超高齢化婚約破棄
「パトリシア、ただ今をもって、おみゃえとの婚約を破棄しゅる!」
「あぁ? あんだって?」
参加者の八割が腰の曲がっている夜会の最中。
パトリシアの婚約者であり、王太子殿下でもあるランドルフが、がなり声で婚約破棄宣言をした。
「だーかーら、おみゃえとの婚約を破棄しゅるって言ったんじゃ!」
「あぁ? あんだって?」
だがランドルフの声は、パトリシアには届かない。
ランドルフの滑舌が悪いせいもあるが、パトリシアも耳が遠いのだ。
――それもそのはず、二人とも御年80歳超え。
この国は治癒魔法の発達と少子化の影響により、未曾有の超高齢化社会になっていたのである。
「もうええわ! ワシは何が何でもおみゃえとの婚約を破棄しちぇ、今後はジェシーと真実の愛を育むんじゃい!」
「ふがふがふが」
ランドルフの隣に、ふがふがとまったく何を言っているのか聞き取れない老婆が、プルプルしながら歩いてきた。
男爵令嬢のジェシーである。
「あぁ? あんだって?」
「それはもうええ言うとるんじゃ! おみゃえがジェシーの総入れ歯を盗んだせいで、可哀想に、ジェシーはこの通りふがふがしか言えなくなっとるんじゃぞ!」
「ふがふがふが」
「あぁ? あんだって?」
地獄絵図である。
こんな婚約破棄のワンシーン、観たいと思う稀有な者が果たしているだろうか? いや、いない(反語)。
「んがあああああ!!! いつまでそうやってシラを切るつもりじゃあああ!!! 婚約破棄じゃ婚約破棄!! こーんーやーくーはーきー!!!」
「あぁ? あんだって?」
「そういうことでしたら、パトリシア嬢は僕がもらい受けましょう」
「「「――!!!」」」
その時だった。
優雅なオーラを纏いながら、20代中盤くらいの美しい青年が颯爽と現れた。
ランドルフの腹違いの弟、第二王子のフィリップである。
高身長の甘いマスクに流れるようなサラサラのブロンドヘア。女性に対してのエスコートも完璧なうえ、趣味がゲートボールというギャップ萌え要素もあり――!
孫にしたい男性10年連続1位のフィリップが、何故ここに……?
「――パトリシア嬢」
フィリップはパトリシアの前で恭しく片膝をつき、右手を差し出す。
「今から10年ほど前、詩吟大会であなたの染み渡るような詩吟を聴いて以来、僕の心は今日までずっとあなたに奪われてきました。――どうか僕の、生涯の妻になってはいただけないでしょうか」
「まぁ、本当にこんなおばあちゃんでもよろしいんですか?」
パトリシアはフィリップの右手に、自らの左手をそっと重ねた。
「オイイイイイイ!?!?!? 何でフィリップの声だけはちゃんと聴こえとるんじゃ!? おみゃえ絶対ワシの声も聴こえとったじゃろ!?」
「あぁ? あんだって?」
「クソがあああああああ!!!!」
「ふがふがふが」
阿鼻叫喚である。
誰かこのごった返した場を収められる者はいないのか――?
八割方腰の曲がっている参加者たちが、固唾を呑んだ、その時――。
「ぶるああああああああ!!!!!!」
「「「――!!!!」」」
耳をつんざかんばかりの轟音を上げながら、身長2メートル50センチはありそうな、筋骨隆々の美丈夫が現れた。
御年108歳にしてこの国の最高権力者――国王陛下その人である。
「ランドルフぅ? 貴様余が決めたパトリシア嬢との婚約を、勝手に破棄したそうだなぁ?」
「しょ、しょれは……! じゃが父上! パトリシアはジェシーの総入れ歯を盗むような酷い女なんじゃ! そんな下賤な女、ワシの婚約者には相応しゅーない!」
「ふがふがふが」
「その総入れ歯というのはこれかぁ?」
陛下が懐から入れ歯を取り出し、それを二人の前に投げ捨てた。
「なっ!?!? こにょ金色に光り輝く総入れ歯は、確かにジェシーの!?」
「ふがふがふが!?」
「女子トイレの中に落ちておったわぁ。これでパトリシア嬢への濡れ衣は晴れたなぁ?」
「しょ、しょんな……!」
「ふがふがふが……!」
何故女子トイレの中に落ちていた入れ歯を陛下が持っているのか?
そして入れ歯をそのまま懐に仕舞っておくのは、衛生的にどうなんだ?
疑問は尽きないが、それをわざわざツッコむのも、野暮というものだろう。
「身勝手に婚約を破棄しぃ、あまつさえ濡れ衣まで着せようとした罪は重いぃ。――ランドルフからは王位継承権を剥奪しぃ、ランドルフとジェシーには向こう20年、無償でデイサービスの職員として従事することを命ずるぅ」
「そんにゃッ!?!?」
「ふがふがふがッ!?!?」
「老人が老人を介護せざるを得ないぃ、今の世情を身をもって経験するがよいぃ」
「お、お待ちくだしぇ父上ぇ!! どうかお慈悲を! お慈悲ををを!!!」
「ふがふがふがあああ!!!」
槍を持つのさえ一苦労な、シワシワの兵士たちに連れていかれる二人。
床に打ち捨てられたままの、ジェシーの総入れ歯がキラリと光る。
「さぁてフィリップぅ」
「は、はい!」
実の父である陛下から威厳のある瞳で見下ろされ、反射的に背筋を伸ばすフィリップ。
「流石にそろそろ余も疲れたぁ。今後はお前が王位を継ぎ、この国の未来を背負えぇ」
「っ! ――はい! 精一杯尽力いたします!」
山のように大きな父の手が、息子の肩に置かれる。
その圧倒的な重みこそが、長年父が背負ってきたものなのだと、フィリップは身が引き締まる思いだった。
「とはいえフィリップもまだまだ若造だぁ。パトリシア嬢、どうかフィリップを支えてやってくれぇ」
「ええ、お任せください陛下。身体はフィリップ様に支えてもらわなきゃままならないおばあちゃんですけど、その分フィリップ様の心は私が支えますわ」
「パ、パトリシア嬢……!」
感極まったフィリップは、想い人であるパトリシアの手をギュッと握る。
二人の間に、ティーンエイジャーの如き甘い空気が流れる。
「うむ、これにて一件落着ぅ!! ぶるああああああああ!!!!!!」
ただでさえ老衰寸前の参加者たちの鼓膜にとどめを刺さんばかりの轟音を上げながら、国王陛下が退場する。
残されたフィリップは、パトリシアの目を見つめながら、提案した。
「今度僕と一緒に、ゲートボールでもやらないかい?」
「ふふ、いいですね、久しぶりに腕が鳴りますわ」
こうして二人はいつまでも、仲睦まじく暮らしたのでしたとさ。
――ぶるああああああああ!!!!!!