第3章 強制招集
翌週の夜、港町の繁華街は週末特有の喧騒に包まれていた。
ネオンの海に沈む路地裏で、蓮は黒桜会の若衆・
西村
から呼び出され、スナックの裏口で立っていた。
「蓮、お前、昨日の便、半分足りなかったって話だぞ」
西村は煙草をくわえたまま、低い声で吐き捨てた。
「足りなかった? 俺は指示通りに運んだ」
「言い訳はいい。……黒桜会の看板に傷つけたらどうなるか、わかってんだろうな」
蓮は内心、苛立ちを抑えながら黙っていた。足りなかった荷の分は、港南区を縄張りにする別の半グレが横取りした可能性が高い。しかし証拠はない。
こういう時、正しいか間違っているかは関係ない。力のある者の言葉が真実になる――それがこの世界だ。
西村は煙草を路地に捨て、火のついたまま靴底で踏み消した。
「まぁ、今すぐどうこうって話じゃねぇ。だが、俺らの“顔”を立てる仕事を一つやってもらう」
「……仕事?」
「港南高校の野球部に入れ。で、あるやつの近くにいろ」
突拍子もない言葉に、蓮は目を細めた。
「野球部? 俺をスパイにでもするつもりか」
「そうだ。そこのエース、隼人ってやつが最近、余計な動きをしてる。どうも港の荷に興味を持ち始めたらしい」
西村の口元に、薄い笑みが浮かんだ。
「お前は元野球部で、しかも不良。自然に近づけるだろ」
蓮は無言で背中の壁に寄りかかり、煙草を取り出した。
――ただの監視役。それなら簡単だ。だが、なぜ隼人が裏の荷に関心を持つのか。
考えれば考えるほど、あの真っ直ぐな投球と無関係な気がしてならなかった。
翌日、蓮は藤島のいる職員室を訪ねた。
「……入部してやる。ただし条件がある」
「条件?」
「俺を野手として使え。守備も打撃も、中学の時のままじゃないって思われたくねぇ」
藤島は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに口元を緩めた。
「わかった。……ただし、部の規律は守れよ」
蓮は肩をすくめて笑った。規律など守るつもりはなかったが、今はそれを悟らせる時ではない。
グラウンドに出ると、隼人が投球練習をしていた。汗が額を伝い、陽光の中で白球が一直線にミットへ吸い込まれる。
「……お前、神崎蓮か」
隼人は投球を止め、こちらをまっすぐ見た。
「中学の決勝で、俺から打ったやつ」
「覚えてたのか」
「忘れられるかよ。あの一発で俺の人生変わったんだ」
隼人の声は低く、感情を押し殺しているようだった。
それから数日、蓮は野球部の練習に加わった。表面上はぎこちないながらも、徐々に打撃の感覚を取り戻していく。
しかし、放課後になると西村からのメッセージが届く。
〈隼人の動き、逐一報告しろ〉
蓮は短く〈了解〉とだけ返すが、心の奥に妙なざわつきが残った。
そんなある日、部室のロッカーで隼人の荷物を探っていると、ポケットから一枚の封筒が落ちた。
中には、港の倉庫の写真――そして、黒桜会の刻印入りの木札。
それを見た瞬間、蓮は背筋に冷たいものが走った。
――隼人は本当に、裏の世界に足を突っ込もうとしているのか?
それとも、もっと別の理由があるのか?
この疑念が、やがて港町全体を巻き込む大きな嵐の引き金になることを、蓮はまだ知らなかった。