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悪役令嬢の役目は終わりです。―もっと悪役へ転職します


「どうして、あなたがこんな場所にいるのかしら!」


 王城の奥、一部の近衛しか立ち入らない区域に続く廊下。

 私は、ヒロイン――リリアナの後ろ姿を見つけて声を張り上げた。

 振り返った彼女は、庇護欲をそそる大きな瞳を驚きに見開いている。


「イザベラ様……! わ、私はただ、オーレリアン様にお会いしたくて……」


「言い訳は結構ですわ! 平民のあなたが、この辺りをうろついていいはずがないでしょう!」



◇◇◇◇



 私の名前はイザベラ・クラインフェルト。

 公爵令嬢にして、このヴェルリア王国の第一王子オーレリアン様の婚約者。



 そして、前世の記憶を持つ転生者だ。



 ここは、かつて私がプレイした乙女ゲーム『王立学園のシンデレラ』の世界。

 私は、ヒロインをいじめ抜いた末に断罪される、所謂『悪役令嬢』だった。


 それに気づいたときは、正直血の気が引いた。

 けれど、私は前世の記憶と共に、現代日本の一般常識と倫理観も持ち合わせている。

 ゲームのイザベラのように、嫉妬心から少女をいじめるなんて、するはずがない。

 シナリオさえなぞらなければ、断罪イベントなんて起こるはずもない。


 そう、高を括っていた。


 ――聖女と噂される心優しきヒロイン、リリアナに会うまでは。


 彼女は、おかしい。

 ゲームでは天真爛漫で、少しドジな愛らしい少女だったはず。

 けれど、目の前のリリアナは、どこか瞳の奥に得体の知れない昏い光が宿っている。

 そして、私が彼女の『おかしさ』に気づき、それを正そうとするたび。

 私の行動は面白いほど、ゲーム通りに『悪役令嬢のヒロインいじめ』として成就していく。



 王城の一部区画の前で、明らかに不審な挙動をしていた彼女を咎める。

 すると、周囲には「身分を笠に着て、王子に会うリリアナを怒鳴りつけた」と噂される。


「まあ、お聞きになって? イザベラ様が、またリリアナ様を……」

「公爵令嬢の身分を鼻にかけて、お可哀想に」


 違う、そうじゃない。

 心の中でどれだけ叫んでも、私の言葉は誰にも届かない。




 数日後、私はオーレリアン様の執務室の前で、またしてもリリアナを見つけた。

 彼女の手には、可愛らしくラッピングされたクッキーの皿。


「オーレリアン様、お勉強お疲れ様です。クッキーを焼いてまいりました」


「ああ、リリアナか。いつもすまないな」


 扉の隙間から、オーレリアン様の気の抜けた声が聞こえる。


 ――やめなさい、オーレリアン様。

 それを受け取っては駄目。

 私はリリアナが差し出したクッキーの皿から甘ったるい匂いを嗅ぐ。


 抗えない衝動に駆られ、私は執務室に踏み込んだ。


「お待ちになって!」


 そして、リリアナが差し出す皿を、その手から思い切り叩き落とした。

 ガシャン! と甲高い音を立てて、皿とクッキーが床に砕け散る。


「イ、イザベラ!? 君は、何を……!」


 オーレリアン様が驚愕の表情で私を見る。

 リリアナは、怯えたように後ずさり、その瞳に涙を溜めていた。


「ひっ……! ご、ごめんなさい、イザベラ様……私が、オーレリアン様と親しくしているのが、お気に召さなかったのですね……!」


「オーレリアン様に、得体の知れないものを差し上げるなど許しませんわ!」


 私の悲痛な叫びも、嫉妬に狂った女の戯言としか受け取られない。

 ああ、まただ。

 また、私は『悪役令嬢』を演じてしまった。

 違う。私はただ、守りたかっただけなのに。




 そんなことが何度か続いた後、私の評判は地に落ちていた。


 そして、運命の日はやってくる。


 建国記念パーティーの夜。

 きらびやかなシャンデリアの下で、私はリリアナが人と話し込んでいるのを見つけた。

 私は近くのテーブルから赤ワインのグラスを手に取る。

 そして、わざとよろめくふりをして、彼女たちの間に割って入った。


「きゃっ!」


 グラスの中身が、見事にリリアナの純白のドレスを深紅に染め上げる。


「あら、ごめんなさい。足がもつれてしまったようですわ」


 わざとらしく、扇で口元を隠して微笑んでみせる。

 大使は眉をひそめ、リリアナは今にも泣き出しそうな顔で私を見上げた。

 周囲から突き刺さる非難の視線が、私の心を抉る。


 ――もう、どうにでもなれ。


 どうやら、シナリオに抗うことはできないらしい。

 ならば、この役目を最後まで全うするしかない。

 私は半ば諦めながら、それでもやるべきことをやり続けた。


 そして――ついに、卒業パーティーの日が訪れる。


「イザベラ・クラインフェルト!」


 ホールの中央で、オーレリアン様が私を指差し、高らかに叫んだ。


「貴様は罪なきリリアナに対し、度重なる嫌がらせを行った! その嫉妬深さ、もはや王太子妃に相応しくない! よって、貴様との婚約は今この時をもって破棄! そして、国外追放を命じる!」


 ――来た。

 ゲームで何度も見た、断罪イベント。

 周囲の貴族たちは、私を嘲笑し、ヒロインの勝利を讃えている。

 私はただ、静かにその宣告を受け入れた。


 しかし、その静寂を破ったのは、予想外の人物だった。


「――面白い女だ」


 凛と響く、低く冷たい声。

 会場の入り口に、漆黒の軍服を纏った一人の男が立っていた。

 月の光を閉じ込めたような銀髪に、血のように赤い瞳。

 隣国、シュヴァルツヴァルト帝国の若き皇帝、カイゼル・フォン・シュヴァルツヴァルト。

 『氷血皇帝』の異名で知られる、冷徹な支配者。


「行く当てがないのなら、我が国へ来るがいい。才能の価値も分からぬ国にいるより、よほど有意義な時間を過ごせるだろう」


 カイゼル皇帝は、私に向かってそう言い放った。

 オーレリアン様たちが、怪訝な顔で皇帝を睨みつけている。




 私は、訳が分からないまま、皇帝の騎士に導かれて別室へと案内された。

 しばらく豪華な控室で、一人待たされる。

 やがて、重厚な扉が静かに開いた。


「入るぞ」


 入ってきたのは、カイゼル皇帝。

 そして、皇帝の後ろからもう一人の人物が姿を現した。


「……リリアナ」


 先ほどまで、オーレリアン様の隣で儚げに微笑んでいたはずのヒロイン。

 彼女は、私の存在など意にも介さず、皇帝陛下の前で深く、恭しく頭を下げた。

 その所作は、平民のそれとはかけ離れた、完璧な臣下の礼だった。


「陛下、ご命令通り、第一段階は滞りなく」


「うむ、苦労をかけたな」


 その光景を見た瞬間、点と点が線で繋がった。

 なぜ、彼女がおかしかったのか。

 そして、なぜ、この冷徹な皇帝が、突然私を拾い上げたのか。


「……ああ、そういうことだったの」


 私の口から、乾いた笑いと共に、納得のため息が漏れた。


 リリアナがゆっくりと顔を上げた。

 その表情から、先ほどまでの儚さや純真さは綺麗に消え失せていた。

 代わりに不敵で冷ややかな笑みが浮かんでいる。


「いやぁ、あなたのせいで、なかなかやり辛かったですよ、イザベラ元公爵令嬢?」


 その言葉には、ゲームのヒロインが浮かべるような親しみなど微塵もなかった。

 あるのは、任務の障害だった者へ向ける、純粋な侮蔑だけ。


「私のせい?」


「ええ。あなたの妨害工作のおかげで、計画が何度か頓挫しかけましたから」


 リリアナは肩をすくめてみせる。

 隣で話を聞いていたカイゼル皇帝が、私の疑問に答えるように口を開いた。



「分かっているだろうが、彼女は我が帝国の諜報員だ。このヴェルリア王国を、内部から崩壊させるために送り込んだ」



 皇帝の赤い瞳が、私を射抜く。

 その瞳には、私のすべてを見透かしているかのような深淵が広がっていた。


◇◇◇◇


 彼女を王城で見かけたのは、王城の機密区画。

 そもそも地図が無ければ、もしくは抜け道を知らなければ、平民の彼女が来れるはずがない。


「王城に忍び込み、防衛計画の地図を盗み出そうとすれば、あなたが現れて追い返してくれましたね」


 その後は城門で衛兵に案内されるから、やり辛くなりましたよ、と。

 彼女は目の笑っていない笑顔で話してくる。


「それに、王子に思考を鈍らせる遅効性の毒を混ぜた菓子を献上しようとすれば、皿ごと叩き割られましたし……」


 リリアナが王子に差し出したクッキーの皿。

 そこから、ふわりと漂う不自然なまでに甘ったるい匂いを嗅ぎ取っていた。

 これは、ただの焼き菓子ではない。

 何か、良くないものが入っていると思った。

 そして、こっそり持ち帰ったクッキーに、遅効性の毒が検出された。


「そして、我が国と敵対するガリア共和国の大使と密約を交わそうとすれば、ワインをぶちまけて邪魔をしましたね」


 建国記念パーティーで、私はリリアナが外国の大使と親密に話し込んでいるのを見つけたのだ。

 しかも、使われているのは、この国ではほとんど知られていない北方の国の言語。

 ――平民として育ったはずの彼女が、語学など修めているはずがない。

 流暢に外国語を操る彼女は、明らかにおかしかった。


 私が「ヒロインいじめ」だと思われてきた行動。

 それはすべてリリアナの破壊工作を未然に防ぐための抵抗だった。


 初めのうちは、私もオーレリアン様に進言したことがあった。

 彼女がおかしい。何か良からぬことを企んでいる。

 けれど、私の必死の訴えは「君はリリアナに嫉妬しているだけだ。彼女を私に近づけたくないのだろう」と、一笑に付されるだけ。

 言葉で伝わらないのなら、もはや実力行使で止めるしかない。

 そうして選んだ強引な手が、結果として私を『悪役令嬢』の座に押し上げた。


◇◇◇◇


「……実に見事な危機管理能力だ」


 皇帝は言う。


「大々的に軍を動かしても、この国を併合することは可能だ。だが、それではリソースがかかりすぎる。内側から静かに腐らせ、我が国に助けを求めさせる方が、はるかに効率がいい」


 淡々と語られる恐ろしい計画に、私は眩暈を覚えた。


 乙女ゲームの世界に転生したと思っていた。

 悪役令嬢の役割を押し付けられているのだと、そう信じていた。


(乙女ゲームでも、こんなことは語られていなかったけどな……)


 これは、恋愛ゲームなどではなかった。

 


 ――ヒロインが国を滅ぼす、壮大な国盗り物語の序章だったのだ。


 

 そして私は、唯一の抵抗勢力だった。



◇◇◇◇



 私が帝国に保護されてから数ヶ月。

 「悪役令嬢」という名の防波堤を失ったヴェルリア王国は、坂道を転がり落ちるように傾いていった。


 リリアナの工作は、もはや誰にも止められない。


 王城では原因不明の火災が頻発し、備蓄食料が失われた。

 有力貴族たちの間で根も葉もない噂が流れ、派閥争いが激化。

 そして、オーレリアン様は、リリアナの進言ばかりを聞き入れる。

 次々と国益を損なう政策を打ち出していった。

 彼女の作ったクッキーを、今では毎日嬉しそうに食べているのだろう。

 あの甘ったるい毒が彼の思考力を少しずつ奪っていることに、誰も気づかないまま。


 伝え聞く王国の惨状に、私は何も感じなかった。

 ただ、時折、オーレリアン様のことを思い出す。


「なぜだ……イザベラがいなくなってから、全てがおかしくなった……」


 今頃、そんな後悔に苛まれているのかもしれない。


 ――気づいたとしても、もう遅い。

 リリアナという名の甘い毒に侵された彼には、もはや正常な判断力など残されていないのだから。

 すべては、彼らが選んだ道なのだ。


◇◇◇◇


 一年後、ヴェルリア王国は自壊した。

 経済は破綻し、貴族たちは離反。

 国民の不満は頂点に達し、救いを求めてシュヴァルツヴァルト帝国に併合を願い出た。


 すべては、カイゼル皇帝とリリアナの描いた筋書き通り。


 そして今日、私は皇帝と共に、王都へ凱旋した。

 旧ヴェルリア王家の処遇を決定する、そのために。


 玉座の間には、変わり果てたオーレリアン様。

 その傍らで勝ち誇った笑みを浮かべるリリアナがいた。

 彼女は私にだけ分かるように、にやりと口角を上げる。


 ――この後の褒賞と地位を約束されて、有頂天になっているのだろう。


「イザベラッ……!」


 私の姿を認めたオーレリアン様が、椅子から転がり落ちるように駆け寄ってきた。

 その顔はやつれ、かつての輝きはどこにもない。


「すまなかった……! 私が、私がすべて間違っていた……! 君の言う通りだったんだ! どうか、もう一度……!」


 彼は私の足元にすがりつき、みっともなく泣きじゃくる。

 けれど、私の心は一片も動かなかった。

 何の感慨も、同情も湧いてこない。


「今更ですわ、オーレリアン元王子。この国の処遇は、すべてカイゼル皇帝陛下に一任いたします」


 私は冷たく言い放ち、その手を見下ろした。

 やがて、皇帝の厳かな声が響く。


「旧ヴェルリア王家は、長年に渡る悪政と国を混乱させた罪により、王家としての地位を剥奪。全員、辺境の塔に幽閉するものとする」


 絶望に叫ぶオーレリアン様の声が、遠くに聞こえた。


 こうして、一つの国が地図から消えた。


 私の役目は、終わった。

 悪役令嬢としての役目も、この国を守るための孤独な戦いも。


 後日、私は皇帝の執務室に呼び出された。

 そこには、カイゼル皇帝と、すっかり帝国貴族の令嬢然としたリリアナが待っていた。


「イザベラ。君の洞察力と行動力は、我が帝国の利益となるだろう。私に仕える気はないか?」


 皇帝からの、思いがけないスカウト。

 それは、私の『妨害工作』の才能を買ってのことだった。


「これから、同僚としてよろしくお願いしますね? イザベラ様」


 リリアナが、心の底から楽しそうな笑みで手を差し出してくる。

 私はその手を無視して、皇帝に深く一礼した。

 こうして私は、婚約破棄された悪役令嬢から、皇帝直属の工作員として再就職することになった。


 差し出されたままのリリアナの手に目をやり、私は内心で深く、深いため息をつく。


(オエッ……)


 これから、この女と一緒に仕事をしなければならないらしい。

 どうやら私の受難は、まだ始まったばかりのようだ。


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― 新着の感想 ―
ラストを見て「それは(その後を)ちょっと読んでみたいかも」と思いました。 スパイ物って事ですよね。 性格が合わない二人が嫌々(もしくは片方が嫌ってる)バディを組む話とか好きなので。
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