第六話『不死山麓のドラゴン』その六
あの夜――。
ピアはただ守られていただけだった。何も出来ずに終わった。
今回もそうなのか? 守ってくれる人がいなければもう終わりだというのだろうか?
「まだだ!」
と、リンタロウが再び立つ。だが足元が完全には定まらない。
「おまえが完成させるまで、わたしは絶対に倒れない!」
それでも盾となる決意だ。
(リンタロウ……!)
攻撃を食らう、食らう、もはやガードもできないようなありさまだ。このままでは死んでしまう。
リンタロウは倒れない。立っている。立って、待っている。
ピアの式神を。
彼ばかり矢面に立たせて、それでいいのか?
もうあの夜の繰り返しは嫌だ。
(今度はウチが守るんや! リンタロウを!)
ピアは目を見開く。
表情が違っている。ピアはトラウマを、怯えを忘れた。
これは遊びではない。
ピアは両手を構えると、折っていく。
何もない空間を。世界陰陽の気を、折ってゆく!
――何でお母ちゃんは紙を使わんでも式神を喚べるん?
幼い日の思い出。まだ母がバンドにいた頃の記憶だ。
――陰陽の気を、一定の手順つまり「式」によって操作し、存在させるものが式神なの。
母の言葉は、小さな子供には難しかったけれども。
――ウチもできるようになる?
――ええ、もちろん――
今ここではじめて、ピアは紙に頼らずして式を操作することが可能になった。
だが、はたして呪力は残っているのか? 全身を覆う疲労がピアに警告を発している。呪力は枯渇していると。
いや、自分の体内を覗き込んだピアは、今まで底だと思っていた更に下から呪力が湧き出てくるのを感じていた。姫に吸い上げられたことによって、まだ潜在していた呪力が表へ出てきたのだ。
式神が折り上がった。ピアはそれを指差し、全霊をもって名を呼ぶ。
「疾疾来来。『火』のジュー・イン!」
・
戦いは続いている。大師、メイリ、ともに少しずつ追い詰められようとしていた。
上空に渦巻く黒雲に誰も気をとめない。不死山大帝還魂法が破れたのならば、雲も散っているはずなのに、その違和感に気づく者はいなかった。
瞬間!
耳をつんざく雷鳴とともに、巨大な雷が中央の祭壇に落ちた。
皆がそちらに視線を向ける。
雷に撃たれて、倒れた祭壇から火が上がっている。
それに手をかけて何者かが起き上がった。
初代皇帝ハットク・クモヤスだ。骨のみであった全身に、臓腑が生まれ、肉が付き、皮膚が覆い、再生していく。
「おお……!」
姫の感極まった声。
だが、様子がおかしい。狼の頭部は骨のままで再生が止まった。
黒紫の気を纏い、蘇った初代皇帝は宙に浮いた。
うつろな頭蓋骨の眼窩に光が宿っている。初代皇帝は天を仰ぎ、大きく口を開ける。そこから出てきたのは、理性を失った凶暴な遠吠えであった。
「オオオオオオオオオオオオオォォッ」
森の木々がびりびり揺れるほどの圧力。
桁違いの力を内在していることは明らかだ。
(これは捨て置けぬ)
大師は決断した。
建国帝の肉体に攻撃を加えるのは恐れ多いことだが、妖魔となった今はやむを得ない。まだ復活が完全ではない今がチャンスだ。
手にした金剛拳を構える。
「妖魔降すべし――!」
そのとき、うしろから攻撃が来た。
ゾウジョウの棍だ。誰しもが蘇る初代皇帝に目を奪われている中、彼だけはずっと大師を狙っていたのである。かつての弟子の瞳に満たされているのは、もはや憎悪でしかなかった。
今度こそ逃げもかわしもできない一撃だ! その確信が棍にこもっていた。
だが、それでも大師は百戦錬磨であった。わずかに体をずらしてかわす。そこにいたのに消えたとすら思える動きである。ゾウジョウの棍は地面を叩いた。
大師はゾウジョウを投げ飛ばし地面に叩きつけ、槍の穂先を突きつけた。鋭い声でゾウジョウに問う。
「妖魔に仏性は有りや無しや!」
それは在りし日のゾウジョウが、はじめて大師に教えを乞うた問いであった。
悲しげな大師の視線がゾウジョウを打つ。大師はとどめを躊躇している。
ゾウジョウはそんな慈悲を一蹴するように、むしろ昂然と答えた。
「無し!」
「――承った」
沈痛な声で、大師はゾウジョウに金剛拳を貫き通した。
だがそれも誰も見ていなかった。ゾウジョウの最期をかき消す遠吠えが、もう一度響き渡ったからだ。
初代皇帝は凶暴な濁気を撒き散らし、力を持て余したかのように大きく震える。次の瞬間、矢の如き勢いでどこへとも知れず飛び去っていった。
「あなたさま!」
慌てた姫が追いかけて飛んでいく。
首なしの男たちがコントロールを失ってバタバタとその場に倒れた。
「ちィッ」
それを見て、舌打ちした太夫が、最後に煙管の一撃をガードさせ、メイリの体勢が崩れたタイミングで大きく間合いを取り、戦闘範囲から離脱した。
「今回もおあずけたァな」
木々の間に消えていく。
「待て!」
追いかけようとするメイリだが、
「不要だ」
ゾウジョウのケガレクリスタルを拾いながら、大師が追撃を止めた。
先程まで熱闘の修羅場であった場所が、今は静寂の場と化している。