トリックプレーに引っかかって。燃えないでいられるか。」
その言葉を聞いて、再びチームが顔を上げ、前を向く。光俊の持つ、人を惹きつける天性のリーダー気質。なにも打撃や守備の華麗さだけで東北最強のショートストップと呼ばれているわけではない。プレーと言葉両方でチームを鼓舞する、そんなリーダーシップが彼には備わっている。
(大丈夫だ……この二人がいる限り……このチームはそうそう崩れない)
このチームは強い。だが、言うまでもなく小学生の子供達で構成されている若い組織だ。勢いで行けるうちは良いが同格、格上と当たって自分たちの力が通用しづらくなった時はどうだろうか、そんなことをずっと考えていたのだ。
(秋の地区大会前にアイツらと当たれたのは幸運だった)
鼻っ柱を折られ、強き者達がより謙虚に。監督含め大人達は意外にも胸を撫で下ろしていたのも事実だった。




