76 グリフォニア辺境伯領 ⑩
マーガレットが医療団の人間から渡されたというペンダントには、『アウロラ』の文字が彫られていた。
このペンダントはヒ素の毒が盛られていないか確認する為に、それに反応する銀の素材が使われている。
そしてアウロラが俺の為にお揃いで作ってくれた特注のデザインだった。
俺のものには『ルーク』の名前が、アウロラのものには『アウロラ』の文字が彫られている事を知っていた。
どうして王都にいるアウロラのものがここに?
これはいったい·····?
「アウロラ·····。」
「え?」
王都の騎士団全員が同じものを持っていると思っているマーガレットは、どうして俺がこんな反応をするのか分からないだろう。
沈黙が流れる。
「失礼する!おお、ルーク殿 、お加減はいかがかな?」
突然、騒がしく入ってきたのは、グリフォニアの騎士団の1つの隊を任されているザルダ殿だった。
「ザルダ殿。」
「ん?マーガレット、また来ていたのか?いくらルーク殿が心配だからとここに来て、神殿の仕事は大丈夫なのか?」
「ザルダ様、ルーク様のご様子を伺うのも仕事ですから。」
「はん?まぁいい。いやぁしかし、今日医療団の半数と騎士団の1部が王都へ帰還したが、どうやらあのルーク殿を救った『白の御使い』殿も帰還したそうだ。ルーク殿のお相手にいいと思っていたのだが、残念だ。」
「ザルダ様!ザルダ様は私にルーク様のお相手をするように言われたではないですか?簡単に他の方をあてがわないで下さい。」
マーガレットが必死に言い募る。
「私を救った『白の御使い』?」
セオドアの事だろうか?
「ああ、名を『ローラ』といったかな?ルーク殿が意識を失って倒れた時、わしもここに駆け付けたんじゃが、かの娘がいなかったらルーク殿は助からなかっただろう。城の医師は心臓が止まったと言っていたからな。なぁ、マーガレット。」
「·····はい、私もそう聞いています。」
「ルーク殿はローラ殿に会わなかったのか?息を吹き返して、しばらくこの部屋で看病していたはずじゃが?」
ザルダはそう言い、部屋の外から中を窺っていた護衛に同意を求める。
「はい、心臓マッサージというものをルーク様に施されて蘇生され、その後も薬をその····直接飲ませたり、必死に治療しておられました。」
護衛はやや興奮気味に告げる。
「いやぁ、わしも心臓マッサージと薬を飲ませる所を見たが、あれは凄かった。薬なんぞ躊躇なく、口移しで····いや、この歳ながらドキドキしたわい。なんじゃ、ルーク殿は記憶なしか?いやいや残念。あの若さで治療も手際よく、技術も素晴らしい。ずっとこのグリフォニア領に居てもらいたかったんじゃが、本当に残念だ。」
「意識を取り戻してから、『ローラ』という女性がこちらに来たのを見ていませんが。」
「ローラさんはルーク様が意識を取り戻される直前にセオドア様と交代して、それからはずっと神殿にいる患者の治療を行っていました。」
「『ローラ』か····。マーガレット、すまないが元々私が預けていたペンダントも返してくれ。別のものを用意させる。」
「え?」
そう言うとルークはペンダントを強く握りしめ、ベッドから降りる。
「ルーク様、どちらに?」
「神殿だ。『ローラ』という女性に会わなければならない。」
「あっ、お待ち下さい。もうローラさんは王都へお帰りになられたはずです。」
「ああ、そうじゃ。先ほどグリフォニア領を立ったぞ。」
ルークはその声に構わず、上着を羽織り、部屋を出ていった。
その後を護衛が追う。
アウロラが来ていたのか。
アウロラ本人は知らないが、彼女は王家の保護下にあり、この地に来ることは容易ではないはず。
それにグルーバー公爵家との縁談もあったはずだ。
それを押しきって来てくれていたのか?
マーガレットにあのペンダントを預けていた事をアウロラはどう思っただろう。
自分のペンダントをマーガレットに与えた時の気持ちはどうだったのだろう·····。
ルイーズがグリフォニア領に来て神殿預かりになり、マーガレットが彼女の監視役になった時、ルイーズの媚香に惑わされた男性神官達との間に軋轢が生じたと報告を受けた。
マーガレットがルイーズが男性と接触しようとするのを許さなかったからだ。
あの媚香に惑わされた者達は、ルイーズの障害になる者を徹底的に排除しようとする傾向がみられる。
神官達もそうだった。
自分を律する事が出来ると思われていた神官達も、それに抗うことは出来なかったらしい。
王太子より、同じく監視役として付いてきていたエマは、サミュエル殿下がルイーズの事を心配してつけた侍女と思われている上、ルイーズに信用されていたこともあって、上手く立ち回っていた。
一方マーガレットは、ルイーズとの間を邪魔する者とされ、次第に孤立していった。
やがてマーガレットは命の危機を感じるようになったと報告してきた。
ルイーズの所業を知っている者として、マーガレットを守らなければならないと思ってはいたが、ダラム王国との国境線での戦いに集中しなければらならない時。
構ってやる事が出来ない代わりに、毒殺だけは防いでやらねばと、アクトリ草の情報とヒ素毒に反応するアウロラがくれたペンダントを暫し預ける事にした。
それがマーガレットに勘違いをさせることになったと後から気付いたが、正直アウロラを失った今、他の女の気持ちなど、どうでも良くなっていた。
マーガレットはあのザルダ殿の遠縁でもある。
彼もマーガレットに俺との仲をけしかけたのだろう。
「クソッ。」
城内の階段を駆け下りながら、思わず悪態をつく。
アウロラはきっと勘違いしただろう。
共に別々の道を歩まねばならなくなったとは言え、彼女は傷ついたかもしれない。
「ルーク様、お聞き下さい。」
真っ直ぐ前を見て無言で歩くルークに護衛は声を掛ける。
「ローラ殿はほとんど休まず、ずっとルーク様の手を握り、看病していました。ルーク様の部屋に来なくなったのは、意識が戻られた日、ローラ殿は薬を神殿に取りに行かれたついでに休憩を取られていました。それから戻った際、丁度マーガレットがルーク様に寄り添っていたのをご覧になり·····。それで遠慮して部屋に入らず····。丁度その時、セオドア様と辺境伯様がお越しになり、そのままセオドア様にお任せに。」
「·····そうか。」
「ローラ殿は····泣いていました。どういう経緯かは存じませんが、ルーク様に想いを寄せていたのかと。」
「····っ!」
ルークは口唇を噛み、拳を握る。
傍に居たのに!
「·····彼女は、私の元婚約者だ。事情があり、この地に連れてくることは叶わなかった。」
「ええ?!」
護衛は驚いて一瞬立ち止まる。
ルークはまだ背中に痛みを感じながらも神殿に急ぐ。
突然現れたルークに、神殿内の者達は驚くも、その表情が厳しく、何処か切羽詰まったものを感じてか、誰一人声を掛けることなく、その動向を見守っていた。
「ルーク様。如何しましたか?」
病室に着いたとき、はじめに声を掛けたのはガルマ神官だった。
この男はルイーズに囚われていた神官の1人で、マーガレットとよく対立していた。
元々強い正義感を持っていたが、その正義感はそのままルイーズを全面的に擁護する態度に置き換えられ、一時期周りを威圧する雰囲気を醸し出していた。
今、目の前にいるのは、そんな殺伐とした感は成りを潜め、穏やかになり、どちらかと言うと少し落ち込んだ様子だった。
どうしたんだ?
ルイーズの呪縛が解けたのか?
「ルーク様、このような所に如何されましたか?」
「ここにローラという名の者が居ると聞いた。会いたいのだが。」
「ああ、ローラさんですか····。」
ガルマ神官は悲しげな表情を見せる。
「ローラさんは、先ほど王都へお帰りになりました。」
「帰った····。容姿を教えてくれ。知り合いかもしれない。」
「お知り合いですか?ホーヴェット領の医療団は素晴らしい技術を持っていると聞いていましたが、彼女も例外ではなく。まだ年若い女性だというのに、傷の縫合なども手慣れた様子で、それも見たことのない糸使いで。自分が血で汚れようが、患者が吐こうが冷静に処置され、本当に傍に居て尊敬できる方でした。そして先ほど白衣を脱がれた姿で挨拶に来てくれたのですが····まさに彼女は女神でした。亜麻色の髪に慈愛溢れるグレーの瞳。透き通るような白い肌に美しい顔立ち。彼の方こそ真の女神だったんです。」
ガルマ神官の目は、ルイーズを語るときの狂気に充ちた眼差ざしではなく、瞳を潤ませ、切なげなものだった。
「ルーク何をしている?まだ傷も完全に塞がっていないし、発熱症状も続いている。ベッドに寝ていないと駄目じゃないか。」
奥からセオドアが出てきて、ルークの登場に驚いていた。
「セオドア·····。アウロラが居るのか?」
「!」
セオドアは一瞬顔を強張らせ、それから大きくため息をついた。
「ああ、先ほどまで居たが、王都へ帰っていったよ。」
「!!」
「アウロラはこの戦いで、研究棟の一員として、役に立つために来た。その役割を終えたから帰還した。それだけだ。」
「もう、居ないのか?」
「ああ、ここには居られない。」
「いつ出発した?」
「一刻程前か。ルーク、追ってはならない。分かるな。」
セオドアは諭すようにルークに告げる。
ルークは無言でそのまま城に戻り、最上階へ向かう。
「ルーク様、もう部屋へお戻り下さい。身体に障ります。」
護衛の忠告を無視し、階段を上っていく。
漸く目的の場所にたどり着き、外を見下ろす。
しかし、アウロラ達一団は既に森に入ったのだろう。
その姿を目視することは出来なかった。
ルークは握りしめていたペンダントに目をやる。
ペンダントに彫られた『アウロラ』の文字を指でなぞる。
そして愛しげに口付けを落とした。
◇
「ルーク。」
暫く茫然とアウロラが帰還したであろう方向を眺めていたルークに、ワイアットは声を掛ける。
「ワイアット様·····。」
「なるほどな。」
ワイアットは何か納得したような一言を発する。
「突然部屋を飛び出して行ったから、城の者達が心配していたぞ。体調が悪化するやもしれぬ。部屋へ戻れ。」
「はい····。」
「しかしお前の憔悴した姿を初めて見た。」
「······。」
「ルーク、お前はあの娘が欲しいか?」
「····彼女を求めなかった時などありません。」
「····そうか。それなら、父親として、力にならねばな。」
「?」
ワイアットが何を言いたいか分からない。
そんなルークを見て、ワイアットは満足気な表情を浮かべると、そのまま立ち去った。
残されたルークは気持ちを何とか押し込め、部屋へ戻って行くのだった。
数ある作品の中から見つけて、読んで下さり、有難うございます。
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