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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

unknown wolf

作者: 灰谷水面

 心臓を握りつぶしてみたい。心臓ならなんでもいい。犬でも、猫でも、鳥でも、人間でも。そのためにはなるべく綺麗な状態の死体を用意しなければ。ナイフで思い切り腹を刺すなんてことはしてはいけない。あくまで「綺麗に」息の根を止めて血まみれの手で心臓に触れる。なんて美しい。


 

 満月の夜になるとハイスペックイケメンになれる。このミラーを開くと、魔法を操り他人を救って警察から感謝状がもらえる。ある呪文を唱えると不思議な力を引き寄せて宝くじに高額当選する。


 そんなものはない。随分とつまらない大人になってしまったものだ。いや、社会の波に押しのけられて自らに辟易した者は誰だってこういう思考になるだろう。例外があるとすれば、自己肯定感が異様に高いポジティブ野郎一択だ。もしそんなやつと出会えたら、俺も少しは変われるのか?


 いわゆる戦隊モノの子ども向けアニメが隣の家から爆音で聞こえてくる。勘弁してくれよ。テレビの音すら苦手なのに子どものはしゃぎ声だなんてとても聞いていられない。どうして日曜の朝からこんな惨めな思いをしなければならないのか。しかも布団の中で。少なからず俺にも非があることは認めるから、もう少しテレビとお子さんのテンションを下げてくれ。頼む。


 俺はニートだ。24にもなって実家暮らし。親に迷惑かけっぱなし。早く職を見つけて自立すべきなのは頭ではわかっている。だが朝になると体が動かない。何か行動しなければという焦りだけがブクブクと膨れ上がっていく。こんなことを言うと嗤われるだろうが、ニートって意外と苦しいものなのだ。しかし現状、何をどう足掻こうがこの苦しさからは逃れられそうにない。結果、いつからか「俺は前世で大量殺人を犯した人間なのだ」と開き直る始末だ。いよいよ俺という存在も末期だな。


 具体的に何が俺をニートにさせたのかなんてもう忘れたい。なんと言うか、学生時代にいろいろあったのだ。自分の衝動を抑えられない時期があった。今思えば家庭環境が良くなかったことも相まってのことだろう。 あぶないあぶない。俺なんかに興味を持つような変わり者はいないんだから、ここまで、だ。



 死にたいって思ったことは何度もある。当然だ。俺みたいなのにとっては死こそが唯一の救いなのだから。自ら死を選択できればそれ以上に楽なことなんてない。でも俺は弱っちいんだよ。そんな勇気があるなら全財産をつぎ込むから譲ってくれ。


 一日中家にいる生活をしているものだから、当然友達も恋人もいない。マッチングアプリを始めようかと思ったこともあったが、ビビってやめた。なんかそういう、特有の嫌な思いとかできればしたくないじゃん。あと冷静に考えて、陰キャにはハードルが高すぎる。俺の同級生なんかはさぞかし人生を謳歌しているんだろうなあ。クラスメイトの中に結婚してる奴がいてもおかしくない年齢になっちまったし。当然同級生のいい知らせなど知る由もないのだが。


 他人を羨んでもこの状況はどうにもならないのでとりあえず飯を食う。時刻は14時過ぎ。まあギリギリ昼ごはんといえる時間帯だろう。こんな時間に食事を準備して、なおかつ気持ちの切り替えも上手くいってるなんて、どうやら今日はメンタルの調子がいいらしい。冷凍のパスタを電子レンジで温める。独りで飯を食うことにはもう慣れた。


 フォークと皿が触れ合う金属音。可視化できない時間の流れ。


 まずい。飯がまずいのではなく、もっと別の「まずい」が自分の意思とは関係なく襲ってきた。考えたくないのに逃してくれない一つの不安が唐突に湧き上がってきてしまった。これは侮ってはいけない。自分では「発作」と名付けた、嫌味なくらい漠然とした不安。


 俺、社会的にヤバくね?


あれから9時間が経過した。このままでは俺の人間関係は希薄なんてレベルじゃないと今更な危機感を抱いて新しいSNSアカウントを作った。これはちゃんと、他人とコミュニケーションをとることを目的にしたアカウントだ。なんか、いろいろ浅い感じが否めない。


 24になるまでSNSを見る専でしか利用してなかったのって俺くらいなんじゃないか?マッチングアプリと何が違うのかと言われれば何とも答えられないのだが、とにかく誰でもいいから繋がりたいと思った。メンタルがイカれると逆に衝動性が高まって普段ならブレーキがかかるであろう行動も不思議とできてしまう。メンタルの調子がいいなんて勘違いだった模様。


 あの夜から数日が経った。イカれたメンタルのおかげで一人だけダイレクトメッセージでやりとりする相手ができた。その人のアカウント名はイチゴジャム。ちなみに俺のは高橋。なんでもいいからそれっぽい苗字を適当につけた。お互いに「ジャムさん」「高橋さん」と呼び合っている。なんとか人との繋がりを保てた、のか?


 22時23分。ジャムさんからの通知が来た。スマホをとって通知欄をタップする。


「俺さあ、ニートなんだよね。でも別にそのことは気に病んでないっていうか。」


いた。異様に自己肯定感の高いポジティブ野郎、ここにいた。




 「高橋さんですか?」

ジャムさんは女性だった。20代半ばくらいの、身長が高いこと以外はどこにでもいるような普通の女性。メッセージの一人称や絵文字の使用頻度からしててっきり男だと思っていた。考えてみれば、互いに性別を確認し合ったことはない。だけど性別なんてどっちでもいい。俺は「イチゴジャム」に会いに来たのだから。


 「あ、はい。そうです。イチゴジャムさんですか?」

「はい。はじめまして。リアルでお会いできて嬉しいです。」

「こちらこそです。」


緊張して上手く話せない。いや、それは元からだ。

 「立ち話もなんですし、あそこのファミレスでも入ります?高橋さん飲食店とか平気ですか?」

「あ、はい。大丈夫です。いきましょう。」


店内のBGMがやけに大きい気がするのはきっと高揚感からだ。目の前にジャムさんがいる。若い女性の店員が、ナイフやフォークが入ったトレーと期間限定メニューを持ってきた。ありがとうございます、なんて愛想を振り撒く余裕はない。会釈するので精一杯だ。


 「高橋さんってホントに私と同じニートなんですか?普通にかっこいいし清潔感あるし、働いてる人と何の変わりもないですよ。あ、失礼なこと言いましたね、すみません。偏見でした。」


「いえいえ、そんなふうに言っていただけて嬉しいですよ。実はジャムさんとお会いするのすごく緊張してたんですけど、とても話しやすい方で好感しかないです。」


「ほんとですか?お世辞でも嬉しいです〜。あ、お水はセルフサービスですよね、私汲んできますね。」



ようやく時が来た。どれだけこの瞬間を待ち望んでいたことだろう。




 ジャムさんとはリアルでも会話が弾んだ。何よりジャムさん相手だと、他人と会話するのを苦痛に感じない。俺が15分以上も他人と会話するなんて何年ぶりだ。


 「ジャムさんとのやりとり、俺すごく心地いいんですよね。なんかジャムさんと話しているときだけは俺もポジティブになれるっていうか。」


「ほんとですか?嬉しいです。私も高橋さんとのやりとりにいつも癒されてます。しょうもない会話をストレスなくできて。」


「あはは。そんなふうに言ってもらえて俺も嬉しいです。 あの、よかったらこれからも絡んでくれませんか?」


「もちろんです!」


••••••



「でもネットでどれだけポジティブな投稿をしても、結局はニートの自分なんて死んだ方がいいって思っちゃうんですよね。」



   は?


「社会に何の貢献もしてない自分に価値なんかないって。」



何を言っているんだ、こいつは。



 違う。これはイチゴジャムじゃない。違う。



「私なんてゴミだと思ってたけど、ゴミってリサイクルできるじゃないですか?だから私はゴミ以下なんだなーとかって。」



腸が煮えくり返る。



もう一度言っておこう。「俺には自分の衝動を抑えられない時期があった。」



「あはは、ほんとそうですよね。僕も楽になりたいって何度も思いましたよ。」

「高橋さんもですか?本当に気が合いますね、やっぱりお会いでき...」

「死こそが唯一の救いですよね。」


知らない。どうでもいい。



 

 どうやら俺は彼女の首を裂いたらしい。俺の顔にも、身につけているシンプルな白いTシャツにも、鮮血が飛び散っている。左手で握ったナイフに付着した血だけは、その赤色が一層鮮やかに見えた。



 客や店員の悲鳴は俺には届かない。「早く警察と救急車を呼べ!!」笑ってしまう。なんて愚かなんだ。イチゴジャムは死を望んだ。そんなのはイチゴジャムなんかじゃない。俺が知っているイチゴジャムじゃないならもういらない。だから俺が死なせてやった。救ってやった。なぜこんなにも悪だ悪だと騒ぎ立てる必要があるんだ?


 俺はどんなに社会的に終わった境遇でもアホみたいにポジティブなジャムさんが好きだった。ニートだからって自分を卑下することなく明るいメッセージをやりとりしていたはずなのに。それは本心ではなかった?自分を守りたいが為に偽りの言葉を並べていただけだった?わからない。わからない。何一つわからない。



 人を殺めたあとだというのに喉の渇きを感じる。腹が減った。テーブル上のパスタは血まみれ。そういえば、まだ水にも料理にも手をつけていない。確かミートソースパスタを注文したような。サイレンの音が近づいてくる。きっと警察が来たらゆっくり食事をとることもできなくなるのだろう。視界に入ったグラスの、ほんのりピンクがかった鉄の味がする水を飲み干した。



※※※


 心臓ならなんでもいいと思っていたのだが、私も人間だ、欲が出てくる。どうせ壊すのなら人間がいい。


 その相手を探すにはやはりSNSを利用するのがいちばん手っ取り早い。出会った相手の好みに合わせたやりとりをして、ある程度時間をかけたら実際に会わないかと持ちかける。そしてここぞというタイミングが来たら相手が共感するような言葉をかければ一発だ。


 いかに身体を傷つけずに殺すのか考えあぐねていたが、やはり毒殺がいいだろう。注射なんかで毒を入れるのはナンセンスだ。私の美徳に反する。飲み物に入れるのが最適解だ。


 心臓は筋肉だ。だがそれだけではない価値が確かにある。人間の生命を維持する核心。それをこの手で、潰し、壊す瞬間を手に入れるためならなんだってやる。想像するだけで身体が震えるようだ。



 何が美しいのかは私自身が決めてやる。

※※※




 グラスの割れる音。 悲鳴。





 5月11日木曜日、都内某所のファミリーレストラン内にて殺人事件発生。被害者とみられる女性はその場で死亡。容疑者は意識不明の重体。目撃者の情報によれば、容疑者は毒物が混入した水を自ら摂取した模様。自殺を図ったとみられる。



 その後の捜査で店内の防犯カメラの映像を確認したところ、ドリンクバー付近で白い粉のようなものをグラスの水に入れている被害者の女性の様子が確認される。

 直ちに捜査方針を変更する。


 

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