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あの日の約束を、同じグラウンドで。〜最強キャッチャーと少女たちの青春ソフトボール〜  作者: ジャスパー


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第十一話 憧れのその先へ

 一ノ瀬胡桃が物心ついた時には、既に彼女の生活には野球が溢れていた。


 胡桃の父は六大学まで野球をし、4年生で大怪我を負って選手生命を絶たれるまではドラフト候補にすら名前が上がる逸材。その未練はいつになっても消えず、家では夜になったらプロ野球中継がついていて、夏休みには甲子園が絶え間なく流れる。父との遊びはもっぱらキャッチボール。当たり前のように野球に触れる中で、幼い胡桃は一つの疑問を抱く。


「ねえパパ?なんでこんなにお外が暑いのに、この人はいっぱい鎧つけてるの?暑くないの?」


 画面中央を指差してこてんと首を傾げる愛娘に、父は笑いながら優しく教えた。


「野球のボールは硬いからね。いつも使ってるふわふわボールじゃないぞ?硬球っていうやつだ。あれが身体に当たるとほんと痛くてなぁ。キャッチャーは痛い思いいっぱいするからアレを着けているんだよ。」


「そーなの?大変だね」


「大変も大変さ。胡桃の言う通り、夏は暑いしね。――それでも、パパはこのポジションが一番かっこいいって思ってるけどね。」


 学生時代、胡桃の父は捕手として神宮を沸かせた名選手だった。胡桃と同じように幼少期にひょんなことからこのポジションに興味を持ち、そして磨き上げたその情熱は一線から引いた今でも変わらず。


「キャッチャーは地味だし暑いし痛いし、嫌われがちなポジションだけどね。ホームベースっていう、野球で一番大事なモノを守ってるんだ。それは本当に……チームメイトの信頼や、大人たちの信頼を勝ち取らないとできないことなんだよ。」


「んん……?パパ、言ってること難しいよ」


「ごめんごめん。でも、見てごらん。ピッチャーも野手も。みんながキャッチャーの方を向いて守っているだろう?そんなポジションがある競技は野球以外ない。神聖で特別なポジションなのさ。」


 ――いつの間にかその興味は行動力へと変わり、小学二年生になる頃には今のチームへの入団をしていた。


「きょ、今日からお世話になる、一ノ瀬胡桃です!希望ポジションは、きゃ、キャッチャーです!よろしくお願いします!」


「へぇ!キャッチャー志望か!最初からキャッチャーやりたいなんて子はなかなかいないからな。頑張れよ!」


「は、はい!がんばります!」



 ほとんど遊びだった最初の一年間はそこそこ楽しかった。けれど、人員不足で無理矢理な形でAチームに上がったら、状況は一変する。


「オイオイこれじゃピッチングになんねえべ。ユータさぁん?俺ユータさんに受けてもらいたいんですけど。」


 ――技術が覚束なくて、上級生から投げるのを拒否されたこともあった。


「胡桃っ!お前だけ周回遅れだぞ!もっと気張れ!」


 (無理っ……もう無理だって!)


 ――体力が足りなくて厳しい練習についていけなくて。


「アホみてえにど真ん中構えられてたらそりゃ打たれるわ。もっと頭使ったらどうだ。」


 ――プライドをへし折られて、落ち込んで。


 彩音を始め上級生のピッチャーは自己中心的な曲者揃いで、レギュラーのキャッチャーの6年生は厳しくて怖い人で。監督からはことあるごとに槍玉に挙げられて。


「もう……やめたい………もうやだ。」


 自分が男の子と毎日戦場で神経をすり減らしている時、同年代の女の子はいつも楽しく遊んで生きている。そんな、自分で選んだはずの当たり前のことさえ不条理に思えてきて。


 もう、このスポーツに興味を持ったあの頃の気持ちさえ忘れてしまっていた、そのときだ。

 ――偶然訪れた書店で、一冊の雑誌を目にしたのは。


「期待の超新星。爆肩スーパー小学生。時期サムライ正捕手候補爆誕………小学生特集なんて珍しい。」


 いつも自分のことで精一杯で他の人のプレーのことなんて気にする余裕もなかった。だが、よくよく読んでみるとこのスーパー小学生とやらは自分と一歳違い。遠い世界の出来事だと思っていたことが急に身近に感じる。


 いつもは雑誌が欲しいなんて言うとあまりいい顔をしない両親だったが、今回は快く購入を了承してくれた。きっと胡桃が悩んでいることを知ってのことだったのだろう。


 家に帰って読んで……文字だけじゃ物足りなくて動画サイトを漁って………そうしたらすぐに見つかった。どうやらプロ球団のジュニアチームにも所属していたらしい。動画も、試合の中継のアーカイブすらも見ることができた。


「すごい……すごいすごいすごい!」


 背はそこまで大きくない……どころか周りの屈強な上級生たちに比べたら本当に頭ひとつ二つ抜けて小さい気がした。なのに……ダイヤモンドでの存在感は圧倒的で。


「外国の映画の……スナイパーのひとみたい」


 ランナーを仕留めてクールに帰っていくその姿は圧巻のスター性と、とてつもないプレッシャーを見るものに与える。

 そして。


「私も……あんな風になれるのかなぁ。」


 暑苦しい防具の中でもわかるくらい輝くそのキラキラに魅了されて、強い憧憬を抱いた。


 ただ胡桃の場合は衝動的な憧れでは終わらず、その日から自分に何が足りないのか、何が得意なのか。――どうしたら、彼に近づけるのか。模索の日々が始まった。


「監督、今年の試合のスコアブック。全部ください。」


「ぜ、全部!?ま、まあやれないことはないが……え?」


「それと………野球に関する本とか。そういうのも貸してください。公民館とか学校の図書館のやつは全部読んじゃって……図々しくてすいません。」


 胡桃の最大の武器はその記憶力、それを包括した知力そのもの。勉強を始めて感じたのは、キャッチャーはキャッチャーの動きだけを勉強していれば良いわけではない、と言うこと。ランナー状況に応じた内野手の動き方、外野手の守備位置。その全てが未知で、奥が深い。


 (未来さん……普段あんなちゃらんぽらんなのに。毎回こんな複雑な動きして守ってたんだ。)


 そして……存在すら知らなかった、コーチには教えてもらえない細かい技術も。


 (このフレーミングって、凄いな。ボールをストライクにしちゃうんだもん。もし彩音先輩の無駄に多いボール球が少しでもストライクに化けたら……絶対もっと簡単に抑えられる)


(プロの人でもこんなに基礎的なブロッキングの反復してるんだ……私もやらなきゃな。)



 やるべきことを理解してからの胡桃の行動は早かった。そして、その努力の量は周りが止めるほど過酷なもの。物事の加減を知らないのが一ノ瀬胡桃という女の子の特徴とも言えた。


「…………よし。」


 部屋にはあのスーパー小学生の雑誌の切り抜きを貼って、毎日のようにプレーの動画を見て憧れの姿を毎日イメージできるようにして……その思いは日に日に募っていく。


(どれだけやっても………足りない。まだまだ追いつくにも背中すら見えてこない。)


 

 そしてボロボロになりながら歯を食いしばった先で、もう胡桃を批判する人間は誰も居なくなった。みんなが血の滲むような努力を知っているから、誰も彼女の練習量に追いつけなかったから。


 ーーーそれでも、目標にしていた県大会出場はならなかった。


  チームは6年生が不在で、5年生中心の若いチーム。だがそれを言い訳に出来ないくらいのポテンシャルを個人個人では持っている。もっとやれると思っていた。ただ、あと一歩勝ち切れない。水物の打線頼りの戦い方もあるが、もうひとつ歯車が噛み合わない。


「うえっ!?それもしかして、恭くんのことじゃない!?」


「へ?未来さん知ってるんですか?」


「知ってるも何も、幼馴染だよぉ。ね?いつも話してるでしょ?私の王子様のお話。」


「………いや、それはもう嫌になるくらい知ってますが……嘘でしょ?」


 意外なところで世界の狭さを感じると共に、彼が全国大会でこちらに来ることも知らされた。日に日に積もっていった憧れは既に天にも昇る高さとなり、心のどこかで神格化すらしていたといえよう。胡桃に見に行かないという選択肢は無かった。


 結果的に、この試合を見にいったことを後悔するわけだが。



「なんで……なんで………」


 見ているだけで体調が悪くなるくらい、重い雰囲気。噛み合わないチームを1人で支え引っ張る痛々しい姿。


「なんでそんな……苦しそうな顔して野球やってるの」


 そこにいたスーパー小学生は、既に以前の面影を無くしていた。プレー自体は進化が止まらず、圧倒的な実力を見せつけてはいる。だが彼はその突出した能力のあまり、チームメイトの誰1人も信頼していない。1人で全て勝とうとして、そして現実として勝ってきてしまった。


 もうある程度ランナーが出ても自分で刺せると思っているのか、ピッチャーに要求するのはほぼど真ん中か外角低め。リード通り投げてくれるという期待すらも、この時の恭はしていなかったように思える。


「キラキラしてプレーしてた貴方は……どこ行っちゃったの」


 想像と現実のあまりのギャップに、落胆と怒りも数倍増しになって発生した。胡桃の中の恭は、そんなことで悩んで苦しんだりしない。本物のスーパースターだったのだから。





 ▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲


(まさか同じチームになってレギュラー争いをすることになるなんて、夢にも思っていなかったけれど)


 夏のジメジメとした熱気がマスクの中に籠る。滝のような汗が目に入って沁みる。それでも、一ノ瀬胡桃には『ここ』が心からしっくりときていた。


(私の知らないところで勝手にドン底まで落ちて……勝手に這い上がってきて。迷惑な人。)


 まともにお話ししたのもここ一週間くらいなもの。その短い間にも胡桃の中の幻想は打ち砕かれていった。いっつも自分以外の女の子と話しているし、思ったよりもクールじゃないし。想像していたよりもあまり筋肉質でもない。


 (でも………カッコよかったなぁ)


 初めて、そう初めて生で見た。彼のキラキラしたプレー、常軌を逸した鉄砲肩。命を賭けた直向きな守備。


(全部……想像してた通り、ううん。それ以上のパフォーマンス。見る人をワクワクさせて、釘付けにしてしまう。)


 こんなものを見せられて、誰でも直感でわかってしまう。化け物には勝てないんだと。凡人には一矢報いることすら叶わないのだと。


――そんな洞察は、どうでも良い。


 (勝ちたい……勝ちたいよ。ずっと憧れてきた人が、目の前にいるんだもの。もう、画面の中の人じゃない。あの人に………少しでも私を認めさせたい。)


大きく息を吸って、それを吐き出す。じっとこちらを見る恭にウインクを一つ送って、相手の先頭バッターの狩野光敏を迎える。


「キャッチャー変わってくれるのか。ラッキーだな。」


「……………………」


 相手の小声での明らかな挑発。それでも胡桃は眉ひとつ顰めることはなかった。もう既に彼女の集中は深く、敵とのコミュニケーションを測るような精神的な余白は何一つ残されていない。


(恭さんのリードは相変わらず大雑把に外一辺倒。ていうか風太郎に細かいコントロールはないし、それが正解なんだけど。)


 精神状態が上向いても恭の捕手としての特徴、弱点とも言える単調なリードは変わらない。後半は踏み込まれてヒット数も明らかに増えていた。無失点だったのはその頭のおかしい肩で刺しまくっていたのと相手がビビって次の塁への意識が薄くなっていったから。


(利用させてもらいますよ。それ。)


 胡桃が出したのはグーのストレートのサイン。そして最後に左の内腿に触れて相手の内角に突っ込むように指示。それに風太郎は不安そうな顔で首を一度振るが。


(どうせ初回のデッドボールでビビってるんでしょ。逆らうな、バカ。)


 もう一度同じサインを、今度はキッとキツイ視線を送りながら出すと渋々頷いた。そして。


「んぐっ……」


「ショート!!!前!!!」


 風太郎の体重が右に流れ、若干バッターの手前でシュートしたボールはボテボテの打球となりショートの前へ。狩野は俊足な分これでもかなり危ない打球だが。


「まっかせなさぁぁぁい!!!」


 猛スピードで突っ込んできた絢辻未来。彼女は打球を処理して素早く持ち替えすると、前に体重を流しながら下からのショートスロー。正確な送球はファーストミットをほとんど動かさない。全力疾走の光俊をギリギリでアウトにした。



「すごくない!?今の見た!?プロじゃん私!」


「…………たまにああいうすごいのあるんだよね。未来さん。」


 ド派手なスーパープレーに味方ベンチが、特に絢辻恭の盛り上がりがすごい。何言ってるのかイマイチ聞こえないが、どうせいつものシスコンみたいな気持ち悪い事を言っているのだろうことは想像に難くない。


(気に入らない………競ってるのは私なのに。もっと、私を見てほしい……なんて、何思っちゃってるの。)


 

 胡桃は寝ぼけたことを思った自分を奮い立たせるように頬をパンと鳴らすと、マウンドの相棒の元に駆け寄る。


「いいね。ナイスボールじゃん。あの人に自信つけて貰ったの?」


「…………胡桃。」


「………何よ。私だって褒めることくらいありますっての。まだ一球だけなんだから。勘違いしないで。」


 いつもより少しだけ……風太郎のおでこを優しく小突いてマウンドを後にする。でも言ったことはお世辞でもなんでもなくて、ほんのちょっぴりだけ雰囲気がいつもよりマシに見えたのだ。


 1人の天才、1人の化け物の加入はいずれ全てを変えてしまうのだろう。突出した才能の存在はそれを最大限に活かすために、周りが自然とそれを中心にチームを作るように変えてしまうものだ。

 既にこの一週間でも変化の予兆はある。持ち込んでくれた全国で戦った知識、練習法は自分たちの意識すらも徐々に変えつつある。


 目に入ったのは監督の横で自分のノートを齧りつくように読んでいるその人。目を丸くして読んでいるその姿に、自分のやってきたことは間違っていなかったのかもしれないと、微かにそう思って微笑む。


『要するに、首洗って待っとけってことですよ。』


どんなに威勢のいい言葉を並べても本当に自分が勝てるのか、自分で信じ切れることはなかった。彼への憧れは何よりも強くて、彼のやっていることが何よりもすごいと分かっていたから。そして目の前で挽回不可能にも思える差を見せつけられて尚、いや、だからこそ……彼女は獰猛に笑った。


 (私は……自分を曲げませんよ。恭さん。どれだけの才能を見せつけられても、ギブアップなんてしてあげません。だって……)


『憧れ』を目にしても、胡桃の『理想』は変わらない。憧憬は既に過去のものとなり。


 (その方が、あなただって燃えるのでしょ?)


 ――胡桃はこの時、己の追い求める『理想』で、『憧れ』と戦う覚悟を決めた。


 


▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

『バッティングカウントから積極的に打つ傾向、浮いた高めの球は逃さない。吊り玉は有効。』


今打っているバッター、その似顔絵と共に書いてあった文章がそれである。恭は胡桃のノートを食い入る様に読み込みながら、ベンチに座り戦況を見守る。


(だとしたら次に要求する球は………)


一ノ瀬胡桃はパッとこちらに一瞥すると、中腰になってゆっくりと立ち上がる。


 ツーボールノーストライク、もう一つ外れればスリーボールとバッテリーが追い込まれるこのカウント。ストライクをとりに行きたくなるのが自然だが、一ノ瀬胡桃はそんな考えを嘲笑うように裏をかく。

 

 (打たされた………)


 バッターも思わず歯噛みするくらいストライクとボールの絶妙な位置への吊り玉。思わず出したバットの上っ面に当たり、フラフラっと上がった打球はサードのキャプテン梅津のグラブに収まる。


 ーーー『初球は振らない傾向アリ。早めに追い込んで優位に』


 ツーアウトからもデータの分析通りにあっという間にストライク先行。バッターを追い込んだ。



(すごい……まるでバッターが胡桃ちゃんの掌の上で踊らされてるみたいだ。)



 一方で、掌で踊らせている筈の胡桃の方もこの状況に目を見張らざるを得ない。自分の能力にではなく、今の相棒、風太郎の状態についてである。



(…………いつもストライク取るのがやっとでリードなんて夢のまた夢だったのに。ある程度のところに来るようになってる)


 投げ終わった後に体重が右に流れる癖も心なしか矯正されている。おどおどして投げる前から負けているような顔をしていた風太郎が、落ち着いている。


(別にさっきのもお世辞で言ったんじゃないけど。明らかにボールが変わってる)


 考えてもみれば、秘めた能力は随一でもその貧弱というにも烏滸がましい豆腐のようなメンタルで持ち腐れをしていたのが風太郎だ。それが、8割くらい味方に助けてもらってとは言いながらも何度も苦渋を味わされていたライバルに対してここまで無失点。それに。


『すげえ良いボールだよ!これだよこれ!絶対このボールあったら抑えられるって!』


 何度も何度もマウンドに行って、ベンチに戻る度に風太郎を鼓舞していた恭。自信がついたのもそうだが乗せられて『その気』になったというのが大きいのだろう。


(そんなにピッチャーとコミュニケーション取る方じゃないと思ってたのに)


 今まで胡桃がイメージしてきた、どこか独善的でそのパフォーマンスで見るものを釘付けにして魅了する、絢辻恭というキャッチャーの偶像と現実の彼のプレーには確かなギャップがある。いや、というよりも。


 (あんなすごい人でも、何かを変えようともがいてるって……そういうことなのかな)


 今のままではいけないとそう思って行動している結果なのだろう。現状に満足するのではなく、さらに高みへ。元々手の届かない人間にさらに努力されては、凡人としては敵わない。


 (なら……私も)


 停滞ではなく……もう一歩先の領域へ。


 直前に出すサインを変える。しかしマウンドの風太郎はこれを予測していたかのように首を自信ありげに縦に振った。


 (メンタルで球質がガラッと変わるわけはない。わけはないけど……恭さんも含めて試合中一度も使っていなかった、この球なら。)


 ググッと深く沈み込み、風車の如く回転された腕から放たれたボールは、まるで時が止まったかのようになかなか手元まで到達しない。 ーーーチェンジアップ。というにはあまりにも失礼な変化量の無さ。チェンジオブペースとかスローボールという方が正しいのだろうが。それでもこの試合全てストレートで組み立てていた恭と胡桃。完全にストレートのタイミングで待っていたバッターは完全に虚をつかれた。


「ストライクっ!バッターアウっ!!!スリーアウトチェンジ!」


 ほとんど変化しなかったスローボールは打たれたら確実にホームランのゲロ甘コースへ。だが完全に前に出されたバッターはそのボールをジャストミートなどできはしない。


 マウンドにボールを返して、颯爽とベンチに戻っていく胡桃。恭は複雑な顔をしながらハイタッチで出迎える。


「マジでノーヒットで帰ってくるとは」


「まぐれです。最後のボールだって……バッターが変化球の可能性を完全に捨ててるなんて、賭けでしかなかった。」


「………らしくないな。データ通りの堅実なリードが持ち味なんだと思ってた。」


「それであなたに勝てるならそうしますけどね」


  ーーー胡桃がそう口走った瞬間、絢辻恭の顔が歪んで、引き攣った。


 初めての対等なポジション争い。その実力で絶対的な地位を築いてきた彼が初めて味わう、この刺すようなプレッシャー。一度でも脚を止めたら、自分の尊厳ごと食い荒らされてしまうような、そんな危機感。

 威勢やハッタリではない。一ノ瀬胡桃という捕手が、自分とは違うベクトルで自分より優れたものを持っていると認めたからこそ、湧き上がる感情でもあった。


「最終回……たかだか練習試合の結果ではありますが、あの岩代を負けか引き分けの状況まで追い詰めています。」


「…………あと一点取れれば、サヨナラだ」


「勝ちましょう、絶対に。あのバケモノエースを攻略して、必ず。」


 見据えるはここまで未だノーヒット。マウンドに君臨し続けるスーパーエース、四葉花凛。攻略の糸口を共有するべく、彼らは円陣を組んで対策を練る。


 それを横目で眺めながら不敵に笑うエースに、ショートから狩野が駆け寄ってくる。


「随分余裕じゃないか。もう負けか引き分け確定。月曜の坂ダッシュは倍は確定だな。」


「いいじゃんいいじゃん?やっぱりあの子達との戦いはヒリついてこそだわぁ。」


「…………あと3つ、ガッチリ取ってくぞ」


 相手ベンチから放たれる勝負のプレッシャー。頼れるエースはそれすら受け止めて力に変えてくれる。チームの屋台骨、精神的な支柱。彼女がいる限り、岩代は未来永劫負けることはない、そんなことを本気で思わせてくれる。


「いっぱい手の内も何もかも明かして貰っちゃったからねぇ。こっちも『お披露目』しないとねぇ?」

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