52 アシェルの回復
「不思議だ。今までが嘘の様に痒みがなくなっている。」
活性炭を飲み始めて1週間、見た目こそほとんど変わっていなかったが、アシェル様から、その様な言葉を頂いた。
最近のアシェル様の顔を見るに、顔色も良くなったが、以前無表情と言われていたのが嘘の様に、穏やかな表情を多く見せられる様になった。
きっとあの無表情は、自身の体調不良を我慢していたせいなのかもしれない。
「では今日から本格的に食事も変えていきます。体内に残る有害物資を包み込んで吸収させ排出したり、無毒化の効果のある食材として、長ネギや玉ねぎ、キャベツやニンニク等を多く取り入れた献立に変えていきます。また体外に排出しやすくする為に、食物繊維の多い林檎やキノコ類も合わせて取って頂きます。これは料理長と既に相談して献立を考えています。ただもしアシェル様がお召し上がり頂いて、食べにくい物や苦手な物がある様でしたら、遠慮なくおっしゃって下さいね。我慢して食べるのは、精神的に苦痛にもなりますし、長続ませんから。その都度改善して、美味しく食べて頂くことが何よりです。」
「分かった。」
「 しかし、食物繊維ですか?そういった珍しい言葉もホーヴェット家が始まりなのですか?」
ジョッシュが質問する。
「祖父のダン·ホーヴェットは少し変わっていたのです。その時はまだ誰も知らない言葉や知識を持っていたと。祖母がどこで学んで来たのか不思議だと言ってました。私は祖父の話を聞くのが大好きだったんですけど。」
「もう亡くなられて大分経ちますね。貴重なお方を失くしたとディセック教授がよく話されてました。」
「有難うございます。そうおっしゃって頂けると、祖父も喜びます。」
◇◇◇
こうして食事療法も取り入れ始めてから3ヶ月後、とうとう瘢痕に明らかに変化が見られる様になった。
どこか生々しさのある瘢痕だったが、今では萎んだように皮膚に皺が目立つようになった。
「これは·····。」
「はい、おそらく体内から毒素が抜け、皮膚の異常反応が治まったのでしょう。このまま続けて皮膚に乾燥が見られる様になったら、次の治療に進みましょう。」
それから2週間後、瘢痕の箇所は乾燥し、少し皮膚にカサつきが見られる様になった。
「アシェル様、大変お忙しいかとは思いますが、今日からしばらく、3日に一度のペースでお時間を頂けないでしょうか?今日から行う治療は、この様な角質を、主に果物で作る薬液で拭き取ります。毎日すると皮膚に痛みが出る事もありますので、3日に一度行いたいのです。そして毎回、皮膚の状態を直接確認したいのですが·····。」
「アシェル様がこちらの屋敷に戻られるのは、タイミングが難しいので、よろしければアウロラさんに宮廷のアシェル様の執務室へおいで頂くのはいかがでしょう?」
執事のジョッシュがすかさず提案する。
「アウロラが大丈夫なら、お願いするよ。スケジュールはジョッシュと話して決めて欲しい。」
「はい、承知しました。」
「有難う、アウロラ。」
「ふふ、まだまだこれからですよ。」
アウロラのいたずらっぽい笑みを、アシェルは眩しそうに見つめる。
「では早速行いたいのですが、アシェル様、横になられますか?それとも座ったままで?」
「そうだな······。」
「休憩も兼ねて、横になられてはいかがでしょう? 」
ジョッシュがにこやかに提案する。
「·····そうだな。」
アシェルは長ソファーに横になる。
「ではアシェル様、仮面を失礼します。」
今では、手慣れた様子でアシェルの仮面を外し、テーブルに置く。
アウロラは、十分液を吸わせた綿布で優しく皮膚を撫でて行く。
ひんやりとした感覚が気持ちいいのだろう。
アシェルの身体から力が抜けるのが分かる。
アシェルは瘢痕がはっきりとあった時は、右側の顔の感覚が鈍かったように思う。
今感じているこの感覚を嬉しく思うアシェルだった。
やがてジョッシュから「ほう。」と感嘆の声があがる。
乾燥し、浮き立った様にかさついていた皮膚が取れていく。
治療は顔から手へと移り、施術が終わると、今度は保湿のクリームを塗っていく。
「美容術ですね。」
「ふふ、そうですね。肌をきれいにする事には変わりません。」
ジョッシュとアウロラは楽しげに話す。
アウロラにしてみれば、公爵家の主治医を父に持つジョッシュが、特に偏見もなく協力的な態度でいてくれる事に感謝していた。
「アシェル様、目を開けて頂いて結構です。」
アシェルがそう言われて目を開けた先に見えたのは、アウロラの·····愛しい微笑みだった。
それからアウロラはジョッシュと打ち合わせをし、3日に一度のペースで宮廷のアシェルの執務室を訪れ、休憩時間にアシェルに治療を施した。
王宮では、アシェルの部屋に出入りする美しい令嬢がちょっとした噂になっていることをアウロラは知らない。
こうして更に2ヶ月後、乾燥して瘡蓋の様になっていた皮膚は滑らかになり、紫黒い瘢痕は今や明るい紫色の痣になっていた。
若干腫れていた右顔面は、その腫れも完全に引き、左側の目と同じく綺麗な二重に戻っていた。
「これ程までに回復するとは思わなかった。アウロラ、君のお陰だ。本当に有難う。」
「いえ、アシェル様の笑顔が見れると私も嬉しいのです。」
「そうか····。」
心なしかアシェルの耳が赤くなった気がする。
「でもこれで終わりではありません。今まででしたら、治療もここまでだったかもしれません。ですが、もしアシェル様がよろしければ、新しい治療を行いたいのですが。」
「新しい治療?まだ発表されていない治療という事か?」
「はい。」
「アウロラさん、アウロラさんを疑う訳ではありませんが、何分アシェル様は次期グルーバー公爵になられる方で、且つ王位継承権をお持ちの方です。いきなり新薬を試すというのは·····。ホーヴェット領では治験を行う事が組織化されていると聞いていますが、その新薬も治験済みなのでしょうか?」
ジョッシュが少し慌てた様子で尋ねる。
「はい、王都の屋敷の医学に心得のある従者にやり方を教えて、数は少ないですが領地にいる目立ったシミを持つ者5名に治験を行いました。その結果が先日届き、内容は良好です。」
「そうですか。·····ですが、実際にそれを見てみない事には·····。」
アシェルとジョッシュは、アウロラが持参した資料に目を通す。
「そうですよね。ではこちらをご覧下さい。」
そう言ってアウロラは自身のブラウスの袖をまくり始めた。
そして「こちらです。」と、腕をアシェルとジョッシュの方へ見せる。
そこにはアウロラの白い肌しかなかった。
アウロラが何を見せたいのか分からないといった2人に、アウロラは更に説明する。
「今ご覧頂いている箇所に、熱した金属で4センチほどの焼き跡をつけました。」
「なっ?!」
「まさか·····ご自身で試されたのですか?」
「はい、傷は3週間ほどで治ったのですが、痕が残りました。それから今回の治療を試しました。その結果がこちらです。」
痕が残っていないか、再度アウロラの腕を確認する。
しかしそこには痕ひとつ残っていなかった。
「私の場合は2週間ほどでこの通り。領地の者も1ヶ月程度で概ね綺麗になっています。」
「そんな技術が······。」
今までほとんど言葉を発していなかったアシェルがアウロラの元へ近づき、両肩を強く握った。
「君がここまでする必要はない。痕が残ったままになっていたらどうするつもりだったんだ?自分を傷つけてはいけない!」
アシェルにしては、厳しい口調だった。
アウロラは一瞬驚くも、アシェルを安心させる様に微笑んだ。
「私は薬を試す時は、必ず、まず自分から試し、大丈夫だったら、それから治験に回します。自信がないものは試しません。ホーヴェット家では当たり前の事なのですが、アシェル様を驚かせてしまいました。申し訳ありません。」
そう言って、そう言えば縁談を申し込まれていた事を思い出す。
そうだわ、縁談の話があるにも関わらず、身体に傷をつける様な真似、相手にしてみればいい気はしないわ。
浅はかだったわ。·····申し訳ないことをしてしまった。
「アシェル様申し訳ありません。自ら傷ものになるなんて、今の立場からすれば、安易に行うべきではありませんでした。」
アウロラは深々礼をする。
アシェルは手の力を緩め、アウロラを見つめる。
「どんな事でも、君に傷ついて欲しくないだけだ。·····だが、アウロラがそうまでして作ってくれた薬だ。喜んで使わせてもらうよ。ジョッシュもいいな?どうなってもアウロラに責任は課さない。」
「承知しました。」
「では、宜しいのですね?」
「ああ、頼む。」
「はい、お任せ下さい!それでアシェル様、その薬なのですが、出来ましたら毎晩、アシェル様がお休みになる前にお付けしたいので、夜部屋へお伺いしても宜しいでしょうか?」
「毎晩、寝る前に·····?」
「はい。」
「······そうか、ちょっとした試練になりそうだな·····。」
「?」
「アシェル様、今度1週間ほどお休みされてはいかがでしょう?王都郊外のグルーバー家の別邸なら、王宮に直ぐ駆けつけられますし。アシェル様のお好きな花が見頃です。丁度学園も学園祭の準備時期で授業も少ないはずです。アウロラ様もお連れして、そこで治療を受けられたら宜しいかと。」
「そうだな。····アウロラ、どうだろう?」
「はい、私は大丈夫です。宜しくお願いします。」
こうしてアウロラは、アシェルの休暇に同行する事になった。
◇◇◇
「カメリアさん、今日もお祈りですか?ご熱心で何よりです。」
「神官様、ごきげんよう。何時もお声掛け下さり有難うございます。·····神官様、少しお尋ねしたいことがあるのですが。」
「はい、何でしょう?」
「あちらの丘にグルーバー公爵様の別邸がございますよね?」
「ええ、丁度この時期、公爵邸の庭の薔薇や山茶花、また睡蓮が美しく、グルーバー公爵家の方は花を愛でにお越しになります。ちょっとしたパーティーも開かれる事もあるそうです。今年はどうか分かりませんが。」
「ご子息のアシェル·セラ·グルーバー様はまだご結婚されていないのでしょうか?」
「おそらくは····。すみません、私は他国の出で、大神殿からこちらに派遣されたのが昨年ですので、公爵家の詳しいお話は存じません。」
「そうなのですね。·····ではアシェル様が顔に怪我をされて仮面を着けられているのはご存知ですか?」
「いえ。」
「確かこちらの神殿は公爵家の寄付を受けられていますよね?」
「ええ。」
「もし公爵家の方が別邸に来られた時は、こちらの神殿の神官は挨拶に行かれるのでは?」
「よくご存知ですね。今年来られれば、私は挨拶に伺わなくてはなりません。」
「そうでしたか。ではその際、アシェル様の前で使ってはいけない言葉や話題があるのはご存知ですか?」
「え?いいえ、聞いておりません。カメリアさんはグルーバー家の方とお知り合いですか?」
「はい、子供の頃よく出入りしておりました。」
「そうなのですか?ではお詳しいのですね。」
「はい。ですから、神官様がもし公爵邸にご挨拶に行かれるなら、私をお連れ下さい。グルーバー家は王家に次ぐ高貴なお方です。不敬にならない様、お力になれますわ。」
「分かりました。覚えておきましょう。カメリアさん、感謝します。」
「いえ、こちらの神殿は私の心の拠り所です。お気になさらず。」
その日からカメリアは、更に頻繁に神官の元を訪れ、グルーバー家での思い出を語った。
こうして神官の信用を得たカメリアは、それから間も無く、アシェルが別邸に休暇の為訪れる事を知ったのだった。
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