53 元伯爵令嬢の願い
あの日以来、ずっと後悔している。
私の名はカメリア。10歳まではバーネット伯爵家の令嬢だった。
しかし今はそのバーネット家も存在しない。
私には婚約者がいた。
名前はアシェル·セラ·グルーバー公爵令息。
アシェル様との婚約は、私が心から望んだものだった。
あるお茶会で一目惚れして以来、その美しさが忘れられず、幼かった私はその日以来、毎日沢山勉強するからアシェル様のお嫁さんにして欲しいとぐずり、両親を困らせた。
そんな私の様子を見た両親は、それ程ならばと、アシェル様を巡る数ある名家を退け、見事私とアシェル様の婚約を勝ち取ってきてくれた。
当時父が外務卿をしていたことが効を奏したのかもしれない。
父は国王陛下からも一目を置かれる存在だった。 陛下からの後押しもあったのかもしれない。
とにかくその時の私は、天にも昇る気持ちだった。
神様にも沢山感謝した。
幼いながら、アシェル様の隣に立つのに相応しい人間になるべく、礼儀作法や勉強を頑張った。
アシェル様も私をとても大切にしてくれた。
私もアシェル様から愛されているという実感があった。
本当に幸せだった。
それなのに私は間違えた。
王太子殿下を刺客から守ったアシェル様。
その話を聞いてとても誇らしかったけれど、アシェル様が負傷したと聞いて、背筋が凍った。
命に別状はないと聞きほっとしたが、あの美しいお顔に毒がかけられたなんて·····。
私な面会謝絶のアシェル様に、回復を願って何度も何度も手紙や花を送った。
それから半年後、漸く王宮にてアシェル様の回復を祝うパーティーが開かれた。
久しぶりのアシェル様。愛しいアシェル様。
私は緊張していた。
アシェル様の顔の傷は、はたしてどの位回復しているのか。
アシェル様は顔の右側に半仮面を、右手に手袋を着けられていた。
元々白い肌はさらに青白く、とても十分回復されたとは思えなかった。
「アシェル様、ご回復されて良かったです。」
痛ましい姿に心が追い付かず、声が震えた。
アシェル様に会う時は、私は何時も飛びつかんばかりの勢いで駆け寄っていた。
そんな私とアシェル様の仲の良さは有名だったので、両親も周りの招待客も、私が喜んでアシェル様の元へ駆け寄るところを想像していたのだろう。
でも私の足は動かなかった。
私のその態度に両親は、困惑し焦った様子だった。
両親は早くアシェル様のお側に行くように、と私の背を押す。
私は押し出される様に前に歩を進めたが、緊張の為躓いてしまった。
アシェル様はそんな私を直ぐに支えてくれようとした。
私は焦って、手をつこうと手を勢いよく前に突き出してしまった。
運悪くその手が、強くアシェル様の仮面にあたってしまった。
そして私はアシェル様の半仮面の下の瘢痕を見てしまった。
その時、今まで感じたことのない、身体の奥から沸き上がる様な恐怖におそわれた。
『カメリア様、この絵本をご覧下さい。悪い行いをすると、この様に魔物に取りつかれてしまうのですよ。』
そう言って以前見せられた絵本は、悪しき心に染まった人間が、顔に紫色のヒルの様な魔物に取り憑かれて絶命する話だった。
今まさに目の前にいるアシェル様は、あの絵本に出てきた魔物に取り憑かれた人間そのものだった。
まるで何かが右顔に貼り付いているかの様な、生々しい黒紫色の瘢痕。
気がつけば、私は今までにない声で絶叫していた。
とにかくその場から逃げ出したい衝動に駆られる。
怖くて、怖くて······私はアシェル様を突飛ばすようにして離れ、尻もちをつき、泣き出してしまった。
アシェル様の為の折角のパーティーを、私は台無しにしてしまった。
アシェル様にしてみれば、顔の瘢痕は他の人には絶対に見られたくないものだったろう。
それを皆の前で晒すような事をしてしまい、更に絶叫し、アシェル様を全身で拒否してしまった·····。
私はその後、馬車に押し込められる様にして、王宮を後にした。
それからは最悪だった。
私のあんな態度のせいでアシェル様を深く傷付け、且つ主催した王家の顔に泥を塗ってしまった。
私は両親に責められた。
グルーバー公爵家にも顔向け出来ない。
これからアシェル様にどうやってお詫びして償っていこう。
でも·····私は今までと同じように、あのアシェル様のお姿を愛せるのだろうか·····。
毎日一緒に居られるだろうか?
そう思うと身体がすくみ、何も出来なかった。
そう悩んでいた矢先、バーネット家が行っていた不正が明るみになり、家は没落、両親は国外追放となった。
両親は、こうなったのは全て私がグルーバー家を、アシェル様を傷付けた為だと酷く私を責めた。
こうして私は、アシェル様に何の弁解も謝罪も出来ないまま婚約を破棄され、その後乳母の実家を頼り、王都を離れる事になった。
乳母の実家は男爵家だったが、私を引き取る事でグルーバー家から睨まれる事を恐れた為、取引のあった小さな商家に養女に出された。
私の名前は、カメリア·トルッチェになった。
トルッチェ家では私に対して、特に扱いが悪い事はなかった。
ただ、私は馴染めなかった。
16歳になると、田舎のとある年老いた男爵夫妻の屋敷のメイドになった。
田舎の何もない、淡々とした毎日。
私はここで一生を終えるのだろうか?
そう思いながら過ごしていたその4年後、若いメイドがこのまま田舎で過ごすのは可哀想だと、男爵夫妻の好意で、王都の別の男爵家のメイドとして雇われる事になった。
王都に戻ってこれた。
王都は幸せだったあの頃が全て詰まった場所。
それだけで心が浮き立った。
メイドとして雇われたトーリー男爵家には、30代はじめの当主と2つ年下の奥様、10歳のご子息がいた。
男爵家といっても事業が成功している様で、羽振りが良かった。
ここで働きながら、誰かいい相手がいればとそんな軽い気持ちで働いていた。
しかしある時から男爵の目に止まり、いつの間にか男爵専属のメイドとして扱われる事になった。
今のところ男爵から手を出されたりはしていないが時間の問題だろう。
当然奥様は、私の存在が気に入らない。
それが他の使用人にも伝わり、私は孤立するようになった。
折角王都に戻って来たのに、こんな思いをしなければいけないなんて。
休日をもらっても屋敷に居たくなくて、馬車で少し離れた神殿を目指す。
馬車を降り立ち、神殿をぼんやり眺める。
その神殿の向こうの丘にはグルーバー公爵家の別邸が見える。
あの別邸は······。
そうアシェル様の婚約者だった頃、数回訪れたことのある場所だった。
アシェル様はどうされているかしら。
あの傷が今でも残っていて、縁談が上手くいっていないかもしれない。
もし結婚されていても、妻になる方とは上手くいってないかもしれない。
グルーバー家は確かこの神殿に寄付をしていたはず。
もしかしたら····もしかしたら、頻繁にこの神殿に足を運んでいたら、いつかアシェル様に会えるかしら?
あんな男爵の愛人になるくらいなら、下女でもいい。アシェル様のお側に居たい。
それにアシェル様に私だと気付いてもらえれば、昔の幸せだったあの頃を思い出して、きっと私をまた·····。
その時ふと浮かんだ小さな希望が、いつしか私をこの神殿に足を運ばせるきっかけになった。
この思いが神様に通じたのだろうか。
この神殿に派遣されたばかりの老齢の神官、サルマ様と親しくなれた。
サルマさまは元々他国の方。グルーバー家の事情も知らなければ、10年前の私の失態を知る由もない。
上手くアシェル様のお顔の傷の事を話して、会話には細心の注意を払わなければならないと不安材料を与え、且つ私が役に立てると売り込む事が出来た。
そして·····
「え?10日後ですか?」
「ええ、急ではありますが、グルーバー公爵家のご令息のアシェル様が休暇のため別邸に滞在されるそうで、その際ご挨拶に伺うことになったのです。ですから、もし宜しければ、カメリアさんもこの神殿の関係者という事で同行して頂けないかと思いまして。」
「はいっ、大丈夫です。お任せ下さい。公爵家には何度も伺った事がありますから、ご安心下さい。」
「特に何か起こるという事はないと思いますが、カメリアさんに一緒に来て頂ければ安心です。それで、雇い主であるトーリー男爵様にもカメリアさんをお借りする旨許可を頂かなくてはなりませんので、こちらの書状を男爵様へお渡し下さい。」
「わざわざ有難うございます。助かります。」
この書状は奥様にお渡ししよう。
奥様なら私があまり屋敷に居ることをよく思っていないから、直ぐに了承してくれるはず。
こうしてこちらの思惑通り、男爵家からは簡単に許可が下り、私はサルマ神官と共に公爵家へ伺う事が出来た。
男爵家からは、屋敷のお仕着せを着ていく様に言われた。
何でも男爵家が神殿と懇意にしている事を強調し、グルーバー家と何かしら関係を持ちたいという思惑があるようだった。
私には関係ないけれど······。
でもこれで私の身分は保証されるし、グルーバー家の侍従達に好印象を与えられれば、グルーバー家のメイドに雇ってもらえるかもしれない。
あの奥様なら私を追い出す為に紹介状も書いてくれるだろう。
頑張らなければ。
私は緊張して、別邸に足を踏み入れた。
◇◇◇
サルマ神官と共に案内されたのは、睡蓮が美しい池のある庭園だった。
この別邸は、花を愛でるために建てられたと言われる程、様々な花が楽しめる様に敷地内に数ヶ所、趣向を凝らした庭が造られていた。
そこにあるガゼボに設けられた茶席にサルマ神官は座り、私は公爵家の侍従達と共に少し離れた場所に控え、アシェル様が来るのを待った。
ああ、とうとうアシェル様にお会い出来る。
アシェル様は私に気付いて下さるだろうか。
私の胸は高鳴った。
やがて控えていた侍従がアシェル様のお越しを告げる。
そうしてアシェル様が、屋敷の方から姿を現した。
「神官殿、お待たせした。」
低く、落ち着いた声。
アシェル様は未だ半仮面と手袋を着けていたが、見える部分の造形は彫刻の様に美しかった。
「こちらこそお時間を頂き有難うございます。サルマ·パーサーと申します。昨年大神殿から派遣され、着任したばかりの身です。以後お見知りおきを。」
「アシェル·セラ·グルーバーだ。こちらに滞在する事はあまりないのだが、神殿に何かあれば頼ってもらって構わない。」
「はい、有難うございます。」
お茶の用意は公爵家の侍女が行う。
侍女も下女も総じてメイドと言うが、侍女は主に身の回りの世話をし、貴族の者が多い。
今日の様な場も侍女が行う。
公爵家の侍女であり、且つ彼女達も貴族だけあって所作も美しい。
共にこの様に控えていても私の存在が霞んでしまう。
アシェル様、こちらに気付いて。
心の中で必死に祈る。
しかしその思いも虚しく、アシェル様はサルマ神官と軽く会話を交わすと、後はゆっくり庭園を楽しんでくれと言う言葉を残して、屋敷の中に戻って行ってしまった。
そうよね、もう10年も経ってるんだもの、気付くはずもないわ·····。
「そちらのお仕着せはどちらの家の方ですか?」
ふと公爵家の侍女が私に話し掛けてきた。
「トーリー男爵家です。本日はサルマ神官のお世話をする為に同行させて頂いております。」
「トーリー男爵家は神殿と懇意にされているのですね。」
「はい、男爵様からはお手伝い出来ることがあれば、役に立つ様にと言われております。もしこちらにご滞在中、私で役に立つ仕事があるのでしたら、どうぞお申し付け下さい。」
「有難う。その様に報告させて頂くわ。」
あぁ、これで少しは公爵家の侍女とも繋がりが出来たかもしれない。
それから私はサルマ様と庭園を軽く見て回った。
先程の侍女の話だと、今回の滞在はアシェル様の療養も兼ねていて、とても腕の良い医師が共に滞在しているとの事だった。
簡単にアシェル様の療養の話をするなんて、王都ではアシェル様の顔の瘢痕の事は有名な話なのでしょうね。
そして未だ回復されていない事も。
ああ、お側でアシェル様を支えてあげたい。
そんな事を考えながら、サルマ神官と神殿に戻る。
「カメリアさん、今日はお時間を取らせてしまい申し訳ありませんでした。同行して下さり心強かったですよ。有難うございました。」
「いえ、こちらこそ。また何かありましたらお声掛け下さい。それにしても·····何となく神殿が騒がしい気がするのですが、何かあったのでしょうか?」
「ああ、いいえ、そうではありません。2日程前辺境伯領から神官見習いの方がこちらにお越しになっていて。お美しい方なので、この辺りに住んでいる若者が会いに来ているのですよ。若い女の子からも恋の相談を 受けているみたいですよ。まぁ、神殿に活気が出て、いい事です。」
「まぁ、恋の相談も?その方のお名前は何とおっしゃるのですか?」
「はい、ルイーズ様という方です。グリフォニア辺境伯領で戦闘が激しくなりそうなので、こちらに避難されて来たのだとか。カメリアさんも機会があれば、お話されてみて下さい。」
「ルイーズ様·····はい、そうしてみますね。」
読んで下さり有難うございます。
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