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96 アシェルとアウロラ ②

「アシェル様。」


耳触りのいい、優しい声が私の名を呼ぶ。

振り向けば、心を包み込んでくれるような暖かな微笑み。


「アウロラ、よく来たね。」

「お忙しい中、お時間を作って下さり有難うございます····って、アシェル様?」


美しい礼の姿勢をとるアウロラの元へ行き、抱き締める。


「会いたかった。ホーヴェット領で別れた後も、アウロラを想わない日はなかったよ。」


そう言って、胸に抱くアウロラの頭に口付けを落とす。

アウロラは恥ずかしいのか、私の胸に顔を隠すように埋もれ、真っ赤になっているであろうその身体の体温が上がっていく。


「ご、ご、ご、ご心配をお掛けしました。」


声が上擦るアウロラ。

かわいい。


抱き締めていた腕を解き、顔を見つめると、思った通り顔は真っ赤で目は潤んでいた。

堪らなく愛おしくなり、軽く口付けをする。

そこまですると、アウロラの許容範囲を越えたらしく、口元は何か言おうとハクハクしている。


「はな·····ぢ····で··そう。」


鼻血と言ったのか?

脳内が既に混乱状態にあるアウロラ。

以前は一方的だが、深い口付けを交わした事もある仲だと言うのに、もう忘れてしまったのだろうか。


小刻みに震えるアウロラをそのままエスコートし、何時もの庭のガゼボに向かう。


ガゼボには並んで座れる長椅子を用意した。

そのまま抱く様にアウロラと座る。

何時もとは違う扱いに、アウロラは少し戸惑っている様子だが、あのように誘拐された後という事もあり、私が神経質になっていると思った様だ。

特に拒絶することなく、大人しく抱かれて座っていた。

『傷は治ったのか?』とアウロラに質問すると、アウロラはナナイロオオトカゲの粘液で傷口が塞がった事から、アウロラを救出した直後に、兄のセオドアからも説明を受けて聞いていた、粘液の塊が失くなり、治るまでの一連の流れを説明してくれた。


「何かありましたか?」


暫くすると、アウロラは私を見つめ、そう問いかける。

少し見つめすぎただろうか。

アウロラがこの公爵邸に来てから、随分時間が経つが、どうやら私は次第に言葉少なになっていたらしい。


アウロラの肩に頭を乗せる。


「アシェル様?」


もう少しでこの温もりを手放さねばならないかと思うと、胸が苦しくなる。


「アウロラ·····。」

「はい····アシェル様。」

「····私達の婚姻の件だが、難しくなった。」

「!」

「白紙に戻さねばならなくなった。」

「······。」


アウロラの身体から、少しだけ力が抜けるのが分かった。

アウロラはそう言われて、どんな顔をしているだろうか·····。


ゆっくりと顔をお越し、アウロラを見つめる。


アウロラは·····悲しげな顔をしていた。


「アウロラ·····。」


自分の中に何とも言えない感情が生まれる。

だが、アウロラのその表情を見て、素直に嬉しい気持ちがわき上がる。


そうか····アウロラは悲しんでくれるのか。


アウロラは暫く黙っていた。

その顔は、この事を納得しようと自分に言い聞かせている様に見えた。


「そうなのですね。大丈夫です。心得ておりますから。」


アウロラはそう、ぎこちない笑みを浮かべながら応えた。


「アシェル様には、公爵家を支えるに相応しい方と幸せになって頂きたいです。」

「そういう事ではない。王家からの要求なんだ。」

「王家から?」


元々アウロラとの話も王家由来だった。

今回もそうだと言えば、アウロラにしてみれば不信感しか生まれないだろう。

まぁ、事実その通りなのだから、王家にはその責めを負ってもらおう。


「何か理由があっての事なのでしょう。」


眉根を下げ、アウロラはそう話す。


「アシェル様····私が今こうして立っていられるのも、アシェル様のお陰なのです。婚約解消になり、あの時は本当に毎日が辛くて····。そんな時、アシェル様の治療に携わることになり、それが私の心の支えになりました。そしてこんなにも優しく、愛情深く接して下さって····。今までお側に置いて下さり有難うございました。」


アウロラは言葉を噛み締めるように伝えてくれる。


「幸せでした。有難うございました。」


そう言うアウロラの目には涙が浮かんでいるのが見えた。

こぼれ落ちそうな涙に口唇を寄せる。


幸せでした·····か·····。

こんなにも嬉しい言葉があっただろうか。


「離したくない·····。」


アウロラの心に届く様に、抱き締め耳元で囁く。

私という存在が、この先もずっとアウロラの心に残ってくれる事を願う。


アウロラと口唇を重ねる。

アウロラは目を閉じ、静かに受け止めてくれた。

決して激しいものではないが、アウロラの感触を刻むように食む。


今アウロラがグリフォニア辺境伯からあった、ルークとの婚姻の話を聞いたなら、この涙も、きっと喜びのものに代わるだろう。

それを目の当たりにするのは、さすがに····辛いな。

だからアウロラ·····本当にすまない。

今この時だけは、私との別れを悲しんで欲しい。


「愛している、アウロラ。君の幸せを心から願っているよ。」



◇◇◇


忙しいアシェル様の代わりに、ジョッシュ様が寮まで馬車で送ると言ってくれたが、少し風に当たりたいからと、城門で下ろしてもらった。

馬車の中でジョッシュ様は、私の事を気遣ってくれて、アシェル様をはじめ公爵家の方々が、いかに私との婚約が白紙になった事を嘆いていらっしゃるか話してくれた。

私は公爵家の皆様にとても大切にされていたのだと、あらためて実感し、感謝した。

この先アシェル様がまた体調を壊される様な事があったら、是非力になりたいと伝え、ジョッシュ様と別れた。


普段は気持ちいいはずの風も、涙が出てしまったせいだろうか、目元が少しだけヒリヒリする。

正直気持ちが落ち着かない。

公爵家で王位継承権をお持ちのアシェル様と婚約するなんて、私には分不相応だとそう思っていたし、途中でその話が失くなる事も充分あると心得ていたはずだった。

でも、アシェル様からの、本当に沢山の愛情を受けとめて、それがとても心地よくて、心の何処かでいつの間にかアシェル様との未来も芽生えはじめていたのだろう、今では婚約白紙の話がこんなにも心を苦しくしている。

私ってどうしようもないな·····。


私には医薬学があって本当に良かった。

それに古代種であるムク様やナナちゃんもいる。

ナナちゃんは特にその存在を公にしてしまった上に、私が傷を負うことで竜の姿に変異させてしまった責任がある。

卒業後もこの研究棟で在籍させてもらって、できるだけ見守っていこう。


もうすぐルーク様もこの王都に来られる。

お礼を言う機会をもらえたけれど、その時にしっかり自分のこれからを話せたらいいな。


アシェル様もルーク様もこの国で責任が重い立場の方々だ。

いつか必要な時に力になれる能力をこれからしっかり身につけよう。


その日、何も知らないアウロラは、新たな決意を胸に1人夕陽を背に帰路につくのだった。


読んで下さり有難うございます。

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