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守は目の前の真実に体が震えていた・・・。
-51 走馬灯の様に-
霊安室で穏やかな表情を見せて眠る真希子の横で、守は1人静かに涙を流していた。守が幼少の頃、旦那に先立たれた真希子は唯一の肉親として息子に辛い思いをさせまいと、幼稚園や小学校で守が家にいない間はパートをかけ持ちして生計を立てていた。
当時真希子の事情を全く知らなかった守は自分の家には父親というものがいないという事で周囲からの疎外感を感じていたが、母に辛い思いをさせてはいけないと決して「どうして自分の家にはお父さんがいないのか」と聞かなかったという。
真希子の決死の努力のお陰ですくすくと成長した守、小学校の高学年になった頃には父親の事など全く気にならなくなり、母とたった2人で囲む団欒を何よりも楽しみに1日を過ごしていたという。
しかし、当時の守には疑問に思う事が有った。
守(当時)「お母さん、どうしてうちは毎晩カップ麺なの?」
真希子(当時)「私達2人の将来の為にお金を置いとく為さ。」
そんな中、真希子はパート代から少しずつだが「へそくり」を作り当時まだ小さな服飾企業だった「貝塚服飾卸(後の貝塚財閥)」の株を買い、成長を待ちつつ配当金が出る度に守に寂しい思いをさせない様に少し贅沢な夕飯を楽しんでいたという。そのお陰で当時、2人の団欒は楽しかったのだろう。
団欒を楽しむ守の横で真希子は別に配当金から貯金を作っていた、そして小さな軽のバンを買ってそれまで徒歩で行っていた買い物を楽に行えるようにした。
そう、少し贅沢をしつつも頭の良かった真希子はパート代や配当金をやりくりして生活をよりよい物に変化させて守の人生が少しでも楽しい物になる様にと工夫していたのだ。
2人の生活に一番変化があったのは守が中学2年の頃、貝塚服飾卸がアメリカを中心とした海外に進出して成功を収めたが故に急成長して株価が急上昇した事に伴い、真希子への配当金も上がった。その配当金で買ったのが愛車のスルサーティーだった。
それからというもの、真希子が夕飯を済ませると夜な夜な外に出ていく事が多くなり、巷で「赤鬼」と「紫武者」という言葉をよく耳にする様になった。
しかし守は高校受験の勉強等で忙しく、母が毎夜毎夜出ていく事など気にもならなかった。守が学校から家に帰った時、真希子は必ず何事も無かったこの様に夕飯を用意して温かい笑顔で息子を迎えていたからだ。
真希子(当時)「守どうだい、今日のハヤシライスは。」
守(当時)「やっぱり美味いな、母ちゃんが作ったハヤシライス。」
真希子(当時)「そうかい、あんたに喜んでもらえて嬉しいよ。」
そして守が風呂に入り自室で受験勉強をしている間に愛車で走りに出かけていたというのだ、当時「赤鬼」と呼ばれた赤江 渚と同じで警察に協力すると言う形、それが故に家の中には警察からの感謝状が沢山あった。
母との楽しかった思い出をじっくりと思い出して涙を流していた守の口から出たのは「感謝」の言葉だった。
守「母ちゃん、ありがとう・・・。ゆっくり休んでくれ。」
涙を拭った守が霊安室を出るとそこには松龍の面々がいた、どうやら宝田家の周りに規制線が張られていた事を美麗から聞かされた龍太郎が慎吾に連絡して事態を知ったという。
王麗「守君、大丈夫?」
守「女将さんごめん、少し1人にしてくれないか・・・?」
美麗「守く・・・。」
化粧室へと向かおうとする守に言葉をかけようとする美麗を、龍太郎が首を横に振りながら肩に手をやって止めた。
美麗「パパ・・・。」
龍太郎「やめておけ、今は守が思った通りにさせてやろう、きっと真帆ちゃんが声をかけてもろくに話せない状態のはずだ。」
王麗が目の前を通った看護師に事情を説明すると、3人は霊安室に案内された。霊安室の中で真希子は先程と全く変わらない表情で眠っていた。医師の話によると死因は前兆も痛みも無く起こった「大動脈解離」らしい。
王麗「真希子・・・、苦労した甲斐があったね・・・。痛みなく逝けたんだからよかったじゃないか、ただ寂しいよ・・・。馬鹿・・・!!」
王麗は最期の言葉になるからと強めに「馬鹿」と放った、その強さから2人の仲の良さが伺えた。それもそうだ、王麗が日本に来たばかりの頃から店の常連として、そして1人の親友として接していたのだ。親友を失った王麗は守以上に泣き崩れていた。
王麗「ちょっと・・・、席を外すよ・・・。」
誰しもが耐え難い場面。




