77
組長の本心とは。
-77 幹部として、そして息子として-
豊が阿久津組の幹部として活躍している光景を組長は嬉しく思っていなかった、寧ろ後悔をしていた。本当に暴力団の人間として生きていたいと思っているのだろうか、本人の意志なのだろうかと。
幼少の豊を山中で拾った時はこんな事になるとは思ってもいなかった、本来は普通の子供の様に義務教育や高等教育を受けさせて立派な社会人に育てようと誓っていたのだ。
それが故に、敢えて豊には「阿久津」の姓を名乗らさせず、親から貰った「渡瀬 豊」の名前を大切にするように伝えていた。決して明の二の舞にならない様にする為だ。
ある晴れた日曜日、縁側から自宅の庭園にあり複数の鯉が泳いでいる小さなため池を眺めていた組長は豊を自分の下に呼び出した。
組長(当時)「ああ豊・・・、来たか。おはよう。」
豊(当時)「おはよう父ちゃん、何だよ朝から。」
組長と幹部の関係以前に義理ではあるがやはり親子なので2人は互いを「豊」、そして「父ちゃん」と呼び合っていた。
組長(当時)「急に呼び出して悪いな、1つお前に聞きたい事が有るんだ。」
豊(当時)「聞きたい事って何だよ。」
組長(当時)「いやな、お前は今の生活に満足しているのかなって思ってよ。実は俺自身、お前を組の人間にするつもりは無かったんだ。本当はお前を大学まで通わせて立派な大人にしようと考えてたんだぜ、それなのに折角入試に合格してた大学を蹴ってまで組に入ったからお前に気を遣わせたんじゃないかって思ってよ。」
豊は俯きながら答えた。
豊(当時)「俺がこの家に来て間もない時なんだけど、ある組員に言われたんだ。「父ちゃんを元気づけてやって欲しい」って。その人から明さんの事、聞いちまったからさ。」
組長(当時)「俺なんかの為に・・・。余計な事を言った奴がいるんだな、誰だそれは。」
豊はその組員の名前を告げた、ただ本人は数週間前の抗争で撃ち殺されていた。
組長(当時)「あいつか・・・、義理人情に厚いやつだったもんな・・・。」
豊(当時)「それで組の幹部になろうって思ったんだよ、ずっと父ちゃんの側にいたいと思ったから。」
組長(当時)「そうか・・・、俺の側にか・・・。」
この言葉を聞いて組長はより一層不満げになった、暴力団同士の抗争の数々に参戦して多数の団員を殺していたのは自分の側にいたかったからなのかと。そして、自分の所為だったのかと・・・。
組長は別の幹部を呼び出した、決して豊にバレない様にと一言告げて。
幹部「組長、如何なさいましたかい?」
組長(当時)「すまんな、実は豊の事なんだ。」
幹部「豊がどうしたんですかい?」
組長(当時)「あいつの事をこのままにしておくべきだと思うか?あいつ自身はこの組に残る事を望んでいると思うか?」
幹部「すみません、俺は中卒なんで難しい事は分からないです。ただ・・・。」
組長は幹部の最後の一言が引っかかって仕方がなかった。
組長(当時)「ただ・・・、何だよ。言ってみろよ。」
幹部「あいつが部屋で毎日大学入試の勉強を必死にしてたのをずっと見てたんで・・・。」
組長(当時)「毎日夜遅くまでしてたもんな、あいつって何学部志望だったか?」
幹部「経済学部だったと思いますよ、難しい本とずっとにらめっこしてました。」
そう、松龍の一室で経済学の勉強をしていたのはやはり経済学者の道を諦めきれていなかったからだ。
組長(当時)「やはり、あいつにはやりたい事があるんだよ。改めて豊と話さないといけないかもな。」
組長はもう一度豊を呼び出した。
豊(当時)「何だよ父ちゃん、今忙しいから呼び出さないで欲しいんだけど。」
組長(当時)「すまんな、少し気になっている事があってな。お前・・・、無理してないか?」
豊は数秒程黙り込んだ後、少したじろぎながら答えた。
豊(当時)「そんな訳・・・、無いに決まってる・・・、じゃないか・・・。」
組長は豊の様子を見逃さなかった。




