71 グリフォニア辺境伯領 ⑤
残酷な描写があります。
ご注意下さい。
目の前には軍馬の倍ほどの大きさの個体。
むき出しになった牙と長く鋭い爪。
黒光りする体は闇から抜け出たかの様に禍々しい。
ルークと彼の愛馬は臆することなく対峙する。
野獣もルークのただならぬオーラに躊躇しているのか、こちらの様子を窺っている。
「先に手足と目を狙え!動きを封じろ!訓練通りに3人1組で1頭を撃て!倒したら必ず止め刺しをしろ!首、耳の後ろ、眉間を狙え!放血しろ!」
「「「おお!!」」」
ルークの掛け声で軍が一斉に動き出す。
野獣もまた一気に襲いかかって来る。
「弓部隊は野獣の来た方向の更に後ろを警戒しろ!別部隊が隠れているぞ!」
ダラム王国との国境付近の平原。
平らな陸地はここしかないと言っていいほど、他は森と岩がむき出しになった険しい崖に囲まれた場所だ。
野獣は元々飼い慣らす事は出来ない動物だと言われている。
そんな野獣を戦闘に加える為には、眠らせて連れてくる他はない。
あの巨体を運ぶにはかなり大きな檻を用意し、それも一気に何体と運ぶ事は不可能だ。
ルーク達は、おそらく野獣を閉じ込めておく大きい施設の様なものを国境ギリギリに設けていると予想した。
そしてそれが可能なのは、ダラム王国との国境線で唯一平らな土地があるこの辺りしかなかった。
荒れ狂うであろう野獣相手と上手く戦う為の作戦は万全だった。
そして放たれた野獣の後方に本隊が控えている事も把握していた。
ダラム王国側が、野獣との戦いの合間に別部隊を編成して森や山からローヴェル王国側に侵入して来る事も想定し、その指示は辺境伯であるワイアットが的確に行っていた。
かつて『氷の騎士』と言われたワイアットと、『冥府の使徒』と言われているルーク2人の戦場での勇姿は、後に伝説として語り継がれる程、圧倒的なものだった。
こうしてダラム王国との戦いは、日を追う毎にローヴェル王国側に優勢に進み、始まって15日後には、勝利目前となるまでに至っていた。
「しかし野獣を捕まえ、連れてくるにも相当な危険が伴うだろうに、どの様にして大人しくさせているのか?」
「もしかしたら自分達の手で繁殖させているのかもしれませんね。野獣をこうして使い始めたのは、3、4年前辺りか?」
「王都郊外の森で、サミュエル殿下が刺客に襲われた位の時期かと。」
「ああ、確か話ではルーク殿が活躍したと噂の?」
「少年が倒せる様な相手ではないのだがな。」
「祖父に幼い頃から仕込まれましたから。」
「ああ、元第3騎士団のペータース前子爵か。鬼の中の鬼と呼ばれたお方だ。」
「戦闘中、ルーク殿が囮になって、野獣ごとダラムの本隊目掛けて駆け入って行かれた時は肝が冷えましたぞ。」
「お陰でダラムの混乱を招く事が出来ましたが。」
この頃になると軍議では、幹部でルークの武勇伝を語り合い、談笑する余裕が出ていた。
「あとは厄介なのは毒ですな。今まで経験がないものが多い。話では古代種由来のものも多いとか。どうしてダラムはそのような希少な毒を入手できるのだろうか?」
「今回、王都の研究棟の研究員やホーヴェットの医療団が来てくれて良かった。今のところ上手く対処出来ている。」
「ホーヴェットの医療か。今まで見かけた事はあるが、あの『白の御使い』と呼ばれる白衣の集団はある意味圧巻ですな。ずっとグリフォニア領に残ってもらえたら助かるが。」
「ルーク殿はホーヴェット家と懇意にされているのだろう?そちらと縁あるご令嬢のどなたかがグリフォニア領に来て下されば助かるのだがな。」
「今回の医療団の中に、いい者はおりませんかな?」
「貴族のご令嬢は、さすがに参加していないだろう?」
「使える者なら平民でも構わないのでは?どこかの養女にすればいい。厚化粧をして、香水の匂いのきつい者など、この地には必要ない。辺境の地に社交の機会もないしな。」
「あまり好き勝手にしゃべるな。」
ワイアットの一言で場は静かになる。
「今はルークの相手よりもダラムだ。最後に何か仕掛けてくるやもしれない。次の戦いで決着をつける。ダラムの大将は王太子だ。他には目をくれるな。左右から囲い込むようにして退路を断て。ルークは少数精鋭の別動隊で西側からダラム国境線に侵入。正面の戦闘が始まり、左右の部隊が動き出したら期を見て背後から突け。撃ち取り次第即帰還せよ。正面の部隊に、ルークの影武者を立てておく事も忘れるな。」
「「御意。」」
◇
まだ夜が明けやらぬ早朝。
ルークと選ばれた精鋭部隊20名はダラム本陣近くの崖に潜んでいた。
当然配備されていた敵の監視は、既に倒している。
夜が明け、いよいよ最後の戦闘が始まる。
「あれは何でしょう?」
部下が指差す先には、大量の何かの袋を荷台に乗せた小型の馬車が10台程配置されている。
そしてその袋1つ1つが蠢いている様に見える。
「何かの生き物だな。」
「いかがしますか?」
「おそらく毒でも持った生き物なんだろう。馬車が動き出したら止めることが難しくなる。その前にここで馬をやるしかない。今から5名、馬の足を狙いに行け。ついでに荷台の袋も裂いてこい。動物の体液を浴びないように注意しろ。そのまま駆け抜け、ここには戻らず東の国境線から帰還しろ。剣に付いた血液等は、途中砂や土で拭って落とす様に。決して触れるな。」
「承知。」
選ばれた5人は速やかに崖を下っていく。
「馬車に近づいたら援護する。後方の騎馬を狙い矢を撃て。撃ったら直ぐ様西側へ走れ。離れた奥から廻り背後を突く。途中負傷したら、そのまま敵を引き連れ、支援部隊が控えているローヴェル側へ戻れ。そこで殲滅させろ。」
ルークの指示通り5人が馬車近くの茂みで待機する。
あらかじめ倒した敵から奪っていた隊服を身につけていたため、目立たず行動出来ている様だ。
ルークは敵の本隊がにわかに騒がしくなってきた所で崖の上から騎馬に向かって矢を射った。
矢は10騎程にしか当たらなかったが、敵にとっては予想外の事だったのか、その一帯に大きな混乱を招く事が出来た。
それと同時に馬車の馬にも襲いかかり、馬が暴れだす。落ちた荷から剣で切り裂き、中身を放出させていった。
ルークは矢を射った後、その場から直ぐ様退避。離れた場所から崖を下り、待たせていた馬に乗り込む。そのまま大きく迂回する形で敵の本陣目掛けて駆けていった。
丁度その頃、ローヴェル王国側、グリフォニア兵も進軍を開始。
同時に左右から森を抜ける形で本陣目指して進軍。
同じく潜伏していた敵兵と戦闘になりながら、突破していく。
敵にはおそらくダラム本国からの伝令に見えたのだろう。旗を立て、ダラム兵の隊服に身を包み、ダラム側から本陣目掛けて駆けてくる少数の騎馬に油断していた。
まるで本陣に矢を射たかの様に、ルーク達の隊は真っ直ぐに王太子目掛けて進んで行った。
一際目立つ鎧に身を包んだ騎馬にルークは馬上から矢を射る。
それは標的の頭部に深々と突き刺さり、そのまま崩れ落ちていった。
それと同時に、敵の一部数名が塊となって左に退避していく。
「左だ!馬を狙え!」
気付かれた敵に矢を射られながら、ルーク達は左に進路を変え、それを追う。
ルークと部下は共に再びそれら目掛けて矢を射る。
馬数頭に当たり、馬列を乱した敵の動きが鈍る。
恐るべき速さで追い付いたルーク達は、走り進める騎馬に並び、全て叩き斬った。
馬上から落ちた兵を確認する。
そこには明らかに他の兵とは違う顔つきの男がいる。
ダラム王国の王太子だった。
始めにルークが矢で倒した男は、この王太子の影武者だったのだろう。
ルークは無言で倒れている王太子の息の音を止め、王太子の証である指輪と剣を奪うと、速やかにその場を後にした。
ルーク達はその後、敵に追われながらローヴェル王国、グリフォニア軍本隊に向けて馬を走らせていた。
そこはローヴェル王国から見て右の部隊が展開している場所だった。
戦闘は既に終わっているのであろう。
ダラムの多くの兵が倒れていた。
「ルーク殿ですか?」
少し離れた一段高い場所にグリフォニア兵の数名の姿が見える。
「早くそこを離れて下さい!毒がまかれています!」
見ると地面は、黄色い何かを踏み潰した跡が広がり、血とは違う生臭さが漂っている。
「左に大回りしろ!」
ルークがそう叫んだ瞬間だった。
倒れていた数名の敵が起き上がり、ルーク目掛けて一斉に矢を射ってきた。
至近距離だった為、幾つかは払い落としたが、2本の矢がルークの肩と背中に突き刺さった。
◇◇◇
「兵の皆さんが帰還しました!多数が重傷の模様です!毒にやられた兵も50名近くいます!選別後、運び込みます!」
神殿に大声が響き渡る。
アウロラ達が受け入れる毒の患者は、始めに神殿の外で身につけていた衣服を剥ぎ取り、出来るだけ身体を清めてから、神殿に運び込んだ。
皆、意識が朦朧としている。
「状況を説明して下さい。何の毒か分かりますか?分からないなら、どの様な状況で毒を受けたか教えて下さい。」
比較的意識のはっきりしている者に話し掛ける。
「多くの者が矢で毒を受けています。あとは、何か黄色いカエルの様な生き物が大量に放たれ、その生き物が潰され、生臭い空気の中戦っていたので、それが原因かと····くっ。」
「大丈夫ですか?有難うございます。何か幻覚は見えますか?」
「いや·····。」
「ローラさん、これは····。」
「以前村の井戸に投げ込まれていたスヴェナカエルの毒かもしれません。解毒剤と解熱剤、アカメワサビの刺激剤も用意しましょう。」
アウロラ達医療団が一斉に治療を始める。
どのらくらい経っただろうか。
随分前に日付は変わり、今は明け方近くになっていた。
外はまだ暗い。
運ばれてきた患者は、取り敢えず全て診る事が出来た。
後はこれから、スヴェナカエルの毒なら、解熱剤に加え、定期的に患者を起こし、アカメワサビの刺激剤を舐めさせ、脳に刺激を与え、昏睡状態にならない様に気を付けなければならない。
アウロラ達医療団の面々も、先ほどようやく半分が休憩に入った所だ。
その時だった。
「どなたか医師の方、至急城へ来て頂けませんか?」
城の従者の男性が、アウロラ達の病室に駆け込んできた。
「いかがなさいましたか?」
近くにいたホセが対応する。
「はい、城の方で治療を受けていた方が意識不明になりまして。城内の医師から、医療団の方を呼んで来るように言われました。大至急お願いします。」
「分かりました。どなたか伺っても?」
「はい、ルーク·グリフォニア様です。」
「な?!」
ルーク様?
その場にいて、話を聞いていたアウロラの背に冷たいものが走る。
「ローラさん!」
ホセも驚きアウロラを見る。
「私が参ります!」
そう言うや、アウロラは直ぐに準備を始めた。
「兄にもこの事を伝えておいて下さい!」
言いながら、アウロラは既に城に向かい従者と共に走り出していた。
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