1.感傷
現実とは、ときに無情で、ときに残酷なものだ。
勤勉な少年少女が入りたい学部学科があるからと、どれだけ学習を積んでも、親のコネのあるボンボンにその席を横取りされたりする。
『───アウィス』
神を敬愛する教会の信徒がどれだけ祈りを捧げても得られない幸福がある。
『アウィス────!』
平民が貴族になるためどんなに功を挙げようと努力しても、絶対に越えられない壁を突き付けられる。
『アウィス=カエルレア!』
「──は、はい!?」
ふいに、ばん、と、机が大きな音をたてる。
その音に反応して、感傷に浸っていた俺の目線は現実に引き戻された。
既に横まで来て立っていたのは、今俺が受けている講義「魔法陣学」を担当している教授だった。
周りに耳を傾けると、同じく講義を受けている生徒がクスクス笑っているのが聞こえてくる。
はぁ、と大きくため息をつき、教授が口を開く。
「あの問題を解いてきなさい」
そう言って、教授は黒板を指差した。
黒板を見ると、魔法陣のルートを図示する問題が書かれている。難易度で言うと、結構なものだ。
今回は集中を切らしていたが、普段は真面目に講義を受けている、自主学習も怠らないほうなので、俺は苦戦することなくチョークを持つ手を進める。
「解けました」
「正解だ、席にもどれ」
問題を解くと、無表情だが、少し面白くなさそうにそう言い渡される。
席に戻る途中、舌打ちをしてくる生徒や、睨みつけてくる生徒もいた。
俺は学園では嫌われていると感じている。
友人も多いほうではない。数少ない友人曰く、無愛想だとか、淡々としているとか、そういった当たり障りのない態度が嫌われている理由らしい。
それに加え、俺はこの国の宰相の息子なので、関わりづらいというのもあるのだろう。
侮蔑されるようなことはしていないつもりではあるが…。
そんなことを考えながら席につくと同時に、講義終了のチャイムが鳴った。
教授は片手に持っていた教科書を閉じ、生徒たちの方を向く。
「午前はこれまで。昼休憩の間に午後の課外授業の準備をしておくように。解散」
そう教授が言い渡すと、次々と生徒が講義室をあとにしていく。
自分も続こうと席を立つと、後ろから肩に手を置かれた。
「珍しいじゃない、アウィス?あなたが講義に集中してなかっただなんて」
「モニカか……」
そう話しかけてきた金髪でポニーテールの少女は、同じく魔法陣学の講義を受けていたモニカ=ミデール。
俺の数少ない友人の一人で、そして同い年の14歳。成績優秀で、人当たりのいい性格をしている。
昔からお互いを知る仲で、こうして同じ学園内でときどき会話をしたりしている。
「大丈夫?どこか具合が悪いの?問題は難なく解けてたみたいだけど」
「いや…大丈夫だよ。少し考え事をしていただけだ」
「また?最近そればかりじゃない」
ああ、その通りだ。
焦燥感というのだろうか。
なにかに没頭している間より、それに対する想いを終わらせたときのほうが思考が絡まって仕方がない。
モニカは続けて、表情を消しながら口を開いた。
「………まだ、諦めてない?」
俺に対する気遣いとも、哀れみともとれるような声色で、モニカはそう言ってきた。
「いや………最近、諦めたところだ」
「…えっ?………そっか」
モニカは一瞬驚倒の表情を見せるも、すぐに取り繕いニコニコとした表情へと戻った。
「お昼はどうするの?一緒に食堂に行く?」
「………いや。弁当を持ってきてる。外で一人で食べるよ」
「そう?」
食堂には多くの人間が集まる。俺は著しく嫌われているから、一緒にいるとモニカやその友人に何かと迷惑がかかる可能性がある。
「前から言ってるけど、別に迷惑じゃないわよ?」
「………? えっ?」
え。
「………やっぱり、またそう考えたんでしょ、フフ。それじゃあ、また課外授業でね」
モニカはちょっと小悪魔みたいな顔をして、パタパタと講義室を去っていった。
………少々背筋が凍った。
彼女は人並み以上に人間をよく観察している。
昔からの仲ということもあるだろうが、ああやって心を読まれると、どう反応していいか分からなくなる。
モニカに別れの手を振ると、俺は弁当を持って学園の庭へと向かった。